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2006年11月

2006.11.30

<米軍資料流出>次官通達後も私有PC持ち込む←それをさせないように、税金でデルのPCを5万6千台も買ったんだろ?

◆記事1:<米軍資料流出>次官通達後も私有パソコン持ち込む

米中東軍が多国籍軍向けに出した資料などがインターネット上に流出した問題で、

流出元となった航空自衛隊那覇基地所属の2等空尉が、情報管理を徹底する今年3月の防衛事務次官の通達後も、

部隊内に私有パソコンを持ち込んで業務に使用していたことが分かった。

空尉は防衛庁の聴取に「音楽を聴くためにパソコンをインターネットに接続したら流出した」と説明しているという。

また、陸上自衛隊中部方面隊(総監部・兵庫県伊丹市)の内部資料も3等陸曹の私有パソコンから流出しているとみられ、防衛庁で調査を進めている。

防衛庁は今年2月、海上自衛隊の秘密情報などがインターネット上に流出した問題を受け、

守屋武昌防衛事務次官が、私有パソコンでの秘密情報の取り扱いを全面禁止することや、

私有パソコンに保存した必要のない情報の削除、ファイル共有(交換)ソフトの削除を通達した。

しかし、空尉はその後も業務用として私有パソコンを使用し、

米中東軍作成の資料や「注意文書」とされた空自のイラク派遣部隊の勤務報告などを保管していた。

また、ファイル共有(交換)ソフトもパソコンに入れたまま削除していなかった。

防衛庁の調査に、空尉も事実関係を認めているとみられる。
今回の情報流出について、30日午前に開かれた衆院安全保障委員会で久間章生防衛庁長官は

「本当に困ったものです。本人も消したと言っていたのが残っていた。調査したうえで(業務用の資料の消去を)しつこいぐらい徹底したいと思う」

と述べた。(毎日新聞) - 11月30日15時4分更新


◆記事2:デル、防衛庁の情報流出再発防止でPC5万6000台受注(2006年4月13日 ITmedia)

デルは4月13日、防衛庁から5万6000台以上のクライアントPC案件を受注したと発表した。

防衛庁の秘密情報がWinnyネットワークに流出した問題を受け、再発防止策の一環として導入される。

デルにとっては最大規模の案件獲得としている。

陸上・海上・航空自衛隊の関連施設で業務用PCとして利用され、受注製品は9月末までに納入される。

内訳は、デスクトップPC「Dell Optiplex」シリーズ(15インチ液晶モニタ付)3万2000台以上と

ノートブックPC「Dell Inspiron」シリーズ2万4000台以上としている。

2月に海上自衛隊の護衛艦「あさゆき」の秘密情報がWinnyのネットワーク上に流出したことが判明。

これを受けた再発防止策として情報セキュリティの観点から職場の私有PCを一掃に向け、官給品PCの緊急調達を決定した。

その仕様として、Winnyなどのファイル共有ソフトの起動禁止設定や、ウイルス対策ソフトによる検知削除機能などを備えることなどを要求していた。

デルでは、あらかじめ防衛庁の仕様に適合するオフィスソフトウェアやウイルス対策ソフトなどカスタマイズされたイメージを、

全PCにプリロードした状態で納入する。


◆コメント:防衛庁の情報管理が一般企業よりもお粗末で良いわけが無い。

私は所謂「軍事オタク」ではない。

ではない、どころか、最も縁が無い世界である。

しかし、常識で考えれば、防衛庁=自衛隊の情報が洩れることが日本国の安全保障に関わるであろうことは、容易に想像がつく。

それにしては、あまりにも管理が杜撰だ。



私の勤め先は、大きな組織(官か民かは云わない)で、日本の安全保障に直接的には関わらないが、全部のPCを専門の職員が管理・監視している。

外部記憶装置(CDとか、MOとか、今は滅多に使わないだろうがフロッピーの類)は取り付け禁止。

取り付けるとすぐに感知するソフトが各PC(勿論、私物は一際使用禁止)にインストールしてある。

ノートパソコンを仕事で持ち出すときは台帳に記入し、セキュリティ・オフィサーと、各部署の最高責任者の証印を必要とする。

ネットにアクセスすることはできるが、書き込みができるようなサイトはアクセス禁止。

従って、エンピツもココログも、会社からは書き込みは勿論、読むことすらできない。



システム専門の監査担当部署は、ウィニーなどがインストールされていないか全部チェックした会社の備品としてのPCしか使わせないし、

外からみだりにファイルをダウンロードできないようになっている。

防衛庁よりも、私のところの方が遙かに厳格に管理している。

本気で管理しようと思えばできるのだ。


◆陸・海・空全ての自衛隊がウィニーに情報漏れを起こしているお粗末さ。

幾度も強調するが、日本の安全保障に関わる情報を扱う防衛庁・自衛隊はとりわけ厳しい情報管理が為されるべきだ。

ところが実際は、何と陸・海・空、全ての自衛隊からの機密情報の流出が発覚している。



特に1月の海上自衛隊の護衛艦「あさゆき」の電信室に勤務する海曹長が、

ウィニーがインストールされた私物のパソコンで起こした「情報漏洩」の深刻さは、かなりのものだったようである。

防衛庁はヤバいから詳しく話さないが、当時の記事を読むと、素人でもことの深刻さが分かる。

これは、5月29日付でYahoo!みんなの政治に載った、

「AERA」の記事である(今はもう削除されていて読めない)。

◆自衛隊のウィニー被害は甚大 流出文書でばれた「戦争」

海上自衛隊の佐世保地方隊に所属する護衛艦あさゆき(満載排水量3800トン)の電信室に勤務する海曹長が、

私物のパソコンに大量の機密文書を取り込んで自宅に持ち帰り、それが今年1月21日にウィニーを通じてインターネット上に流出した事件は、

海上自衛隊にとって未曽有の機密漏洩事件となった。流出した文書は約3000点に達し、

「極秘」を通信する暗号関係文書の一覧表や機材の取扱説明書まである。

これらを見れば日本の護衛艦が何種類の暗号を使い、どんな名の暗号作成機や無線電話の秘話装置を何台持っているとか、

演習に参加した米軍艦の無線電話のコールサインなども分かる。

【機密保全の教育資料も】

今では送信の度にコンピューターで自動的に暗号化して通信するし、

それが故障した場合に使う「非常用暗号書」は流出していないとはいえ、

海上自衛隊の通信系統の全体図を示しており、傍受、解読を助けるものと言えよう。

流出文書の中には「防衛秘密について」と題する秘密管理の教育資料や「サイバー攻撃等対処細部要領について」

という情報セキュリティー教育の資料も含まれている。

いかに機密保全の法令や手続きを教育しても、それが世界に流れたのは滑稽だ。

ということだ。
「かなり」という程度では済まない「ヤバ」さであることは私でも分かる。

無線電話のコールサインがウィニーで、ネットに流出したのだ。

中国、北朝鮮が入手しなかったわけがない。周波数は簡単に変えられないから(総務省の認可を要する)、

少なくとも暫くの期間は、自衛隊の通信は(全部は無理だろうが)傍受されていた、つまり「筒抜け」状態だった、と考えるべきだろう。

ところが、防衛庁にとって都合がいいのは、情報の内容が高度に専門的であるため、

国民が誰も事の重大性を理解できないし、関心もよせない、という現実である。



日本国民は、NHKの支局長が万引きをしたら、NHKに抗議電話が殺到するのに、

国家の安全保障に関わる超重要機密情報が自衛隊員の過失により流出しても誰も何も云わない。

しかも、長くなるので、詳細は省略するが、海上自衛隊だけではないのだ。



3月には航空自衛隊の内部情報(「基地警備計画」など)が、ウィニーを入れた、隊員の私用パソコンから流出したことが発覚した。

5月11日には陸上自衛隊の「地対艦誘導ミサイル(SSM-1)の運用システムなどに関する内部教育用資料」が、

ウィニーを介してネット上に流出したことが分かった。これほど、ドジな「軍隊」も珍しいのではないか。


◆私物パソコンの使用を止めさせるために買ったパソコン56,000台の資金は税金だぞ。

記事2にあるとおり、防衛庁は、職員に私物のパソコンを使わせると、ウィニーを排除できないので、

わざわざ、デルから5万6千台も新しいパソコンを購入し、職員に支給したわけである。

その資金は国民の税金から出ているのは云うまでもない。

にも、かかわらず、私物パソコンの使用をしている者がいて、また、情報が流出した。

おい。防衛庁長官。

何のために我々が納めた税金でパソコンを買ったのか分からないじゃないか。

購入資金総額がいくらだったのか防衛庁長官から国民に報告がないので分からないが、そのカネはドブに捨てたようなものだぞ。

それなのに、この答弁は何だ?

30日午前に開かれた衆院安全保障委員会で久間章生防衛庁長官は「本当に困ったものです。本人も消したと言っていたのが残っていた。調査したうえで(業務用の資料の消去を)しつこいぐらい徹底したいと思う」と述べた。

困ったものですで、済むか。バカ。辞表を提出しろ。

情報流出の不祥事は額賀長官の時から明らかになったことだが、今の長官が全責任を負うのが原則である。



防衛庁を「省」に格上げする法案が今日(11月30日)、衆議院で可決された。

職員の規則違反の行為による情報流出も防げないような役所をどうして格上げするのか。

ヤクニンと国会議員のセンセー方の知能を疑う。

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2006.11.29

郵政造反組復党を許可するなら、衆議院を解散するべきである。

◆主権者の選択を無視するわけですね?

昨年8月8日に小泉純一郎は、郵政民営化法案が参議院で否決されたら、

何と衆議院を解散して、さらに郵政民営化に反対する候補に対しては「刺客」を送ってまで、反対勢力を阻止しようとした訳ですね。

それでも、郵政反対と言いつづけて当選した議員が12人いて、17人は落選したのです。



日本国の主権者は国民です。

「郵政造反組」が刺客を送られても、なお、衆議院に当選できたのは、「郵政民営化に反対だ」と考える有権者が12人に投票したからですね。

その12人のうち、平沼赳夫議員以外は、自民党の中川幹事長が要求する「誓約書」を提出して自民党に復党した、ということです。

中川幹事長が「郵政造反組」に提示した復党の条件は、報道によれば、

(1)郵政民営化など政権公約の順守

(2)安倍晋三首相の所信表明演説への支持

(3)党則の順守の3原則を提示。

加えて、郵政民営化賛成や昨年の衆院選に無所属で出馬したことへの反省表明を記した誓約書の提出、

国民向けの説明など

だそうです。


◆復党した「造反組」は有権者に嘘をついたのですね?

平沼議員を含む「郵政造反組」の12人とは次の人々です(平沼議員は復党していません)。


  • 堀内光雄(10) 山梨2

  • 保坂武(3)   山梨3

  • 野田聖子(5)  岐阜1

  • 古屋圭司(6)  岐阜5

  • 平沼赳夫(9)  岡山3

  • 山口俊一(6)  徳島2

  • 武田良太(2)  福岡11

  • 今村雅弘(4)  佐賀2

  • 保利耕輔(10) 佐賀3

  • 江藤拓(2)   宮崎2

  • 古川禎久(2)  宮崎3

  • 森山裕(2)   鹿児島5

繰り返し強調しますが、これらの人々は昨年9月11日に投票が行われた衆議院選挙の時に、

「郵政民営化に反対だ」といって、当選したのです。

このうち11人は、今や「郵政民営化に賛成だ」と云っているのです。

国民に嘘をついていることになります。

「考え方が(郵政民営化賛成に)変った」などと云っていますが、それほど簡単に11人の政治的思想が同時に変化するのでしょうか。

自民党は参議院選挙対策で、造反組は年内に復党しないと政党交付金を貰えないから、

「郵政民営化賛成」に転じたことは、あまりにも見え透いています。

しかし、「造反組」だけを責めるのは、不公平だと思います。


◆自民党も反省しろ。

自民党の中川幹事長は、「造反組」に対して、

「昨年の衆院選に無所属で出馬したことへの反省」を要求したそうです

私は、まず反省すべきは自民党だと思います。

同じ政党の党員であっても、一人一人、自由意思を持っている個人なのですから、

基本的人権である、「思想・良心の自由」は憲法により、保障されています。

小泉・元首相及び当時の自民党は、思想の自由を侵害した点において、間違っていたのです。

昨年、彼らに「刺客」を放ち、党から除名した小泉純一郎の考え方がおかしいのです。

造反組を復党させるのであれば、本来は自民党こそ、国民向けに

「昨年、郵政民営化法案に反対した党員を除名したのは間違っていた」

と、謝罪すべきです。

そして、その証しとして、造反組を復党させると同時に、小泉純一郎を除名すべきです。

本当は、執行部の武部や、安倍晋三内閣総理大臣も除名されるべきなのですが、

総理を除名するわけにはいかないでしょう。

それでは、自民党は党が間違っていないと思うのであれば、国民の審判を仰いではどうでしょうか。


◆各社世論調査をみても「復党に反対」が50%を超えていますけどね。

どの新聞社の世論調査を見ても、さすがに国民はあきれているようで、

「郵政造反組の復党に反対」は、

共同通信社では、59%、

毎日新聞では、61%、

日経では57%

という結果です。

また、ネットの世論調査の信頼性がどの程度かわかりませんが、

Yahoo!みんなの政治の「あなたは安倍内閣を支持しますか、しませんか?」(10月26日~11月1日)では、

不支持55%、

支持37%、分からない9%

となっているのです。
Yahoo!のアンケートは「安倍内閣支持率」であり、「復党問題」そのものを問うたわけではありませんが、

「不支持」が「支持」を上回っているのは、当然、「郵政造反組復党」が影響しているからでしょう。

そりゃそうでしょうね。

自民党のやり方を見たら、「昨年の衆議院議員選挙は何だったのか」、と思わないほうがどうかしています。


◆「衆議院解散、総選挙」で、国民の審判を仰ぐべきなのです。

今日(29日)、「教育再生会議」が開かれたそうですが、こんな出鱈目をやる連中が「教育」を論じる資格があるのでしょうか。

先ほど述べたとおり、自民党は「郵政造反組」を復党させるならば、

「造反組」の思想の転換を強制するべきではなく、

「思想の自由」を剥奪し、彼らを追い出した小泉純一郎を除名にするべきではないかと思います。

それぐらいしなくては国民は納得しない。

それができないなら、これほど国民を愚弄する行為を平然と行うことは、到底許されないのですから、

もう一度、衆議院を解散して総選挙で、有権者の審判を仰ぐのが本当に「筋を通す」ことではないかと思います。

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2006.11.28

全国知事会 安倍首相、「志を捨てたのか」←郵政造反組に「志を変え」るように強要したのは誰かな?

◆記事1:全国知事会 安倍首相、「熱意捨てたのか」

閣僚と知事が意見交換する政府主催の全国知事会議が24日、首相官邸で開かれ、

安倍晋三首相は相次ぐ地方自治体での不祥事に対して、

「地方自治の信頼の回復を図るためにも襟を正して改革の炎を燃やし続け、果断に行動してもらうことが重要だ」と述べ、

知事側の自助努力を強く求めた。

会議の冒頭、安倍首相は知事による汚職事件について「最近明るみに出た一連の不祥事が事実ならば、

知事自身が民意に背き、地方自治への熱意や志を捨ててしまったのではないか」と厳しく批判した。

(産経新聞) - 11月25日8時1分更新


◆記事2:造反11人復党、首相が手続き指示=「責任持って決断」-時期尚早と反対論・自民

安倍晋三首相は27日夕の自民党役員会で、郵政民営化に反対し、同党を離党した無所属衆院議員12人から復党願が提出されたことについて

「(平沼赳夫元経済産業相を除く)11人の復党審査手続きに党紀委員会で入ってもらいたい」と指示した。

誓約書を出さなかった平沼氏は、審査対象から外した。

党内では新人議員らから反対論や慎重論が相次いだが、同党は早ければ月内にも党紀委員会を開き、復党を正式決定する運びだ。

首相は同日夜、首相官邸で記者団に「総裁として責任をもって決断した。古い自民党に戻ることはない」と言明。

復党条件に関しては「郵政民営化是か非かをあいまいにしてはならないと考えた」と国民の理解を求めた。

また、復党問題での衆院解散を否定した。 (時事通信) - 11月27日21時0分更新


◆コメント:「矛盾」とはこの時のために存在した言葉ではないだろうか。

昔々、中国の「楚」という国で矛(ほこ)と盾(たて)を売り歩いている男がいた。

男は「この矛はどんな盾をも貫くことができ、この盾はどんな矛でも防ぐことができる」と云った。

それを聞いていたひとりが、「それでは、その矛でその盾を突いたら、どうなるのか?」と訊ねた。

男は答えられなかった。バカである。

しかし、安倍政権はこの男を笑えない。

安倍晋三内閣総理大臣は知事会で「政治家としての志を忘れたのか」と責めた。

郵政民営化に反対し、自民党を除名されたが、当選して無所属の状態にある元自民党議員12人に対しては、安倍内閣は、

「郵政民営化に反対」という政治家としての志を捨てる旨を書いた誓約書を提出せよ。と迫った。

これを「矛盾」と云わずして、何というのか?


◆「政治家ニュース」は「政治ニュース」ではない。

ある法案に反対してある政党を除名された国会議員が、元の政党に戻るかどうかは、国をどうするかという「政治」ではなくて、

単なる政治家の私事(無論、各議員には当選時の公約があるから、完全に私的とは云えないが)である。

最近のゴタゴタで、自民党の政治家はこのようなことばかりしている。

本来の政治家としての仕事をしていなくても、国会議員には一日40万円のコストがかかる。無論税金で賄われている。

はやく、真面目に仕事をしろ、馬鹿野郎。

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2006.11.27

「公費出張 『四男は問題ない』石原都知事」←どこが問題か説明します。(誤字修正済)

◆記事:公費出張 「四男は問題ない」石原都知事

東京都の文化振興事業に石原慎太郎知事の四男で画家の延啓(のぶひろ)氏(40)が関与し、

公費で海外出張していた問題で、石原知事は24日、「息子は立派な芸術家で交際範囲も広い。

息子だろうが他人だろうが、意見が良かったら聞くのは当たり前」と会見で述べ、問題はないとの認識を示した。



若手芸術家育成のため石原知事の肝いりで始まった「トーキョーワンダーサイト事業」に関し、

延啓氏は03年3月に1カ月間、事業への助言を行う委員を務めた。同月18~26日には、

同事業の企画で石原知事が脚本を書いた「能オペラ」公演の打ち合わせなどとして欧州を訪問。

旅費など約55万円を都が負担した。

石原知事は、延啓氏が知事に紹介してきた日本人音楽家の発案で、能オペラ構想が始まったことを説明。

この音楽家と契約上のトラブルが起き、延啓氏が調整役として欧州に出向いたという。

知事は「ワンダーサイト事業の責任者が依頼したもので、手続きに問題はない」と語った。

【北村和巳】(毎日新聞) - 11月25日17時6分更新


◆コメント:知事が「問題ない」とハンコを捺したら下は文句を言えないのだから、遠慮すべきなのですよ。

石原慎太郎は悪人でもないが、あまりにも陽のあたる場所をずっと歩いてきた人なので、

何でも自分の思うとおりにならないと、駄々をこねる幼児性がある。



ただ、本件の海外出張自体に公費を用いたのは人道上、極悪非道というほどの話ではない。

しかし、東京都知事は都庁においては、民間企業になぞらえれば「社長」なのだから、

社長が決裁したら、下(部下)は文句をいえないでしょ?

