2012.01.30

「N響アワー、3月末に終了」←NHKに送った「抗議」メール。

◆記事:3月で終了の長寿番組「N響アワー」の次は、石田衣良が登場!(webザテレビジョン 2012年1月23日)

1980年よりNHK交響楽団の演奏するオーケストラ音楽を親しみやすい解説とともに紹介してきた

「N響アワー」が3月で終了し、4月からは「ららら♪クラシック」が始まることが分かった。

同番組は、作家の石田衣良と作曲家の加羽沢美濃が司会を務め、

軽妙なトークを交えながらクラシックの魅力を伝える。

毎回、演奏家や作曲家、音楽の生まれた“町”などにスポットをあて、

クラシックの意外なおもしろさを紹介。

鑑賞するのはオペラ、バレエ、オーケストラ、ピアノ、吹奏楽、合唱などのクラシックのさまざまなジャンル。

「クラシックを聞いてみたいけど、何から始めたらいいの?」という人も、気軽に楽しめる内容となっている。

また、いま旬の注目アーティストがゲストとしてスタジオに登場し、トークとともにとっておきの一曲を披露する。

「ららら♪クラシック」のスペシャル版として、スタジオをとび出しオーケストラ・コンサートも行い、

一般のコンサートではめったに聞けない名曲を紹介したり、リクエストにも応える。


◆私(JIRO)がNHKに送った「抗議文」

これはNHKのウェブ内、NHKおよび放送番組についてのご意見・お問い合わせから送るものである。

N響アワーのサイトにも、同じメール・フォームがあるからそこに書き込んでも良い。

勿論、実名、自宅電話番号、メールアドレスを入力しなければ、送信出来ない。

但し字数は400文字までだそうだ。


肚のなかでは、百万語が煮えくりかえっているけれども、

なんとか400字に収めて、さきほど、NHKに送信した。

その内容をここに記す。

毎週楽しみにしていた「N響アワー」が「今年3月に最終回を迎えます。」と知って大変驚いています。

1月29日の放送で黒崎めぐみアナウンサーが仰有っていたとおり、30年も続いた、多くのファンがいる番組を

どうして突然、終えなければならないのか、ご説明いただきたい。

専門家が素人にも分かり易く名曲を解説して下さることは、聴衆の裾野を拡げる意味でも重要ですし、

既にオーケストラを聞き慣れている者にとっても大変興味深いのです。

かつては、他局に「オーケストラがやってきた」「題名のない音楽会」がありましたが、

今やこのような番組は地上波ではN響アワーだけです。

また、様々な事情により生で聴けないN響ファンにとって、

地上波で毎週必ずN響を聴ける場が失われるのは大きな損失です。

存続させて下さい。小説家の音楽談義は、見たくも聞きたくもありません。

何でも「軽く」すれば良いのではない。大衆に迎合すべきではありません。

特に付け加えることはないが、何でも昨今の世の中の風潮として「易きに流れる」のである。


◆かつてのNHKの楽器レッスン番組。

かつて、今で言う所にEテレ、つまりNHK教育テレビでは、月曜日から木曜日まで、

「易きに流れ」ていなかった頃のNHKの音楽番組はどのような様子だったか。


ピアノ、ヴァイオリン、フルート、ギターのレッスン番組を放送していた。

たとえ、自分の楽器でなくても、超一流の先生のレッスンは、見ているだけで大変興味深い。

とりわけ、鮮明に覚えているのは、多くの超一流のお弟子さんを数多く輩出した

ヴァイオリンの江藤俊哉先生のレッスンであった。


非常に容赦の無い、矢継ぎ早に生徒への指示が飛び、いちいちメモなど取るヒマはない。

そして、一度指摘されたことをもう一度間違えたら、とんでもない、という世界なのだ。

あれでも、電波を通して全国のテレビに映ってしまうから、江藤先生は多少は「手加減」

していたに、違いない。自宅でのレッスンの厳しさを想像したら、ゾッとするほどである。


しかし、生徒さんが怒られているのが「面白い」のではない。

専門家からは、どうも私は嫌われる中途半端な知ったかぶりらしい。

だからこんなことを書くと、また「小生意気な素人め」と思われるかも知れないが

敢えて書かせていただくならば、「芸術の厳しさ」の片鱗を垣間見たことである。


また、江藤先生は、まだ高校生ぐらいの生徒に対しても、

「プロになるつもりの自覚」を要求していた。

双子の女の子の生徒がいて、あるときサラサーテの、2本のヴァイオリンの為の「ナヴァーラ」という曲のレッスンを受けた。

どういう作品か知って頂く為に、YouTubeで拾ってきた。



Sarasate - Navarra for Two Violins






ご覧の通り、自分のパートを弾くだけでも大変だが、更に二人のヴァイオリニストが

細かい音の動きを合わせなければならない。どうしても二人のヴァイオリニストは、

相手の弓の動きを注視するあまり、向き合ってしまう。すると江藤先生が言った。

君たち、どっち向いて弾いてんの? 客席はこっちでしょ? 横向いて弾いていたら、お客様に失礼だよ!

