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2006年12月

2006.12.31

取り急ぎお知らせ。NHK「第九」オーボエ宮本文昭氏解説付き。NHK教育19時から

◆取り急ぎお知らせ。NHK「第九」オーボエ宮本文昭氏解説付き。NHK教育19時から。

昔は「紅白歌合戦」は夜九時からの放送で、その前に教育テレビでNHK交響楽団の「第九」を放送しました。

この頃は、「紅白」も19時20分からなので、不便です。
クラシックになんぞ、興味が無い方が多いでしょうが、今年の第九の放送は趣向が変っていて、

長い間、ケルン放送交響楽団というドイツの一流オーケストラで首席オーボエ奏者を務め、来年3月(あと3か月です)で、

演奏活動を止めて、後進の指導に専念する、と前々から公言して(自分のブログにもかいておられます)宮本文昭さんという、オーボエの大名人が

各楽章の聞き所を解説するそうです。



こんなことは、最初で最後でしょう。再放送が有るかどうか、分らないし、あったとしてもハイビジョンだったりして、

必ずしも、みんなが見られるかどうか分らない。
今、クラシックに関心がなくても、録画しておくことを、大きなお世話と知りつつ、お薦めします。


◆年始年末も休みのない方々。

世の中には暮れも正月も無い方が大勢いらっしゃいます。

例を挙げるとキリがないので、読者のお一人を御紹介します。(誰か特定出来るようなことは書きませんのでご安心下さい)。

JIROの独断的日記ココログ版コメント欄に書き込みしてくださっている、さざ波さんです。

ご自身では決して仰らないけれど、

某県に、開業しておられる、個人病院としては驚異的な設備を誇る大病院の院長先生の奥様です。しかし、そこらの「院長夫人」と訳が違います。

このご夫妻の病院は、365日24時間患者を受け入れるという方針を貫いておられます。


辞めてしまう若い医者もいるし、最近の診療報酬の引き下げで、大変ご苦労が多いとのこと。

ものすごくご多忙で、毎日夕食は真夜中の1時2時になるそうです。その合間に書き込んでくださっています。

誠に忝なく思います。


私が過去、何度も触れたり、引用した、司馬遼太郎の「洪庵のたいまつ」に、洪庵の「訓戒」があります。

洪庵は、自分自身と弟子たちへのいましめとして、十二か条よりなる訓かいを書いた。その第一条の意味は次のようで、まことにきびしい。

医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。

ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。

さざ波さんのご主人たる先生と、さざ波さんの生活は全くこのままなのです。

本当は、この大病院のサイトを御紹介したいところですが、どうせ、イタズラ、嫌がらせメールを送るバカがいるので、

残念ですが、それは止めます。

私たちは、こういう方々に支えられて生きているということに感謝するべきです。

誤解の無いように書きますが、この文章は私が勝手に書いているものあることを強調しておきます。
第九まで時間がないので、一旦、ここで擱筆します。

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2006.12.30

フセインの死刑執行、住民虐殺『人道に対する罪』」←フセインが死刑なら、ブッシュも死刑相応だね。

◆記事:フセインの死刑執行、住民虐殺「人道に対する罪」(12月30日14時46分配信 読売新聞)

【カイロ=長谷川由紀】イラク中部ドゥジャイルのイスラム教シーア派住民148人を殺害した「人道に対する罪」で死刑が確定していた同国元大統領サダム・フセイン(69)に対し、

絞首刑による死刑が30日午前6時(日本時間同日正午)ごろ執行された。同国国営テレビが伝えた。

約30年にわたり同国を強権支配、2003年のイラク戦争で政権の座を追われた独裁者は、自国民の手で裁かれ、「罪人」として刑死した。

マリキ政権は処刑で求心力回復を期待するが、旧政権残党などの報復攻撃が激化、治安がさらに悪化する懸念もある。

フセインは、軍などのクーデターでバース党政権が誕生した翌年の1969年、最高意思決定機関「革命指導評議会」副議長に就任して実権を掌握し、

79年に大統領に就任した。イラン・イラク戦争(80~88年)やクウェート侵攻(90年)を指揮。

国内では、政敵や反体制勢力を力で徹底排除・弾圧する恐怖政治を敷いた。

米軍主導のイラク戦争で03年4月に政権は崩壊、同年12月、出身地のティクリート郊外の潜伏先で米軍に拘束された。


◆コメント:5万人のイラク人と3000人の米兵を殺したブッシュは、何故死刑にならないのか。

2003年3月20日にアメリカがイラクに武力侵攻した。イラク戦争の始まりである。

ブッシュは「イラクは大量破壊兵器を保有しており、これがテロリストの手に渡れば、アメリカがいつテロリストに襲われるかも知れない」と云って、この戦争を正当化した。

しかし、大量破壊兵器は初めから無いことが分っていた。

それは、開戦から4か月も経たないうちにラムズフェルド元国防長官が証言しているのである。



だが、大量破壊兵器があろうがなかろうが、アメリカのイラクに対する武力攻撃は、国際法上の違法行為である。

その理由については、私がイラク戦争開戦前日に書いた記事を読んでいただきたい。

いつまで経ってもこれが分らないバカがいるが、「イラク戦争は正しいか否か」という議論自体が無意味である。

「賛成」とか「反対」とか「思う」という言葉を使うことがすでに間違っている。

イラク戦争が違法行為であることに関して議論の余地など無いのは、国連憲章を読めば明らかである。


◆フセインの処刑に関しては、イラクの国内法によるものだから、こちらが口を挟むことではない。

まあ、建前上はそう言うことです。

但し、アメリカがイラクに今回の判決と処刑を「命じた」ことは国際政治の記事を毎日読んでいるひとなら、殆ど考えるまでもなく明らかだ。

しかしながら、フセインを死刑にしたら、イラク国民は幸福になるのだろうか?という素朴な疑問を呈したくなる。

イラクのニュースを読むと、毎日誰かが死んでいる。

フセインがクルド人に化学兵器を使ったとか、そりゃ色々あるでしょうよ。

そうは云っても、フセイン独裁制の頃より、今の方が人が死んでいるのは客観的事実である。

このようにイラクがカオス(混沌)状態と化してしまったのは、ブッシュが、言いがかりを付けてイラクに攻め込んで、

「それなりに」無事を保っていたイラクを無茶苦茶にしてしまったからだ。


◆5万人以上のイラク人と3000人の米兵を殺したブッシュが偉そうにしている滑稽。

イラク戦争が始まってから、今日までの民間人(非戦闘員)の死者数を毎日更新しているIraq Body Count(イラク人の死者数)という

タイトルそのままのサイトがある。英語だが、英語など読めなくても分る。「ENTER SITE」というボタンをクリックしてください。

トップページに死体の写真など載っていない。大丈夫。今見たら、

MIN 52060 MAX 57628

となっている。正確な死者数は分らないのだ。

いろいろな組織が調べた中で最も少ない数字と最も多い数字を併記しているのでこのような表示の仕方になる。

いずれにせよ、5万人以上の無辜のイラク人が亡くなったことは、明らかと考えて良かろう。



また、死んでいるのは、イラク人ばかりではない。

勿論アメリカの兵隊とて、行きたくない戦争に行かされて命を落としている。
◆記事:イラク:爆弾テロで27人死亡--バグダッド(毎日新聞 2006.12.29)

【カイロ支局】バグダッドで28日、計5件の爆弾テロが続発し、市民ら計27人が死亡した。

またイラク駐留米軍は同日、バグダッド南部の路上に仕掛けられた爆弾で27日に米兵3人が死亡したと発表した。

AP通信は、これにより03年3月のイラク戦争開戦後の米兵死者数は「少なくとも2986人」になったと報じた。

ブッシュの判断の誤りによって、5万人のイラク人と3千人の米兵が死んだ。

ブッシュが殺したも同然である。

その張本人は、いまだにホワイトハウスで、「世界の君主」のごとく偉そうにしている。

これを滑稽と云わずして何と云おう。



フセインに対する死刑判決は前述の通り、形式上はイラク内部の問題であり、外国がとやかく言うことではない。

フセインはイラクの法律の基づいて死刑になったのである。



ブッシュをイラクの法律に基づいて死刑にすることは勿論出来ない。

だが、それは、形式論であり、「人道上の罪」を倫理的に(常識的に)考えたとき、

フセインが死刑に処せられるのなら、ブッシュは「市中引き回しの上、磔(はりつけ)、獄門」ぐらいにしないと不公平だ、

と考えるのは私だけであろうか?



なお、我が日本国は、恥ずかしい歴史を作ってしまった。

イラク戦争が始まったとき、小泉元首相が世界で最初にアメリカの武力行使を支持する、とのメッセージを発したのである。

そして、その小泉を2005年9月11日の衆議院選挙で大勝させてしまったのが、日本の有権者である。

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2006.12.29

「モーツァルト初期のピアノ曲発見=6~10歳の作品か-オーストリア」←10歳だとしてもあなどれない。

◆記事:モーツァルト初期のピアノ曲発見=6~10歳の作品か-オーストリア

【ベルリン27日時事】オーストリアのメディアが27日報じたところによると、

作曲家モーツァルト(1756~91)の初期の作品とみられるピアノ曲がこのほど、古い楽譜本の中から新たに見つかった。

今年はモーツァルトの生誕250周年に当たり、記念の年は未発表作品の発見という大きなニュースで幕を下ろすことになりそうだ。

楽譜本はザルツブルク大司教区の資料係が数カ月前、所有者から提供されたという。

モーツァルトがザルツブルクで生活していた時代にピアノ教師2人がまとめたもので、

その中に「ウォルフガング・モーツァルトのアレグロ」と書かれた楽譜があった。

専門家による詳しい調査の結果、モーツァルトが6歳から10歳の少年期に作曲した作品である公算が大きいという。

また、楽譜本の中にはモーツァルトの手による可能性がある作品がもう1つあるとしている。

作品は29日に初公開される予定。(12月28日6時0分配信 時事通信)


◆コメント:こういう事がたまにあるのです。

本当は、モーツァルトの全作品を聴く計画を持っているKenさんが、一番興奮するような話題だが、

奥様が亡くなられたばかりでそれどころではないだろうから、彼の知識には到底かなわないが、私が、このニュースを記事にしておく。



興味のない人にはモーツァルトの作品が新たに発見されたところで、「それがどうした」ということだろうが、それはお互い様だ。

例えば、私は全然野球に興味がない。だから、仮に私がイチロー選手が使っていたバットを貰える事になっても全然嬉しくないだろう。

「道楽ってのは、そんなもんだ」、ということを理解するのが大人というものである。



さて、「こういうことがたまにある」、というのは、最近では、2004年4月3日、毎日新聞は1面に、

「バッハの結婚カンタータのパート譜のうち、行方不明になり、80年間も世界中の音楽学者が探していたものが、

日本人ピアニスト、故・原智恵子の遺品から発見された」というニュースを載せて大騒ぎになった。



こういうことに一番造詣が深い日本の新聞は、間違いなく毎日新聞なのである。

この日記でも何度も取り上げた毎コンは、今年が第75回だった。

つまり、戦前から西洋音楽のコンクールを行っていたわけで、その主催者は毎日新聞である。


◆モーツァルトの新しい作品が見つかると、何か良いことがあるのか。

モーツァルトに興味が無いひとには、何も良いことは起きない。

音楽好きが、「人類史上、音楽家のみならず、あらゆる人間の中で厳密な意味での天才はこの人だけではないか」

と考えている人物、モーツァルトの全作品には一つも駄作がない。

従って、新しい作品が見つかったということは、「新しい、250年前の」名曲が聴けるという純粋に知的な楽しみである。

これを楽しみと思わなくても、「へぇ・・」といくばくかの興味を覚えるか、

「つまんねえ。くだらねえ」と思うかで、大体その人間の知性・教養・人品が分る。

これは、但し、全く論理的根拠が無い、私だけのものすごい偏見にもとづく尺度であるから、お気になさらぬように。


◆トランペット協奏曲見つけてくれえ・・・

モーツァルトはピアノ、バイオリンの他に、管楽器の協奏曲をフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのために書いている。

現存するモーツァルトのトランペット協奏曲は無い。

(CDでモーツァルトのトランペット協奏曲と書いてあったら、それは、親父のレオポルド・モーツァルトが作曲したものである。)