そう言う立場のトップが自分の息子を自分で都の文化事業に登用するべきではありません。それがいけないのです。



どうしてもヨーロッパへ行かせたいなら、石原慎太郎は、本を書いたり、なんだかんだ金持ちなんだから、

55万円ぐらい、石原慎太郎がポケットマネーで出せばいいじゃないか。

慎太郎氏自身がヨット遊びするようなひとなんだから。



画家の四男というのは、慎太郎は「立派な芸術家」だというが、そもそも、自分のせがれを「立派な芸術家」という奴があるか、馬鹿者。

子どもを持つとわかるけどね。誰でも程度の差こそあれ、「親バカ」なのだ。「立派な芸術家」かどうかは他人様に評価していただくものである。

更に、四男が「立派な芸術家」というが、経歴を見たら、慶応の経済を出た、セミプロじゃないか。



日本一競争率の高い芸大の美術に現役で合格でもしているのかと思ったが、調べても一体何処で美術の基礎を学んだか分からぬ。

ここにプロフィールと「作品」がある。

それほど優れた才能ですかね。


◆公平を期するために書くが、石原慎太郎の「弱者に対するいたわりの無さ」とは別問題である。

石原慎太郎ってのは、もう一度書くが、自分がずっと陽のあたる場所を歩いてきた所為で、

社会的弱者の立場、困窮、悲しみ、悔しさ、などを理解できない。いや、理解しようとしない。する必要もないと思っている。

それは、数々の発言で明らかである。

そして私も、それは以前から問題だと書いている。3年前に立て続けにひどいことを云ったので、取り上げた。


などをご参照いただきたい。そこでは石原氏の過去におけるさらにひどい発言を引用している。これに関しては、私もまだ書き足りないほどだ。



しかしながら、感情の赴くまま、問題の所在を間違えてはいけない。

見出しにしたニュースは、都民の税金の使い道の問題であるから、石原氏のこれまでの暴言とは別の話である。

これを混同してはいけないのである。それが、フェアというものだ。


◆他人の発言の一部だけを引用するのは、ミス・リーディング(誤解を招く)だ。

具体的には、最近のいじめ問題に関して、石原都知事の発言として、

「自分で戦ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるのではないか」

という部分だけを引用している新聞があるが、これは、ジャーナリストの姿勢としては正しくない。

発言全体は次の通りである(新聞の引用の引用であるが)。
とにかく親が関与すべきではないか。私なんか、子どもにけんかの仕方を教えた。非常に効果があって、たちまち相手を倒したら小学校で番長になっちゃった」

と自身の子育て経験に触れた。そのうえで、「自分で戦ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるのではないか」と語った。毎日新聞 2006年11月10日

ご覧の通り、発言の前半では、いじめられている子どもの親が介入しろ、といっているのである。

発言の後半だけを引用すると、「いじめ被害者の子どもは、自分で何とかしろ」が強調される。

発言全体を伝えずに、一部だけを引用すると、このようにマスコミが読者に「先入観」を与えることが可能になるのだ。

こういうのを、ミスリーディングな報道というのである。


◆結論:知事が東京都の事業に関係あるとはいえ、都の職員でもない息子を公費で出張させるべきではないが、「弱者いじめ」発言問題とは峻別するべきだ。

もう、それ以上云うことはないのですが。

石原慎太郎の苦労知らずの言いたい放題は不愉快だし、不謹慎であることも多い。

だが、今回は、税金の使途の問題であるから、追及するならば、その点だけを問題にするべきである。

ということでした。以上。

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2006.11.26

雅子妃殿下とトランペット

◆雅子さまは、かなりのクラシック通であることは、ほぼ間違いがない。

雅子皇太子妃殿下について書かれた記事や本は、無数にあるだろうが、「雅子さまとトランペット」の関係に着目したのは、私だけではないか。

どういう話かというと・・・。



皇太子殿下とのご婚約が発表されてから暫くは、マスコミは大騒ぎだった。

女性週刊誌は「ご婚約の後の雅子さまのファッション・チェック」か何かを書くわけだが、無論私はそんなことには興味はなかった。

ただ、一つの記事だけ、非常に興味深く拝見した。記事というよりも写真である。

雅子さまはご結婚前、外務省北米一課に勤務する公務員、早い話「勤め人」だった。

クルマ(カローラ)で通勤しておられたが、

週刊文春が(勿論許可を得て)、そのカローラの車内の写真を撮り、グラビアに載せた。

ダッシュボードに、雅子さまが通勤時にカーステレオでお聴きになるカセット(当時はカーオーディオといっても、カセットテープだったのですよ)が写っていた。

それを見て、私は「アッ」と驚いた。



バッハは管弦楽組曲という作品を4曲書いている(有名な「G線上のアリア」は管弦楽組曲第3番の中の一曲である)。

雅子さまの愛車にあったのは、管弦楽組曲2番であった。ただの2番なら驚かない。

2番はフルートソロをオーケストラが伴奏する形になっている。協奏曲のはしりのようなものだ(曲の構成が後の協奏曲とは全然違う)。

ところが、フランスの天才トランペット奏者、モーリスアンドレという人が、この曲のフルート・ソロをトランペットで吹いたレコードがある。

トランペットを吹く者の間では、当時大評判になったレコードだが、かなりマニアックな世界で、

ごく普通のクラシック好きは、まず、関心を持たない。

しかし、雅子さまが聴いておられたのは、まさにこの「トランペット版」だったのだ。

自分がラッパを吹く人か、吹奏楽をやっている人が持っているのなら、驚かないが、

それ以外の人で、このレコードを買って、テープにダビングしてまで聴く人は、殆どいない。

私には、この一枚の写真で、雅子さまは相当なクラシック好きでいらっしゃることが、一瞬で分かった。

いやはや、あれには、本当に驚きましたね。


◆バッハ:管弦楽組曲第2番(トランペット独奏版)を聴いていただきましょう。

私はヘタクソだが、一応ラッパを吹くので、当然持っている。

今は絶版となってしまった。全曲だと少し長すぎるので、

終わりの4曲、ブーレ、ポロネーズ、メヌエット、そして、最後の、動きの速いバディネリを聴いていただこう。

ブーレ





ポロネーズ





メヌエット





バディネリ

(これを正確に、しかも音楽的に演奏するのは、とても大変です。冒頭のフレーズが、

「とってもとってもたいへんだ」に聞こえてしまいます)。





ちょっと録音が古く、音が堅いけれども、曲の美しさと、アンドレの名人芸を堪能していただければ、幸い。

satomiesさんが取り上げて下さっていますね。

有難うございます。

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2006.11.25

「事故調委、同型車両使いブレーキ試験 尼崎JR脱線」←何の話かわかりますか?

◆記事:事故調委、同型車両使いブレーキ試験 尼崎JR脱線

尼崎JR脱線事故で、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)は十七日、

JR山陽線大久保-英賀保間で、事故車両と同じ207系を使ったブレーキ性能試験を実施し、報道関係者に公開した。

試験車両には事故調委の調査官ら十三人が乗車。

事故車両と同じ七両編成に、測定機器や定員が乗車した重量として一両あたり八-九トンの「水タンク」を搭載し、両駅間を三往復した。

その間、片道六回ずつ常用ブレーキや非常ブレーキで停車。速度は時速百二十キロと百キロで試した。

試験は十三-十八日のうちの四日間で実施。事故調委はこれまでの調査で得たデータとともに分析を進め、近く「事実関係報告書」をまとめる。

その後、学識者らに見解を求める意見聴取会を開き、本年度中に最終報告書を作成する予定。

事故調委は昨年六月にも宝塚-尼崎間で同系車両を走らせる実車試験を行い、

事故現場のカーブや伊丹駅などで事故車両の走行を再現している。(神戸新聞 2006/11/18 )


◆コメント:事故原因はいまだに不明である。事故直後の報道の劣悪さ、一般人のJR西日本社員への暴行はひどいものだった。

昨日の日記には「わずか2週間前に竜巻があったのを忘れてしまうが・・・」と書いた。

それを考えると矛盾しているのだが、JR福知山線の脱線事故は一年半以上も前のことだが、かなりはっきりと記憶している。



事故そのものの悲惨さはもちろんだが、あの時に私が猛烈に腹が立ち、また、ブログの世界で問題となったのは、

JRの対応よりも、JRを殆ど結託して「吊し上げ」ていたマスコミ各社の態度の悪さ、つまり報道姿勢であった。

JR西日本社長の記者会見で、ものすごく傲慢・乱暴・無礼な記者の声がテレビに流れ、

あいつは一体誰だというはなしになり、読売新聞の記者であることが判明し、同社に読者から抗議が殺到し、

ついに、5月12日読売大阪本社は「不適切発言でおわび」をしたほどである。

世論にマスコミが動かされた、という意味では(事故自体は無論悲惨だが)、注目すべき出来事だった。

私も、及ばずながら、事故当時何度も記事を書いた。


私が何を訴えたかったかというと、一言でいえば
「事故の原因が解明されるまでは、責任の所在は分からないのに、JRに全て責任があるかの如き記事を書くべきではない」

ということである。

もっと簡単にすると

「原因が分からないうちは、誰の責任か分からない」という、当たり前のことを書いている。


◆事故原因が分からなければ、誰の責任かわからない、という当たり前のことが分からなかったマスコミ。

事故直後、私が最初に書いたのは、

「尼崎事故、特異な「転覆脱線」か」今、冷静に考え、客観的に言えることは、「原因はまだ不明」ということだ。

という記事だが、これも上で書いたとおり、内容は「原因が分からないのだから、誰の責任か分からないじゃないか」という当たり前の論理である。

当時、明らかだった「事実」は「福知山線の電車が脱線転覆して100名を超える死者と多数の負傷者が出た。」

ということだけだったのである。


電車が脱線した、ということは、それを引き起こした物理的な要因がある筈だ。

しかし、それが何なのか、ただちに解明するのは無理であることは素人でも想像がつく。

理数系に極めて弱い頭脳の持ち主である私ですら、


  • 単純にカーブに対して速すぎるスピードで事故箇所を通過しようとして遠心力で脱線したのか。

  • 車体に何らかの不備があったためか。

  • あったとしたら、整備不良なのか、

  • 車両そのものの構造上(設計上)の問題なのか、

  • 又は、事故車両固有の製造過程におけるミスがあったのか。

  • 設計上問題がなかったのに、使用年数が長く、車体部品が破損したのか。

  • 軌道(レール)に問題は無かったか。誰かが「置き石」などのイタズラをしていなかったか。

  • 軌道の保全に問題は無かったか。


ぐらいのことはすぐに思いつく。

専門家なら、さらに詳細な、「事故原因の可能性」が頭に浮かぶだろう。

そして、その「物理的要因」が解明されてから、初めて、「それは防ぐことができたのか?」という、

「人的要因」への考察が為されるべきである。

「人的要因」とは、焦点を運転士に限ってみても、

  • 運転士個人の問題か。

  • そうだとすれば如何なる種類の問題か。

  • 技量の問題か。

  • 運転技術について、定期的な試験(航空機のパイロットが受けるような)を課していたか。

  • 身体的問題が事故当時、運転士に起きていなかったか(居眠り、心臓発作、脳血管障害、精神的障害)。

  • 仮に起きていたとしたら、それは、事前に運航管理担当部署が把握できた種類のものか。たとえば、

  • 運転士の健康診断はしていたのか。

  • していたならば、何らかの異常は無かったのか否か。


と、枚挙にいとまがない。そこで何らかの問題が発見されたならば、次にその管理責任は問われるべきものか、

または、突発的、又は、極めて例外的で管理不可能な種類のものだったのか。

という順番で、冷静に論理的に検証を進めるべきである。

それらを一切、飛ばして、マスコミは最初からJRの監督責任だ、と決めつけたのである。


◆過去には「不可抗力」による脱線事故もあるのだ。

一般論として述べるならば、「誰の責任でも無い」場合さえあり得る。

過去に例があるのだ。



東京と千葉を結ぶ東京地下鉄(東京メトロ。昔は「営団」と云った)東西線という地下鉄がある。

地下鉄であるが、一部の区間では地上を走る。

特に、荒川(という川)鉄橋(荒川中川橋梁)は長さが1,236メートルもあり、

今調べたら「常に『日本の鉄道の長い橋ランキング』では上位に位置している(ウィキペディア)」そうだ。



この通称「荒川鉄橋」で、1978(昭和53)年、列車が「竜巻」による強風を受けて、転覆し3両が脱線し、20数名が負傷する事故が起きた。

事故調査記録を読んだわけではなく、事故から随分時間が経ってから、テレビで解説を聞いただけだがはっきり覚えている。

たしか「NHK特集」でこの事故の原因に関して解説があった。番組名ははっきり覚えていないが、とにかくNHKである。



これによると、事故当時、付近で生じた「竜巻」は、先日、北海道佐呂間町で犠牲者を出したほど大きなものではなかった。

むしろ「竜巻」というよりも、「つむじ風」の強烈なもの、というぐらいのものだったという。

しかしながら、驚くべきことに、このつむじ風から、電車の側面に、一定時間にわたって、ほぼ周期的に強風が当たった。

この「周期」が全く偶然だが、電車の横揺れの「固有振動数」とほぼ一致していたらしい。

「固有振動数」とは、たとえば、振り子を揺らしたときに自然に生じる周期。

おもりをつるす紐が短ければ周期は短いし、長ければ逆になる。



この頃の人は知っているかどうか分からないが、「一休とんち話」で「固有振動数に関わる話がある。

「一休さん」がお寺の重い鐘(かね)を指一本で動かしてみろ、といわれる。

一休さんは人差し指一本で鐘を押してみて、鐘の「固有振動数」(もちろん、そんな言葉は出てこないが)を感覚で探り当て、

最初は数ミリしか動かなかった鐘を段々と大きく揺らせることに成功する、という話である。



これが、なんと電車と風の関係で発生した訳である。当時の現場付近の風向・風力を調べた結果、

それらは、当初想像していたよりも弱かったのだが、完全に偶発的に、今述べたようなことが起きた。



このようなことは、到底路線設定時には予想できず、また、風に関しても、突発的な風だったことから、

事前に運休するのも無理だった。

従って、この事故は「不可抗力」としかいいようが無く、誰の責任でもない。という結論だった。

歴史的事実として、こういうことがあるのだ。


◆いまだに、原因は特定できていないのに、事故が起きた日から「JR西日本の責任」を追及したマスコミは謝らないのか。

いまだに、原因が特定できないことが、工学的にやむを得ないことなのかどうかは分からないが、兎にも角にも、

「福知山線脱線転覆事故の原因は解明されていない」のである。



繰り返すが、私は事故の2日後の日記からずっと(読んで頂けば分かるが)、

「事故原因が分からないのに、あたかもJR西日本に責任があることが確定したかのような印象を与える報道は誤解を招き、正しくない」

と書き続けた。

あのとき、記者会見で、JRの幹部に罵声を浴びせたマスコミ各社。

全く事故とは関係がないJR西日本の社員に暴力を振るった、その地域の一般人

(全然関係無い路線の女性運転士が駅のホームで、男に蹴られて、線路に転落しそうになり、その後怖くて運転できなくなった、というひどい話を、私ははっきりと記憶している)。

自分のしたことをどう考えているのか。



もうすぐ忘年会の季節だが、「忘年会」に相当する単語は他言語には存在しない。

心理学者の岸田秀氏によると、例えば欧米人にとって、「時間」は「直線」であり、数直線のごとく真横に無限に延びるものであるのに対して、

日本人の頭の中では時間の概念はあたかもアナログ時計のような「円」になっていて、一回りしたら最初に戻り、「ご破算で願いましては」になるという。

なるほど、そうかも知れない。日本人は時間が経てば、大抵のことは何となくうやむやで終わらせる。



それがプラスの面を持つこともあるが(執念深くない、ということである)、

社会のあらゆる分野で、同じような問題が何度も起きるのは、ひとつには、この「忘れっぽさ」に原因があるのではないか。

うやむやにしてはいけないことがあるのだ。

マスコミや、JR社員に乱暴した人は、JR西日本に謝るべきではないでしょうか。

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2006.11.24

わずか2週間前に竜巻があったのを忘れてしまうが、募金を受け付けているのです。

◆記事:佐呂間の竜巻:住宅被害は全壊7、半壊7、一部24 支援金支給の判定終了

網走管内佐呂間町は22日、7日発生した竜巻による建物被害が計101棟に及んだとする調査結果をまとめた。

住宅は全壊7棟、半壊7棟、一部損壊24棟で、41世帯90人が暮らしていた。非住宅では全壊35棟、半壊4棟、一部損壊24棟だった。

住民は被災者生活再建支援法と町独自の要綱に基づく支援金を受ける。

同法と要綱による支援を受けるためには全壊、半壊、一部損壊の判定が必要なため、同町は網走支庁の協力で調査した。

全壊住宅は、トンネル工事事務所のプレハブ2棟のほか店舗兼住宅と住宅が5棟。

うち1棟は21日に解体を終え近く新築工事を開始する予定だが、他の4棟の住民は建築費の大きな負担のほか、

積雪期に差し掛かることもあり新築するかどうか決めかねているという。
同町は同法による支援金に上乗せし、全壊住宅には生活物資購入に100万円、住宅の解体・建設に200万円、合計300万円を支出する。

半壊住宅は100万円、一部損壊住宅は20万円が限度。

非住宅でも店舗・空家は解体費用の80%以内、倉庫・物置・車庫は同50%以内を支援する。

女性奉仕団体の国際ソロプチミスト網走(三枝光子会長)は24日、竜巻被災者に10万円の義援金を贈る。

(毎日新聞) - 11月23日11時1分更新


◆コメント:200万円で住宅が建つの?その上に極寒の地でしょ?