なるほど、「プロ」の頂点に立った江藤先生であるからこそ、「プロのプロたる所以」つまり「お客様に聞いていただく」

という気持を忘れてはいかんのだ、とこの生徒さんに教えていたのだろう。

N響アワーから話が逸れたが、要するに、以前、NHKの音楽番組は質が高かった。

テレビを見ている人の殆どは、プロのヴァイオリニストになどなる訳はないのに、

視聴者に迎合しなかったから面白いのである。


◆N響アワーのほどよい知的なレベル。

N響アワーよりも溯ると、私が小学生から中学生の頃、木曜日の夜に

「NHKシンフォニー・ホール」という番組が総合テレビで放送され、そこでもN響定期の録画が主な内容だったが、

「楽しいトーク」などは一切無くて、大木正興(おおきまさおき)という音楽評論家が、ニコリともせずに

プログラムとその楽曲について簡単な解説をし、演奏終了後、ひとことその演奏についてコメントする

というだけの番組だった(それでもそれなりに面白かった)。

N響アワーはそれよりももう少し、クラシックに馴染みが無い人にも親しんで貰おうというサービス精神があったが

徒に芸能人などを司会に起用せず、曲目紹介はアナウンサーが行うが、

作品の解説は本当に分かっている人が説明すると言う点において

これ以上、良心的な番組は無い。池辺先生のときなどそれにダジャレが加わるのだから

こたえられない・・・、と、誰しも思った。西村先生の解説もいつも音楽への情熱に満ちていた。

それを音楽好きかなんかしらないが、小説家の「軽妙なトーク」に変える必要がどこにあるのか。

NHKの回答を待ちたい。

【読者の皆様にお願い】

是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面右下にボタンがあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【音楽】父の命日に、ディキシーランド・ジャズを載せる理由。

