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2005.10.02

靖国参拝違憲判決を批判するのは簡単だが、裁判官は命がけなのです。

◆福岡地裁の亀川裁判長(昨年、違憲判決を出した)は、遺書を認めていたそうです。

 

 昨日の日記 に書きましたが、

 首相の靖国参拝は、違憲であるという判断を下した最初の高等裁判所は1991年の仙台高裁ですが、

 小泉首相になってから、はっきり違憲だ、と断定した裁判長は2人だけです。

 最初は、昨年、4月に判決を下した福岡地裁の亀川清長裁判長、

 そして、2人目が昨日の大阪高裁の大谷正治裁判長です。

 その他にも小泉首相の靖国参拝に絡み合憲性の判断をしても良い事例は何件かありますが、

他の裁判官は、判断を避けるか、私的なものだと首相が言っているから、問題無いといっています。



 そういう、論理もあるだろうけど、ちょっと逃げているな、という印象をぬぐえない。

 それに比べると、この2人の裁判官は非常に勇気があると思います。

 昨日、大阪高裁の裁判長に嫌がらせなどがあったら、デモクラシーの終焉だとかきましたが、

昨年4月に違憲判決を下した福岡地裁の亀川裁判長には、弾劾運動が起きたんですね。

 なんと6000人以上もの人が署名している。



 引き続き調べていたら、福岡地裁の亀川裁判長は、判決に先だって遺書を認めていたという事が判明しました。

 驚くと同時に、やはり、と思いました。

 何が「やはり」かというと、亀川裁判長の判決文は勿論感情など一切混ざっていないけれど、

文面から伝わる迫力が、尋常ではなかったのです。


◆資料1:亀川裁判長の判決文

 

 2004年4月7日付判決文の最後の部分は次の通り。

 

「当裁判所は参拝の違憲性を判断しながらも、不法行為は成立しないと請求は棄却した。

あえて参拝の違憲性について判断したことに関しても異論もあり得るとも考えられる。しかし、 現行法では憲法第20条3項に反する行為があっても、

その違憲性のみを訴訟で確認し、または行政訴訟で是正する方法もない。

原告らも違憲性の確認を求めるための手段として、損害賠償請求訴訟の形を借りるほかなかった」


 「本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な議論も経ないままなされ、その後も参拝が繰り返されてきたものである。

こうした事情に鑑みるとき、裁判所が違憲性について判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いと言うべきであり、

当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記の通り判示する」


◆資料2:亀岡裁判長を弾劾しようという文章(ネットで見つけました。誰かは知りません)

 

英霊にこたえる会の亀川判事罷免要求を支持

「英霊にこたえる会」(会長・堀江正夫元衆議院議員)、会員数120万人が小泉総理の靖国神社参拝は憲法違反だとして、

原告が損害賠償を請求した訴訟で、福岡地裁の亀川清長裁判長が主文で原告の損害賠償請求を棄却しておきながら、

法的拘束力がない判決理由の中で傍論として「小泉総理の靖国参拝は違憲」と述べて被告国側の控訴権を奪った件で、亀川清長裁判長ら

三人の裁判官の罷免を求め、国会の裁判官訴追委員会に多くの国民が訴追請求状を提出する運動を始めたことが報道されている。



この判決が問題なのは、亀川裁判長が「小泉総理の靖国参拝は違憲」と判決主文で述べ、原告の損害賠償請求を認めて、

被告国側を敗訴させて控訴権を奪うことをしなければ、被告国側は上級審で「小泉総理の靖国参拝は違憲ではなく、

原告の損害賠償請求は理由がない」として争うことが出来たのであるが、原告の損害賠償請求を棄却して被告国側を勝訴させてしまったことである。


◆コメント:現行法では憲法訴訟という手続きがないのです。

 

 昨日の日記で、過去の裁判の例を何件か書きました。

 いずれも、「損害賠償請求」訴訟、つまり民事訴訟ですね。

 首相の靖国参拝が違憲か合憲か、司法の判断を聴きたいなら、直接そういう訴えが出来れば、本当はいいの ですけれども、先ほど抜粋引用した亀川さんの判決文にもあるとおり、現行法では、それが出来ない。憲法訴訟
というのがないのです。