毎日、世の中では様々な事件・事故・災害が起きる。その時は、食い入るようにニュースを見ている。

ところが、皆、自分の生活もあるから、あっという間に、それらの出来事を忘れる。それは、ある程度やむを得ない。



しかし、我々は、(少なくとも私は)社会で起きたことをこのように日記に記している。

記録としての日記は人間の記憶を補完する機能を持つ。だから、ときどき、前の日記を読み返す。



北海道の佐呂間町で竜巻が発生したのが今月7日。わずか2週間と2日しか経っていないのに、忘れるところだった。

ニュースを探したところ、冒頭に掲げた記事が載っていた。

地方自治体と被災者生活再建支援法に基づく国から被災者に支援金が給付される。

生活物資購入に100万円はまだしも、住宅の解体と建設に一世帯あたり200万円というのは、

無いよりはマシだが、いくら何でも足りないだろう。北海道の更に東北部である。


◆募金を探した。

そこで、検索してみたら、「赤い羽根」で有名な共同募金会のサイトを見つけた。

佐呂間町の被災者のための募金があった。

「平成18年佐呂間町竜巻災害たすけあい」義援金である。

こういうのは、もっと存在をアピールした方が良いのではないか。

災害の被災者は何も悪いことをしていない(当たり前だ)のだから、支援を求めても良いと思うのである。



また、私はちょうど一ヶ月前に、「新潟中越地震から2年」と書いた。

ここも、まだまだ、驚くほど復興が進んでいない。明らかに資金が不足している。

新潟県庁のサイトの一角に新潟県中越大震災に関する情報が載っている。詳細な情報である。

その中で、仮設住宅入居者状況が表になっている。

見れば分かるが、10月末の時点で、まだ、1427世帯、4511人の住民が仮設住宅に入っている。

新潟中越地震から2年経っているというのに、である。
前回の記事、9月末の時点では、1672世帯、5315人だったから、

減っているのだが、それでも、まだ、震災直後の半分近くまで減っただけである。

新潟中越地震の募金受付は今年の10月で終わる予定だったが、あまりにも資金が足りないので、寄付金の受付期間を1年間延長した。



新潟中越地震の募金受付も共同募金会で行っている。

またNHKのサイトにも募金のコーナーがあり、義援金の受付窓口となっている。

共同募金会(赤い羽根)、日本赤十字社と共同で行っている。


◆24時間テレビばかりじゃなくて・・・。

日本テレビ系列が毎年「24時間テレビ」を放送する。あれは、1日で億単位の募金が集まる。

それはそれで、良いことだが、テレビの大がかりな「イベント」だけではなくて、

地味だが延々と活動している、共同募金会などのサイトも、世間に知られるべきだ、と考えてここで紹介した。

言うまでもなく、募金に限らずボランティアの元の意味は「自発的に」ということだから、

募金をするかしないかは完全に各人の自由な選択である。



ただ、私はいつも思うのだが、日本人の1パーセント。100人に1人。

合計約120万人が、各々百円玉一個を投ずれば、1億2千万円になるのだ。

災害の被災者はずいぶんと助かることだろう。

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2006.11.23

11月22日は「ボレロ」記念日

◆1928(昭和3)年(78年前)の今日、モーリス・ラベルの「ボレロ」が初演されました。

78年前というと、クラシック音楽の歴史の中では、割と最近のことです。

西洋音楽は大雑把に言って2000年の歴史があります。

その中で、グレゴリオ聖歌が現在でも演奏できる一番古いものらしいのです。

78年前まで、「ボレロ」の形式を思いつく人がいなかったのですね。

「ボレロ」はクラシックをあまり聴かない方でも好きな方がいらっしゃいます。

非常に単純化して言えば、最初から最後までスネアドラムが2小節から成るリズムを繰り返す中で、2種類のメロディーが交互に出てくる。

それを繰り返すだけです。

ただし、曲のはじめはピアニッシモ(非常に弱く)で始まり、一曲全体が大きなクレッシェンド(段々大きく)になり、最後は大興奮となります。

何度聴いても良いです。

これ、ラベルが書くまで、誰も思いつかなかったのが不思議な気がしますが、コロンブスの卵ですね。

◆今回、初めて音をアップします。

今まで、ボレロのことを何度書いたか分かりませんが、音楽を言葉で「説明」するほど空しいことはないです。

今回は、一部ですが、聴いていただきます。まず、メロディーAです。曲の冒頭、小太鼓のソロの後でフルートから始まります。ハ長調です。



これは、簡単そうなんですが、フルートの最低音の「ド」が出てきます。これを朗々と鳴らすのは結構難しいのだそうです。

この後、同じメロディーをクラリネットがふきます。

そして、メロディーBがファゴットという木管の最低音域を担当する楽器で演奏されますが、ファゴットにとっては最高音域(殆ど)です。



この二つのメロディーが、色々な管楽器で交互に演奏されるわけです。

皆、プロの方はどうか分かりませんが、大なり小なり緊張します。

しかし、例えば私はトランペットですが、真ん中の丁度吹きやすい音域なので、まだ良いです。


◆ボレロのトロンボーン

私は、一番最初にボレロについて書いたときから、トロンボーンソロの難しさについて述べています。

手前味噌で恐縮ですが、Google日本語版で、「ボレロ トロンボーン」を検索してみてください。

約26,500件の1番目に私の日記が表示されます。他のことはともかく、これだけは、ちょっと嬉しいのです。

それはさておき、

ボレロの演奏時間は、15分から16分ぐらいが普通ですが、トロンボーンの何が大変かというと、

「曲が始まってから8分間ぐらい全く音を出さず」、

「いきなりソロで」(ソロは皆同じですが)、

「最高音域のBフラット」から吹くのです!ちょっと間違えると一音低い音か、高い音が出てしまいます。

これです。



怖いですよ。これは。

レコードなら取り直せるけど、コンサートでステージで吹くのは怖いよ。

ここまで最高音域から吹くとなると、どんな名人でも100%ということはないです。

私は、ボレロをプログラムに含むコンサートに行くときは、自分は聴く側なのに、いつも極度の緊張状態に陥ります。

そして、いざ、本番。トロンボーン・ソロが迫ると、文字通り冷汗をかくのです。決して誇張ではありません。

上手く行ったときは、これまた自分が吹いた訳じゃないのに、涙がこぼれそうになります。

トロンボーン奏者のこれまでの研鑽を考えてしまうのです。

練習なら吹けるのです。中学生の上手い子だって、休憩時間に遊びでなら吹ける子がいます。

しかし、プロはお金をお客から取って本番で上手く吹かなければならない。

そのプレッシャーがあっても上手く吹けるまで、練習を重ねてきたのです。

だから、泣けるのです(無論、他の楽器だって、プロは皆、そう言う世界です)。


◆クライマックス、興奮の極

ボレロは前述の通り2種類のメロディーだけからできていますが、終わりに近づくと、突如3度上のホ長調に転調します。

さすがは「オーケストラの魔術師」ラベルですね。上手いですね。
その手前から、スネアドラムは二台となります。

最後数小節は打楽器がまた、加わります。バスドラム(大太鼓)、ゴング(銅鑼(どら)です)がこれでもか、とばかりに音楽を盛り上げます。



いやー、たまらんですね。コンサートで聴いていると、聴衆も興奮に身をよじります。

演奏家は勿論興奮はしてくるでしょうが、興奮しながらも冷静でないと、演奏が乱れます。

素人オーケストラがボレロを演ると、最後に興奮しすぎて楽器のコントロールがいい加減になってミストーンが増えたり、

或はテンポが乱れたりして、自滅することがあります。

プロのすごいところはどんなにお客が興奮するような演奏でも、演奏者は理性を保っているところです。

それが「常識」ですが、例外的名演があります。

以前もお薦めしました。アバド ロンドン交響楽団です。

クライマックスで、オーケストラの誰かが興奮を抑えきれなくなり、絶叫するのです。

普通、録音し直すところですが、アバドが「自然に出た声だからこれでいい」と言ったとか。希代の名演です。

ボレロのCDは無数にありますが、お薦めは、やっぱりこれでしょう。


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2006.11.22

20年前の今日、伊豆大島・三原山が噴火したのですね。「電子ブック」あれこれ

◆1986(昭和61)年11月21日三原山噴火

先週書いた、「生体肝移植」は鮮明に記憶していたが、

三原山噴火はNHKオンラインで知った。

左上、ニュースの部分に緑色で「焦点のニュース」というのがある。そこに書いてあった。

昨日の日記でNHKのプロジェクトXは大変優れた番組であるという意味のことを書いた。

ご存知の通り、プロジェクトXの番組は終わったが、本になって出版されている。

紙の本(本当はこれが一番読みやすいのだが)は、単行本を新刊で買うと1,700円ぐらいする。

ところが、電子書籍の電子書籍の本屋さん Space Townブックスでは、

NHK出版文庫 プロジェクトXとして、1話一巻(1ファイル)、税込み105円で買える。

ブンコビューアーというソフトでなければ読めないが、これは無料で、PC用、PDA用、携帯用のソフトがそれぞれ、ダウンロードできる。

私でもできるのだから、誰でもできる。



「三原山大噴火、全島民避難」も、プロジェクトXで取り上げられ、従って本(電子書籍)になっている。

1986年の今日、三原山が噴火してから、島民1万人を全員無事避難させるまでの、劇的な様子が簡潔に綴られている。

あまり書くと差し障りがあるから、少しだけ内容を紹介する。

噴火自体は同年11月15日から小規模のものが始まっていた。

伊豆大島は観光が主な産業だから、最初は島民も観光客が来ると喜んでいたが、21日の大噴火はなんと、500年ぶりの大噴火だった。

溶岩が流れてくるだけではなくて、マグマが固まってできる火山弾は大きいものになると、重さが50キロもある。

勿論人が直撃を受ければひとたまりもない。そして、実際、人の住むところまで、火山弾は飛んできた。

老人が多く住む村への道が壊れ、バスが通れなくなり、消防団の若者が、担いで運んだ。



島民全員、1万人が島を脱出することになったが、それには船が足りない。

千葉や新島、伊豆半島から「三原山大噴火」を聞きつけて漁船が助けに来た。勿論まだまだ足りない。

本来、八丈島、三宅島に向う民間会社「東海汽船」の定期船をなんとか大島に回して貰えないか、頼むことにした。

そのためには、八丈島町長、三宅島村長の承諾が要る。二人とも一も二も無く快諾した。



溶岩が流れ出て、1200人の人が住む島の中心の町へ近づく。歩いていては間に合わない。

島のバス38台と慣れた運転手38人を集めた。運転手たちに避難したいものはしても一向に構わない、と村役場が言った。

爆発は山頂だけではない。往復している間に爆発に巻き込まれる可能性は十分にあった。

運転手は誰も逃げず、結果的には幸い誰も犠牲にならなかった。



まだまだ、エピソードはあるが、このぐらいにしよう。

とにかく、この小さい「本」を読むと、「電子書籍」であることを忘れ、人間の善意と勇気と責任感に感動する。


◆「窓の杜」に毎日、電子書籍新刊が載っているのを知っていますか?

窓の杜が毎日(平日)に発行しているメルマガを購読している人は多いとおもうが、あれに電子書籍新刊情報が載っているのは、見落としているのではないか。

「青空文庫」と「パピレス」と「e-Book Japan」の新刊が、代わる代わる載っている。



先日、プロの音楽家になるということは、並大抵のことではありません。(その2)で、

N響の首席オーボエ奏者茂木さんの著書、「オーケストラは素敵だ」の一部を引用した。

全く偶然だが、その翌日、窓の杜 - アップデート情報(電子書籍新刊情報(パピレス)) 11月13日で、

茂木さんの「はみだしオケマン挑戦記 オーボエ吹きの苛酷なる夢」が新刊で出ていた。

これは、茂木さんの3巻目の本だと思い、その前の「続・オーケストラは素敵だ」があるはずだと考え探したら、ありましたね。

オーケストラは素敵だ オーボエ吹きの修行帖 が。

「続」と書いてないが、内容は間違い無く、紙の本の「続・オーケストラは素敵だ」に相当する。

一作目は、散々師匠にしごかれる話だったが、この本は、一般の我々が知らない、オーケストラの「オーディション」の話がメインだ。

茂木さんご自身がシュトゥットガルト・フィルなどのオーディションを受けた時の様子が面白く、しかも克明に綴られていて、

誤解を恐れずに書くならば、あたかも私のために書かれた本のようであった。



これはたまたま、パピレスだったが、青空文庫も、又、極めて興味深い。

フランス革命の研究家で既に亡くなられた京大の桑原武夫という偉い先生がおられた

(私は予備校で先生の特別講義を伺って、本当の「学者」とは、こういう人のことを言うのだ、と妙にはっきりと確信したのを覚えている)。

桑原武夫先生の御尊父、桑原隲蔵(くわばらじつぞう)氏もまた学者だが東洋学で、すこし研究対象が変っていることは知っていた。

それを電子文庫で、しかも「青空文庫」で見つけるとは思わなかった。

「支那人の食人肉風習」(しなじんのしょくじんにくふうしゅう)というのである。

これ、紹介するか否か迷ったのですがね。純粋に学問的に書かれた本であるから紹介した。

存在は知っていたが、まさか、ネットで発見するとは思わなかった。

リンクを敢えて貼らない。図書カード番号は4270である。

読むなら、真面目に読まないといけませんね。第一、難しいよ。


◆青空文庫がDVDになった本を知っていますか。

青空文庫は図書館であり、誰でも無料で利用できると言ってくれるが

私は、たまに本の一部を抜粋する為に、キーボードから入力することがあり、それだけでも結構大変なのである。

ましてや、本を一冊丸ごと入力する(青空文庫では、このボランティアを「工作員」というが)のは、大変な労力だ。

これは感謝しないといけないな、と思っていた。
幸い、Amazonで、インターネット図書館 青空文庫という本を見つけた。

本といってもメインは付属のDVDである。この中に文学作品が、なんと4843本(ごく短い作品もあるが)も収録されている。

勿論、これらは全部、一冊ずつ「工作員」が打ち込んだものだ。

本そのものの内容では、なんといっても、「工作員」の体験記が興味深い。

これだけ大変なことを楽しんでおられるのに感心し、忝なく思う。

DVDに収録された情報量を考えれば、1,500円は信じられないほど、安い。

他人様がどうするかは勿論自由だが、私は買った。感謝の意味も込めて。

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2006.11.21

「政治討論」番組の議論を聞いていて、空々しさを感ずるのは何故か。

【御礼】

昨日は、愚痴を書いてしまいました。多くの方から、お励ましのコメント、メールを頂戴し、

大変恐縮しております。

すぐに止めるということは、いたしませんので、ご安心下さい。

個別に御礼申し上げるべきところ、失礼ではありますが、取り急ぎ、この場にて

御礼を述べさせていただきます。有難うございました。


◆答は簡単。出演者たちは困っていないからだ。

ふざけていて不愉快になる場合の方が多いので、家族が見ているのを視界の隅でちらりと覗きながら、

「たけしのTVタックル」を聞くことが、ある。

今日はいじめの話だったのですか?(というぐらい、真面目に聞いていないのだ)



ああいうのを見ていて、空々しさ(言動に誠意・真実味のないことが見えすいているさま)を感じるのは私だけだろうか。

「いじめ」に関しては、芸能人の子どもはしばしば、いじめの標的にされるらしいから、

あながち、全く無関心ではないだろうが、それでも、視聴率を稼ぐためには「議論が白熱」したような演出をするわけで、

本当は「浜幸」みたいな悪党に、いじめられる人間とか、自殺する人間の心理が分かるわけもないのに、

わざと「口角泡を飛ばし」て発言するから、白けるのである。


◆サンデープロジェクトの田原総一郎が醸し出す不快感。

あの番組は無益とは言わないが、どうして、政治評論家とかその類の連中ってのは、人相が悪いのかね。

やはり、政治家と同類なんだろうな。

警察(警視庁)で暴力団担当の捜査4課の刑事が、やくざと区別の付かないような強面が多いのと同じだろう。

サンデープロジェクトでは、政治家がうっかり発言をすることがあるので、情報源たり得るが、全体としては、

やたらと田原が偉そうで(彼の本には、奥さんが死んだら自分も後を追って死ぬと書いてあり、奥さん亡くなったのだが・・・)、

色々と社会の問題を提起するが、しょせん、他人事(ひとごと)と考えているのがわかるから、不愉快なのだ。



レギュラーの経済評論家とかジャーナリストにしても同じことで、既に本を何冊も書き、印税が入り、

あのような民放番組のレギュラー出演者ともなれば、相当なギャラを受け取っているはずで、

要するに自分は、もう、死ぬまで安泰なのである。



そういう連中が、社会の一般人のことを本気で心配するとは思えない。

今はだいぶ景気が戻してきたが、デフレ不況が一体いつ終わるのか、と言っていた数年前ですら、彼らの発言はどこか誠実さに欠けていた。

実情を知ろうとするならば、本当に困っている一般人を呼ばないと分からないのだ。



彼ら「有名人」は、自宅とテレビ局の間も送迎車が付く。それでは景気は分からない。

巷の景気を知りたければ通勤電車に乗ってみることだ。

通勤するサラリーマンの表情がどれ程暗いか知らないからだめなのだ。


◆番組を作るテレビ屋(本社、下請けを除く)の給料の高いこと、高いこと。

はてなブックマークで500人近くがすでに登録しているから、既にご覧になった方も多いと思うが、

MSNというマイクロソフトが運営するポータルサイトがあり、

その中にMSNマネーという株をやる人が見るような経済・企業関連情報のサイトがある。



このMSNマネーが先日、[特集]日本人の全給料-最新版!を発表した。

リンクを貼ったのは年収ベスト1000社だが、そこを見れば分かるが、生涯給料も載っている。

こういうのは、データの信頼性がどの程度なのか、分からないが、如何にも人の注目を浴びそうな一覧表である。



兎にも角にも見ればわかるが、「年間給与」でも「生涯給与」でもベストテンに、

朝日放送、フジテレビジョン、日本テレビ放送網、テレビ朝日、そして広告代理店がランキングされている。

私の記憶では、社員が何度も不祥事を起こしたり、番組のヤラセが発覚したり、

視聴率を操作しようとしていたマスメディアが馬鹿高い所得を得ている。



実際のテレビ番組は、ドキュメンタリーでもドラマでも、ニュースでも下請けの番組制作会社が作っていて、

本社の「プロデューサー」なんてのは、座っているだけで、視聴率が取れると自分の手柄にして、低いと下請けが悪いという、狡い奴らなのだ。

下請け会社の人々の給料は、テレビ局員の半分もない。



私の読者に放送作家の方がいらっしゃるが、フジテレビの特に女のアナウンサーなんてのは本当のバカだから、漢字が読めず、

少し難しい漢字を台本に使うと怒るのだそうだ。アナウンサーが。日本語を話すプロが。

漢字を読めないだけでも恥ずかしいのに、自分で辞書を引くことすらしない。

放送作家にふりがなを振らせるそうだ。

そんなバカどもが2,000万も取っている。


◆情報は無料(ただ)ではないのだ。

こういう、「バカなくせに、高い給料を取っているテレビ屋」が社会問題を提起したところで、空々しいに決まっているのである。

私は、いくら職員が不祥事を起こそうが、究極的にはやはり、カネ(受信料)を取っているだけあって、

NHK(これがまた安月給なのだ。近くに社宅があるが、恐ろしく古い)の報道は、相対的に質が高い、と判断している。

「プロジェクトX」(終わったけど)だけ考えても分かるだろう。

あれに匹敵する番組が民放にあるか?

毎日の番組では、私は時間が間に合わないから、録画させておくことが多いが、

「クローズアップ現代」の国谷キャスターなんてのは、あれは、本当に自分で調べて

(勿論全て取材できるわけではないが、勉強している)理解して伝えていることが分かる。



インターネットならば、ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局は月額500円だが、

企業の広告収入に依存していないので、他では絶対に聴けないニュースを聴くことができる。

念のため記すが、私はビデオ・ニュース・ドットコムと何ら利害関係を持たない。

情報は、無料(ただ)ではないのだ。


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2006.11.20

「沖縄知事に与党推薦の仲井真氏」沖縄県民がこれほどバカだとは知らなかった。

◆記事:沖縄知事に与党推薦の仲井真氏

米海兵隊普天間飛行場の移設問題の行方を左右する沖縄県知事選は、19日投開票され、

新人の前沖縄電力会長、仲井真弘多氏(67)(無=自民・公明推薦)が、

前参院議員の糸数慶子氏(59)(無=民主・共産・社民・国民・日本推薦)らを破って初当選した。

仲井真氏は県内移設には柔軟な姿勢を示しており、政府は知事選の結果が移設進展につながることを期待している。



知事選は、稲嶺恵一知事の任期満了に伴うもので、野党統一候補の糸数氏と、与党が推薦した仲井真氏による事実上の一騎打ちとなった。

仲井真氏は、普天間飛行場(宜野湾市)をキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)に移設する政府案について、

「賛成できないが、地元の意見を十分に聞き、政府とも協議する」とし、修正を求めながら接点を探る姿勢を示していた。

(読売新聞) - 11月19日23時49分更新


◆記事2:<福岡市長選>民主推薦の吉田氏が初当選 現職破る

福岡市長選は19日に投開票され、民主推薦で新人の元新聞記者、吉田宏氏(50)が、

現職の山崎広太郎氏(65)▽前市議の高山博光氏(66)ら5人を破り初当選した。

巨額の市債残高を抱えながら五輪誘致に乗り出すなど初当選時の公約と乖離(かいり)が目立ち始めた山崎氏に、有権者は不信任を突きつけた。



吉田氏を支える民主は市議会の野党で、今後は厳しい市政運営を迫られそうだ。

安倍政権の発足後、初の政令市長選で「自公対民主」の国政の構図で争われた。

市長選の結果は来年の北九州市長選や福岡県知事選にも影響を与えそうだ。

過去最多の6人が立候補したことや財政問題への市民の強い関心などから投票率は42.57%と、

過去2番目に低かった02年の前回選挙(32.46%)を10.11ポイント上回った。当日有権者数は108万9013人。

吉田氏は無党派層の取り込みを狙い「世代交代」や「若さ」を強調。

五輪招致問題を機に市民の間に広がった不満の受け皿となり、支持を広げた。

選挙戦後半には、民主党の小沢一郎代表や鳩山由紀夫幹事長らも福岡に入って支持を広げた。

山崎氏は自民党本部が告示前に推薦を見送ったことで地元の自民系市議や公明党総支部の支援を受けて選挙を戦った。

告示後に自民党本部も推薦を出し「市債残高は順調に減っており、市財政は健全だ」と強調したが、批判をかわせなかった。【安達一成】

(毎日新聞) - 11月19日22時54分更新


◆コメント:沖縄県民の大馬鹿野郎!