ところが、モーツァルト学者によると、10歳から12歳の間にトランペット協奏曲を書いているのだそうだ。

ただ、楽譜が見つからない。悔しい。私が死ぬ前に見つかって欲しい。


◆Kenさんの奥様のご逝去を悼み、音楽を載せる。

選曲をずーっと考えたが、結局、奇を衒わないことにした。

悲しいときは音楽さえ無力なのだが、月並みな言葉を並べるよりは、歴史に名を刻んだ大作曲家の作品の方が、良いだろうと思った。



ただ、悲しいときには、楽しい音楽は聴かない方が良い。却って辛くなる。

これから載せるのは、暗い音楽というわけではないし、珍しいものでもないが、心休まる音楽である(そうなることを祈る)。

時代が前後するが、

ブラームス交響曲第3番第三楽章


バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」


モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」


モーツァルト ピアノソナタ13番K.333より第一楽章


である。

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2006.12.27

お悔やみ/台湾で大地震。/スマトラ島大地震から2年後。モルディブを救った日本の防波堤。

◆お悔やみ

エンピツをご覧の方はご存じないかも知れないが、ココログ版の読者で、

私が音楽のことを書くといつもコメントを書いてくださるKenさんという方がいらっしゃるのですが、奥様が急逝なさいました。

ご主人とお子様を遺されて、さぞご無念だろうと、言葉もありません。

心よりお悔やみ申し上げます。

弔事は全てに優先すべきであるので、敢えて、記事冒頭で弔意を述べさせていただきました。



Kenさんもココログにクラシックのブログを書いておられます。

ただ、今まで私の記事で、本文中からリンクを貼ったことがなく、ご不幸のときに初めてリンクをするというのは如何にも失礼なので、

貼らないまま書かせていただきます。

Kenさんは、ものすごくクラシックに造詣が深く、自らアマチュア・オーケストラで演奏なさるばかりでなく、

学究肌の方で、でモーツァルトの全作品のスコアを買って聴いみようという計画を立てておられるぐらいです。

こういう方はアマチュアのかなりのクラシック好きでも、滅多にいません。

先日、モーツァルトの全楽譜がオンラインで無料公開という記事を書きましたが、

その前にKenさんにお伝えしたら、大層喜んでくださいました。

そして、Kenさんは、ただ喜ぶのではなく、楽譜の「版」の違い(詳しい説明は省きます)まで即座に指摘なさったぐらいですから、その学識は並ではありません。



私が音楽について何か書くと、必ず好意的なコメントを書いて下さるのですが、

そもそもコメントのやりとりが盛んになったのは、「のだめ」がきっかけでした。

Kenさんはお好きで、一方、私は批判的なことを書いているのに、それまで飲み込んでくださる、心の広い方です。

どうして、このようないい方に、突如悲しいことが起きるのでしょう。世の中、いつもそうです。



Kenさんには、「早く元気になって下さい」などとはとても言えない。悲しいときは、悲しいのです。

今一度、奥様のご冥福をお祈り申し上げます。


◆記事1:台湾南部で地震、マグニチュード6・7…5人死傷(12月27日4時4分配信 読売新聞)

【台北=石井利尚】26日午後8時26分(日本時間同9時26分)ごろ、台湾南部を中心に強い地震があった。

台湾の中央気象局によると、震源は南部・屏東県恒春の南西沖合で、地震の規模は推定でマグニチュード(M)6・7。

その8分後にも屏東県でM6・4の地震が起きた。

中央通信によると、2つの地震で、恒春で家具販売店が崩壊、1人が死亡、4人が負傷した。


◆記事2:インド洋大津波から2年、インドネシア各地で追悼行事(12月26日13時13分配信 読売新聞)

【バンダアチェ(インドネシア・スマトラ島)=佐藤浅伸】インド洋沿岸で23万人を超える死者・行方不明者を出したスマトラ島沖地震と津波から2年を迎えた26日、

震源に近く、最大の被災地となったインドネシアのバンダアチェなどナングロアチェ・ダルサラム州内の各地で、

津波が襲来した午前8時(日本時間同10時)過ぎから、住民が集団墓地やモスク(イスラム教礼拝所)に集まり、祈りをささげた。

被災地では国際社会の支援を得て懸命の復興努力が続いているが、現在も約7万人が粗末なバラックでの避難生活を余儀なくされる。

仮設住宅が並ぶ州都バンダアチェのウレリ地区では、犠牲者約1万4000人が眠る集団墓地に隣接するモスクに遺族らが相次いで訪れ、

犠牲者の冥福(めいふく)と残された者の安寧を静かに祈った。


◆コメント:死傷者が5人だから大したことはない、という考え方をすべきではない。

昨夜の台湾の地震により津波はフィリピンに向ったと報ぜられたが、そちらの被害はあったのかどうか、不明である。



昨日はスマトラ島大地震から2年目で、同じ日に大地震がアジアで起きたという何とも嫌な偶然である。

今のところ死傷者が5人だというが、スマトラ島大地震の23万人に比べれば被害者の数が少ないから、という考え方をするべきではない。



日本政府から「中華民国」(台湾)に対してお見舞いのステートメントを発したいところである。

ところがここが外交上ややこしいところである。



台湾は事実上独立しているが、中国(中華人民共和国)は台湾を自国の一部だと主張する。

台湾は勿論自国を独立国だと考えている。

日本政府の外交上の見解としては、台湾を独立国として承認していない。

だから、内閣総理大臣名で台湾政府宛にお見舞いの電報を打つと、中国が大騒ぎになる。

送るとすれば、中国政府宛に送ることになるが、受理されても、それが台湾に届くかどうか甚だ怪しい。

しかしながら、弔事はやはり、全てに優先するべきである。

こういうときは、日本から、直接台湾にお見舞いをいい、中国も黙認すべきだと思う。


◆スマトラ島大地震でモルディブの首都を救ったのは日本が作った防波堤だった。

スマトラ島大地震はマグニチュード9で、そのエネルギーは、阪神・淡路大震災の1400倍だった。

被害は、インドネシアのならず、タイ、スリランカなどインド洋沿岸を襲い、

津波は約6000キロ離れたアフリカ東岸に達するすさまじさであった。

死者数が22万人を超え、確認されているだけで、日本人も40人が亡くなった。



ただ、このときに日本人に感謝してくれた人々がいた。

インド洋の小さな島国から成るモルディブ共和国である。

モルディブの領土は1,200の島だが、全部の面積を合計しても佐渡島よりずっと小さい。

一つ一つの島の海抜は1メートル程度しかない。この国の首都、マリも水没はしたものの、津波による死者がゼロだった。



マレの人々は「日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれた」と思っている。

当時の記事にも載せたが、日本の新聞記者がその防波堤を取材に行くためにタクシーに乗ったら、

運転手さんが、

「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。

この逸話を読んで嬉しくない日本人がいるだろうか?

安倍首相は憲法を改正して、自衛隊を軍隊にして、いつでも海外で戦争に加われる国にすることを「国際貢献」だと考えているようだが、

人殺しが国際貢献になるとは思えない。



モルディブで日本が防波堤を作り、彼の国の人々の命を守った。これこそが日本国憲法前文でいうところの、

「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」

の本来の姿である。

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2006.12.26

「いじめ自殺報道」が「自殺連鎖」を誘発した可能性あり。専門家の指摘←私は、先月同じ事を書きました。

◆記事引用元:いじめ自殺報道:メディアの役割とは-話題:MSN毎日インタラクティブ

(URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2006/12/20061225ddm012040046000c.html)

 いじめも一因とみられる子供たちの自殺が続き、メディアの報道が痛ましい連鎖を誘発したのではないかとの指摘が出ている。

自殺予防に詳しい精神科医の高橋祥友防衛医科大学校教授は、自殺の報道が複数の自殺を引き起こす「群発自殺」の危険性を指摘する一方、

予防のために報道が重要な役割を果たすと主張する。毎日新聞を中心とした一連の報道への評価と改善点などを高橋教授に聞いた。

また、自殺報道のガイドラインを導入したオーストリアの事例を報告する。

◇精神科医・高橋教授に聞く

■遺書の写真きつすぎる

■予防策掲載で効果も

短期的に過剰な報道を控えるよう強調する高橋教授が最も危険だと感じたのは、遺書の写真や全文の掲載だった。

毎日新聞は、愛媛県今治市の中1男子生徒のケース(8月27日朝刊)では全文、

北海道滝川市の小6女児(10月2日朝刊)と福岡県筑前町の中2男子生徒(10月14日朝刊)、

岐阜県瑞浪市の中2女子生徒(10月30日朝刊)のケースでは、写真と全文・抜粋を掲載した。

他の全国紙などもほぼ同様の扱いをした。



<「本人の実名や写真、現場の写真を掲載しなかったのは、以前の報道と比べて良かった。

だが、遺書の写真は視覚的イメージがきつすぎる。全文でなくても、記事中で引用すれば済むのではないか。

同じように悩んでいる子供たちの背中を押しかねない。テレビニュースが全文を読み上げた例もある」>と指摘する。

瑞浪市のケース(10月31日夕刊)などでは、学校関係者、加害者とされる生徒の保護者らが遺族に謝罪したことも度々報道した。

この点も<「すべて取り上げる必要があったのか。現にいじめに遭っている子供たちが、

自分も死ねば相手を謝罪させることで、仕返しできると思い込む恐れがある」>と疑問を呈する。



文部科学相あてに自殺予告の手紙が送られ、記者会見や手紙の写真を付けて掲載(11月7日朝刊・夕刊)したことも

<「大きく扱いすぎたのではないか。該当する地域だけで報道する手法もあった」>と語る。

また、子供たちが死を選ぶ原因として、いじめに過度に焦点を当てることに注意を促す。

いじめが直接の引き金になり得ることを認めたうえで<「自殺には複雑な原因がある。

いじめという環境要因だけでなく、うつ病などの精神疾患や本人の性格、家庭環境などが関係している」>と述べる。



自殺を報道する際に必要なことは、他の解決手段を伝えることだという。

学校の素早い対応が長男に自殺を思いとどまらせた女性の体験(11月16日夕刊)や主な相談窓口の連絡先一覧(11月21日夕刊)、

学年の異なる子供たちが交流するプログラムのいじめ防止効果(11月24日夕刊)などの記事については<「こういう記事が掲載されたのはいいことだ。

大多数の人は自殺の報道に接しても冷静でいられるが、悩んでいる人はますます思い詰めてしまう危険性がある。より早い時期に掲載してほしい」>と語る。

いじめを乗り越えた読者の体験を集めた教育面の特集や作家のあさのあつこさんらが「死なないで」と呼びかけた生活家庭面の連載などについても同様の評価をした。



毎日新聞を含む一連の報道で欠けていた点も指摘した。

<「うちの子は大丈夫だろうかと不安な親に、危険なサインについて知らせる報道がほとんどなかった」>という。

日本では「寝た子を起こす」という意識もあって導入が見送られてきた子供たちの自殺予防教育の必要性、

遺族や他の児童生徒、教師らに対する精神的なケアが不十分なことについての問題提起も大切だという。

<「子供たちが『死にたい』と漏らすのは、親や教師でなく友人であるケースも多い。

小集団の中でいじめる側といじめられる側が容易に転換するので、いじめる側の病理にも目を向ける必要がある」>と背景を説明する。


従来のいじめ(自殺)報道は、短期・集中的だったとしたうえで、長期的な視点で取材し、

注意すべき点を下の世代の記者に伝えていくことを今後の課題として求めた。

(記事の掲載日は、東京本社発行の最終版に基づきました)


◆コメント:私は、先月、「いじめ自殺をいちいち報道するな」と書きました。

先月、「小中学生の自殺連鎖止まらず」←お前ら(マスコミ)がいちいち報道するのも一因だぞ。と題する一文を書いた。

上に転載した本日付毎日新聞の記事は偶然発見した。精神科医、高橋祥友防衛医科大学校教授が、つまり、専門家が、自分同様の事を述べているので、確信を強めた。



勘違いして頂きたくないので書くが、子どもの自殺などという悲惨な出来事に関して、自分の推論が当たったと「自慢」するほど、私はバカではない。

但し、私は臨床精神医学の専門的訓練を受けた人間ではないから、理論的・統計的根拠に欠ける。

だから、専門家の意見を以て、自らの主張を補強することしかできないのである。それが、長い記事を引用した理由である。



ただ、あまりにも長くなるので、記事で触れている「オーストラリアの事例」は省略した。

今日からしばらくの間は、標題に併記したURLから原サイトにアクセスできるだろうから、興味がある方はそちらをご覧下さい。


◆報道が、事件・犯罪の連鎖を惹起するのは、恐らく「いじめによる子ども自殺」にとどまらない。

リンク先の記事にも書いたが、2003年に、ネットで知り合った赤の他人がクルマの中で七輪を焚き、一酸化炭素中毒で自殺する、という事件がが立て続けに起きた事も書いた。

特定の時期に、このような奇妙な方法による自殺を、偶然、全国各地で思いつく訳がないのであって、

あれは絶対に最初の自殺報道を見て「そういう方法があったことを知ってしまった」、かつ、

もともと希死念慮がある人間が二件目をやり、三件目、四件目、と続いたのであろうことは、想像に難くない。



私はその当時、「集団自殺」と「通り魔」は報道しない方がよいのではないか。という記事を書いた。

概ね、今も同じことを考えているが、「通り魔」は「愉快犯」に置き換えるべきである。

愉快犯は、悲惨な犯罪を見て「興味をもっ」たり、「興奮をおぼえ」たりする可能性が高いのである。

つまり、事件・犯罪を報道するデメリットと報道しないデメリットを比べる必要がある。


愉快犯の犯罪を報道しないことが、国民にとってどの程度デメリットになるのか?