◆私事で恐縮です。

私の父は16年前、1996年1月29日に他界しました。

今日が命日です。命日といっても特別にしんみり、と言うわけではありません。

こちらも50歳を過ぎてますから、同年代を見ると少なくともどちらかの親は既に、

あの世に逝ったという人が全然珍しく無い。既に両親とも鬼籍に入っているという人も多い。


但し、私の場合、親の死に目に遭えなかったのがちょっと悔しいのです。

父は急死したわけではないのです。

1993年8月20日にロンドン赴任の内示が出て、父は喜んでいたのですが、その10日後、

父は脳出血で、かなり危険な状態に陥りましたが、一命を取り留めた。意識はあるけど、

口は利けない、という寝たきりになりました。これは元気な頃の父が1番「こうなりたくない」と

思っていた状態でしたので、それが気の毒でした。

口が利けませんから、ひらがな五十音の板を動く方の指で差して、言語を発するのですが、

(一息に)死ぬチャンスを逃したのが無念だ。

と言っておりました。動けなくなりましたが、意識、思考は働いていたので、寝たまま

オムツを当てられる自分が屈辱的だったのです。


私はロンドン転勤の内示を辞退しようか、と考えましたが、父は

そんなことでは、ダメだ。構わないから、行けと申します。

後ろ髪を引かれる思いで、同年10月に私はロンドン行きの全日空機にのりましたが、

その数日前、もう会えないかも知れないと思い、妻子を連れて、父を見舞いに行きました。

父は当時2歳だった孫、つまり私の息子を大層可愛がっておりました。

最後に部屋を出るとき、息子はまだ何もわかりませんが、父は、もう二度と私や息子に

会うことはないだろう、と覚悟したのでしょう。何も言いませんでしたが、うっすらと涙をにじませていた

あの表情が忘れられません。

約2年後、東京から連絡があり、寝たままで安静にしているのに、また脳出血を起こしたというので、

私は急遽帰国しました。2年ぶりの日本でしたが、ICUに簡易ベッドを置き、

一週間、病院に泊まりました。このときも父の思い通りにはならず、一気に死ぬことができず、

もはや、意思の疎通もできず、こちらを認識しているのか分からない状態で、痰が詰まるといけないので、

気道確保のため、気管切開されて、管を固定されて、ただ横たわる父でした。

小康状態に戻ったため、仕方なく、私は再びロンドンに戻りました。

しかしそれから約3ヶ月後、1996年1月29日、父は他界しました。


◆私ほど、ではありませんが、父は音楽が好きでした。

私ほど、熱中した時代があったわけではなさそうですが、父は少しばかりクラシック・レコードを

持っていました。所謂泰西名曲ですけれども、今思いだしても、誰か詳しい人に訊いた訳でも無いのに

妙にツボを押さえておりました。



トスカニーニ指揮、NBC交響楽団の「運命」、フルトヴェングラー、ベルリン・フィルの「英雄」、

ジノ・フランチェスカッティ、ソロのメンデルスゾーン:「ヴィオリン協奏曲」、

エミール・ギレリス(ピアノ):フリッツ・ライナー指揮:シカゴ交響楽団による、

「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第一番」、デニス・ブレイン、カラヤン、フィルハーモニアによる

モーツァルト「ホルン協奏曲全集」、ジャック・ランスロ、ソロのモーツァルト「クラリネット協奏曲」

ジェラール・スゼー(バリトン)の「シューベルト歌曲集」等々、まるっきり泰西名曲ではありますが、

どこでどうやって上手い具合に見つけて来るのか不思議でした。


◆そんな父がアメリカ・ニューオルリンズで、ディキシーランドジャズで盛り上がったらしいのです。

父は(私もその遺伝子を確実に受け継いでいますが)、とにかく基本的に面倒臭がりの出不精で、

若い頃は「日本野鳥の会」会員で山に登っては野鳥の分布など調べて「論文」まで書いていましたが、

銀行員として忙しい毎日を何十年も過ごし、すっかり出不精になりました。

本来、海外旅行など絶対に面倒臭くて行かない人間なのですが、勤続何年とかで、

海外旅行に行くことになりました。何処に寄ったのか、手許に資料がないので正確なことは

わからないのですが、1つ、私は母が大変驚いたことがあります。

ニューオルリンズといえば、ジャズ発祥の地です。今でも黒人のオジサンたちのバンドが

ディキシーランド・ジャズを演奏する、クラブというのでしょうかイギリス風に言えばパブですが、

要するにそういう所にふらりと入った父と父に同行して下さった方が、

ディキシーランドですっかり楽しく盛り上がったらしいのです。いや、「らしい」ではない。

確実にそうなのです。父は文章を書かせるとなかなか上手かったのですが、これも「不精」が祟って

普段、規則的に日記をしたためる、というようなことはしない人でしたが、この夜のことは

余程嬉しかったらしく、手帳にその感激を丁寧に文章として書き残しています。

バンドの面々と意気投合する。一期一会の音だな、と思う。

(一言一句このままでは無いのですが、ほぼそういうセンテンスです)などと書いてある。

自分の父ながら、こういう一面があるとはそれまで思っておりませんでした。

後に母と私とで大変、驚き、かつたった一度の海外だったけど、それほど楽しかったのなら、

良いことだ、と思ったものです。


◆ベニー・グッドマン。"That's a Plenty."、"The World is waiting for the Sunrise"

父が聴いたのは、こんなにゴージャスな演奏では無かったと思いますが、

まあ、ジャズの中でもディキシーランド(風)なナンバーですね。

1980年から何度か、オーレックス・ジャズ・フェスティバルが東京や横浜で行われ、

スウィング・ジャズの神様、ベニー・グッドマンが来日しました。この武道館でのコンサートの模様は

NHKでも放送されたほどです。

オーレックスというのは当時存在した、東芝のオーディオ製品のブランド名です。

それでは早速。文字通りだと「もうたくさんだ」という意味になりますが、That's A Plenty。


That's A Plenty - Benny Goodman 1980







ベニー・グッドマンは勿論いいんですが、トランペットのトニー・テランとトロンボーンのディック・ナッシュ。

この二人のラッパの吹き方が大変すきです。

なんと正しい、トランペットの吹き方。真摯な態度、見事なアドリブ。流石はベニー・グッドマンが選んだ

演奏家です。もう一曲、"The World is waiting for the Sunrise"(世界は日の出を待っている)。

今の世界にぴったりですなあ。


The World is waiting for the Sunrise - Benny Goodman 1980







とりとめの無い、私事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

【読者の皆様にお願い】

是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面右下にボタンがあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«【音楽】1月27日はモーツァルトの誕生日。ディヴェルティメント K.334