 憲法裁判所が有った方がいいかもしれないですね。



 それはともかく、どうしてこういう形になってしまったかは、まだ私も勉強不足なのですが、

  直接憲法を争点にして争う憲法訴訟は、いずれにせよ、出来ないのです。

 そこで、形式上、民事訴訟や、刑事訴訟、行政訴訟、という本来の争点は別にある裁判を起

 こすのです(本当は、原告は、そちらには関心がない。例えば、福岡でも原告側の住民は損害賠償は重要視していない)。

 そして、その裁判で判決を出す過程において、ある法律とか、ある公的人物の行為が合憲か

 否かを判断する方式をとっているのです。これを「付随的違憲審査制」といいます。


◆コメント:法的拘束力は判決主文が及ぼす範囲内だけなのです。

 

 福岡の例なら民事裁判ですね。民事裁判で法的な拘束力(既判力といいます)が及ぶのは、

 「判決主文」が示している部分だけなのです。



 判決文を全部引用したら長すぎるので、H16. 4. 7 福岡地方裁判所 成13(ワ)3932 損害賠償請求事件 にリンクを貼って起きましょう。

 ここで、「判決主文」てのは、


  1. 原告らの請求をいずれも棄却する。

  2. 訴訟費用は原告らの負担とする。



 これだけですよ。その後に判決理由が長々と述べられている。

 (ちなみに資料2は明らかに誤りですね。主文では、「小泉総理の靖国参拝は違憲」などと、

全く書いてありません)。

 そして、この判決主文は尤もなんですよ。

 なぜなら、九州や山口県の住民の訴えは、

 
「内閣総理大臣である被告小泉純一郎がその職務として靖国神社に参拝したことは政教分離規定等に違反する違憲行為であって,これにより原告らの有する信教の自由,

 宗教的人格権及び平和的生存権が侵害され,精神的損害を被った」

 から、賠償金を支払えといっているんですから。


 原告だってこんな主張が通ると思っていないですよ。

 裁判長だって、こんなの、原告勝訴になんかできないですよ。

 これを原告勝訴にしたら、憲法とは無関係に、やたらなんでも「精神的苦痛を受けた損害賠

 償請求」訴訟が起きて、福岡の例があるから、といって、原告の言い分を認めなくてはいけ

 なくなる。

 資料2の人は、亀川裁判長がわざと原告敗訴にして、国が上告できないようにした、と因縁

をつけてますが、それは、的はずれ。 この原告の訴えを認めたら法的安定性が崩れます。



 だから、判決主文は原告の訴えを却下です。

 判決文はこの後に、判決に至る法的な理由を説明した「判決理由」が書かれています。

 その中で判決主文とは直接関係のない部分を「傍論」といいます。


 判決理由や傍論には、法的拘束力、民事訴訟でいう既判力はない、というのは、民事訴訟法で決まっている。



 しかしですね。だからといって判決理由や傍論を無視して良いわけではない。

 何故か。

 判決主文はこの事件にしか通用しませんが、判決理由や傍論には、一般的な法的論理が使われているわけで、それだけ、普遍性がある、と考えられるからです。


◆コメント:「傍論だから法的拘束力が無い」っていったって、法制度の問題ですよ。

 

 このように、日本の現行法制度では憲法訴訟を起こすことができないから、何でも良いから、 民事訴訟なり、刑事訴訟の「ネタ」を見つけて、とにかく裁判を起こし、その中で合憲性の判断を裁判所が行うやり方なのです。



 だから、合憲か違憲かが判決主文に来ないで、判決理由や傍論に書かれるのは当たり前。

 もう一度書きますが、「付随的違憲審査制」といいます。

 どうしてそうなったかは、現時点では、私も分かりません。これから勉強します。

 単純に考えると憲法裁判所が有った方がいいのかも知れませんが、そうすると、何でもかんでも安易に憲法訴訟を起こす人が出てきそうな気がしますね。

 たとえば、バカな親が、学校で教師が子供に「この本を読んできなさい」といったら、

 「特定の思想を押しつけている。思想・良心の自由を侵害している」なんて先生を訴えるとか、そういう、下らないのが、増えそうな気がするのですね。そう言うわけで、

 「憲法裁判所を作ればいいじゃないか」

 という一言で解決する問題ではない。


◆以上のような事も知らないで、「ねじれの判決」などという人がいる。

 

 前述したように、靖国参拝に関して、敢えて、司法が判断を避けてはいけない、という信念で判決を下した福岡地裁の亀川裁判長は立派だと思います。死を覚悟したのですから。



話が逸れますが、選挙期間中、「殺されてもいいから」郵政民営化を、と叫んでいた人がいましたけど、本気でそんなことを思っていたのでしょうか。

 郵政民営化で殺されるわけがない事が分かっていたから言えたのではないでしょうか?