その前に、もともと、「いじめによる自殺」がはなしの発端だったのだから、それを考える。

「いじめによる自殺があった事実」は、知っておいても良いかも知れない。

しかし、「連続して自殺者が出ている」ことを、全国民が知って、どうするのか?



見知らぬ子どもがいじめられていないか近所の学校に見張りに行くほど、

皆さん善意に満ちあふれた人ではないのだから、報道は好奇心を刺激するだけであり、「必要」とは思われない。



愉快犯の場合はどうか。

限定した地域で、例えば性犯罪が連続している場合は、その地域の住民は身を守るために、情報を得る必要がある。

が、これは、地域の警察が住民に注意を喚起すればよいのである。

新聞で全国に言い触らす必要はない。全然関係ない場所の変態を刺激するだけだ。


◆毎日新聞はメディア(自分たち)にとって不利な情報を隠さずに紙面に載せた点において、評価できる。

「日本人の褒め下手」で放っておくと誰も毎日新聞を評価しないだろうから、書いておく。

私は毎日新聞を特別扱いするつもりは無いが、なかなか、メディアは自分たちに都合の悪いことは載せないものである。

毎日新聞とて、都合の悪いことを全て暴露しているわけではないだろうが、それは新聞社に限らず、どのような企業(組織)も同じである。



ただ、本件に関しては、客観的に見て毎日新聞の姿勢は、評価するべきである。

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2006.12.25

森麻季さんの歌には、いつも慰められる。

◆これだけ再放送が多いのは、リクエストが多いのだろう。その気持ちは良く分る。

私だって、ネットでも、新聞でも、テレビ情報雑誌でも、2週間ぐらいのテレビ番組の放送予定を調べられることぐらいは、知っているが、

日頃、そういう習慣がないので、今日(24日)、森麻季さんがゲストとして出演し、一躍世間に知られるようになった、NHK教育テレビの

「トップランナー」があることを、直前まで知らなかった。


とはいうものの、以前の放送は録画してあるから、実はすでに何度も見た番組なのだが、オン・エアされるとなると見ないではいられない。

私にとっては何よりのクリスマス・プレゼントだ。もう、何も要らぬ。

放送業界の人間ではないから、番組編成、特に再放送は、如何なる基準で決定するのか分らないが、

森さんの「トップランナー」は少なくとも3回は放送されている。それだけ、視聴者の希望が多いからだろう。


◆他人様の人生など、見た目から分るものではない。

「トップランナー」を見た方や、森麻季さんの10月に発売されたCD、愛しい友よ~イタリア・オペラ・アリア集に添えられた、

森さん自身の文章(セルフライナーノート)、「イタリアでの思い出」を読まれた方は、森さんがイタリア留学時代に随分苦労されたことに驚くのではないだろうか。

このCDジャケットや小冊子の森さんの写真を見ると、実に美しい。

そうすると、人間には嫉妬がつきものであるから、その人を良く知らないのに、

きっと順風満帆な人生を歩み、辛い思いなど経験したことがないだろう、などと決めつけがちである。



しかし、人の人生はそれほど単純ではない。

森さんはまずピアニストを志していたが、随分上達してから、手が小さいからピアニストは無理だ、と言われ、

今までの努力は何だったのだろう、と最初の挫折を経験したが、

幸い、彼女に声楽を勧める人がいた。声楽を始めたら、勿論大変な努力の賜だろうが、急速に上達した。

天下の芸大では優秀な学生だった。

ところが、イタリアへ留学した途端に、言語の壁が大きく道をふさいだ。

私はイギリスにいたことがあるが、云うまでもなく英語だからまだ何とかなる。

日本にいるとき、わたしは、ヨーロッパの言語は互いに似ているから、何処の国でも、

数カ国語(ヨーロッパの言語)を話せる人間がゴロゴロいるだろう、と勝手に思いこんでいたのだが、

ヨーロッパへ行ってみて分った。意外なほど多国語を話せる人間が少ないのだ(ホテルの従業員は別)。

フランスやイタリアでは、英語が殆ど通じない。イタリアは本当に通じなかった。

だから、森さんも大変苦労なさったようだ。

言葉が出来ない不自由さの上に、差別がある。これは、本当に、ある。



本質的にヨーロッパ人は東洋人を差別するので、森さんの留学先も、イタリア人より上手く歌っても、

歌以外の語学の試験などで、落第させようとする、とテレビで森さんが仰っていたが、さもありなん、である。

これは、辛い。ライナーノートでは、

「(前略)差別のような、味わったことの無い悲しみも感じながら、(中略)ひとりただ教会に座って泣いていたあの頃、(後略)」

そして、
「人生が楽しいことばかりではないことも、世の中が理不尽で不公平であることも、留学して教えられた気がする」

と、書かれている。

今、ステージで華やかに歌う森麻季さんの歌を聴き、姿を見て、誰がそんな森さんの辛かった留学時代を想像できるだろう?


◆森さんのヘンデルを聴いていると胸がいっぱいになる。

「トップランナー」で歌い、森さんの別のCD、あなたがそばにいたらに収録されている、ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア、

「涙の流れるままに」(「私を泣かせて」と訳されることが多い)を聴いていると、どうにも切なくて、胸がいっぱいになる。

森さんは、海外での経験を通じて、人々は悲しみを抱えて生きているのだ、と言うことを痛感したという。

森麻季さんは、大変な努力の継続により、高度に技術的な曲も歌うこともできるが、その種の演奏をするときも、

このヘンデルのように、祈るような曲を演奏するときにも、彼女の音楽の根底には常に「優しさ」を感じる。

それは、聴き手の魂を慰めたい、という強い願いがあるからだろう。



音楽は、人が楽しいときにもっと楽しくすることもできるが、悲しみにうちひしがれた人を慰める、偉大な力を持っている。

但し、音楽がその力を発揮するためには、相応の「表現力・音楽性」とそれを可能にする高度な「技術」を習得した、「本当の音楽家」を必要とする。

森麻季さんは、紛れもなく「本当の音楽家」である。

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2006.12.24

【号外】森麻季さんがNHK教育テレビに出演中(再放送)/演奏家による「解釈」。「野ばら」でもこれほど違う。

◆緊急情報(間に合わないかな)森麻季さんNHK教育に出演中(再放送)

私が、かねて、絶賛している(リンクを貼るヒマもない)森麻季さんがNHK教育に出た番組の再放送をしています。2006年12月24日(日)19時07分現在。

以前書いた記事は、ソプラノの 森麻季という人、日本音楽史上最高の声楽家ではないかと思います。お薦めCD。と、

ソプラノの森麻季さんは世界最高水準の音楽家です。の二本です。

久しぶりに(以前の放送を録画はしてあるのですが)、森さんのお話を聞いて、真摯な人柄にもとても感銘を受けました。

しかし、音楽的な評価(はじめの記事)は、森さんテレビに出演する前のものだから、感情的な思い入れで過大評価をしているわけではない。

10月に出た新譜に関する2本目の記事も、純粋に森麻季さんの演奏に対する音楽的評価を、私の乏しい感受性を総動員して書いたものです。

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◆同じ曲を聴き比べるという話を書きました。

今月のはじめ。ベートーベンの交響曲第7番のお薦めCDという記事を書きましたが、

この時に、私は、クラシックを好きになる過程は人それぞれだが、いくつか典型的なパターンがある、と述べました。

1つ目は、ある曲を好きになったら、同じ作曲家の他の作品を聴いているうちに、段々好きになる、というケース。

もう一つは、好きになった曲を別の演奏家(交響曲なら、他の指揮者、オーケストラ。)で聴いてみる、というパターン。

勿論、この二つだけではないし、「正しい『好きになるパターン』」などありません。が、上に挙げたのはよくある典型的な例だ、ということです。

それ以前に、そもそも、無理にクラシック好きになることはありません。



ただ、2つ目の「いろいろな演奏家で同じ曲を聞き比べる」のは、よほど、ベートーベンの7番なら7番が余程気に入った人で無ければ、

実行に移さないだろうと思いました。

それで、大きなお世話なのですが、同じ曲が演奏者によってどれぐらい違うのか、もっと短い曲で演ってみました。


◆シューベルトの「野ばら」(演奏時間2分足らず)で聞き比べてみます。

シューベルトの「野ばら」は誰でも知っているでしょう。

折角なので、歌詞について、触れておきます。

日本語の歌詞は、近藤朔風氏の美しい、翻訳が有名です。

1  童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)

   清らに咲ける その色愛(め)でつ

   飽かずながむ 

   紅(くれない)におう 野なかの薔薇

2  手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇

   手折らば手折れ 思出ぐさに

   君を刺さん

   紅におう 野なかの薔薇

3  童は折りぬ 野なかの薔薇

   折られてあわれ 清らの色香(いろか)

   永久(とわ)にあせぬ 

   紅におう 野なかの薔薇


実に格調高く、かわいらしい。
元のゲーテの詞はこうなのです。
【HEIDENROSLEIN】

Sah ein Knab' ein Roslein stehn,

Roslein auf der Heiden,

War so jung und morgenschon,

Lief er schnell, es nah zu sehn,

Sah's mit vielen Freuden,

Roslein, Roslein, Roslein rot,

Roslein auf der Heiden



Knabe sprach: Ich breche dich,

Roslein auf der Heiden !

Roslein sprach : Ich steche dich,

Das du ewig denkst an mich,

Und ich will's nicht leiden.

Roslein, Roslein, Roslein rot,

Roslein auf der Heiden



Und der wilde Knabe brach

's Roslein auf der Heiden ;

Roslein wehrte sich und stach,

Half ihm doch kein Weh und Ach,

Must' es eben leiden.

Roslein, Roslein. Roslein rot,

Roslein auf der Heiden.


そして、原詞を逐語訳すると、こうなります。
【野ばら】



少年が小さなばらを見つけた

野に咲く小さなばら

みずみずしく さわやかで美しかった

間近で見ようと駆け寄って

嬉しさいっぱいで見とれた

小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

野に咲く小さなバラ



少年は言った 「お前を折るよ、

野に咲く小さなバラよ」

小さなバラは言った 「私はあなたを刺します

あなたが私のことをいつまでも忘れぬように

そして私は傷ついたりしないつもり」

小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

野に咲く小さなバラ



それなのに乱暴な少年は折ってしまった、

野に咲く小さなバラ

小さなバラは自ら防ぎ、刺した

苦痛や嘆きも彼には通じず

それは折られてしまうとは

小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

野に咲く小さなバラ

ごらんのとおり、ドイツ語の、
Roslein, Roslein. Roslein rot,

をそのまま、
小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

と歌ったら変ですから、近藤氏は
紅(くれない)におう

と置き換えました。実に見事だと思います。

◆本題に入ります。

4人の歌をきいていただきます。

本当は、全員同じ声域(ソプラノとか、テノールとか)、調性だと、もっと「曲の解釈の違い」が分るのですが、

見つからないので、4人とも別の声域にしました。

ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノールに近い、高めのバリトン。バスに近い低めのバリトン、の順番です。















どうですか?