今日の沖縄県知事選挙は、地元の有権者にとっては普天間飛行場の移設問題「だけ」が関心事だったのだろうが、

問題はそれほど単純ではなかったのである。



一昨日の記事なぜ、これほど急いで教育基本法を変えなければならないのか、誰か説明できますか?の文末で、

私は、

沖縄の皆さん。是非、与党にギャフンと言わせてやってくださいよ。

と書いた。その意味が伝わらなかったのだろうか。

このブログを読んで下さっている沖縄の人の数など、たかが知れているだろうがね。



教育基本法が民主主義原理を無視した強行採決で可決されようとしている。

まさにそのさなか、沖縄県知事選挙が行われたのである。

ここで自民党が勝ったならば、安倍晋三は独裁的政治が支持されている、と解釈する。

小泉以来のやり方だ。

「郵政民営化の是非を問うだけの選挙なんです」、といっていたのに、大勝したら、障害者自立支援法をつくる。

老人医療費の自己負担を引き揚げる。年金保険料を引き上げる。逆に、儲かっている企業への減税は維持する、とやりたい放題ではないか。



それを安倍も踏襲しているのだ。「勝てば官軍」。


◆戦争で一番ひどい目に遭った沖縄が、日本を戦争をする国に変えようとしている安倍を支持する馬鹿さかげん。

沖縄は太平洋戦争で唯一本土決戦が行われ、大勢の民間人が自尽した。ひめゆり部隊の悲劇を知らない者はいないだろう。

だから、沖縄の新聞の社説を読むと、常に最も平和志向、戦争反対の思想が一貫している。

その沖縄人が、憲法を変えて日本を戦争ができる国にしようとしている総理。

また、教育基本法改正案を強行採決し、民主主義を破壊しようとしている総理、

安倍晋三の率いる自民党推薦の候補者を当選させるとは世も末だ。

それともあれかい?また創価学会の組織票か?いずれにせよ、もう、あきれて、あまり書きたくない。


◆福岡市長選挙がまだ救いといえないこともないが・・・。

今日は他に、福岡市長選があった。ここでは、民主党推薦が勝った。

ただし、民主党は参院選に向けての基本政策原案で、「集団的自衛権を一部容認する」そうだ。

それを民主党が言ってしまったら、自民党と何処が違うんだよ。馬鹿野郎。



ますます、もうダメだ。という気がしてきた。日本が、である。

最近、いい加減疲れてきた。



「JIROの独断的日記」は、口幅ったいようだが、適当に自分の知っていることだけをもとに書く「時事問題エッセイ」ではない。

勿論そう言う部分もあるが、資料を調べて書いている。有料の資料も多い。

仕事のあとに疲れてはいるが、何とか頑張って約1300本の記事を(エンピツ登録時から)書いてきたが、

日本人の行動のあまりの愚かさに嫌気がさしてきた。

そろそろ、潮時かも知れぬ。

ある日急に、過去ログを全部削除して、消えるかも知れないので、ご承知おき下さい。


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2006.11.19

「『いじめはひきょうだ』 文科相がアピール文」←甘い。「いじめは犯罪だ」/音楽:ウェーバーの序曲追加しました。

いじめ自殺問題で、伊吹文明文部科学相は17日、子どもたちや保護者に向けて「文部科学大臣からのお願い」と題する2通のアピール文を発表した。

この問題に関する文科相のアピール文は、96年以来10年ぶりとなる。子どもたちには

「いじめられていることを話すゆうきをもとう。きっとみんなが助けてくれる」と呼びかけ、

保護者らには「毎日少しでも言葉をかけ、子どもとの対話をして下さい」と訴えている。

◇文部科学大臣からのお願い

未来のある君たちへ

弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。

仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。

君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。

後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめをすぐにやめよう。

いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、

だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。

話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。

平成十八(2006)年十一月十七日

文部科学大臣 伊吹文明


◆コメント:いじめ加害者のガキどもは想像以上の「悪人」だ。

新聞で、いじめで被害者を自殺に追い込んだあるグループ(中学一年、男子)と接触を試み、実際に会った記者が記事を書いていた。

どうも我々はいじめ加害者を少し甘く見ていたようだ。



いじめの首謀者とされる男子に、いじめについて質問するとシラを切るのだいう。

「俺たち、いじめてなんかいないよなあ。そうだろ?」

と周囲に同意を求める。周囲の取り巻き連中は、

「うん、いじめてないよ」と応ずる。

言うまでもなく、ここで本当のことを告げたら、自分がひどい目に遭わされるからである。

さらに、このいじめ首謀者は、自分たちはやっていないとシラを切るだけではなく、

「いじめていたのは、俺じゃなくて××だよ」と、第三者に罪をなすりつけようとした。

その記者(全国紙の記者である)は、「不良などという段階を通り越して、極めて狡猾で悪質な『悪人』という印象を受けた」そうだ。



一人の記者のレポートを普遍化し過ぎるのは良くないが、これだけ、いじめを苦にした自殺が相次ぐのを見ると、

被害者が弱すぎる、では、もはや済まされない。

九州の8人のグループは、同級生から、1年間にわたってカネを巻き上げていた。これは、れっきとした恐喝罪である。

最近の悪質ないじめは、「犯罪」と見なすべきである。

刑法の侮辱罪、名誉毀損罪はもとより、相手を殴れば暴行罪、怪我をさせれば傷害罪、

「死ねよ」と自殺を勧めれば自殺教唆の罪の構成要件に該当する。



ただ、犯罪とは、「構成要件に該当する、違法、有責な行為」である。

子どもが刑務所に行かないのは、3番目の要件、「有責性」に欠ける、つまり責任能力がない、と考えられているためである。



刑法ができたのは、明治である。そのころとて、多分悪質な子どもはいただろう。

だが、今ほど多くは無かっただろう。何しろ昔はオヤジや先生が怖かったのだ。平気でぶん殴った。

今は学校教育法11条で体罰が禁止され、親も甘い。



だからといって、被害者の親が加害者に報復するのを無制限に認めたら近代刑法の「自力救済の禁止」の意味がなくなる。



ならば、国が悪いガキどもに刑罰を与えるしかないだろう。

今は、14歳未満は何をしても児童相談所におくられるだけ。

14歳以上が凶悪な犯罪を犯すと、一旦家裁へ送られ、悪質だと判断されると検察へ送致され、

それでもせいぜい少年院だし、裁判にかけられても、大人なら死刑の場合は無期懲役になる。全体に罪が軽い。


◆14歳未満でも少年院又は刑務所へおくり、成人と同じ量刑を科すべし。

前段で書いたとおり、この頃のガキの悪い奴は、中学生で、最早犯罪者の素質を十分に持っている。

そして、たとえ、女性をレイプして殺しても死刑にならない、という計算で、本当にそう言うことをする奴がいる。



いじめとて、昔のように、「子供の喧嘩に親が出て行くなんて・・」というレベルを遙かに超えている。

今の国会では少年法改正の審議が始まったが、これは14歳未満でも少年院に入れることができるようにすること、等を盛り込んでいる。

私の感覚では、まだ、甘い。

さらに、少年にも大人と同等の刑罰を与えるべきだ。それぐらいで丁度いい。



悪いけれども、文科相の「いじめはひきょうだ」という言葉そのものは正しいが、

今の悪いガキに、このような「メッセージ」しかも、大臣からの「お願い」など、殆ど効果は期待できない。

法律を改正した上で、「いじめは犯罪だ。死刑も覚悟しろ」ぐらいのことを言わなければ。

残念ながら、現実にそういう世の中なのである。


◆音楽:ウェーバーの序曲を2曲。今日が誕生日なのです。

今日は、ウェーバー (Carl Maria von Weber 1786‐1826)の誕生日なのです。

モーツァルトより30年後に生まれています。ドイツの作曲家です。短命ですね。丁度40歳になるかならないか、で亡くなっていますが、
「舞踏への勧誘」という曲、原曲はピアノですが、あれを書いた人です。この曲はオーケストラでも演奏されますが、

あれは、ベルリオーズが管弦楽用に編曲したものです。

私は、生まれて初めて買ったクラシックのレコードが、N響名誉指揮者で私の年代の方にはおなじみの

オットマール・スウィトナー指揮、シュターツカペレ・ベルリンによる「ウェーバー序曲集」でした。

長いこと廃盤になっていましたが、今調べたら、12月に復刻版がでるようです。

お薦めです。

今日のは、別の名指揮者によるものです。

ウェーバーの歌劇は10ぐらいしかありませんが、歌劇そのものはともかく、序曲が大変に素晴らしい。

普通、「ウェーバーの序曲」というと、「魔弾の射手」か「オベロン」が有名です。

今日御紹介するのは、あまりコンサートで演らないのですが、私は大変好きです。
「アブハッサン」序曲です。多分、ウェーバーの序曲で演奏時間が一番短いのですが、打楽器など入って賑やかです。

賑やかですが、品があります。





もう一つは「精霊の王者」序曲です。

途中のティンパニ・ソロがカッコイイです。

でも弦楽器は常に、細かい音の動きで、しかもアウフタクトで、弾くのも合わせるのも難しそうです。

弦とユニゾン(同じ音を複数の人が演奏する)で吹かされるファゴットも難しそうです。

アブハッサンとは雰囲気が全く違って神秘的な感じがします。

しかし、曲の終わり方が、毅然としていて、私は子どもの頃から大変好きなのです。

(勿論、どう感じるかは、聴く方次第です。)


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2006.11.18

「<教育基本法>単独可決に、首相の「意向」強く働く」←この国は独裁制でしたっけ?/音楽追加しました。

◆記事:<教育基本法>単独可決に、首相の「意向」強く働く

教育基本法改正案の衆院審議で自民・公明両党が与党単独で沖縄知事選前の特別委員会採決に踏み切ったのは、安倍晋三首相の意向が強く働いた結果だった。

仮にこのまま採決を持ち越せば国会全般が野党ペースとなり法案の成立が危うくなりかねない、との危機感から、採決先送り方針を転換。

当面の混乱覚悟で正面突破に動いたとみられる。



「機は熟した。その方針でやってください」。

14日夜、特別委の与党筆頭理事を務める町村信孝・町村派会長が首相との電話で15日の委員会採決をもちかけると、首相は単独採決を強く支持したという。

採決をめぐる動きには、ニつの流れがあった。

沖縄知事選が大接戦との情勢から公明党と参院自民党は、強行採決で混乱した場合の悪影響を懸念。

与党は「16日に委員会採決を行う代わりに衆院本会議の採決は週明けの21日に先送りする」

との案を非公式に民主党に打診するなどして軟着陸を探るなどした。

民主党との妥協が不発に終わり、いったんは採決先送りに傾いた。



しかし、早期採決を探る動きも根強く続いていた。

14日、国会内で開かれた自民、公明の与党幹事長会談の席上「教育基本法案を15日委員会採決し、16日本会議採決する正当性」

と題する4枚つづりのペーパーがひそかに配られた。作成者は町村氏。

「会期があと1カ月の状況で何のめどもなく審議を続ければ、参院の質疑時間を制約する」と単独採決を強く促す内容だった。

明けて15日朝、国会近くのホテルで行われた与党幹事長、国対委員長、政調会長会談で、

自民党の中川秀直幹事長は「15日委員会採決、16日本会議採決」を出席者に強く要請した。

17日にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のためベトナムへ出発する首相から

「APECまでに何とかしてほしい」と繰り返し言われていたためだった。

公明党や参院自民党の幹部は15日になっても慎重な姿勢を崩さず、公明党の草川昭三参院会長が同日午前、

自民党の片山虎之助参院幹事長と会った際、片山氏は知事選後の採決日程を説明していたほどだった。

しかし、野党が採決を前に欠席戦術を取ったことから「仮に採決に踏み切っても議場混乱などでのイメージダウンは免れる」(自民党幹部)と判断。

中川氏ら与党首脳部は「15日採決」に最終的なゴーサインを出した。(毎日新聞) - 11月16日3時15分更新


◆強行採決は民主主義のルール違反である。

国会は国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である(日本国憲法第四十一条)

何故、国会が国権の最高機関なのか。

国会議員は主権者たる国民により、正当な手続きにのっとった選挙を通じて選ばれた人々である。

従って、国会は間接的にではあるが、民意を代表している。



選ばれた人間が一番多い政党を与党といい、この中から内閣総理大臣をえらび、総理は国務大臣を任命して、行政府たる内閣を作る。

国会の信認を内閣存続の要件とする制度が議院内閣制である。

行政権は「内閣に属する」(憲法第六十五条)のであり、内閣総理大臣一人に属するのではない。


◆内閣の側から「国会での審議はこの辺にして、採決しましょう」ということ自体、あってはならないことだ。

国会は立法府で法律を作ることが仕事だが、法案は、議員立法といい国会議員が提出するものと、

内閣提出法案、つまり行政府が提案する法案(法律のアイディア)がある。



今回の教育基本法の改正案は、「内閣提出法案」だ。

国民の代表(国会議員)で構成される国会は、行政府が持ち出してきた法律案が、国民のためになるかどうか。

また、国家権力の暴走につながる内容はないか、などを法案に賛成の議員と反対の議員 がよく話し合わなけばならない。



多数党である与党は、その気になれば多数決原理で法律案を成立させることができるが、

野党の指摘が正しければ、法律案を修正することに同意するべきである。

野党だけではなく、与党の中にも反対の者がいたら、反対だと言っても構わない。

ただし、行政府たる内閣は、口出しをするべきではなく、国会の議論が結論を出すまで、待つべきであり、介入してはいけない。

これが、本来の民主主義の手続きである。


◆強行採決とは、国権の最高機関である国会を無視しているのだ。

与党が、ある法案について、主に野党からの質問に答え、よく話し合った上で、決を採る。

このような手続きを経ることにより様々な民意を間接的に法案に反映させることができる。



ところが、強行採決とは、与党が、話し合いをしないで、採決を強引に行い、法律案を成立させてしまうことである。

特に今回は、その強行採決を指示したのが内閣総理大臣だったというのだから、あきれる。



つまり「行政府」の代表である安倍晋三内閣総理大臣は、教育基本法の改正について、

国権の最高機関である国会での話し合いがまだ終わっていなかったのに、

これを無視して「決めてしまえ」と指示したというのだから、民主主義の基本原理を逸脱しているのである。

これは、民主主義ではなく、独裁政治に近い。

安倍晋三内閣総理大臣のいうところの「美しい国」とは、こういうことだったのか


◆音楽:トランペットとオルガン

週末ですし、爽やかなのを一曲。ここで言うところのオルガンとは、勿論パイプオルガンです。

トランペットとオルガンは良く合います。合うとは、響きの相性がよい、というようなことです。

まあ、聴いていただいた方が早いですね。18世紀のイギリスのオルガン奏者兼作曲家のスタンレーという人が書いた、

「トランペット・テューン」という曲です。元来オルガン独奏曲だと思いますが、これもいいですよ。


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2006.11.17

なぜ、これほど急いで教育基本法を変えなければならないのか、誰か説明できますか?

◆記事:教基法改正案が衆院通過=野党4党は欠席、議長要請も拒否

安倍政権が今国会の最重要課題と位置付ける教育基本法改正案が16日午後の衆院本会議で、与党などの賛成多数で可決、参院へ送付された。

民主党など野党4党は採決に反対し欠席した。与党は成立に全力を挙げるが、野党は徹底抗戦の方針だ。

今国会は12月15日の会期末まで、実質20日間しか審議日数が残っておらず、与党は会期を延長するかどうか判断を迫られる。

野党4党は16日午前の与野党国対委員長会談で、「採決は無効」と改正案の衆院特別委員会への差し戻しを要求。本会議開会に反対した。

これに対し、自民党の二階俊博国対委員長は「野党の言う強行採決ではない」と拒否した。

これを受け、河野洋平衆院議長は野党4党の国対委員長を呼び「採決に瑕疵(かし)はない」として本会議への出席を要請したが、

野党側は「与野党合意で開くべきだ」と応じなかった。 (時事通信) - 11月16日15時1分更新


◆コメント:愛国心の強要は違憲である。

改正教育基本法案を読んでいると、何故、これほどまでに急いで、与党が単独採決をしなければならないのか、さっぱり分からない。

極めて単純化すれば、与党の教育基本法改正(改悪)法案は「愛国心」を盛り込むというだけのことで、極めて抽象的である。

今問題となっている、学級崩壊とか、いじめとか、履修不足を一挙に解決する具体的名案がこの法案に含まれているわけではない。



「愛国心」は、押しつけるものではないだろう。

そもそも憲法がそれを許していない。日本国憲法第二十二条第二項は、

何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

と定めている。

9月21日の日記、<国旗国歌>学校強制に違憲判決 教職員401人が全面勝訴でも書いたが、

22条第2項は、「日本人であることが嫌なら、国籍を捨てて外人になっても構わない」ことを意味している。

言い換えれば、日本国憲法は愛国心を強要するべきではないという考え方である。

改正教基法は、従って、この点において既に違憲である。



国が愛国心を強要するのは、あたかも戦争中の世の中の雰囲気が復活するようで、気持ちが悪い。

日本のことを批判すると「非国民」とか言われそうだ。


◆タウンミーティングで「やらせ」を行っている内閣が教育のあり方など論ずる資格はない。

内閣直轄の機関である内閣府が全国で行った、「タウンミーティング」でやらせが発覚している。

不正を行う内閣が、教育のあり方を論ずる資格はない。

教育基本法を改正するということは、国の教育のあり方を変えるということである。

与党にやましいことがなく、どうしても改正が必要であるという合理的な理由があるならば、

「(現行教基法が)時代にそぐわない、などという抽象論ではなく、何が「時代にそぐわない」のか示すべきだ。

改正の具体的な必要性を、内閣がきちんと国会で野党や国民に対して、自信を持って堂々と説明するべきだ。

教基法を急いで「改正」すれば、いじめや、いじめを苦にした自殺や、学級崩壊や、履修不足問題がたちどころに解決するというのならまだ分かるが、

改正案には、当然のことながら、これらの問題に対する具体策などどこにも書かれていない。



「教育の憲法」と言われる教基法を変えるのなら、時間など気にするべきではない。

強行採決というのは、じっくり話し合う時間がないほど急を要する法案を可決すべき状況か、、

あるいは、時間をかけて審議すると、答えられないヤバいことが内容に含まれている時に与党が好むやり方だ。



安倍晋三さん、意外とダーティだね。今日の単独採決を指示したのは安倍首相の意向だという。

http://megalodon.jp/?url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl%3fa%3d20061116-00000016-mai-pol&date=20061117021935