それにくらべて、  亀川裁判長は本当に、命がけでした。

 昨日の大阪の大谷裁判長も同様です。

 亀川裁判長は殺されなくて済みましたが、前述のとおり、同裁判長を弾劾しようという署名が6000件以上も集まった。

 多分、その人達は、私が今日説明したようなことを知らないとおもいます。

「ねじれの判決」などと社説に書いている新聞がありますね。

 ちょっと、恥ずかしい・・・。


◆復習です。

 

日本では憲法訴訟を起こせない。そう言う制度がない。

 だから民事訴訟などを無理矢理でも起こして、その判決理由の中で首相の靖国参拝の合憲性を判断してもらう しか、方法がない。



 民事訴訟の請求内容は、原告も実はどうでもよいわけだから、無茶苦茶な要求になることが多く、裁判官はこれは、原告敗訴にせざるを得ない。それを述べるのは主文である。

 合憲性について述べるとしたら判決文中、「判決理由」か「傍論」に書くしかない。

 これは、法制度上、そうならざるを得ない。



 ところが「判決理由には法的拘束力はない」ことが、少なくとも民事訴訟法では、規定されている。



 以上のごとき事情を勘案するならば、「傍論に書かれているから法的拘束力はない。

 これからも首相は判決理由など無視して、参拝すべし」というのは、軽率な議論である。

 ということになります。



 全国紙の社説をひととおり眺めましたが、産経が全然わかっていない。読売もどうも分かって

 いない。論説委員さん、勉強してください。

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コメント

>合憲性について述べるとしたら判決文中、「判決理由」か「傍論」に書くしかない。
>これは、法制度上、そうならざるを得ない。

主文(結論)を導き出すのに不要な、理由になってない部分を「傍論」というのですよ。蛇足なわけですよ。
蛇足の弊害について考えたことあるのかな?傍論を支持する理由が分からない。
下級裁判所が憲法判断をした時点で、その判断に不服がある当事者は上級の裁判所に訴える権利が本来認められているわけです。
憲法81条。最高裁のみが憲法判断の終審裁判所。
つまり、下級審で憲法判断が確定することを、法的に禁じているわけ。
にも拘らず、下級審で憲法判断が確定してしまうのは、その判断が傍論によってなされてしまうから。
傍論違憲を不服として上告できないということは、裏を返せば、傍論に法的拘束力を認めることは許されないということになる。分かりますか?
傍論に法的拘束力を持たせるんだったら、傍論の不服申し立てを認めなければ法的バランスを欠くから。
つまり、司法が自ら「傍論に法的拘束力はない」と認めているわけですよ。

井上薫の「司法のしゃべりすぎ」とか読みましたか?

> 以上のごとき事情を勘案するならば、「傍論に書かれているから法的拘束力はない。
> これからも首相は判決理由など無視して、参拝すべし」というのは、軽率な議論である。
> ということになります。
> 全国紙の社説をひととおり眺めましたが、産経が全然わかっていない。読売もどうも分かって
> いない。論説委員さん、勉強してください。

他人に「勉強してください」と、あなたがいえますか?
あなた自身「私も分かりません。これから勉強します。」と書いてたりするじゃないですか。
死を覚悟するだけで亀川をそこまで賛美できる神経が分からない。
じゃあ何故、靖国神社を賛美しないの?国のために命を投げた英霊が祀られてるんですよ?
このページで主張している内容は、結局感情論でしかない。
法律論を展開したいんだったら、もうちょっと「勉強して下さい。」

投稿: erfgokserg | 2007.01.20 23:22

>それはともかく、どうしてこういう形になってしまったかは、まだ私も勉強不足なのですが、
> 直接憲法を争点にして争う憲法訴訟は、いずれにせよ、出来ないのです。

最判昭27・10・8民集6・9・783を参照。
http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/VM2/78A393863498EDB249256A85003166BF?OPENDOCUMENT
「しかしながらわが裁判所が現行の制度上与えられているのは司法権を行う権限であり、そして司法権が発動するためには具体的な争訟事件が提起されることを必要とする。」

投稿: ほげ | 2005.12.03 13:12

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