声の高さが異なるから、はじめから違って聞こえるのは当然ですが、そうではなくて、

歌い方、ということです。歌のメロディーはこの時代の曲は演奏者が勝手に変更する余地はないのですが(バロックは即興的なところがあります)、

同じメロディーを歌っても、演奏者の裁量に任されている要素があります。それが全員違うということです。



テンポ、途中でのテンポの変え方。フェルマータといって、音を伸ばすところで、伸ばし方の違い。

声の強さ。強さの変え方の違い。

割とあっさり朗々と歌う人、思いっきりロマンティックに歌う人。

良い悪いの問題ではありません。誰が一番優れているか、では、ありません。音楽の解釈が「違う」ということ。

そういう違いが、あらゆるクラシックにあるわけで、解釈によって、聴き手の印象が全くことなるわけです。

それが、クラシックの面白さの一つですよ、と申し上げたいのです。

それでは、また。

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2006.12.23

改正教育基本法施行はギャグですか?

◆コメント:新「教育基本法」前文に、「真理と正義を希求し・・・」とあるが、「やらせタウンミーティング」は「真理」なの?

あのね。教育基本法は「憲法の付属法」という位置づけなのですよ。

憲法の次ぐらいに重要な法律を、国会でまともに審議をしないで強行採決した。

安倍首相である。ここまでアホだとは思わなかった。

日本中で抗議の声が上がっている。どうして、今、急いで改正しなければならないのか。

こういう法律を変えるためには、吟味に吟味を重ねなければならないし、きちんと採決するべきなのに、何と強行採決を断行した。

後述するが、改正法には、「民主的な国家を形成するため・・・」と言う意味の文言(もんごん)が含まれているが、

与党は、最も非民主的なことをやったのだ。

ギャグかよ。国会ってのは?

新旧対照表を用いて、問題点、矛盾点を指摘してもよいが、あまりのバカバカしさに、今は書く気すら起きない。


しかし、明らかに違憲です。

日本国憲法は、施行されてから改正されたことはありませんね?私の記憶が確かならば。

日本国憲法第13条には、こう書いてある。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

つまり、「国民のために国家がある」のです。国家のために国民がいるのではありません。イロハのイ、です。

ところが、何処のバカが考えたのか、新教基法には、こうかいてある。
第1条(教育の目的)教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


「お国のため」に尽くす人間をつくるのが教育の目的なのだそうだ。逆だろ。バカ。

安倍首相はずっと前から憲法を改正して自衛隊を軍隊にして、集団的自衛権の行使を可能とする、

つまり、日本を武力行使ができる国にしたくて仕方がないのは、誰でも知っている。

「平和で民主的な国家」とは聞いてあきれる。心にもないことを書くな。



さらに周知のとおり、「新・教基法」の制定が、あたかも国民の合意の上で行われたかのように見せかけるため、

「やらせタウンミーティング」をさせた事が明らかになっている。安倍首相は知らなかったふりをしている。

新法の前文には、
「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、」

とある。

安倍晋三内閣総理大臣。「やらせ」と「強行採決」が、「真理と正義を希求」する態度なのですか?

「美しい国へ」という本を書いた貴方が総理になってから、どんどん、「汚い国へ」変化していますよ。

どうしてくれるのですか?

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2006.12.22

ラプソディー・イン・ブルーは冒頭のクラリネットを聴かなきゃ。/アンダーソンの代表作は?「○○」吹きの休日

◆ラプソディー・イン・ブルーは始まりを聴かなきゃダメですよ。

あまりそういう人はいないと思いますが、初めてオーケストラで聴く曲が「ラプソディー・イン・ブルー」だと、違和感は無いかも知れない。

しかし、「普通の」管弦楽曲を聞き慣れたころに、「ラプソディー・イン・ブルー」を聴くと、まず冒頭のクラリネットで、ひっくり返る。

これですね。



こういう風に「連続的に音程を変化させる奏法」を「グリッサンド」といいます。

普通、管楽器では厳密な意味でのグリッサンドを吹くことができるのは、トロンボーンだけです。スライドだから、できるのです。

クラリネットでこのような「特殊奏法」を要求されるのは、クラシックでは、他に無いのではないかと思います。

どうやるのか、というと、クラリネットには、複雑なキーシステムがついているが、キーでもリングになっていて、

直接音孔(おんこう)を指で塞ぐ部分がある。これを少しずつ、下から順に指をずらして(一遍に指を離すのではなくて)隙間を

空けてゆくのです。

ちょっとこればかりは、映像を見ていただくしかない。

YouTubeか何かで、Rhapsody in Blueを検索したら見つかるかも知れません。

クラリネットの人はこれ、どうなんでしょうね。あまり嬉しくないのではないかな。

技術的に難しいけど、一種の効果音みたいなもので、クラリネット本来の美しい音じゃないからね。

その後、滑稽な音を出しているのはトランペットです。トランペットにWOWOWミュート(弱音器)というものを付けるとコミカルな音になります。

「笑点」のオープニングと同じです。あれもトランペットなのです。


◆端折りますが、ルロイ・アンダーソンで最も人気がある曲。「○○吹きの休日」

○○(二文字ではないが)に入るのは?トランペット?

違いますよ。ファゴットですよ。「ファゴット吹きの休日」。

まあ、聴いていただきたい。



なかなか、いいですね。

ものすごく低い音でバタバタ鳴っているのは、普通のファゴットより更にオクターブ低い、コントラファゴットという楽器です。

たまには、こういうのも、面白いかな、と思いまして。

それでは、また。

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2006.12.21

「経営陣の責任問題強まる=「組織ぐるみ」の不正が焦点-日興」←金融庁の監督責任は?

◆記事1:経営陣の責任問題強まる=「組織ぐるみ」の不正が焦点-日興

日興コーディアルグループは20日、不適切な会計処理を行って利益をかさ上げした問題に関し、証券取引等監視委員会の事実認定を受け入れる方向で検討を始めた。

今後は「組織ぐるみ」の不正だったのではないかという監視委の指摘についても、同社が認めるかが焦点になる。経営陣の責任問題に発展する可能性も強まってきた。

(12月20日21時1分配信 時事通信)


◆記事2:利益水増し問題、日興が異議申し立てを断念(12月20日10時37分配信 読売新聞)

証券大手の日興コーディアルグループは19日、同グループが不正な会計処理をしていた問題で、

孫会社を連結対象から外した処理に関する証券取引等監視委員会の事実認定を受け入れる方針を明らかにした。

金融庁に対する異議申し立ても見送る。監視委の見解に妥当性があることを認め、監督当局との全面対決を避けるべきだと判断した。

日興は事実上、経営判断の誤りを認めた形となり、首脳陣の経営責任が改めて問われそうだ。

また、決算に「適正意見」を付した旧中央青山監査法人(現みすず監査法人)の責任問題に発展する可能性もある。

日興は18日、2005年3月期の有価証券報告書の訂正を発表した。

監視委が赤字の孫会社を連結対象から外した会計処理を利益の水増しに当たると指摘したことを踏まえた処置だった。

だが、日興は、訂正の理由について、「債券発行に関する手続きミスで、連結外し自体は問題がなかった」と主張、

「そもそも子会社を連結対象とすべきだった」とする監視委との食い違いが鮮明になっていた。


◆コメント:2005年2月、国会で金融相は有価証券報告書を点検して(させて)いる、と言った。

今日の新聞に、安倍首相が(これ以上支持率が下がってはかなわないので)銀行からの政治献金を受け取らないように指示した、とのこと。

しかし、何か忘れちゃいませんか?



ここ数年、日本は嘘つきばかりになってしまった(或いは、そうであったことが発覚した)。

証券取引、つまり株に関していえば、こうだ。



2004年10月、西武鉄道が有価証券報告書(証券取引法では決算書を有価証券報告書という)の虚偽記載がばれた。

2004年12月17日、西武鉄道は上場廃止になった。西武鉄道の株券は紙クズになったのである。

恐ろしいのは、40年も嘘の有価証券報告書を旧大蔵省と現在の財務省に提出していた。

つまり本来東京証券取引所に上場されてはいけない株が40年も、出回っていたのに、

金融当局、今ならば金融庁の一部署である「証券取引等監視委員会」はこれを発見できなかったことである。

更に、自民党は、違法な株を上場させていた会社、違法行為を行っていた会社から、億円単位の政治献金を受け取っていたのである。

このカネは返さないのだろうか?(返したというニュースがあったかもしれないが、記憶が定かでない)。


◆コメント:民主党の岩國議員が伊藤金融担当相を詰問する議事録は傑作だ。

西武鉄道の決算書が粉飾だった。

東証一部に上場する日本を代表する優良企業であるべき会社の株が実は上場基準を満たしていなかったのである。

この問題を重く見た、元メリルリンチという世界最大の証券会社の上級副社長、民主党の岩國議員が、

当時の金融行政の担当者、松下政経塾出身の坊や、伊藤達也金融相に、

「他の株は、違法じゃないと、金融当局は宣言できるのか?」と問い詰め、

金融相が一生懸命誤魔化そうとしている様子が衆議院の議事録に記録されている。

◆衆議院議事録 予算委員会 平成17年02月07日 質問者岩國哲人議員(民主)

○岩國委員 次に、西武鉄道の株式の問題について質問させていただきます。

西武鉄道の株式取引について、違反状態で長年取引が継続されておったということは大変残念なことであります。

こうした点について、金融庁としては、いつから違反状態が発生し、その結果として不測な損害をこうむった投資家は、

投資金額はどれぐらいなのか、徹底的にこれは調査すべきじゃありませんか。

きょうも、この瞬間も、違反状態にある株式が東京証券取引所で取引されているんじゃありませんか。

そういう疑惑の中で、取引所の中で取引されているものには違反状態にあるものはないんだという潔白宣言がいつできるのか。どうぞお答えください。



○伊藤国務大臣 委員が御指摘をされた事例も含めまして、昨年の秋以来、不適切な事例が続いております。

私どもといたしましては、証券市場の信頼性を確保するためには、適切なディスクロージャーが極めて重要であると考えておりまして、

こうした観点から、国民のディスクロージャー制度に対する信頼を確保していくために、

その対応策を昨年の十一月、そして十二月に公表をさせていただいたところでございます。

その中の対応策の一つ一つを強力に進めていくことが重要だというふうに考えておりまして、

今、その違反状況を是正していくことが重要だというお話がございました。この対応策の中でも、

開示企業すべてに対して、有価証券報告書の正確性、これを自主的に点検をしていただきたい、

その要請をさせていただいて、すべての開示企業から報告をいただいたところでございます。その報告の内容を私どもとして精査をして、

そして適切なディスクロージャーをさらに進めていくための対応策というものをさらに進めていきたいと考えているところでございます。



○岩國委員 私がお伺いしているのは、潔白宣言がいつまでにできるというめどは全くないのかどうかということ。もう一度お答えください。



○伊藤国務大臣 今、答弁をさせていただきましたように、昨年の十一月、そして十二月に公表させていただいたこの対応策、

その一つ一つを強力に推進していくことが重要だというふうに考えております。

先ほど来お話をさせていただいているように、まず開示企業の自主的な点検、これを要請させていただいたところでございますし、

また、各取引所においても、その上場のあり方について、これを見直していただくことを要請させていただいて、

その要請を踏まえて見直しについて実施をされているところでございます。

そうしたさまざまな施策というものを展開しながら、委員から見ても、そして投資家から見ても、

日本の証券市場の信頼性というものは間違いないものである、そういうふうに信頼性というものを確保できるために、

私どもとしても一生懸命努力を続けてまいりたいと考えております。



○岩國委員 私の質問に二度も答えていただけなかったということは、

要するに、潔白宣言はきょう現在も出せないし、しばらくの間、疑惑の、違反株式の取引はきょうもあしたも続けられるということですね。


◆コメント2:嘘の決算書を故意に作っている会社が、「嘘ついてました」と云いますか?