これでも、開くはず、↓

http://mooo.jp/e3pz

また、これは、問題の本質ではないが、19日に沖縄県知事選挙がある。

その前にこういう強引なことをして、安倍さん、また自民党負けるかもしれませんな。安倍君が選挙に弱いのは有名だから。

沖縄の皆さん。是非、与党にギャフンと言わせてやってくださいよ。

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2006.11.16

「小中学生の自殺連鎖止まらず」←お前ら(マスコミ)がいちいち報道するのも一因だぞ。

◆記事:<自殺予告>止まらぬ連鎖…有効策なし焦り濃く

伊吹文明文部科学相あての「いじめ自殺予告文書」を受けて全国的な警戒が続く中、子どもの自殺が止まらない。

文書を公表したものの、相次ぐ予告に戸惑う文科省。教育委員会、各学校も即効性のある対策は打ち出せないままだ。

連鎖は食い止められるのか。子どもたちに「命」の大切さをどう伝えるか。

過去にも度々社会問題化したいじめ問題の教訓はいつ生かされるのか。【佐藤敬一、吉永磨美】



「連鎖的なものが来ることは覚悟していた」。13日行われた、日本記者クラブ主催の記者会見。

招かれた伊吹文科相は苦渋の表情で、自殺予告の手紙が続いていることに言及した。

文科省が「11日に自殺する」との手紙を公表したのは7日未明。

各都道府県教委にいじめの正確な把握と報告を求めている手前「情報隠し」はできない事情もあった。

伊吹文科相は「(公表してもしなくても)どちらになっても必ず非難を受ける。

非難は私が受けるんだと、毅然(きぜん)とした姿勢を示さないと教委、校長がついてこない」と選択の理由を強調した。



しかし、公表の影響は予告手紙が相次いだことで明確になった。

自殺の原因や予告手紙との関連性が不明ではあるものの、12日に大阪と埼玉で中学生が命を絶った。

大阪の飛び降り自殺の一報が入ったのは「いじめ自殺予告」の警戒中。銭谷真美・初等中等教育局長ら幹部も駆けつけ、省内は緊迫感に包まれた。

1通目の手紙を見た総務課職員が「(手紙の内容が)本当だったら危ないなと思った。かなり緊迫していた」と話していたが、その状態は今も続く。

教育基本法改正の国会審議に加え、タウンミーティングでのやらせ、高校の履修単位不足、いじめの「三重苦」で文科省職員の疲労も色濃い。

問題が次々と発生し、いじめ問題に対する抜本的な解決策を検討するいとまもなく、解決策の検討は「お手上げ」(ある幹部)という。

(以下略)(毎日新聞) - 11月14日3時8分更新


◆コメント:日本では7年連続自殺者が3万人を超えていたというのに・・・。

小中学生の主にいじめを苦にした自殺が「社会問題」になっているというが、日本では7年連続自殺者(勿論主に大人)数が3万人を超えている。

交通事故による死者数は1万人に達していないのである。先進国でそんな国は他には無い。



大人の方が社会的責任は大きいが、人生経験が子どもよりもあるのだから、自殺の原因となる問題を解決する能力もあるはずだ。

その大人が毎年3万人自殺しているのに、マスコミも政府もこれほど騒がなかったのは、どういうことか。



もしも、子どもの「いじめを苦にした」自殺は問題だが、大人の自殺は大した問題ではない、

という考えの持ち主がいるならば、その論理を教えていただきたいものだ。


◆最近の子どもの自殺はいちいち報道するな。

3年前、ネットで知り合った赤の他人(大人)が、車で七輪を焚いて集団自殺することが連続して起きたが、

同じ方法を用いていることから、明らかに、自殺報道が次の自殺者を出すきっかけとなっていると思われた。

その当時私は、2003年05月24日(土)「集団自殺」と「通り魔」は報道しない方がよいのではないか。

と言う文章を書いた。



今回も、子どもの自殺の根本的な解決ではないが、同様のことが言える。

文部大臣に自殺予告の手紙だか、メールを送ることなど、今までなかったのだ。

急に偶然同じ時期に複数の子どもが同じことを思いついたとは到底考えられず、

手紙を出したものが実際に自殺するかどうかは別として、文科相はいちいちマスコミにバカ正直に公表することはない。



公表した理由として、「各都道府県教委にいじめの正確な把握と報告を求めている手前『情報隠し』はできない事情」と言っているが、

教育担当者間の情報連絡と一般国民への情報公開では、全然意味が違う。



一般に公開すると、手紙を出した子どもは少なくともそのときは「時の人」になれる、と思ってしまうから、止まらないのである。


◆「国家の品格」の著者、藤原正彦さんが良いことを書いている。

先週発売された「週刊文春」で数学者で、ベストセラー、「国家の品格」の著者、藤原正彦氏が、良いことを書いている。

抜粋引用させていただく。

深刻ないじめをなくすには、「いじめは卑怯なことだ」ということを叩き込んでいくしかない。教えるのではなく、叩き込むのだ。(中略)

私は父(引用者注:作家の故・新田次郎氏)から、「卑怯者は生きている価値がない」と言われた。つまり、卑怯なことをするぐらいなら、死ねということだ。

弱いものがいじめられていたら、ただちに救え、必要なら暴力を使っても良い、とも言われていた。

「大勢で一人をやっつける」「大きい者が小さい者をぶっとばす」「男が女を殴る」などということは絶対に許されないことだ。

何故なら、それが卑怯だからだ。それ以外に理由はない。

(中略)つまり、(いじめは)言語道断。論理や説明は無用で、してはいけないことはしてはいけないのだ。

理由や理屈はないのだから、親や学校は、無理やりにでも子どもに押しつけて、叩き込むしかない。(中略)

いじめをなくすには、「いじめは卑怯だ」という意識を親と教師が力ずくでも(こどもに)叩き込むしかない。

というものである。

バックナンバーは図書館などで読めるので、全文をお読みになることをお薦めするが、

「国家の品格」で藤原氏自ら、自分の専門は論理のかたまりである数学だ。

かつて、論理で世の中は全てうまくゆくと思っていたが、そうではないことが分かった。

という趣旨の書き出しであの本は始まるが、今回もそのままである。



私は、同感である。

教育とか躾けとか言うと聞こえが良いが、世界共通の教育はなく、その社会に適合できて害を及ぼさない人間を作るのが教育で、

その意味では教育も「洗脳」の一種である。そこに理屈は要らない。

卑怯なことはしてはいけない。いけないからいけないのだ、というぐらいの強引さが今は不在である。

大人が、「子どもの人格」とか「子どもの意見」などと、顔色をうかがっているから、いつまで経ってもいじめが無くならないのであろう。

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2006.11.15

「郵便集配廃止6割で実施 日本郵政公社」←「甘受すべき不利益」ですね。

◆記事:郵便集配廃止6割で実施 日本郵政公社

日本郵政公社は14日の自民党の総務部会・郵政政策小委員会合同会議で、

郵便の集配業務を全国1048局で廃止する再編計画に関して、

6割に当たる628局で集配廃止を実施したことを明らかにした。残る420局も原則、来年3月までに廃止する。

ただ、計画全体の関係自治体667のうち、1割強の79自治体が依然反対しており、同公社は地元説明会などを通じて理解を求める。

公社によると、集配再編の実施で当初、郵便物の配達の遅れなどもみられたが、その後解消したという。(共同通信)


◆コメント;郵政民営化は一つの会社をわざわざバラバラにするのです。

「郵政民営化」は、今まで、郵便の窓口、配達、郵便貯金、簡易保険を日本郵政公社が全部やっていたのを、

全部、別の会社に分離するのである。

普通、民営化とか、合理化というのは、バラバラだったものを一つにまとめるものだが、日本の郵政民営化はわざわざ、別会社にする。

非常に変った「合理化」である(合理化といえるのだろうか)。


◆郵便配達を統括センター又は、配達センターに集約するのだそうです。

記事の見出しで「郵便集配廃止」というのは、郵便をポストから集めて、宛先に配達するのを完全に止めるという意味ではない。

そんなことをしたら、最早「郵便」が存在しないのと同義である。



そうではなく、今までは各郵便局毎に、郵便を集め、配る人がいたのを、なるべく少なくして、

窓口オンリーの拠点を増やし、窓口で集めた郵便を一旦、統括センターという一種の集中センターでまとめ、

それを集配センター(今の郵便局がそのまま集配センターになる場合も多い)に振り分けて、そこから配るのだそうだ。



日本郵政公社が東京についてまとめたページがあるから、ご覧になってはどうか。

窓口と配達を同じ局でやるよりも、一旦統括センターに集約するというのだから、どう考えても今までよりも時間がかかると思うのだが、

冒頭の記事では、最初は遅れたが今は解消しているというが、何の証拠もない。


◆郵便の流通量が少ないところほど、より一層不便になるだろう。

郵便の量が、多分全国一多いであろう東京ですら、この有り様だから、

地方の特に過疎地域では、郵便を集め、届けるまでの時間が、大幅に遅れると思われる。



しかし、郵政民営化は選挙で国民が選択したことだから、甘受すべき不利益である

(それでも、反対した有権者まで巻き添えになるのだからたまったものではない)。



「郵政民営化選挙」と言われた衆議院議員選挙は昨年の9月11日に行われたが、

民営化に賛成した人は、その後何がどうなっているのか分かっているのであろうか?と、いうのは勿論、皮肉である。


◆「民営化反対」と何度書いたか分からない。

断っておくが、私は、後付けで(結果論で、ということ)今日の記事を書いているのではない。

昨年、8月8日に小泉純一郎が衆議院を解散してから、衆議院選挙の投票日、9月11日までの間は勿論、

それ以前も、2005年06月03日(金) 小泉内閣の郵政民営化プランには、緊急性、必然性が認められない。と題する文章を書いたことがある。

そして、これは、文字通りほんの一例である。

私の目次ページに検索欄がある。

そこに、「郵政民営化」と入力して見て下さい。

かなりの数の記事が出てくる。一貫して、民営化に反対していることがお分かり頂けるはずである。

だから、今日のような「言わんこっちゃない」、という主旨の文章を書きたくもなるのだ。



民営化に賛成した人の殆どは、何がどのように進行しているか、全然フォローアップしていないのではないだろうか?

そういうのを、「無責任」というのである。


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2006.11.14

1989年11月13日、島根医大で日本初の生体肝移植が行われたのです。

◆昨年も書いたが、何度でも書く。

17年前のことである。

島根医大が昭和40年代の心臓移植(これは、脳死移植だが、本当に脳死だったのか、など、大問題になった)の失敗以来、
ずっとタブーとされてきた移植を、「初めて」行ったのである。

臓器も違うし「生体」肝移植だが、とにかく、それまでは異常なほど「移植」に対して、日本の医学界は「触らぬ神に祟りなし」だったのだ。

それを、敢えて決断した。

その勇気は、多分、私のような素人の想像を遙かに超えるものだったに違いない。



この過程を知るためには、やはり、決断―生体肝移植の軌跡を読むしかない。

新刊は無いが、リンク先を見れば分かるとおり、古本(マーケットプレイス)に70円から並んでいる。

そのページにある書評は私が書いたものだ。

この手術に関して私が書いたものの中では、比較的マシな方なので、ここにも載せる。


◆「決断―生体肝移植の軌跡」日本で最初に生体肝移植をしたのは島根医大だ

日本で最初の生体肝移植を行ったのは、他ならぬ島根医大だ。

昭和40年代、北海道の大学病院が心臓移植手術に失敗して、執刀医が殺人罪の容疑までかけられてから、

30年以上も日本の医学界では「移植」はタブーだった。

本書は、題名「決断」の文字通り、永年の禁忌を打破して、移植手術を行う「決断」を下すまでの葛藤と、

術後の合併症と医師団との壮絶な闘いの記録からなる。

いずれも、貴重な記録だが、特に、手術を決める、当時の永末助教授の覚悟が並大抵ではなかったことが良く分かる。

「我々は肝移植を標榜している。赤ん坊は死にかけている。家族は結果は問わないから、手術をしてくれと言う。これでこの手術を断るなら、明日から肝移植の研究など止めよう」

と、病院スタッフに語りかける場面はご本人の控えめな文体からも、ものすごい迫力が伝わってくる。

永末医師は、この手術に失敗したら大学を追われることを覚悟して、その時には故郷の福岡で開業すればよいと思った、と本書では書いているが、

NHKの「プロジェクトX」に出演したとき、本当は、「医師も辞めなければならないかも知れない、

そのときは私は英語が得意だから、塾で英語の先生をすれば、食べられるだろうと思った」といった。

ここまで立派な先生がいたのか、と感激する。

杉本裕也ちゃんは残念ながら無くなったが、ご両親はそれでも、永末医師らスタッフに感謝していたことからも、医師の誠意が良く分かる。

島根医大の様子を見てから、京都大学や信州大学が次々に生体肝移植を行い、成功した。

京大が書いた岩波新書の「生体肝移植」の方が本書よりも有名になってしまった。

だが、「初めにやること」ほど大変なものはない。

永末医師の「決断」がなければ、今でも日本では生体肝移植は行われていなかったかも知れない。

本書は医療を語る書物の金字塔と言っても過言ではない。


◆「洪庵のたいまつ」にある「洪庵の訓戒」そのものなのだ。

あまり付け加えることはないのだが、ひとつだけ。

私はこの手術よりずっと後、一昨日話題になった、「二十一世紀に生きる君たちへ」と同じ本に載っている「洪庵のたいまつ」を読んだのだが、

その一節を目にして「あっ!」と思った。この箇所である。

洪庵は、自分自身と弟子たちへのいましめとして、十二か条よりなる訓かいを書いた。その第一条の意味は次のようで、まことにきびしい。

医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。

お分かりの通り、永末先生たちがなさったことは、まさにこのままではないか。

洪庵が知ったら、さぞや喜ぶことであろう。

立派な人々がいるものだ。


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2006.11.12

プロの音楽家になるということは、並大抵のことではありません。(その2)

◆何度も書かなければ、他人の記憶には定着しません。

(毎度、駄文にお付き合いいただいている方は、「分かった、分かった」

と仰りたいだろうが、しばし、ご辛抱いただければ幸いです。)

私は、このテーマについて、色々な例を挙げて、過去に書いた。



私はプロの音楽家ではないが、クラシック音楽を愛する点において、人後に落ちないつもりでいる。

音楽は崇高なものであり、茶化したりするべきではないし、芸術(家)たるもの、大衆に迎合するべきではない、と考えている。


◆優れたものに対する畏れがなければいけない。

ちょっと、話が逸れる。

私が、「ブログ」などこの世(少なくとも日本)に出現する前、

Web日記、エンピツJIROの独断的日記を書き始めたのは、2002年4月であった。

しかし、初めのうちはサボり気味で、たまに書いても、読むに値するほどの文章は書いていない(今も、あまり進歩していないことは自覚しています)。



比較的熱心、かつマメに更新をするようになったきっかけは、2002年の秋、

小柴東大名誉教授と、島津製作所の田中耕一さんが、それぞれノーベル物理学賞と化学賞を受賞することが決まった頃からなのである。



はじめは、単純に喜び、はしゃいでいた私だが、やがて、マスコミの報道姿勢が気に入らないと思い始めた。

二人の受賞者のうち、小柴先生は「東京大学名誉教授」という肩書きをお持ちである

(無論、ノーベル賞とそんなことは何の関係もなく、ニュー・トリノ天文学の創始者としての業績を評価されたのだが)。

世間は、この種の肩書きには弱い。だから小柴先生を茶化すテレビは無かった筈だ。



もう一人の田中さんは博士号も持っていない、一介の民間企業の研究所に勤める「サラリーマン」である。

私は、ノーベル賞の選定委員会が「ドクター(博士)の称号」とか、「学者ではない」などという世俗的な判断基準に囚われず、

純粋に学術的な見地から受賞者を決定していることが良く分かり、感銘を受けた。立派だと思うのである。



ところが、マスコミの発想は違っていた。

言うまでもないが、ノーベル賞受賞者はわが国の誉れ(ほまれ)の人である。

国の宝だ。いや、国はどうでもよい。

ノーベル賞を受賞するなどと云うこと自体、凡人には絶対に(平和賞をのぞいて)できない。

天下の大秀才が何十年も苦労して研究してきた成果が世界の檜舞台で評価されるのである。

「優れた人」なのである。



優れた人には、敬意を払うべきである。我々は、田中さんを尊敬するべきである。



しかし、マスコミの連日の報道は、受賞が決まった田中さんの

「自分たちと同じサラリーマンだ」という属性ばかりを強調し、茶化すような報道が目立った。



技術者ある田中さんは、当然フォーマルな席など縁がないし、多分面倒くさくて嫌いだろう。

だが、ノーベル賞受賞者ともなると、そうもいかず、やれ、文科相に挨拶だ、内閣総理大臣と昼食会だ、

皇太子殿下ご夫妻と昼食だ、天皇陛下に拝謁だ、と、田中さんに取って不慣れなことが続いた。

田中さんの挙止動静は、ぎこちなかったが、当たり前である。



それなのに、意地の悪いテレビ屋どもは、

「急に晴れ舞台に引き出されて、まごつくサラリーマン・ノーベル賞受賞者」

という設定を重んじた。私はこれが、不愉快でならなかった。



「優れた人やものに対する畏れ」を知らない奴はバカだ、と義憤に燃えた。

それが、本格的に日記を書き始めた「原動力」になった。

繰り返すが、

優れた人、優れたものに対する「畏れ」を感じない奴はダメなのだ。

「優れたもの」を自分と同じレベルに引きずり下ろし、なんだ、大したものじゃないではないか、

という態度は劣等感の表れで、卑しい。みっともない。


◆クラシックマンガにも同じ物を感じるのである。

「のだめカンタービレ」を批評するからには読まねばならない、と思い、読んだ。

その結果、作者はこの世界のことが全く分かっていない、ということが、良く分かった。

このマンガを読み、マンガに出てくる曲を聴いたところで、芸術の価値は分からないものには分からない。

そもそも、こんな、チャラチャラ冗談を言っている暇など無いのだ。こんな、甘い世界ではないのだ。

というと、「プロの音楽家が、このマンガを監修しているんだぞ」と恐らく人は言うのだろう。

知っていますよ、そんなこと。

N響のオーボエの茂木さんだろ。

貴方たちより、20年も前から茂木さんのオーボエを聴いている。



昨日話題になった司馬遼太郎さんの「二十一世紀に生きる君たちへ」では「自我の確立」を説き、

他人には寛大に自分には厳しく、とかいてある。茂木さんが、それにあてはまる。



茂木さんは、音楽大学を出て、既に日本でプロになった後、ドイツへ留学した人だが、

そこでどれぐらい苦労したか、知らないでしょう?