上の質疑応答、少々長いが、難しいことを云っているのではない。

岩國議員は西武鉄道のような違法な株式が他にはないのか金融庁は監督官庁として責任をもって点検しているのか?と金融相に尋ねているのだ。

伊藤金融相の答弁は驚くべきものだった。

上場している会社に対して、「有価証券報告書の記載に誤りがないか、各企業に点検させている」というのだ。

こう言うのを官僚的形式主義というのだ。



西武鉄道は、故意に決算書に虚偽記載をして、東証に上場していたのだ。

他に同じような会社があったとして、「済みません。ウチもずっと虚偽報告してました」と馬鹿正直に云うわけがないだろう。



岩國議員の懸念は的中した。

この質疑応答の約2か月後、やはり東証一部に上場していたカネボウの粉飾決算が明らかになった。

このケースでは、決算が正しく為されているかをチェックする監査法人がグルになって、「粉飾決算のアドヴァイス」をしていたことが明らかになった。

今年も、東証一部ではなく、ベンチャー企業の株が取引される東証マザーズの上場会社、ライブドアの粉飾決算が明らかになったのは、記憶に新しい。


◆コメント3:虚偽記載をした当事者が悪いのは当然だが、監督官庁、ひいては内閣の責任を不問にするのはおかしい。

本当は、こんな事は云うまでもないことだ。記事1のとおり、18日から、日興コーディアルの「不適切な会計処理」が問題となっている。



問題の有価証券報告書は2005年3月期というから、まさに、西武鉄道とカネボウで大騒ぎになり、

伊藤金融相が「各企業に有価証券報告書の記載に誤りが無いか点検をお願いし」ていた時期である。

岩國議員は、質問したとき、内心「まだまだ、(違法なのに上場されている株が)あるだろう」と思っていただろう。



ところが、金融庁乃至証券取引等監視委員会は自ら企業に乗り込んで決算書に怪しいところがないか点検する事をせず

(上場企業全てを検査することは物理的に不可能だが、サンプル調査はできたはず)、

企業に報告させるという、全然意味のない形式だけの「対策」をしただけで、「はい、調べました。」と国会に報告し、

国会は岩國議員以外、誰も深く追及しなかった。



今回、日興コーディアルの虚偽記載がなぜ、いまごろになって明るみに出たのか不明である

(可能性が高いのは内部告発だが、これは推測に過ぎない)が、これは多分上場廃止になるだろうから、日興の株は紙屑同然になるわけだ。

今日はたまたま株価が上がったが、東京市場には、まだ、どれぐらい、このような「爆弾」があるかわかったものではないから、油断は禁物である。



こういう事が続くと、どの企業の株がいつ「紙屑同然」になるか分ったものではなく、下手をすると、売りが殺到して株価が暴落する危険は充分にある。

世界3大市場の一つ、東京の株価が暴落すると、必ずロンドン、ニューヨークに波及する。

たかが株価ではないのであって、1929年10月、ニューヨーク株式市場での株価の大暴落が世界大恐慌の引き金となった(暗黒の木曜日。ブラック・サーズデー)。

1987年には、それ以上の暴落が、やはりニューヨークで起きた(ブラックマンデー)が、ものすごい資金量を誇っていた日本の機関投資家が大蔵省から

「ちょっと(株を)買い支えてくれ」といわれて、東京で下げ止めたので(本当はもっと複雑なのだが、省略する)、世界大恐慌には至らなかったが、

次はどうなるか、誰にも分らない。暴落するかしないかわからないが、「不安定要因」があることは確かである。



そういう事態に陥った第一の責任は、勿論、有価証券報告書に虚偽記載をする企業本人にある。

しかし、元メリルリンチ(世界最大の証券会社)の上級副社長であった、つまり、市場に関してはプロ中のプロである岩國議員があれほど警告したのに、

まともに対処しなかった金融当局、ひいては行政府たる内閣の責任は大きい。

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2006.12.19

お待たせしました。ストラビンスキー、「ペトルーシュカ」「火の鳥」「春の祭典」

◆のだめカンタービレというのを初めて見ました。

何かクラシックが流れているな、と思い、ふとテレビを見たら家内が「のだめ」を見ていました。

ドラマに関しては、ストーリーを知らないので、何も書きません。

ただ、音楽のちょっと使われ方が勿体ない。

女の子(あれが「のだめ」なの?)が、ピアノで弾いていたのは20世紀を代表する作曲家、

ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」の一部ですが、あれは、バレエ音楽でして、オーケストラ曲です。

(ピアノ用に編曲したものもありますが、それを言い出すとややこしいので省きます)。

それで、ペトルーシュカではピアノは独奏パートとしてではなく、「オーケストラの楽器のひとつ」として使われています。

(ピアノ協奏曲では、ピアノは独奏パートとして、書かれるわけです)。

こういうピアノを「オケナカ」(オーケストラの中)と云ったりするそうです。N響ではかつて「オケナカ」専門のピアニストがいました。

オーケストラの一員としてのピアニストです。本庄玲子さんという方でホルンの大御所・千葉馨さんの奥さんです。既に定年で辞められましたが。

大変上手い方です。

ペトルーシュカのピアノは、やはりオーケストラで弾いてこそ面白いのです。「勿体ない」といったのは、そう言うことです。

これが、原曲です。



ストラビンスキーは、これほど、作風がたびたび変った(変化した)作曲家はいないといわれています。

彼の代表作3大バレエ作品「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」を聴くとわかります。

なお、「ペトルーシュカ」には、大変難しいトランペットの長いソロがありまして、オーディションに出ます。

トランペットが一人で吹くと、こういう風になります。



簡単そうに聞こえますが、難しいんです。


◆話が逸れます。オーケストラのオーディションでは「オケスタというのを演らされます。

ストラビンスキーから、話が逸れます。

オーケストラが新しくメンバーを採用するときには、全ての楽器のオーディションで、ソロ曲や協奏曲の他に、

オーケストラのレパートリーの中から各楽器にとって難しい箇所だけを演奏させます。

要するに即戦力たり得るか、ということです。どのオーケストラでも、大体、各楽器の難しいところと云ったら決まっています

(勿論、少しずつ違いますが、各楽器の「オーディションの定番」があるわけです)。

そこで、その、「オーディションの定番」を集めた楽譜が、楽器ごとに売られています。

日本では、「オーケストラ・スタディ」(略して、「オケスタ」)といいます。

トランペットならば、他に定番といえば、例えば、マーラーの交響曲第5番の冒頭。



これは、交響曲の冒頭13小節はトランペットしか音を出さない、完全なソロ。このソロでミスったら百年目。

「その日のマーラーの5番は、お仕舞い。」ということです。

楽譜自体は、特別難しい訳ではないけれども、そういう状況から来る本番のプレッシャーがものすごい。

私はロンドンにいた頃、マーラーの交響曲第5番を4回聴きました。そのうち、ベルリンフィルが一回ありました。

アバド=ベルリン・フィルのころ。コンマスは安永さんでした。

トランペット。

間違えました。

移動ドで書きますが、ラドミラーと上がった、上の「ラ」で、見事にひっくり返りました。

私はマーラーの5番を吹いた時は勿論ですが、聴くときも死ぬほど緊張します。ボレロと双璧です。

この、ベルリンフィルの首席トランペットが、ミスったときは、嫌味でも何でもなく気絶しそうになりました。

しかし、このトランペット奏者はさすがに、ベルリンフィルでした。

先日、プロの音楽家の復元力について書きました。

ミスをしても、如何に早く立ち直るか、ということもプロのプロたる所以です。

マーラーの5番は、この後もトランペットにとっては難所続きなのです。

このベルリンフィルのトランペット奏者は、最初に致命的なミスをしたのに、その後、ただの一度も間違えなかった。

これはすごい。本当にすごい。

聴いていて、涙が出ました。

そうはいっても、このトランペット奏者は、次にマーラーの5番を吹く時には更にプレッシャーがかかります。

その時、さぞ嫌だろうなーと、思いました。大変な商売です。


◆お待たせしました。ストラビンスキーの続きです。

あーあ。

やはり、天下国家を論ずるより、こういう話を書いている方が100倍楽しいですな。

いえ、時事問題について、今日、明日にも書くのを止める、というわけでありません。


さて、ストラビンスキーですが、亡くなったのが1971年ですから、完全に同時代の作曲家です。

作品は色々ありますが、やはり、3大バレエ音楽「春の祭典」「火の鳥」(手塚治虫もマンガにした東スラブ地方の「火の鳥伝説」を題材にしています)、

そして、先ほど聴いていただいた(あれは、ほんの一部ですが)「ペトルーシュカ」です。
3大バレエ曲と書きましたが、今はバレエの上演としてではなく、管弦楽組曲としてコンサートで音楽だけが演奏されることの方が多いと思います。


◆ペトルーシュカ補遺(ほい)

最初の方でドラマについては書かない、と宣言しましたが、腹に据えかねるので、やはり後で少し書きます。
この稿のはじめの方で、ペトルーシュカはバレエ曲でオーケストラで演奏されるものだ、と書いたら、

「ペトルーシュカからの3楽章」としてストラビンスキー自身が編曲した作品があるじゃないか。と御指摘を受けました。

そのとおり。ですから、

(ピアノ用に編曲したものもありますが、それを言い出すとややこしいので省きます)。

と書いたんです。

ペトルーシュカだけではなくて、「春の祭典」も「火の鳥」もピアノ用に編曲されています。
いますが、ストラビンスキーを取り上げるのに、まず、ピアノ編曲版から演ることは無いだろうと思うのです。