茂木さんの「オーケストラは素敵だ」という本から抜粋引用させていただく。



これは、茂木さんが、ベルリン放送交響楽団の首席・ギュンター・パッシンが日本へ夏期講習に来たときに気に入られて、

ドイツに留学したのは良かったのだが、リリンクのバッハ・コレギウムに参加したところ、

ヘヴァ・ロトヴァイアーという一番吹きの女性奏者にとことんシゴかれ、ノイローゼ寸前に至った話が書かれている。

【引用始め】

ヘダは、リリンクがシュトゥットガルトで旗揚げをして以来のメンバーの一人で、もっともリリンクの方法論に通じた音楽家の一人であった。

リリンクの仕事では、パッシン、ゴリツキ、ケルヒャー、ヨナス、ミヤモトなどの名人たちと組んで、「世界最高の二番」という評価をほしいままにしていた。

この四十代半ばの美人は、大変な鬼コーチであった。(中略)

まず、チューニングのときの「A」からして、いつまでも許してくれない。幾度も幾度も、彼女の「A」と合わさせられる。「A」以外の音をぱら、などと吹こうものなら、すぐこっちを振り向く。

休みのときも、音楽に合わせて身体を揺すったら叱られる。指を折って小節を数えてもいけない。楽屋で音出しをするのも、必要最小限にとどめる。

音楽に行く遙か手前でこれである。演奏に入ってからの注意の厳しさ、細かさはもう想像を絶するものであった。

音量、音程、アタック、音色はもう毎度のように直されたが、まず徹底的にたたきこまれたのは、「まわりを聴くこと!」

おれだってなにも、全く聴かずにやっていたわけではないが、

自分が十六分音符のコロラトゥーアのさなかに、別の声部のやっていることを聞き分けて、そこにぴったりはまるように自分の音程、スピードを、しかも顕微鏡的精度でコントロールせよ、と言われては、当時のおれには不可能としか思えなかった。そんな水準の演奏を経験したことがなかったし、そんなことが必要と考えたことさえなかった。

つぎに、コーラスより決して先に出てはならず、その歌っているテクストを吹きながら同時に聴いて、テクストを同時に吹けといわれた。

ドイツ語がろくに出来ないおれにとっては、もはや「聖徳太子」になれとはっきり言われた方がまし、というくらいの要求であった。

そしてそれらを決して中途半端にせず、何度でも、何日でも、何年でも(本当である)、諦めず、しつこく、同じことを注意し続ける忍耐を、ヘダは持っていたのである。

おれは、ツアー三日目くらいでもう完全に音を上げた。

夜は眠れなくなり、仕事に行くのが嫌になり、いじめられ、いびられていると思いこみ、ヘダが信じられなくなり嫌いになり、憎み、

最後には、もう、このツアーを放棄してミュンヘンに帰ろうか、いや、もう日本に帰ろう、オーボエを止めようとまで思った。

しかし、なぜか、おれはそれをしなかった。

今、おれは思っている。

「あの時に自分は、三流の音楽家として一生を送る危険から、あるひとりの人物の、

信じがたい能力と、信念と、人間性と、経験と、忍耐とによって、救い出された。」それが、ヘダであった。

今、もし、「あのときのおれ」がオレの仕事のパートナーとして現れたら、

オレはヘダがあのとき見いだしたと同じくらいの問題点をすぐさま「彼」の中に見つけるだろう。

楽屋で関係のない曲をでっかい音でさらい(聞かせたいのだ)、チューニングもせずにパラパラと意味のない音を出し、

身体をやたらに揺すり、指揮のマネをし、大きく指を折って勘定する。全くあたりを聞いておらず、

自分の音程やタイミングが完璧に合った経験そのものが無いのだから、合っていないことにすら気がつかない。

もっとヤバいのは、「仕事なんか、その場で出来る範囲で、適当にやっときゃいいんだ、本番の「ノリ」がだいじなんだから、

うるさいこと言って神経を取られちゃダメだ」という、恐ろしい考え方が染みこんでしまっていることだった。

自分の経験したことだけが全てだと思いこんでいて、それより高い水準の要求はみんな理不尽に思えてしまう。

これこそ、その人間の総ての可能性を自ら摘み取ってしまう、音楽家にとって、最も恐ろしい病なのだ。

今のおれは、この男を見て、「このままじゃ、ぜんぜん、使い物にならない」と思うだろう。

しかし、それを、あのときのヘダのように、嫌われても、憎まれても、恨まれても、

徹底的に、何年もかけて直してやろうとするだろうか?正直言って、自信はない。

ヘダはそれをしてくれた。実はパッシンが頼んでいた。

「あいつは、見所はあるが三流だ。たたき直してくれ」

訓練の場所として、大勢に影響のない「メサイア」と、それが幾度も繰り返されるツアーが選ばれたのは偶然では無かったのだと思う。

オレは幸運だった。

結局、ミュンヘンには帰らずに、何とかツアーをやった。

ヘダのことを一生好きになれないだろうと思いながら、そうではない、感謝しよう、と思えたのは、丸3年も経ってからのことだった。

スイスツアーが終わった時点でオレの頭にはものすごい白髪が出来ていた。

一方、ヘダの方はこちらにはおくびにも出さず、パッシンとリリンクに報告した。「基礎訓練終わり。新メンバー誕生」

【引用終わり】

もう一度書くが、これは音大生の話ではない。

国立(くにたち)音大を卒業して、すでにプロの音楽家として日本では十分通用していた茂木さんが、

ヨーロッパの一流の奏者にさらにしごかれているのである。



これほどの試練を経て、なおそれに耐えられる人が、一流のプロの音楽家になっていく。そういう厳しい世界なのである。



優れたものに対する畏れを忘れてはならないのである。


◆久しぶりに音楽。

バッハ、以前ピアノ編曲板でお聴かせしたカンタータ、「主よ、人の望みの喜びよ」の原曲です。

本来このように、コーラスとオーケストラで演奏されるものです。人の声は良いですね。

コーラスには、独唱とは全く異なる魅力があります。

なお、これは、カンターター147番を構成する10曲の中の1曲です。

この4分ぐらいの曲がカンタータ全体ではありません。こういう「知識」を面倒と感じる方は、どうでも良いです。

無視しても、一向に構いません。

また、これは宗教曲=教会音楽ですが、宗教曲を聴くのに、キリスト教の知識が不可欠な訳でもありません。

嫌味じゃないです。音楽だけでいいのです。聴いているとなんだか、敬虔な気持ちになる。

ならない人もいる。感じ方はそれぞれ違う。それが音楽です。

ちょっと、ボリューム絞り加減にしてください。思ったより、音が大きくなってしまった。


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「二十一世紀に生きる君たちへ」をテレビでとりあげたのですね。読んで下さる若い方がいて嬉しいですが・・・。

◆コメントを寄せて下さった方が多いと思ったら。

私は、今年の2月、JIROの独断的日記ココログ版に、故・司馬遼太郎さんが、教科書のために書き下ろした、ご本人の言葉によると、

「小説を書くよりも難しかった」という文章、

「二十一世紀に生きる君たちへ」と「洪庵のたいまつ」2本の全文を掲載した。

勿論全て自分で打ち込んだのである。知的財産権の侵害であることは承知しているが、司馬さんはきっと許して下さるだろうと思った。

しかし、敢えて現実的なことを書くならば、知的財産権法に抵触する行為が、「故人である著者は、許してくれると思う」で許されるものではない。

本来、司馬遼太郎さんが、考え抜いて著した文章なのであるから、それに対しては、相応の対価を支払うのが当然なのだ。

ただ、引用先にもかいたとおり、私が敢えて全文を収録したのは、法令遵守よりも、司馬遼太郎さんが訴えたかったことを、

広く世間に知らしめることが「世のためになる」と判断したためである。


皆さん、どんどんダウンロードなり、コピーなりしておられて、二人の方だけが、ココログ版にコメントを下さったが、

法的リスクを背負っているのがわたしであることは分かっていただきたい。

今後削除する可能性は、当然、ある、ということだ。

話が変るが、やはり、良くも悪しくもテレビの影響力は絶大である。

この二本の文章だけを収録し、装丁を豪華(?)にした大判の二十一世紀に生きる君たちへ (単行本)(1,260円)が、

Amazonで「本」(全ての本)の中で売上げ第一位になっている(2006年11月12日(日) 18時現在)。



それは、さておき・・・・。
司馬遼太郎さんの、この二つの短い文章は、珠玉のように美しく、正しい。

一点の曇りもない。

このように、当たり前のことなのに、人々が忘れている「正しい」ことを、平易な文章でしかも格調高く、

確信を持って表現できるのが、司馬遼太郎さんの司馬遼太郎さんたるゆえんだろう。


◆あのテレビ番組でとりあげたのですね。

今日、テレビでビートたけしがいじめ、その他教育問題に関する長い番組を放送したことは知っていたが、

私は最初から最後まで見たわけではなかったので知らなかった。

番組の中で、司馬遼太郎さんの件(くだん)の文章を取り上げたのだそうだ。いいことだ。



随分、多くの方が、私のブログで読んで下さったようだ。

JIROの独断的日記ココログ版に、このエントリーに関して、多分若い方だろう。コメントを頂いた。

とても素直な感想で、嬉しくなった。

「二十一世紀に生きる君たちへ」や「洪庵のたいまつ」を読んで感動できる、ということはひじょうに素直でまっすぐな心の持ち主だと思うのである。


◆私は大人になってから知ったので、若い人が羨ましい。

私が学生のころ、この文章はまだ書かれていなかった。

教科書の為に書下した文章なので、一般の本に掲載されたのも随分後になってからのことだった。

私は偶然随筆集で見つけたのだが、なんという美しく、気高い文章だろうと感動した。

どちらの文章も素晴らしいが、私は、「洪庵のたいまつ」の最初のセンテンスを読んだとき、しばらく、目が釘付けとなった。

世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。

この一文が、既に名作と言って良いほど素晴らしい、と思った。

この言葉そのものが、それが意味する思想自体が、光り輝くほど美しいのである。



それ以来、「洪庵のたいまつ」と「二十一世紀に生きる君たちへ」を何度読み返したか分からない。

こういう文章を本当に身体に染みこませたいとき、私は文章を丸ごと何度も声に出して読むか、書き写す。

パソコンに打ち込んでも良いだろう。

そうすると、一つ一つの言葉がより一層深く心に染み渡る。



こどものころに、「洪庵のたいまつ」を読んでいたら、もっと高い志を抱いて学問をしたかもしれない。

それが少し残念だが、大人になってからでも遅くはない。

私は、ことあるごとに、「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。」と言う言葉を自らに言い聞かせている。


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2006.11.11

「テロ対策特措法の改正案が成立 3度目の期限延長」時限立法がほとんど「自動継続」

◆記事:テロ対策特措法の改正案が成立 3度目の期限延長へ

11月1日に期限切れとなるテロ対策特別措置法を1年間延長する同法改正案は27日午前の参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立した。

これを受けて政府は31日の閣議で、インド洋への海上自衛隊の派遣期限を11月1日から5月1日まで半年間延長する基本計画を決定する方針。

米英両国などはアフガニスタンでのテロ掃討作戦の一環として、インド洋で武器や麻薬などのテロ関連物資がテロリストの手に渡るのを防ぐ海上阻止活動を行っている。

テロ特措法は海自の補給艦、護衛艦各1隻がインド洋で外国艦船に洋上給油活動を行うための根拠法となっている。

テロ特措法は2001年(平成13年)9月の米中枢同時テロを受け、2年間の時限立法として同年10月に制定された。

15年に2年間、昨年10月にさらに1年間円延長しており、今回の延長は3回目となった。(10/27 11:20)


◆コメント:当初成立時に違憲ではないかとの反対論を押し切って成立した時限立法だった。

テロ特措法の何たるかは、内閣がこの法案(の延長)を閣議決定した10月6日に、詳しく書いたのでご参照頂きたい。

この法律は、もともと、2001年10月から2年間の時限立法だった。

期限が来る度に延長して今回は3回目である。



要するに、911テロの後、犯人はアフガニスタンに潜むテロリストであるとアメリカが主張し、テロリスト殲滅を宣言した。

小泉はブッシュの機嫌を取るために、テロ特措法を強行採決した。

同盟国アメリカが戦闘行為を行うのを後方支援しているのだから、この法律は違憲である。

「後方支援」とは具体的には、何をしているかというと、対テロ闘争を続けている(ことになっている)外国の軍艦に、

海自の艦船が、無料のガソリンスタンドの役割を果たしているのだ。

9月28日の段階で、給油対象国11カ国、給油回数681回、要したコストは100億円以上にもなっている。


◆政府インターネットテレビで安倍首相がにこやかに説明しているのを聴いてみる。

首相官邸ホームページの中に、政府インターネットテレビがあり、1chのライブトーク官邸は、週に一度更新され、

安倍晋三内閣総理大臣が国民に親しみを込めて語りかけている。

最新のライブトークでは、テロ特措法について、「一応」説明している。その、冒頭を文字に起こしてみる。

こんにちは、安倍晋三です。

9.11テロ事件から5年が経ちましたが、テロとの戦いは今も続いています。

今日は世界の平和のために、日本がどのような貢献をしているのかについて、お話をします。


  • インタビュアー(以下Q):テロ対策のための法律が延長されましたね。

  • 安倍首相(以下、A):はい。国会で、テロ対策特別措置法が成立しました。これを受けて、これを受けて政府は、インド洋に派遣している海上自衛隊の活動を延長することを決めました。各国は協力して、アフガニスタンを拠点に活動を続けるテロリストを取り締まっています。

  • Q:海上自衛隊はどのような活動をされているのでしょうか?

  • A:インド洋で、テロリストの取り締まりに当たる各国の艦船に、海上で燃料を補給しています。艦船を港に戻すことなく、燃料を補給することができるので、取り締まり活動に欠かせない役割を担っています。洋上の気温は40度。甲板の上では70度以上となり、目玉焼きができるほどだそうです。そうした厳しい環境の中で任務にあたっています。


(以下、観艦式の感想なので、省略)

音声だけをアップする。



せいぜい4分程度なので、読者もご自身でお聞きになることをお勧めする。


◆日本が支援している諸国のアフガニスタンでの成果、燃料補給に要したコスト、いつまで延長を続けるつもりなのか、等に関して説明がない。

お聞きになればわかるとおり、安倍首相の説明は、当然ながら、政府に都合の悪いことには触れないで、

「厳しい環境の下、海上自衛隊の自衛官がいかに頑張っているか」、という「美談」に終始している。



しかし、アフガニスタンを拠点とするテロを取り締まっている、というが、

具体的には如何なる成果を各国の軍隊は達成しているのか、全く分からない。

上で私が書いた100億円もの費用が税金で賄われているのに、その件にも全く安倍首相は言及していない。



911テロ直後はウサマビンラディンがアフガンに潜んでいるといい、アメリカの派兵の中心はアフガニスタンだった。

今は一体何の意味があるのか。アメリカの活動が泥沼化しているイラクが問題で、

アフガニスタンのテロリストの話など、ずいぶんと長い間聞いたことがない。

「アフガンテロを取り締まる各国の艦船に無償で燃料を補給すること」が日本の国益に即しているのか。


◆外交的駆け引きとしても稚拙である。

私は、交戦中の同盟国の後方支援が違憲であるという立場を絶対に変えない。

が、百歩譲って、というか、あくまでも仮定上の話として、私が海自のインド洋派遣に賛成したとして考えても

(くどいようだがこれは、仮定であり、実際に私が賛成することは、ない)、

テロ対策特別措置法を、あたかも定期預金か何かの自動継続のように簡単に延長するのは、

外交的な駆け引きの観点からも、愚の骨頂だと思っている。



日本の海上自衛隊から給油を受けている艦船は、今や日本の燃料補給を「当然、そこにあるもの」と見なしているに違いない。

人間最初は他人の親切に感謝するが、すぐに忘れる。

適当な例えかどうか分からぬが、「青空文庫」を利用している人は大勢いるが、皆、無料であることを当然と考えているので、

青空文庫に礼状を出したり、せめてものお礼として幾ばくかでも、お金を贈る人はまず、いないだろう。



問題となっている分野は全く異なるが、自衛隊による各国への無料燃料補給も、人間心理としては、同一である。

安倍晋三内閣総理大臣は、しきりに世界に貢献しているというが、世界は「日本が貢献している」と認識しているか、甚だ疑問である。

それどころか、こういうことをすると、世界にナメられる。



日本は、「時限立法なのだから、期限が来たら、海自の補給艦は一旦引き揚げる」と宣言して、

実際に一旦、海自の艦船を全て帰国させるべきである。

その上で、国民に、今までの活動実績(燃料を補給した相手国、回数、量。相手国からの反応)を報告し、

国会で、活動継続が必要か否かを十分に議論した上で、今後の方針を決定するべきである

(これは、一般論であり、私は、何度でも書くが、海自の活動は違憲であり中止するべきだ、と考えている)。



こうすると、今まで燃料補給を当たり前だと思って受けていた諸国も、有難さがわかるだろう。

安倍晋三内閣総理大臣は日本を世界に誇れる国にするために、自衛隊の海外派遣が必要だ、と考えているようだが、

現実には、海自による燃料補給は、全く逆の効果をもたらしている可能性すらあるのだ。


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2006.11.10

竜巻の被害者遺族に「今のお気持ちは?」と訊いていたテレビのバカさ加減。

◆竜巻の被害者の遺族の気持ちを訊かないと分からないですか?

一昨日(7日)北海道で起きた竜巻によって亡くなった方々のお通夜が今夜行われていたが、

被害者の中には身重の女性もいたとのことで、何と言っていいのか言葉がない。

ただ、あの日以降、テレビ各局の報道を見ていて、不愉快だ。いじめ自殺もそうだが、それは今は触れない。


◆マスコミは、他人(ひと)の不幸がメシの種。

今回に限ったことではない。

最近、世の中では高校の履修不足問題。いじめ。いじめを苦にした自殺、そして7日の竜巻、

と立て続けに「問題」「事件」「災害」が起こり、社会部は休む暇もないだろうが、

特に「視聴率」さえ稼げれば御の字の民放は、内心、笑いが止まらないだろう。



如何に言い繕ったところで、マスコミ(特に報道の社会部)は「ひとの不幸がメシの種」である皮肉な宿命にある。

事件を伝える人々がいなければ困るのは確かだが、あまりにも「本音」が剥き出しになり、はしゃぎすぎた報道(番組)は、不愉快だ。

最近の「ニュースキャスター」や「解説者」の様子を見ていると、「痛ましい」というポーズが、わざとらしい。


◆なるべく淡々と事実を報道せよ。

報道は事実をそのまま、判明していることだけを伝えれば良い。

悲嘆に暮れている竜巻の被害者の遺族にマイクを向け、「今のお気持ちは?」と訊ねているバカなテレビ記者がいた。

訊かなきゃ、分かんねえのかよ、バカ!