ストラビンスキーを聴くということは、曲の骨組みだけではなく、まず、オーケストレーションの天才的なひらめきを経験しないとつまらない。

だから、クラシック、特にオーケストラをドラマにするのは無理なんですよ。

オーケストラを実際に集めるとカネがかかる。いくら音大生でも。

オーケストラの各メンバーが芝居の登場人物なら、役者が楽器を弾く真似をすることになり、これが一目で出鱈目なので白ける。

それでは、音楽家に芝居をさせられるかというと、そりゃ無理だ。

ピアノぐらいなら、何とかごまかせるでしょうが、それなら、何も元来オーケストラ曲のペトルーシュカのピアノ版を弾かなくても、

ピアノ曲は何万曲とあるのだから、それを弾けばいいではないですか。何で、へんてこりんな選択をするのかな。

どうしても、ピアノ版ペトルーシュカなら、音だけでも本当の演奏を流しなさいよ。

どうして、途中から「今日の料理」なんだよ。

何を怒っているのか分らないでしょうが、ああいうものが人気がある、ということは、

人々が「優れたものへの畏れ」を知らないからです。

リンク先の文章を最初から最後まで読んで下さい。



この件に関しての反論は、おなじみさん以外、コメント、メール受け付けません。というか、全て削除します。

私にとっては、音楽は子どもの頃から愛し続けてきた崇高なものです。それを汚された気持ちなのです。

また、芸術は大衆に迎合してはいけないのです。問答無用です。

ピアノ版「ペトルーシュカ」の「本来の姿」です。


◆ストラヴィンスキーの他の作品

文章が冗漫になりました。ここからは、簡単に書きます。

ペトルーシュカは割と分りやすい。「火の鳥」の終曲も同じメロディーの繰り返しなので分りやすいでしょう。

これです。



繰り返しなのですが、

それでも飽きないのは、ストラビンスキーのオーケストレーションが非常に巧みだからです。



ストラビンスキーが来日して、自作の「火の鳥」をN響で演奏(指揮)したことがあります。映像が残っている。

面白いのは自作なのに、全然暗譜していなくて、ずっとスコアを見ながら振っていたこと。

クライマックスは非常にエキサイティングなのに、作曲者はまるで淡々としていて、殆ど機械的と云って良いぐらいの指揮でした。

指揮棒を使わずに、フォルティッシモになっても、手首から先ぐらいしか動かさないで、

小さく右手だけで最低限のこと、つまりテンポを示し、何だか、少し照れくさそうな様子のおじいさんでした。

演奏終了後、ブラボーが飛ぶのに、ご本人は、興奮した様子など全然無くて、「どうも」という感じでペコリとお辞儀をして、

そそくさと、ステージの袖に消えてしまいました。押しも押されぬ大作曲家なのに、面白かったですね。


◆これぞ、音楽史上の革命「春の祭典」

どうして、革命的なのか。とにかく聴いて下さい。1部と2部がありますが、どちらも全部載せては長すぎる。

2部の終わり、一番複雑なところ。どうして奇妙に聞こえるのかというと、拍子が1小節ごとに変るからです(それだけじゃないけど)。

訳が分らなかったら、ティンパニのリズムがいかに不規則か、注意して聴いてみて下さい。



どうですか。

この曲が初演されたのが、1913年。パリにおいて、でした。演奏終了後の大騒ぎは有名です。

それまでの音楽とあまりにも違うので、客の半分は「こんなの、音楽じゃない!」と怒って叫び始めたのですが、

のこりの客は「いや、これこそ、革命的に斬新な作品だ。大傑作だ」というのです。しまいには、客席で否定派と肯定派が

掴み合いの大げんかを始めたのです。

演奏者は今では平気でやりますけれども、やはり極めて集中力を要するものと思われます。1小節見失ったらお仕舞いです。

岩波新書に岩城宏之さんの楽譜の風景と言う本があります。

この中で、岩城さんの長い指揮者人生最大の事故について、書かれています。

それは、「春の祭典」の本番で振り間違えて、演奏が停止してしまったというものです。オーストラリアでの話。

ものすごいショックだったらしいのですが、その後、オーケストラのメンバーが一所懸命に岩城さんを元気づけようと、

一緒に飲み明かしてくれた、という話がとても温かい。専門的な話もありますがとても面白い。一読を勧めます。

長くなったので、ガーシュウィンはまた今度にします。


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2006.12.18

11月は外来オーケストラは凄い顔ぶれだった、という話から連想したこと。

◆11月に来日したオーケストラは、気が遠くなるような顔ぶれだったのです。

毎年、日本には、何十、何百(多分)という外国人音楽家がやって来るが、先月は特にもの凄かった。

ウィーン・フィル、ウィーン交響楽団、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、シュターツカペレ・ドレスデン、

ロイヤル・コンセルトヘボウ、ニューヨーク・フィル、サンクトぺテルブルク・フィル、と、気が遠くなりそうだ。

あまり関心のない方もいらっしゃるだろうが、まあ、ウィーン・フィル、シュターツカペレ・ドレスデン、ロイヤル・コンセルトヘボウだけでもすごいですよ。

指揮者も勿論超一流。ウィーン・フィルがアーノンクール、シュターツカペレ・ドレスデンが、チョン・ミョンフン。

コンセルトヘボウが今年ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを振った、マリス・ヤンソンス。ニューヨーク・フィルがマゼール。



それぞれのオーケストラの都合があったのだろうが、

所謂「呼び屋」(外国の演奏家を招聘するのを商売にしている会社。、かっこよく言うと音楽マネジメント会社。要するに興業屋ですよ)は、

いくら何でも、もう少し考えて欲しい。自分が儲かればよい、というものじゃないだろう。

横(同業他社)と連絡を取って、日程を調整して欲しかった。

上に挙げたオーケストラが一ヶ月に一つずつ来日するぐらいでちょうど良い。

2万円も3万円もするチケットをサラリーマンが、一ヶ月に何枚も買えるわけがない。買えるのは独身の若造だけだろう。

11月中に書かなかったのは、私が悔しかった所為もあるが、都会の人間はまだよくて、

地方のクラシックファンは、例え、カネがあっても、自分の街に来ないから、聴けない。

外来のオーケストラが公演を行うのは、ごく一般的には、東京、名古屋、大阪、倉敷、仙台ぐらいだろう。
そういう人が沢山いるのに、

「こんなにすごいのが、来てますよ」と言われてもあまり嬉しくないだろう、と思ったのである。



かく云う私も、聴きに行きたかったが、一つも行けなかった。

尤も、外来であろうが、無かろうが、ウィークデーのコンサートは行けない。

正確に書くと、チケットを買っても、コンサート当日、仕事が忙しくなり行けなくなる可能性がかなり高い。


過去に何度かそういうハメに陥ったことがある。その時の悔しさを、もう味わいたくないのである。


◆日本人は有能だが、無駄な時間が多いのは確かだ。

13年前にロンドンに赴任した。

最初の日、夕方の5時ぴったりに、英国人の(つまり現地雇用の)社員が一斉に、オフィスから出て行くので驚いた。

引き継ぎ中の前任者に、「何か、行事があるのですか?」と訊いてみたら、そうではなく、契約上勤務時間は5時までだから、

緊急の仕事が無い限り、皆、契約通り5時に帰るのだ、という話で、びっくりした。

が、本来、びっくりする方がおかしいのだろう。イギリスはそれでも、国が滅びないのだから、日本だって可能なのではないか。



その考え方は、帰国後、更に強まった。

帰国してから、私はうつ病になり、3か月休職することになってしまったのだが、

復職後、数ヶ月は、フルタイム勤務は無理だから、勤務時間を半日かそれより少し長い程度にしておけ、と主治医に言われ、

有難いことに、会社も問題なくその条件を認めてくれた。

私は半日で帰るのだから、密度の高い仕事をしようと思い、会社では昼飯も食わずに、なるべく段取りを考えて仕事をした。

その時の経験で、ほぼ断言できるのだが、日本のサラリーマンはやろうと思えば、もっとずっと早く退社できる。

早く退社したら、残業手当が減って困る、というだろうが、その程度減っても、何とかなる。

いうまでもなく、本当にその日のうちに片付けなければならない仕事があるとき、緊急事態が発生したときは、この限りではない。

平穏な日常的な状況で、残っている人々を見ると、意外と無駄話をしたり、無駄な時間を過ごしているのである。

そんなことをするよりも、早く帰った方がいい。



松下電器産業の創始者、故・松下幸之助氏は、「経営の神様」と呼ばれたが、確かにそうかも知れない。

松下の業績が低迷した時期に、さっぱり、売れそうな新製品のアイディアが社員から上がってこない。

普通の社長(経営者)なら、「もっと、一所懸命に考えろ!」とハッパをかけるところだが、松下氏は違った。

「これは、社員が働きすぎて疲れているため、良いアイディアが浮かばないのだ」といって、何と、業績が悪いときに、

「週休二日制」を導入したのである。

その効果はすぐに現れ、社員の士気が蘇り、新製品の開発が相次ぎ、松下電器は業績を回復した。

このあたりの松下氏の発想は、少し大げさかも知れないが「天才的」といっていい。


◆話がどんどん横にそれていったが、結論的にまとめると、

先月は、外来オケが沢山来ていたのに、コンサートに行けなかった。

仕事が終わらなかったのが原因だった。

イギリス人は皆早く帰るが国は滅びない。

元々有能な日本人に同じ事ができないはずはない。

ただひたすら働いて疲れているより、休息をとったり好きなことをする時間を持ったほうが、

仕事も上手く行くことがあるのは、松下電器の例が端的に示している。

という話でした。それでは、また。

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2006.12.17

ノロウイルスによる感染性胃腸炎は、毎年一年中起きている。まとめてみました。

◆記事(の見出しとコメント):ノロウィルスに関する記事

ノロウィルスによって大量の胃腸炎の患者が発生していて、新聞で報じられている。


(これは、すでにご存知の方も多かろうが、Yahoo!ニュース - ノロウイルスを見るのが手っ取り早い。)

例えば、昨日(日本時間 12月16日)の夕方から、今朝にかけての記事の見出しだけ重複を厭わず拾っても、
ノロウイルス流行ピーク 26都府県、警報水準超す(産経新聞) (17日8時0分)

- 大阪で配達の弁当から食中毒、22人からノロウイルス(読売新聞) (17日3時16分)

- <ノロウイルス>施設などで計141人発症、2人死亡 北陸(毎日新聞) (17日1時16分)

- 小中学生340人が吐き気、下痢=ノロウイルス検出-秋田(時事通信) (17日1時1分)

- 弁当食べた136人食中毒=調理員らからノロウイルス-大阪(時事通信) (17日0時0分)

- 特養で72人感染か=ノロウイルス検出、1人死亡-金沢(時事通信) (16日22時1分)

- 全国中学駅伝参加7チーム、ノロウイルス?で欠場(読売新聞) (16日21時54分)

- 北海道のホテルで177人食中毒、ノロウイルスを検出(読売新聞) (16日21時29分)

- <ノロウイルス>中学駅伝の選手ら88人感染 7チーム欠場(毎日新聞) (16日20時56分)

- <ノロウイルス>職員50人が食中毒の秋田県庁など消毒(毎日新聞) (16日19時46分)

- <ノロウイルス>団体客ら167人感染 北海道の観光ホテル(毎日新聞) (16日19時46分)

- 尼崎のホテルで27人食中毒 2人にノロウイルス - 神戸新聞 (16日18時6分)

- 食中毒:ノロウイルスか 小松と加賀で65人が発症 /石川(毎日新聞) (16日18時1分)

- 感染性胃腸炎:施設で患者多発 御所、奈良で計73人 /奈良(毎日新聞) (16日18時0分)

- 佐賀中が出場断念 5人が嘔吐症状 全国中学駅伝 - 高知新聞 (16日17時46分)


ご覧の通り、これでもか、と「真実の報道」が為されている。


◆コメント:どうして、厚労省のノロウイルスQ&Aを転載しない(させない)のか。

マスコミ各社は、やたらと事実だけを載せるばかりで、これでは、徒に読者の不安を煽るばかりだ。対処法が発表されているのに、どうして転載しないのか。

対処法とは、Yahoo!ニュース - ノロウイルスにリンクが掲載されている

厚労省 ノロウイルスQ&Aである。同じページに、

国立感染症研究所 感染症情報センターへのリンクも貼ってあるが、こちらはやや学術的・専門的である。

国民が知りたいのは、

要するに、我々はどうすりゃいいんだ?

ということだ。特に、受験生やその家族は気がかりだろう。

新聞にもよるが、概観するとあまりにも事実の羅列に終始しており、この「対処法」を厚労省が発表しているのに、転載していない。

役所の発表文書でこの手のものにも、作成した段階で著作権は自然に発生するが、よく読むと分るのだが、どの役所も原則として引用・転載を認めている。

厚労省ならば、厚生労働省:リンク・著作権等についてというページがあり、
1 リンクについて

(1)厚生労働省ホームページは、原則リンクフリーです。

(トップページだけでなく、個別情報(案件)へのリンクについても、同様の取り扱いです。)ただし、各情報においてリンクの制限等の注記がある場合はこの限りではありません。

(2)リンクを行う場合の許可や連絡は必要ありません。

(3)リンクの設定をされる際は、「厚生労働省ホームページ」へのリンクである旨を明示ください。

(4)上記は、「厚生労働省ホームページ」(http://www.mhlw.go.jp/)に関するものであり、当ホームページにリンクされている他のサイトについては適用されません。



2 著作権について

(1)「厚生労働省ホームページ」に掲載されている個々の情報(文字、写真、イラスト等)は著作権の対象となっています。

また、「厚生労働省ホームページ」全体も編集著作物として著作権の対象となっています。著作権は日本国著作権法及び国際条約により保護されています。

(2)当ホームページの内容の全部又は一部については、私的使用又は引用等著作権法上認められた行為として、

適宜の方法により出所を明示することにより、引用、転載、複製を行うことができます。ただし、「無断転載を禁じます」等の注記があるものについては、それに従ってください。

(3)当ホームページの内容の全部又は一部について、厚生労働省に無断で改変を行うことはできません。

(太文字は引用者による)となっているのだから、転載しても構わないはずである。

そして、これこそ、目的論的に解釈するべきなのだ。

つまり、著作権と国民の健康(極端なケースでは生命)に関わる情報を広く、一般に知らしめることとどちらが大事なのか、ということだ。



言うまでもない。念のため、説明すると、

著作権は、誰でも文章なり、絵、音楽、コンピューターのソフトウェア等々を作れば、その上に自動的に発生するので、

いちいち「著作権があります」と明記する必要もない(私のエンピツのサイトには以前から書いてあるが、今から消すのもズルいので載せておく)。

しかし、厚労省は「適宜の方法により出所を明示すれば、内容の引用・転載は可」とはっきり書いている。

厚生労働省のホームページは、

http://www.mhlw.go.jp/index.html

であり、「ノロウイルスに関するQ&Aについて 」は
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/12/h1208-1.html