また、竜巻の被害から身を守るにはどうすれば良いか、を専門家に訊いている局もあった。

アホか。

日本で竜巻など、まず起きない。今回は例外中の例外だ。

こういうのを「はしゃぎすぎ」だと、私は云っているのである。



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2006.11.09

<米産牛肉>輸出許可ない「胸腺」混入←フランスでは胸腺は「特定危険部位」ですが。

◆記事:<米産牛肉>輸出許可ない「胸腺」混入 政府「単純ミス」

厚生労働省と農林水産省は8日、米食肉大手スイフト社のグリーリー工場(コロラド州)が日本に出荷した牛肉の中に、

同社が対日輸出を認められていない部位の「胸腺」が交じっていたと発表した。

両省は同工場からの輸入を当面停止することを決めた。

貨物の仕分け作業中の単純ミスが原因だとして、全面輸入停止などの厳しい措置は取らない。

問題の部位は10月27日に大阪港に着いた貨物760箱(11トン)のうちの1箱で、9キロ。

輸入業者から30日、動物検疫所大阪出張所へ届け出があった。

胸腺そのものは対日輸出が可能な部位だが、日米政府の取り決めでは、施設ごとに対日輸出する部位の承認を受けることになっている。

日本に輸出可能な米食肉処理施設は35あるが、現時点で胸腺の輸出を認められた施設はない。

米政府の説明によると、加工済みの肉が入った箱を出荷先ごとに仕分けする際、作業員のチェックが不十分で日本向け貨物に交じってしまったという。

厚労省は「1月に起きた背骨混入とは性格が違う」として、重大な違反ではないとの見解を示した。

両省は一緒に到着した760箱すべての輸入も止めた。米政府に原因の詳細な調査と再発防止策を求めており、

工場の現地調査などで問題がなくなったと確認するまで輸入を認めない方針だ。(毎日新聞) - 11月8日21時0分更新


◆コメント:またですか。

米国産牛肉は、昨年12月下旬、約2年ぶりに輸入を再開したところ、今年1月、輸入再開から一ヶ月も経たないのに、

わが国が「特定危険部位」に含めている脊髄が付いたままの肉がアメリカから送られてきて、ただちに再禁輸となったのです。



そして、如何なる政治的・外交的かけひきがあったのか、我々には知るよしもないけれども、

7月下旬には、輸入再開を政府が決定して、8月から実際に輸入が始まりました。

そして、それから、約3か月で「胸腺」という、「不許可部位」が含まれていた、というのが、今回の事態です。



胸腺とは、人間ならば免疫と関係のある器官ですが、牛はどうだか知りません。

牛の体内で、BSE(牛海綿状脳症)の病原体とされる、異常プリオンというタンパク質が蓄積しやすい場所を

「特定危険部位」といい、その範囲は、国によって異なるわけです。

日本では、「すべての舌、頬肉を除く頭部、扁桃、脊髄、脊柱、回腸遠位部」だそうですが、EUでは、腸は全部取り除くということです。



また、EUの中でも国によって差があります。

この資料(北海道BSE対策本部の講演会記録です)によると、フランスでは、胸腺も「特定危険部位」に含まれていて、

全て取り除くことになっているのです。

そういう国があるから、日本も胸腺を「不許可部位」にしたのではないかと推察されます

(完全に安全だと思っているなら「不許可部位」にしないのではないでしょうか?)。

政府も新聞もそんなことは、知っているはずなのに国民に説明しないのだから、ひどいものです。



私は、最早、米国産牛肉は永久禁輸にするべきではないか、と考えています。


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2006.11.08

森麻季さんのCDレビューがようやくAmazonに載ったですよ。/お薦めしたウィーンフィル77年公演DVD喜んで頂いてます。

◆ヒ~。ホッとしたです。森麻季さんイタリアオペラ・アリア集改めてお薦めします。

エンピツだと、こちらで、JIROの独断的日記ココログ版では、こちらで「ソプラノの森麻季さんは世界最高水準の音楽家です。」と題した文章を書き、

ソプラノの森麻季さんの新譜、愛しい友よ~イタリア・オペラ・アリア集を絶賛しました。

その中で、私は偉そうに、

最初のカスタマーレビューを書きました。書いてから掲載されるまでに若干時間がかかります

などと、書いたのですが、いつまで経ってもそのレビューがAmazonに載らないので、ボツになったのか、とヒヤヒヤしていたのです。

こういうのを「自意識過剰」というのですよね。他人様(ひとさま)は私がそんなことを記したことをいちいち覚えていらっしゃらないはずです。

とは言うものの、やはり気になっていて、毎日のように点検していたら、今日(だと思うのです)、載りました。

だからどうした?と訊かれると答えに窮するのですが、ブログよりも簡潔に森麻季さんの演奏の素晴らしさを綴りましたので、

よろしければこちらからご覧下さい。

ご存知かと思いますが、Amazonのカスタマーレビューは新しい投稿が上に来る。私は下の方の「N響マニア」です。

なお、誤解のないように書いておきますが、エンピツとココログの私のサイトをご覧頂けば分かると思いますが、

私は、アフィリエイトはやっておりません。

純粋に、森麻季さんの芸術を知って頂きたくて、今日、再びとりあげたのです。



ちなみに、レビューでのHNを「N響マニア」にしたのは、以前、これは本ですが、N響の第一バイオリンで弾いていらっしゃる鶴我裕子さんの、

バイオリニストは肩が凝る―鶴我裕子のN響日記のレビューを書いたときに、

とっさに思いついたのです。この本も非常に面白いです。

世間には、「クラシックは堅い音楽だから、クラシックの音楽家は皆、クソ真面目に違いない」と思っている方が大勢いらっしゃいますが、

鶴我さんのこの本を読むと、如何にそのような「先入観」が間違っているか、良く分かるだろうと思います。


◆カールベーム・ウィーンフィル77年公演DVDも喜んで頂きました。

10月末に、「カール・ベーム&ウィーン・フィル(1977年日本公演)」(DVD)30年ぶりですね。ベーム先生。お久しぶりです。

という稿を上げ、カールベームとウィーンフィルが1977年に来日したときの音と映像をDVD化して、発売した話を書きました。

ココログなら、こちらです

少しですが、音を添えておきました。

CDやDVDの新譜を常にチェックしている方ばかりではないし、派手な宣伝などしていないので、

全く知らなかったけれど、あの時の演奏をいまだに強烈に覚えている方が他にも大勢おられるのです。

今日、わざわざ、「おかげで、DVDのことを知った。とてもよかった」というメールを下さった方がいらっしゃいました。

ありがとうございます。こういうお便りは本当に嬉しいのです。

必ず返信させて頂きます。しばし、お待ち頂ければ幸いです。


◆クラシック音楽のDVDというと、まずオペラを連想する方が多いのですが、オーケストラコンサートのDVDも意外に面白いんですよ。

オーケストラは「見る」ものでもあるのです。専門家が書いています。

作曲家の故・芥川也寸志氏の著書に、岩波新書に収録された「音楽の基礎」という、音楽に関わる理論的なこと、

しかも、かなりレベルの高い話まで、素人にも分かるように平易に書かれた本があります。

そこに、目をつぶって音楽を聴いたときと、目を開いて演奏者を見ながら聴いた場合では、感じる音量が異なる、という実験について触れている箇所があります。

実験の話は省きますが、それをふまえた上での芥川さんの結論は、

この事実は、(中略)コンサートで目を閉じて聴くのは、全く意味がないばかりか、作曲家の意図を誤解して聞き取る危険があることを示している。

となっています。面白いですね。やはり、世の中は知らないことばかりです。



以前、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の夏の恒例、ヴァルトビューネ(通称「ピクニック・コンサート」)という、野外音楽堂のコンサートのDVD、

毎年出るのですが、1993 ロシアン・ナイトをお薦めしたら、

読者の放送作家の方が非常に気にいって、喜んでくださったので、お薦めした甲斐がありました。

毎年、違う指揮者が振るのですが、これは、小澤征爾さんですね。

楽しいですよ。「くるみ割り人形」とか、「ダッタン人の踊り」とか、ハチャトゥリヤンの「剣の舞」等々。

聴衆は、芝生に寝っ転がって聞いているんですが、ベルリンフィルはさすが、ベルリンフィル、という演奏なのです。

でも、楽員さんも楽しそうなんです。あまり楽しそうなので、見ていて、泣けてくるんです(どういう感情か説明しにくいんですが)。

というわけで、森麻季さんのCD、ウィーンフィルの昔のコンサートのDVD、ベルリンフィルの野外コンサートのDVDを、

再びお薦めいたしました。

それでは、今日はこの辺で。


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2006.11.07

「無知の知」

◆ここ1年で一番感銘を受けたのは小柴先生のお話です。

社会人になると、なかなか「講義」を受ける機会がないけれど、今年の4月に東大がノーベル物理学賞受賞者、

小柴名誉教授の「物質はどのようにつくられたのか」という講義をポッドキャスティングしてくださって、とても感激した。



その時のことは、2006年04月14日(金) 「東大の講義をビデオポッドキャスト」小柴先生の講義に感銘を受けました に書いた。

小柴先生の講義の一番最初の部分も文字に起こしてあるので、よろしければお読み下さい。



私は、小柴先生の講義の主題である物理学上のテーマは、きちんと理解できていないが、

とにかく講義の冒頭(文字に起こしてある部分)を聴いて、完全に小柴先生を尊敬してしまった。それは、

あのね。あなた方はそう思わんかも知れないけどね。立派な学者っていうのはね、「沢山のことを知っている人」じゃないの。

「知らないことがこんなに沢山あるぞ」と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。

という言葉である。これは、感動しましたね。

ノーベル賞物理学賞受賞者ですら、いや、だからこそ、言えることかも知れない。


◆ソクラテスがいう「無知の知」も同じだ。

小柴先生がソクラテスの真似をした訳ではあるまい。

ご自身の体験から痛感されたことを仰ったのだろうが、古代ギリシャの哲学者ソクラテスも小柴先生も、

偉い人は皆同じことを言うのだな、と素直に感動した。



「無知の知」とは、古代ギリシャ(紀元前5世紀頃)の哲学者、ソクラテスの言葉だ。

「人間は、『自分は何も知らないのだ』ということを自覚するところから、真理の探究が始まる。」

ということである。

そして自分は無知だが、少なくとも「無知であることを知っている」点において、それを知らない人間よりは幾分マシだ、

と、大雑把にいえば、そう述べたのである。



初めてその話を知ったのは高校の「倫理社会」授業だった。「倫理社会」とは、いわば「哲学・思想史入門」のごとき科目である。

そのときは、ソクラテスの話を聞いても、ふーんと思うだけだったが、年を重ねるほどにその意味がわかってきた(ような気がする)。


◆読者の方から色々なことを教えていただいた。

私は自分が多少、ものを知っていたり、客観的、論理的に物事を観察できている(ある程度は)つもりでいたが、甘かった。

「無知の知」に至らなかったわけである。



例えば、昨日のエントリー、いじめを続ける「攻撃的性格」には、脳の器質的異常、若しくはセロトニンが関係していないのでしょうか?は、

JIROの独断的日記ココログ版を読んで下さっている、

伊達さんのいじめの加害者にも心のケアを からTBを頂いてヒントを得たのである。

(ちなみに、伊達マリオさんは、ヨーロッパの言語数カ国語をお話になる、大変な努力の方である)。



また、JIROの独断的選曲による日曜コンサートの稿で、

「オーケストラで一番高い音を出すのはピッコロだ」と書いた。

これに関して、やはり、JIROの独断的日記ココログ版に、

プロのクラリネット奏者でいらっしゃるNべさんから、「一番高い音を出せるのは、シンバルであるらしい」こと。

また、上手いピッコロ奏者は大変貴重な存在であることを教えていただいた

さすがはプロの音楽家である。説得力がある。



さらに、最新のエントリーで食品と精神状態のことを書いたが、

これに対しては、ココログ版の読者、てんけいさんのコメントにより、

モンゴルの人が日本に来て、コンビニ弁当を食べていたら、キレやすくなった、という情報をおしえて頂いた。

これも私は知らなかった知識である。まことに有難い。


◆要するに私も何も知らないのだ。

「何も」というと極端だが、私は世の中のほとんどのことは知らないし、

ものの考え方も、自分で思っているよりも一面的であることを、読者の皆様から教えていただいた。

ミス・リードするといけないので、念のため書くが、これは、本当に有難いことだと思うのである。

負け惜しみでも、皮肉でも何でもない。



皆さん、完全に善意で様々な情報を、或はものの考え方を教えてくださったり、ヒントをくださっているのだから、感謝しないではいられない。

今日御紹介した方々だけではなく、今までも数え切れないほど読者の方に教えて頂いたり、励まして頂いたので、書き続けることができるのである。

この場をお借りして、全てのかたに御礼申し上げます。

拙い文章ですが、今後ともよろしくご指導、ご鞭撻のほど、お願いいたします。


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2006.11.06

いじめを続ける「攻撃的性格」には、脳の器質的異常、若しくはセロトニンが関係していないのでしょうか?

◆記事(翻訳):「脳腫瘍が小児性愛の原因だったケース」(BBC 2002年10月21日)

(URL:http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/2345971.stm)

小児性愛的問題行動を繰り返していた40歳の男性は、その原因が脳内の腫瘍であった、とする医師団の発表があった。

アメリカから英国に移住してきた、この既婚で学校の教師をしている男性は以前は何ら、性的な攻撃性を示していなかったにもかかわらず、

あるときから突然、小児性愛的行動を始めたのは前頭葉右部に鶏卵大の腫瘍が原因であった。

医師団は、「脳腫瘍が必ず、同様の症状を惹起するわけではないが、

この患者の場合は脳の器質的異常が、性欲に異常をもたらしていたことは明らかだ」と述べた。(後略)


◆コメント;人間の異常な行動に関する、科学的な研究が為されている。

上の記事は、何と、脳腫瘍が小児性愛という性欲異常をもたらすことがあるということを科学者が述べている訳だ。

訳したのはBBCに約4年前に載った記事だが、更に詳細を知りたい方は、英語だが、

ニュー・サイエンティストという雑誌にBrain tumour causes uncontrollable paedophilia

(脳腫瘍が、抑制不能な小児性愛的衝動の原因となっていた症例)が載っているから、お読みいただきたい。



小児性愛といじめは別の問題だが、要するに、脳の器質的な異常が所謂「精神」「性格」に異常をもたらすことがある、という一例を示したかったのである。

さらに、薬理学の専門家が、脳内神経伝達物質の一つ、セロトニンが攻撃性を抑制するという話を

素人にも分かるように説明している


◆心とは化学反応なのだ。

というのは、日本の薬理学者、池谷裕二氏と糸井重里の対談の中で出てくる言葉である。

ネット上でも、ほぼ日刊イトイ新聞 - 海馬で読める。

脳の専門家である池谷氏は、研究すればするほど、心とか感情は脳内の化学反応以外の何物でもないことがわかる、という。



だとすれば、いじめを繰り返す子どもに関して、脳内の器質的異変か、代謝上の問題の有無を調べる必要があるのではないか。

ここからは、私の素人考えだが、セロトニンという脳内神経伝達物質の原料はトリプトファンというアミノ酸である。

トリプトファンを含む食品はたくさんあるが、日本人にとって最も身近なのは、米である。

ご飯を食わなくなったら、全ての人間がいじめに走るという単純なものではないだろうが、食生活も、何か関係している予感がする。



以前、有機リン化合物を用いた農薬がセロトニンの生成を阻害し、

この農薬を多量に用いている秋田県が十年連続自殺率日本一であるという話を書いた。

セロトニンが不足するとうつ病にも成りうるし、攻撃的にも成りうるというのは、矛盾するようだが、いずれも専門家が述べていることである。


◆結論

いじめ問題を教育問題や社会問題(制度的問題)として扱うことは誰でも思いつくが、

科学的なアプローチに関しては高度に専門的な領域なので、一般人には、分からない。

是非、脳に関わる科学の諸分野の専門家による研究を進めるべきだ。


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2006.11.05

JIROの独断的選曲による日曜コンサート

◆気が滅入る話が続いたので、よかったら、音楽を聴きませんか?

いじめの話を二日続けて書いたら、少々気が滅入りました。

勿論、被害者やその家族に比べたら、これぐらいで気が滅入るなんていうのは、甘いかもしれんけど、

ちょっと気分を変えたいと思いました。

CDを売っている店(余談ですが、今のひとって、やはり「CD屋」っていうの?

私はどうしてもいまだに「レコード屋」と言わないと、しっくり来ないのですよ。)で、

「ヒーリング・ミュージック」(心を癒す音楽)というコーナーを見かけます。悪いけど、笑っちゃう。

何故なら、優れた音楽は普(あまね)く、人の心を癒す力を持っているからです。

ヒーリング・ミュージックなどという特別な音楽は、無いのです。

まあいいや、前置きはこのへんで。今日は言葉は少なめにします。

今までは、静かな音楽が多かったので、今日は、パーッといきます。


◆ピアノ:本当の「ラ・カンパネラ」をお聴かせしましょう

何だか、最近の日本では、リストの「ラ・カンパネラ」というと、フジ子・ヘミングになってしまいますね。

私は、音楽記事を書く場合、原則的に、作品も演奏も褒めることしかしません。

つまり、この曲のAさんの演奏はすばらしいけれどもBさんは下手だ、という書き方はしません。褒めるだけです。

しかし、それでも、どうしても我慢できない演奏が、たまにあります。

フジ子・ヘミングさんがその代表格なのです。

これに関しては、以前、大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソですに書いたので、

ここでは繰り返しません。

そのかわり、本来の「ラ・カンパネラ」の演奏を聴いていただきたい。

これです。→

「カンパネラ」はこのように、テクニックの「切れ味」と終盤にかけてのすさまじいパワーが無ければいけません。

因みに、これを弾いているのは、女性です。

これがプロの演奏というものです。

蛇足ながら、もう一言だけ。

何か気に入った曲に出遭ったら、色々な人の演奏を聞き比べてみることを、勧めます。

そうすると、次第に耳が肥えてきます。


◆次はマーチです。

マーチといえば、スーザ。数多い作品でも最も有名な「星条旗よ永遠なれ」です。

政治の話は無し。

こういうアメリカ人の底抜けの明るさは、私は大変好きです。

本来吹奏楽で演奏する曲ですが、これは、オーケストラで演奏したものです→

マーチは、必ず中間部にトリオといって、旋律を優先した、比較的静かな部分があります。

「星条旗~」の聞き所のひとつは、ここでオブリガート(対旋律というのですが)を吹く、

ピッコロ(正しくはピッコロ・フルート)です。ピッコロというのは、音域が普通のフルートの1オクターブ上です。

実物をみると小さい楽器ですが、その音の響くこと、響くこと。

オーケストラの全ての楽器で最も高い音を出せるのも、この楽器なのです。

大抵の楽器は、他の楽器と音を解け合わせることができますが、ピッコロはあまりにも鋭い、よく通る音なので、

音を出したが最後。隠れることができません。間違えたら一発でバレます。結構専門職です。


◆「芸術は、爆発だ!」ものすごい速さで最後まで演ってしまった「ルスランとリュドミラ」序曲

「芸術は、爆発だ!」を知っている方は、私と同年配以上かな?