にあり、「ノロウイルスに関するQ&A」そのもの(PDF)のアドレスは、

http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/kanren/yobou/dl/040204-1.pdf
である。

こういうときは、テレビよりも新聞である。

テレビで「ノロウイルスに関するQ&A」のURLをアナウンサーが読み上げたり、字幕で流しても、

メモをとる人はいないだろう。

新聞(特に新聞のWebサイト)は常時、それを表示できるのだから、最低限「情報源の在処を表示」すべきだ。

本当は、Q&Aの内容を全国紙は毎日転載し続けるべきだ。それが一番徹底しやすい。

これを「しない」マスコミも、「させない(禁止しているといういみではないが、

しばしば、「政府広報」というステートメントが、新聞に載るじゃないか。何故あれを使わないんだ?」国も怠慢である。


◆コメント:私的覚書:「ノロウイルスに関するQ&A」の要点。の前書き

はじめに書くが、私は医療従事者ではないから、以下の情報は単に私が今調べたことを書き写すだけだ。

だから、何らかの行動を喚起するものではない(できない)し、責任は取れない。

ここに記す情報を参考にするか否かは「自己責任」でお願いします。

本当は、簡単に調べられるのだから、各自調べればよいのだが、結構このQ&Aは長いので、ろくに読まない可能性がある。

そこで、私が厚労省のノロウィルス対策ページを参照して、要約した。

ただし、次のことを念頭に置いていただきたい。

厚労省の情報が正しいか否か、は私には検証不可能である。

こと。また、
「要約」とは、私が主観的判断により「要点」と思われる箇所を抽出することだが、その選択が適切である保証は無い。

こと、である(医療従事者が読み、不適切なところがあったら、御指摘いただきたい)。

繰り返すが、以下の情報を読者諸氏が「参考にするか否か」は各人の自己責任でご判断いただきたい。

「それなら、書くな」と言われそうだが、誰もやらないじゃないか。

だから、多少とも参考になればいいな、という心境なのである。

さて、前書きはこの辺にしよう。


◆「ノロウイルスに関するQ&A」の非常に大雑把な要点と、その他情報源、から情報


  • ノロウイルスによる感染性胃腸炎の患者は、「毎年」、「一年中」どこかで発生している。珍しいウイルスではない。たまたま今年、非常に患者が多いのだ

  • 例年、11月末から患者が増え、1月にピークが来る(厚労省 ノロウイルスQ&Aにグラフがある)。

  • このグラフで、注意すべきは1月の第1週が、このグラフの47週に該当することである。

  • 何故、今年、特に患者が多いのかは、分らない。

  • 感染経路は、食品そのもの(つまり、食中毒)の場合と、感染者、感染者の汚物、感染者を看護したものからの飛沫感染である。

  • 食品は2枚貝(生牡蠣など)が多い。食べてから24時間~48時間で発症する。

  • 飛沫感染とは、患者がトイレに行く、排便後、トイレットペーパーを使っても、ウイルスは手に付着している。

  • だから、患者は排便後、或は嘔吐で口を手で拭った後、しつこいほど手を洗わなければならない。

  • 患者以外の者が、ウイルスが付着した蛇口を触って、その後手を洗っても、水を止めるときにもう一度触れるから、又、手についてしまう。

  • その手で、パンをちぎって食べたり、考え事をしているときに、唇に手を持っていく癖の人は意外と多いが、あれをやると、感染するわけである。

  • インフルエンザとは異なり、ワクチンは存在しない。予防は、危なそうなものを食べない。調理器具を消毒する。多くの人が触りそうなところを消毒する。丁寧に手を洗う(石けんと流水を使って30秒以上。特に素人は、親指と、指の股、爪と指のわずかな空間を洗わないので、注意)ことしか、方法がない。

  • 患者のいる部屋、嘔吐した部屋などは換気すること。ノロウイルスは乾燥すると空中に漂い、空気感染することもある。

  • 発症すると、2~3日下痢か嘔吐、又はその両方が続きかなりしんどいが、致命的ではない。

  • (引用者によるコメント:養護施設のお年寄りが亡くなっているが、高齢者や子どもは体力がなくて、下痢による脱水症状で生命に関わる場合があるが、それはノロウイルスに限らない)

  • 発症しても、治療法はなく、対症療法のみである。安静にして、回復を待つ。数日して下痢とともに、ウィルスが体外に排出されれば、治る。したがって、重篤な脱水症状の兆候を呈している場合などを除き、下痢止め薬は飲まない方が良い。それは、ノロウイルスが排出されるのを止めてしまうからである。


◆消毒は「次亜塩素酸ナトリウムで」と書いてあるが要するに「キッチンハイター」「キッチンキレイキレイ」などである。

厚労省のQ&Aによると、
ノロウイルスの失活化には、エタノールや逆性石鹸はあまり効果がありません。ノロウイルスを完全に失活化する方法には、次亜塩素酸ナトリウム、加熱があります。

とのこと。役所だから、特定商品名を書くわけにはいかないのは分るが、素人に「次亜塩素酸ナトリウム」といっても分らない。

検索したら、市販されている製品では、「家庭用の塩素系漂白剤:ハイター、キッチンキレイキレイ など」だそうだ。

「混ぜるな!危険」と言う奴ですね。

漂白剤に使われる次亜塩素酸ナトリウムはアルカリ性だが、トイレ用洗剤などは塩酸なので、混ぜると有毒な塩素ガスを発生するのだ。

素人向けに消毒薬の作り方を易しく解説したサイトが熊本市感染症情報センターのサイトにある。


問題は手洗いで、「エタノールや逆性セッケンはあまり効果がない」、という。

漂白剤を人体につかうわけにはいかない。

有効な手指消毒液はないのだろうか?

市販の消毒薬では、病院によくスプレーがおいてある「ウエルパス」と、全く同じ成分の「ラビネット」がある。

要するにエタノール(アルコール)に微量の塩化ベンザルコニウム(逆性石鹸)を混ぜたもの。大抵の細菌やウイルスに有効なのですがね。



試しに、Googleで「ラビネット OR ウェルパス」で検索してください。いくらでもネットで買える。

携帯用の小さいスプレーもあって、詰め替え液も売っている。そこらの薬屋には余りないのですよ。

手洗いに石けんが無いところとか、病院に行った後とか、便利なんですけどね。

ノロウイルスはこれらは全く無駄だと言うことではないようなのだが、どうなのだろうか?

これをお読みの医療従事者の方、教えていただけませんか?

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2006.12.15

ベルリオーズ。お待たせしました。さらに書き足しました。/モーツァルト全作品のスコア無料公開

◆12月11日が彼の誕生日だったのです。

今週の月曜に書き損ねたのですが、11日がベルリオーズ(1803~1869)の誕生日でした。

音楽史上、色々な天才がいて、モーツァルトが最高峰ではないかと思いますが、ベルリオーズも又、奇跡的な人です。

彼の父親は、医者で、ベルリオーズを医者にしたかったのです。子どもの頃ベルリオーズは音楽的な教育を受けていないに等しい。

何しろ、楽器が何も演奏できないのです。フルートをちょこっと習っただけ。「吹ける」というレベルじゃない。

何と、彼は、ピアノを全く弾けなかった。

作曲家になるような人は皆、ものすごい絶対音感を持っていて、確かに作曲するときにはいちいちピアノで音を確かめない。

しかし、それは作曲に際してピアノを「弾かない」のであり、弾かせればピアニストとしてやっていけるぐらい上手いのが普通です。

ベルリオーズは全く弾けなかった。そういう人が100人のオーケストラのための「幻想交響曲」を20代で書いたのです。

その第4楽章の「断頭台への行進」(物騒な標題ですな)をきいていただきます。



この、全部で5つの楽章から成る交響曲が初演されたのは、

1830年なのです。それは、どうにも信じがたいのですが、今、日本でシーズン真っ最中のベートーベン・第九交響曲初演のわずか6年後です。

作曲法など習ったことが無くても、それまでの音楽に対して「幻想」が如何に革命的なものか、分ります。

モーツァルトのように万人の心を掴むことはできないかも知れませんが、ベルリオーズも疑いの余地がないほどの大天才です。

後ほど、もっと詳しく書きます。

◆お待たせしました。書き足します。

この「幻想交響曲」ってのは、できれば、コンサートで実演を「見る」と面白いです。

聴いていただいた「断頭台への行進」。どこか、何となく響きが違うと思いませんでしたか?

私は、初めてコンサートで「幻想交響曲」を「見た」ときにとても驚いたのは、ティンパニが2組いること。

ティンパニ「2個」じゃないですよ。「2セット」。左右にティンパニ奏者がわかれているのです。

ステレオで聴くと、マーチで、ラッパ(これはトランペットで吹いてしまう事もありますが、本当は柔らかい音がする、

「コルネット」という楽器で演奏するように楽譜でベルリオーズが指定しています)が

「ド・ドーレーミー、ファッミレッファミッレドッレミ・ファ・ラッソー!」

(あのー、そこの、あなた。笑わないでくださいよ。音符を文字にするの、結構難しいんですよ。)

と吹くところがあります。

このときに、ティンパニのリズムは、普通ですが、左右交互に(それも規則的じゃないのです)叩いている。

この「断頭台への行進」のまえの第3楽章、では、この2組のティンパニを更に複数の奏者が叩くのですね。

一番多いところは4人でしたっけ?

さらに。

ちょっと細かい話になりますが、コルネット乃至はトランペットが華やかにメロディーを吹いているとき、

トロンボーンの3番奏者はバストロンボーンで、低い音をずーっと伸ばしています。大変なんですよ。

高音のフォルティッシモは出せますが、低音のフォルティッシモを吹いて、埋もれない(他の楽器の音にかき消されない)ように吹くのは大変です。

このマーチを聴くときは是非トロンボーンセクションの一番客席から舞台を見て右側、

つまり、もっと大きいラッパ、テューバに近いところに座っているトロンボーン奏者のバリバリ響く低音を聴いてあげてください。

とにかく、オーケストラは見るものだ、と思いますね。これは。

無論、視覚的なことより、音楽ですからまず「音」ですが、この点でも。「幻想」は生で聴いていただきたいのです。

それは、フル・オーケストラのフォルテ、フォルティッシモを身体で味わっていただきたいからです。

これは、音楽をヘッドフォンで聴いていたら、絶対に分らない快感です。

コンサートホールでは、楽器の音が身体全体にあたります。身体で聴くのです。床からも音は伝わってきます。


お客さんの身体が反射板の役割を果たしていて、余計に響きが複雑になります(空席があるのと満員では音が違います)。



さて、聴いていただいた「断頭台への行進」の一番最後、これぞ大編成のオーケストラのフォルティッシモ。

2組のティンパニはロール(連打)。金管楽器の咆哮。とどめを刺すように、バスドラム(大太鼓)とシンパルが同時にアクセントを付けています。

だけど、クラシックのフォルティッシモってのは、電気的に増幅した「大きい音」ではない。うるさくないのです。

それは、それぞれの楽器の演奏家が、全体のバランスを考えているからです。

ただ乱暴に、力任せにラッパを真っ赤な顔で吹いたり、太鼓をぶったたいているのではありません。



それでも、かなりの音量になります。「整然とした大音響」が身体を貫く。

この後終楽章の終わりなんかもっと凄いですよ。めくるめく色彩感。複雑な音の絡み合い。最後の本当のフォルティッシモ。

きっと、わくわくすると思います(うー、想い出すだけでたまらん。オーケストラはいいなあと思う瞬間です)。

ベルリオーズはピアノも弾けないのに、このような音楽を、頭の中でちゃんと鳴らしていたわけです(それができなければ作曲などできません)。

これを天才といわずして、何というのでしょう?