昔、テレビのコマーシャルで、故・岡本太郎画伯が、例の興奮状態で叫んでいた言葉ですね。

それはさておき、この言葉がぴったり当てはまる演奏があります。これ、スタジオじゃない。ライブです。

ロシアのサンクト・ペテルブルグは昔、レニングラードといいました。レニングラード交響楽団という凄腕のプレーヤーばかりのオーケストラがありました。

指揮者は、ムラビンスキーという、どんなときでも厳しい、というか、こわーい顔をしたままの、しかし、優れた指揮者です。

外見からは、これほどすさまじい演奏をする人とは思えないのですが、まあ、とにかく、これはすごい。→

このテンポで、速いパッセージを全員見事に弾きこなしている。並のオーケストラ、指揮者ではありません。

最近の指揮者は皆平均的になってしまって、このような、聴いている者がひっくり返るほど印象に残る演奏はなかなか、無いのです。

曲は、ロシアのグリンカという作曲家のオペラ、「ルスランとリュドミラ」序曲です。

多分、聴いたことがあると思います。運動会のかけっこで良く流れるのですが、

本来は、オペラの序曲です。運動会用に書かれた音楽ではございません。

始めに書いたように、今日は、「たまには、パーッといきましょう」。という感覚で選びました。

是非、ご感想をお聴かせ下さい。それでは。


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2006.11.04

「福岡・筑前町の中2自殺:同じグループ、自殺後も別の生徒いじめ--三輪中」←やはり制裁を加えなければ、だめだ。

◆記事1:福岡・筑前町の中2自殺:同じグループ、自殺後も別の生徒いじめ--三輪中

中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、

この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。

学校側は遺族側に「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。

複数の関係者によると、新たないじめを受けているのは自殺した男子生徒と同じ学年の別の男子生徒。

暴力的な行為はないものの、言葉によるいじめだったという。

男子生徒の自殺後、間もなくいじめグループが別の男子生徒を対象にしたいじめを始め、

見かねた他の同級生が保護者に相談し、保護者が学校側に通報した。

学校側はこの保護者に「実際に新たないじめがあるかどうか調査中」と説明しているという。

毎日新聞 2006年11月4日 東京朝刊


◆記事2:いじめ自殺:16件あった 文科省「ゼロ」発表の7年間に

いじめが主な原因で自殺した公立小中高校の児童生徒の人数を文部科学省がゼロと発表していた99~05年度の7年間に、

いじめが原因と疑われる自殺が全国で少なくとも16件あることが分かった。

このうち、いじめを訴えたり示唆する遺書や走り書きが残されていたケースが11件、

亡くなった子どもに対するいじめの存在を学校が認めた事案が10件あった。

文科省や教育委員会、学校によるいじめ自殺の実態把握の不十分さが厳しく問われそうだ。



日本弁護士連合会や市民団体のまとめなどを参考に、毎日新聞が集計した。

16件には、いじめた側とされる児童生徒が警察に逮捕されたり、児童相談所に通告された事例が4件

▽自殺をきっかけに、教委がいじめ対策に取り組んだケースも4件ある。

ただ、遺族が起こした裁判でいじめは認めつつ、「自殺との因果関係は明確でない」とされた例もある。

00年7月、埼玉県川口市では、市立中学校の1年男子がメモ帳に「HELP」と書き残し、自宅で首をつった。

入学直後から複数の同級生にたびたび取り囲まれ、背中へのひじ打ちや太ももへのけりを受けていた。

埼玉県警は、14歳未満だった同級生9人を児童相談所へ通告した。校長も記者会見でいじめを認めた。

05年4月には、山口県下関市の市立中学校で3年女子が校内で首をつって自殺。

自宅に「死んだらもういじめられないですむ」というメモがあった。

校長は女子生徒が「キモイ」「あっちに行け」と言われ、石を投げられていたと両親に伝えた。

だが、いずれも文科省はいじめ自殺とカウントしていない。

(以下、省略。記事全文のキャッシュは、「ウェブ魚拓」に保存した。↓にあるので、ご参照いただきたい)

http://megalodon.jp/?url=http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061104k0000m040133000c.html&date=20061104114909


◆コメント:昨日書いたとおりであるが・・・。

いじめの話を好むわけではないが(そんな人間がいるとは思われない)、昨日、いじめに関して文章を書いた翌朝、

すなわち、今朝、毎日新聞が大きなニュースを二件報じていたので、昨日に引き続き、この問題を取り上げた。



実は、今朝の毎日新聞一面で大きく取り上げられていたのは、記事1ではなく、記事2である。

これも大きな問題であることは否定しないが、「さもありなん」である。

つまり、ここで行われていたのは、役人の世界に昔から存在する「責任を免れるための事実の隠蔽」ということであり、

証拠は無いが、あらゆる役所で大なり小なり同様のことが起きていることは、容易に推察される。

しかし、これはとりあえず、大人の問題である。

そして、「いじめによる自殺の統計」が仮に完全なものであったとしても、統計自体にはいじめを無くす効果はない。

また、文科省、又は各都道府県、各市町村の教育委員会が有効な「いじめ防止策」を講じたかどうか、疑わしい。

役人は新しいことを始める(新しい「いじめ対策」手段を発案する)ことを極端に嫌う。

責任を取りたくないからである。


◆記事1の方が緊急性のある問題だ。

記事1は新聞では社会面に載っていて、大見出しもついていないのだが、

ことの重大性、悪質性、緊急性は、文科省の統計改竄問題よりも遙かに深刻である。

記事の核心部分を今一度引用する。

中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、

この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。

学校側は遺族側に「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。

開いた口がふさがらない。


◆加害者の責任を問わず、罰しないから、いじめを繰り返すのではないのか?

昨日付の拙文で私は、

「いじめの加害者本人」は、悪いことだと知っていながら、いじめを行ったのだから、加害者本人の責任を追及し、社会的制裁を加えるべきだ」

と書いた。

具体的には、加害者と親の氏名、顔写真を公表することが「社会的制裁」である。



これに対して、賛成だ、というメールを何件か頂戴したが、他方、加害者とその親に「制裁」を加えても生産的ではない、というご意見もあった。

しかし、私は今朝、記事1を読み、自分が昨日書いたことは、やはり間違っていないのではないか、と考えた。

いじめにより、被害者が自殺しても加害者が罰せられないから、同じことを繰り返すのだ。



福岡県筑前町立三輪中で男子生徒が自殺したのは、10月11日である。

この生徒を自殺に追い込んだ同じグループが、自殺から一ヶ月も経っていないのに「新たなターゲット」をいじめているという。

これは、もはや「犯罪」であり、「罰するべきではない」、と考える方が、不自然である。



勿論、私一人の頭脳で考えつくことには限りがあり、世の中には「より一層効果的ないじめ防止策がある」と仰る方もおられよう。

そう言う方は、嫌味でもなんでもなく、是非、そのアイディアを発信していただきたい。

私の云うことが当たっているとかいないとか、そんなことはどうでも良いのであって、

要するにいじめをなくす。少なくとも被害者が自殺することを防ぐためにはどうすればよいか、という問題である。


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2006.11.03

「いじめ問題」では学校の管理責任ばかりが問題となるが、まず、「加害者」とその親の責任を問うべきだ。

◆マスコミ報道を読むと、あたかも「いじめ」が最近始まった問題のような印象を受ける。

マスコミが競って取り上げるので、イジメの問題が深刻化したのがここ数年であるかの如き印象を受けるが、勿論そんなことはない。

多分100年前、いや、有史以来人間社会では何らかの「いじめ」は起きていたであろうことは、想像に難くないが、それは「想像」にすぎない。



記録が残っている「現代」について調べると、近いところでは、22年前、昭和59(1984)年、

大阪で二人の高校生がいじめに対する仕返しとして、相手をハンマーでめった打ちにして川へ投げ捨てるという事件が起きた。

翌年には、中学生がいじめを苦に自殺した。この当時の新聞を読むと、やはり「大騒ぎ」になっている。

だが、それで何も解決していなかったことは、最近の一連の出来事を見れば明らかである。


◆学校に責任があることは明らかだが、学校に全てを押しつけるのは正しくない。

こういう原稿を上げると、必ずと言って良いほど主旨を読まないで反論する人がいるから、最初に書いておく。

私は「学校に責任がない」と言いたいのではない。



何しろ、学校にいる間、親がずっと付き添って見張っているわけにはいかないのであるから、

学校、即ち教師にも管理責任があることは明らかだ。

管理責任とは、「いじめ」を見逃したか、見て見ぬふりをしたか、認識して対策を取ったけれども効果が無かったか、ということである。

対策を取っても効果がなかったのは仕方がないではないかというのは、甘い。

教師は職業である。教育のプロである。プロは結果責任を問われるのである。



「いじめ問題」は、いじめに対処できなかったこと自体に加え、学校がそれを隠蔽しようとすること、

つまり、責任を逃れようとすることが、世論の反感を買うわけである。



だが、マスコミの報道は学校の責任「だけ」を特に誇張して指摘するところに問題があると私は言いたいのである。


◆いじめを行った子どもは、「悪いこと」と知っていて実行したのだから本人が悪いのである。

ごく幼い子どもは、

「大勢で(或は単独でも)故意に、特別の理由もなく、特定個人(群)を攻撃するのは、いけないことだ」

という倫理観、社会的規範の存在を認識していない。

それを「してはいけないことだ」と教えるのは、親の務めである。

そんなことは今更言うまでもない。小学生でもそれぐらいのことは一度教えられれば分かる。



そして、一旦「いじめはしてはいけないことだ」と教えられた子どもは、いじめは悪いことだと知っている。

知っていて誰かをいじめたならば、「本人が悪い」のである。

繰り返す。

或る行為を「悪いこと」と認識していながら、なお、その行為を実行した場合、はじめに責められるべき人間は行為者本人である。

そして、次に責めを負うのは、いじめを悪いことだと、子どもに明確に認識させていなかった親である。


◆次に責められるべきは、加害者の親である。

「いじめは悪いことだ」と教えたけれども、子どもが他人をいじめた場合、今述べたとおり、いじめを実行した本人が一番悪いが、二次的な責任は親にある。



いじめをPTAで問題にすると、加害者の親は

「いじめられる生徒に問題があるからだ」

と主張する傾向にある。我が子を悪者にしたくないためであるが、それは正しくない。



親は教え方が悪かったと反省するべきである。学校教育法は教師の児童に対する体罰を禁じているが、

家庭においては、我が子が弱いものをいじめていると知ったなら、親は我が子をぶん殴ってでも2度としないと言わせることだ。

これは「虐待」ではない。虐待とは、本人が悪いことをしていないのに、子どもに肉体的・精神的苦痛を与えることだ。

いじめが悪いことだ、と教えるためにぶん殴るのは「しつけ」である。



子どもは「いじめは悪い」という言語情報を理解する知能はあるが、

「いじめられた人間がどういう気持ちになるか」を想像する能力を必ずしも有していない(もちろん、個人差がある)。

この場合、身体で覚えさせるしかない。

一見乱暴だが、大人が十分に言葉を吟味せずに、下手な言葉で子どもを傷つけると、人格が歪む場合がある。この方が危険である。

子どもには、「他人をいじめたら、親からぶん殴られる」という経験則が最も有効である。



「いじめ報道」で、「クラスでいじめを無くそうと話し合ったんです」と言い訳する教師が必ず出てくるが、

「話し合い」でいじめがなくなるぐらいなら、100年前に地上からいじめはなくなっているはずである。

現実を見れば、「話し合い」など何の役にも立たないことは明らかではないか。

そんなことがいつまで経っても分からない。


◆いじめられた子どもが自殺したら加害者と親の氏名、顔写真を公表しろ

極論であることは、私とて、十分承知している。

他人をいじめて、相手がそれを苦に自殺した場合、100%加害者が悪いとは限らないことも知っている。

中には「これぐらいのことで死ぬなんて・・・」という例も多分あるだろう。

しかし、死者は反論できないのだから、死んだ被害者に責任を負わせるのは卑怯である。



一方、明らかにひどいいじめがあり、自殺との因果関係が明らかな場合が確かに存在する。

だからこそ、これだけの騒ぎになっているのだろう(マスコミの煽りすぎの感も拭えないが)。

「いくら加害者とはいっても、子どもの名前や顔を公表したら、将来に関わる」との反論もあろう。

確かに将来に影響を及ぼすであろう。

だが、それだけのことをしてしまったのだから、仕方がない。

一人の人間を死に追い込んだということは、永遠に取り返しがつかないのである。

「いじめがそれほど罪深い行為なのだ」、という一般認識が社会的に存在しないから、いじめが無くならない。



言い換えれば、子どもは意外と狡いもので、

「(極端な場合)相手が自殺しても自分が退学になったり、刑罰を受けることはない。せいぜい注意されるだけだ」と思っている。

だからつけあがる。

加害者の親も、時間が経てばうやむやになるだろう、とタカをくくっている。


◆結論

結論的に繰り返す。

「いじめ問題」の責任の所在を学校「だけ」に負わせるのは、一面的な思考である。

まずは加害者が悪く、次に加害者の親が悪い。

今のマスコミ報道や世論は、この観点が抜け落ちている。

まずは、加害者とその親に社会的制裁を与えるべきである。


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2006.11.02

「『この時期にこそ議論を』=核武装重ねて言及 中川政調会長」←日本にも、IAEAの査察官が常駐しているのですが。

◆記事:「この時期にこそ議論を」=核武装論、重ねて言及-中川自民政調会長

自民党の中川昭一政調会長は1日、東京・内幸町の日本記者クラブで講演し、北朝鮮の核実験を受けた日本の核武装論について

「この時期にこそ議論しなければ、いつやるのか」と述べ、論議の必要性を重ねて強調した。

また、中川氏は「(自分の発言は)内外で批判されたが、日本の安全と、北朝鮮が暴挙を起こさないための方法を真剣に考えてもらえるなら、私が目的とした状況になる」と述べた。

(時事通信) - 11月1日19時2分更新


◆コメント:日本は核査察対象国なんだよ。余計なことを言うな。バカ。

私も今日初めて知ったのだが、日本は核査察対象国なのだ

IAEA(国際原子力機関)という、イラク戦争が始まる前に、イラクに核兵器又はその他大量破壊兵器があるかどうか査察した国連の機関がある。

IAEAは世界中の「核兵器を持つ可能性がある国」を査察している。

元IAEA広報部長の吉田康彦氏によると、日本にも何と査察官が8人も「常駐」しているそうだ。



つまり、日本には原子力発電所が沢山ある。ということは、当然核燃料を保有している。核兵器を作るかも知れない、というのがその理由である。

国際社会は日本の核保有の可能性を、日本人の想像を遙かに超えるほど懸念しているのである。

北朝鮮が「核実験を行った」との声明を発表した翌日、BBCのサイトに解説記事が載った。

冒頭部分を引用して、翻訳する。

◆Q&A: N Korea nuclear stand-off

Q:Why does this issue matter so much?



A:The nuclear test follows four years of mounting tension between North Korea and the US, in what is possibly the most serious threat to East Asia's short and long-term security.

The test cements North Korea's place as a nuclear power, ending hopes of ending the North's ambitions through stalled six-nation talks. It also greatly increases the risk of an East Asian arms race, as countries like Japan and South Korea weigh up whether to go nuclear as well.



【訳】北朝鮮の核問題

Q:何故、この件がそれほど大きな問題なのですか?

A:今回の北朝鮮による核実験は、4年間にも及ぶ北朝鮮と米国との関係悪化の末、行われました。

両国の関係の悪化は、短期的にも長期的にも極東における安全保障にとって、深刻な脅威です。

北朝鮮は核保有国としての地位を確立し、6カ国協議を通じて、北朝鮮に核開発を止めさせる、という期待は、無駄になりました。

さらに、今回の核実験が極東における軍拡のきっかけとなる可能性があります。

例えば、日本や韓国は核保有を真剣に考え始めるかもしれないのです。


◆今まで、日本は「核燃料を平和利用することしか考えていない、『世界のお手本』だったのです。

これは、先の吉田康彦氏の証言である。日本はIAEAの査察対象国で、査察官が8人も常駐しているが、彼らの認識は、

「日本は、過去40年間、完全に平和利用の目的のためだけに核燃料を保有している。核兵器を作る心配などゼロに等しい。世界のお手本だ」

ということで、実際には、真剣に査察するまでもない、というぐらい平和的な国と見なされていたという。

8人の査察官は常駐するとは言っても、ほとんど遊んでいたというか、のんびりしたものだった。


◆中川・安倍、その他の「核保有検討」発言で、日本はにわかに、世界から警戒されるかも知れない。

日本が核兵器を保有する可能性は、ほとんどゼロだといいながらも、IAEAの査察官を常駐させているのは、

万が一、日本が核兵器を作りだしたら大変だ、と国際社会が警戒していたからである。BBCの記事を読めばわかるでしょう。

だから、ヤバいのである。



自民党が(首相までもが)あまりにも何度も「核保有を検討」と言うので、日本はたちまち世界から警戒され、

過去40年間かけて築いた信用を一挙に失う怖れがある。


◆核兵器を保有したら、日本に「制裁措置」がとられる。

核兵器を保有するというが、そのためには、まず、日本は、NPT (Nuclear Non-Proliferation Treaty=核拡散防止条約)を脱退しなければならない。

脱退したら最後だ。国連憲章7章(平和への脅威)に基づく、制裁措置の対象になるだろう。

何のことはない。北朝鮮と同じではないか。

まず、経済措置。日本を痛めつけるのは簡単である。

エネルギー(石油など)の供給を止めれば良い。これで、もうおしまい。

さらに、日本の食糧自給率は20パーセントだから、これまで止められたら、北朝鮮を笑えなくなる。

これは、第2次大戦の前の状況とほとんど同じなのですよ。



それでも、核武装に賛成する人は、どうぞ、御勝手に、と言いたいところだが、こちらまで付き合わされたらかなわん。

止めて貰いたい。

だから、中川・安倍はバカだというのだ。


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2006.11.01

「安倍首相『任期中に、憲法改正を目指す』「<核保有論議>中川氏の発言に安倍首相が理解」←基礎学力不足。

◆記事1:安倍首相「任期中に、憲法改正を目指す」  (読売新聞)

安倍首相は31日、首相官邸で米CNNテレビと英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに個別に応じた。

内閣広報室によると、首相はインタビューで、憲法改正について「自民党総裁任期は3年で2期までしか務められない。

自分の任期中に憲法改正を目指したい」と述べ、今後6年間に自らの手で憲法改正の実現を目指す考えを示した。

また、「時代にそぐわない条文として典型的なものは9条だ。日本を守る観点や、国際貢献を行う上で改正すべきだ」と述べ、9条改正の必要性を指摘した。

安倍首相は就任後、憲法改正について所信表明演説で「与野党で議論が深められ、方向性が出てくることを願う」と述べるなど、

踏み込んだ発言を控えていた。- 11月1日1時9分更新


◆記事2:<核保有論議>中川氏の発言に安倍首相が理解

安倍首相は31日、自民党の中川政調会長が「憲法の政府解釈では、必要最小限の軍備の中には核も入る」と語ったことに関し、

「法理論上の議論のことについて言及したんだろう。非核三原則を守っていくと述べたうえでの議論だろう」と述べ、理解を示した。

首相官邸で記者団の質問に答えた。(毎日新聞) - 10月31日14時53分更新


◆コメント:憲法というのは、権利宣言からきています。

新らしい内閣総理大臣は、今のところ、思想はともかく、仕事に対する姿勢は小泉純一郎よりだいぶましだ。

小泉純一郎だったら、履修不足問題なんて、「文科省に適切に処理するよう指示した」で知らん顔だろう。

しかし、安倍晋三氏は基礎学力に欠ける。



憲法の歴史的な源流、起源は、フランス革命後の人権宣言である。

それまでは、支配者=国王が絶対権力を持ち、世の中を支配していたが、

その仕組みを正反対にひっくり返したのが、フランス革命である。

以後、市民の権利(人権)が最も優先されるべき価値になった。

憲法は、日本国憲法も第3章、第10条から第40条は「国民の権利・義務」について書かれている。

義務は、子どもに義務教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務である

(敢えて嫌味をいうが、NEETはこれらのいずれも実行していないのである)。

大雑把に言えば、そのほかは全部、国民の権利をいろいろと具体的に挙げ、

「~これを保証する」、「~を侵してはならない」、「~を強制されることはない」と定め、

国家権力が、それを濫用し、国民の権利を奪うことができないように、制約を加えているのである。

これこそ、憲法の本質である。

だから、憲法の最後近くに「第十章 最高法規」ってのが、あるわけですよ。


◆公務員(国会議員も、従って総理大臣も公務員)の憲法遵守義務

特に、一番大事なのが、99条である。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

読めばわかるでしょう。公務員は憲法を護らなくてはいけない。

繰り返すが、国民が国家権力の暴走を牽制しているのが憲法である。



だから、制約を受けている国家権力の側から、「このストッパーを取り払おう」と言ってはいけないし、

それを国民はボケーッと見ていてはいけないのである。

「憲法を改正する」と豪語する安倍首相の発言は従って、それ自体既に違憲である。


◆自衛のためにどうして核兵器が必要なのか。

政府見解は正式に変更されてはいないから、日本国は個別的自衛権の行使のみが許され、

そのための「最低限の実力」(武力と言ってもいいけどさ、どうでもいいんだよ)が自衛隊である。

日本が侵略・攻撃を受けたときに、これを迎え撃つのに、何故、核兵器が必要なのか。

何故、自国の国土をわざわざ放射能にさらすのか。



抑止力?

あのねえ。

国力の無い北朝鮮が核を持つのとは、訳が違うのだ。

我が日本国は、世界第二位の経済大国である。

軍事支出(額)は世界4位(対GDP比率ではない。混同しないようにしてください)である。

こんな国が核兵器を保有したら、世界からどれほど危険視されるか。



特に安倍首相の好戦的な思想をアメリカは既に良く知っている。

核などもったら、つぶしに来るだろう。西洋人ってのは、コロっと態度を変えるのだ。

中川も安倍もそんなことが分からないほどバカなのか。


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