◆お薦めCD

「幻想交響曲」といえば、定番は、シャルル・ミュンシュ指揮、パリ管弦楽団です。

これは、もう、本当の名演で、文句を付けられませんが、作曲者、指揮者、演奏者全てフランス人なので、意外性はないですよね。

前にも書いたことがあるのですが、私は、比較的近年の録音では、チョン・ミュンフン指揮、パリ・バスティーユ管弦楽団をお薦めしたい。

チョン・ミュンフン氏は韓国の指揮者で現在東京フィルハーモニーの音楽監督(正式にはなんか、カタカナの肩書きですけど)もしています。

ピアノの名手で、チャイコフスキー・コンクールで何と2位になったことがあるほどです。とても音楽的な人だと思います。これは、お薦めです。


◆全く別のお話「モーツァルト全作品の楽譜を無料でオンライン公開」。

これは、すでにインターネット上ではずいぶんと知れ渡っているようですが、まだご存じない方もおられるかと思いまして。

モーツァルト生誕250周年で全作品の楽譜をオンラインで公開

という、マニア又は、ある程度関心のある方には、思いがけない朗報です。

国際モーツァルト財団という組織がやってくれたのですね。上のリンクから財団のリンクに飛ぶと、ドイツ語、英語、日本語を選択できます。

日本語は、ちょっと検索しにくい。ケッヘル番号が分れば、英語が良いと思います。

こういう資料が、学者など限られた人のみならず、完全に一般に公開されるとは、有難いことです。


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2006.12.14

「<三菱自欠陥隠し>改ざんの事実は認定 無罪判決の横浜簡裁」←この裁判官、ホントに司法試験通ったの?

◆記事:<三菱自欠陥隠し>改ざんの事実は認定 無罪判決の横浜簡裁」

三菱自のタイヤ脱落事故を巡り道路運送車両法違反罪に問われた三菱ふそう元会長、宇佐美隆(66)ら3被告と

法人としての同社に無罪を言い渡した13日の横浜簡裁判決で小島裕史裁判官は「同罪成立の前提となる国交相の報告要求がなかった」と理由を述べた。

一方で三菱自の報告に隠ぺいや改ざんがあった事実を認定した。12月14日0時30分配信 毎日新聞


◆コメント:裁判官。条文をちゃんと読んで下さい。

この判決は、いくら何でもお粗末すぎる。条文を全部読んでいないとしか思えません。

国交相の要求がなくても、構造上の欠陥があったら、メーカーは届け出をしなくてはいけないのです。

(改善措置の届出等)

第六十三条の三

自動車製作者等は、その製作し、又は輸入した同一の型式の一定の範囲の自動車の構造、装置又は性能が保安基準に適合しなくなるおそれがある状態又は適合していない状態にあり、かつ、その原因が設計又は製作の過程にあると認める場合において、当該自動車について、保安基準に適合しなくなるおそれをなくするため又は保安基準に適合させるために必要な改善措置を講じようとするときは、あらかじめ、国土交通大臣に次に掲げる事項を届け出なければならない。

一  保安基準に適合しなくなるおそれがある状態又は適合していない状態にあると認める構造、装置又は性能の状況及びその原因

二  改善措置の内容



第八章 罰則

第百六条の二

次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

一  第六十三条の二第五項の規定による命令に違反した者

二  第六十三条の三第一項又は第二項の規定による届出をせず、又は虚偽の届出をした者

三  第六十三条の四第一項の規定による報告をせず、若しくは虚偽の報告をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避し、若しくは質問に対し陳述をせず、若しくは虚偽の陳述をした者


ややこしくなるので、書きませんが、国交相が「あのクルマヘンだぞ?」とおもったら、メーカーに報告を命令することができるのです。

それが「第六十三条の四」です。

罰則規定第百六条の二の第三号を読むと、国土交通大臣の報告命令に応じなかったら一年以下の懲役です。



この裁判官はそこだけ見ている。

しかし、その一つ上、第六十三条の三を読めば、引用したとおりで、

メーカーは異常に気が付いたら、予め、国交相に届け出をしなければならない。

そして、それをしなかったらやはり、罰則規定第百六条の二 によって、

一年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

と書いてあるじゃないですか。


◆法の目的論的解釈

と、いうことを学校の「法学概論」で教わったのをよく覚えています。

要するに、その法律、その条文は、何故、存在するのか?何を護ろうとしているのか、何を罰しようとしているのか、

などを考えなければいけない、ということです(ただし、刑罰に関する規定をあまり拡大解釈してはいけないのです。罪刑法定主義に反しますから)。



本件では、「道路運送車両法」は何のためにあるのか?

第一条に書いてある。

第一条  この法律は、道路運送車両に関し、所有権についての公証等を行い、並びに安全性の確保及び公害の防止その他の環境の保全並びに整備についての技術の向上を図り、併せて自動車の整備事業の健全な発達に資することにより、公共の福祉を増進することを目的とする。

つまり、自動車の安全性を確保するのが目的です。

三菱自動車は、事故につながりかねない欠陥が有るのを知って、これを隠していたのですから、言語道断。

刑罰を加えるためには、法的根拠がなければならない、というのも「罪刑法定主義」ですから、具体的に条文を書きましたが、本来それ以前の問題です。

この裁判官は条文を全部把握していない上に、法の目的論からすれば、三菱自動車の経営陣は刑罰を受けるのが当然なのに、無罪にするとは、信じられません。

法学概論から勉強し直した方がいいですね。

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2006.12.13

モーツァルトに愛された楽器

◆ちょっと多忙のため、簡単に書かせていただきます。。

11日にNHKで若い俳優さんが、ザルツブルクのモーツァルトの生家を訪ねる番組を放送していましたね。

私も行きましたけど、美しい街ですね。

モーツァルトがこよなく愛した楽器は、当時まだ「新しい」楽器だったクラリネットです。

亡くなる年の夏にクラリネット五重奏曲という大傑作を書いたのに、

死の3か月前にもう一曲、「クラリネット協奏曲」を書いています。

このころ、彼は自らの死を悟っていたといわれます。

第一楽章から聴くと、とてもそういう状態の人物が書いたものとはきこえない。

全部では、長すぎるので第二楽章を聴いていただきたいと思います。

月並みな形容しかできませんが、こういうのを「天上の調べ」というのでしょう。



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2006.12.12

民主党の河村たかし議員は、新宿舎について問い質した、唯一の国会議員だ。

◆国会議事録より:2006年6月13日 衆議院法務委員会における民主党河村たかし議員の質疑応答

○ 河村(た)委員 はい、ありがとうございます。そうしたら、警察庁さん、結構でござい

ます。



 あとは、議員宿舎の話をちょっとしたいと思います。

 

 これは、何でかと言いますと、一番最後に聞きますけれども、杉浦法務大臣にちょっとお伺

いしますが、憲法十五条に、いわゆる公務員は全体の奉仕者であるという規定がありまして、

普通は、全体の方はいわゆる論議になりますけれども、その後にも、一部の奉仕者ではない、

いずれも奉仕者という言葉を使っております。

 

 これは、英語ではサーバンツというのが書いてありますけれどもね。そういう精神からいっ

て、後で出てまいりますが、どう思われるかという話でございます。


 

 順番にいきましょうか。まず、新赤坂宿舎ですね。これは建築費総額幾らで、それから入居

者は何人おるのか。それと、すぐ隣地にこういうのがあるんですけれども、これはすぐ隣地

のマンションです。本当の隣地です。ここで大体八十平米、一億です。

 

 八十平米、国会議員の宿舎、一億、民間の場合ですね。駐車場は別です。きょう電話かけて

聞いたんです。駐車料金は月に大体五万ぐらいかかると。衆議院の場合は多分ゼロになると

思いますけれども、そこら辺のところ、いかがですか、ちょっと衆議院事務局に。早うやっ

てちょうだい、時間がない。総額と入居者数。



○山本参事 お答えします。

 PFI手法による赤坂議員宿舎整備事業における事業費は総額で三百三十四億円であり、そ

のうち、建設費は百三十八億円となっております。また、総戸数は三百戸でございます。



○河村(た)委員 そういうことで、億ションということでございます。土地がただになって

おりますので、お上の場合は、議員の場合は。これは真横のマンションですから。国会議員

が億ションに住むことになったんですか。これはえらいことですよ。


 今、青山宿舎はあいておりますか



○山本参事 青山議員宿舎の議員室については、全議員室が四十室で、平成十八年六月二日現

在の入居室数十九室、空き室は二十一室でございます。




○河村(た)委員 こうやって、あいておるところがあるわけですね。私は今、この青山に入

っておりますけれども、あいておるところがあるのに、そこを使わずに、仮宿舎ということ

で、大層豪華なところにみんな入っておりますので、これは会計検査院にお伺いしますけれ

ども、会計検査院は、税の無駄遣いというか、公正に使われているかということをチェック

すべく、わざわざ憲法で定められておりますからね。これは検査すべきじゃないですか。




○諸澤会計検査院当局者 お答え申し上げます。

 国会の収入支出でございますとか国有財産の受け払いなどにつきましては会計検査の対象と

なっておりまして、国会から提出されます計算書また証拠書類に対する書面検査のほかに、

毎年一回、二日間程度を要して実地の検査を実施しているところでございます。

 この実地検査に当たりましては、私ども、物品購入でございますとか役務契約など、さまざ

まな支出項目の中から、一部でございますが、それを抽出して検査を実施しているというと

ころでございます。

 今後、ただいまお話がございました議員宿舎の有効利用が図られているかなどの点につきま

しても、十分留意してまいりたいと考えております。



○河村(た)委員 では、国会議員が億ションに住むことについてはどうでしょうか。国会議

員が億ションに住むことについて、それも多分、家賃十万円以下、駐車場込み。



○諸澤会計検査院当局者 お答え申し上げます。

 議員宿舎の必要性でございますとか、また、どのような議員宿舎を用意するのかということ

につきましては、国会御自身でお決めになられたことと承知はしております。

 しかしながら、会計検査院といたしましては、本件、PFIによる赤坂議員宿舎の建てかえ

事業ということでございますけれども、事業の進捗に応じまして、合規性、経済性、効率性、

有効性などの観点から検査を実施していくものと考えているところでございます。



○河村(た)委員 これはしっかりやってくださいよ。国会を聖域にしたら、本当に憲法が泣

きますよ。会計検査院、これはわざわざあるんですからね。

 それから、議員宿舎の根拠法というのはあるんですか




○山本参事 議員宿舎は、国家公務員宿舎のように法律に基づくものではございませんで、直

接規定したものはございません。

 国有財産法上は行政財産の庁舎でございまして、地方選出議員の在京生活を保障し、議員の

職務を円滑に遂行するための宿所として、議院運営委員会の決定に基づき設置されたもので

ございます。



○河村(た)委員 ないんですよね、根拠法は。これはなかなかですよ。これは庁舎だと言っ

ていますけれども、国会のものを見ますと、赤坂の新築のがありますけれども、特に寝室一

は主寝室として、寝室二は子供部屋もしくは書斎などということで、子供部屋をつくること

をはや予定しておるんです。庁舎というと議員会館みたいなものだね、これは。まあ、あな

たに言ってもしようがない、後で個人的に恨まれてもしようがないのであれですけれども、

とんでもないですね。これはお手盛りの最たるものであったということだと思います。法律

の根拠もない。

 それでは次、これは財務省、国税庁。

 要するに、民間の人が入る家賃だとこれだけ取られる。それで、公務員宿舎も大問題ですよ、

言っておきますけれども。公務員宿舎も安い値段だ。議員宿舎も、安い値段で入っておる場

合は、税というのは公平でないといかぬですから、フリンジベネフィットといいまして、所

得とみなしていわゆる課税する、これは当たり前ですよね、納税者として。いわゆる差額と

いうのはフリンジベネフィットで課税しないんですか。




○竹田政府参考人 お答え申し上げます。

 一般論として申し上げますと、所得税法上、いわゆる社宅あるいは公務員の場合の宿舎の貸

与を受けている場合におきまして、入居者の方が実際に負担している社宅等の使用料、これ

が、社宅の利用について通常支払うべき賃貸料の額、この通常支払うべき賃貸料の額より低

額である、そういった場合には、その差額は収入金額に含まれるということで、これは課税

関係が生じることというふうになります。

 ここで言う通常支払うべき賃料の額、この考え方でございますけれども、社宅といったもの

の貸与が職務と密接に関連しておって、住まいとしての安定性に乏しい、例えば、退職いた

しましたらすぐ退去しなきゃいけない、そういった事情もございますので、一般の、みずか

ら賃貸住宅を借りられた場合と性格を異にしている面がある。そういう点を考慮いたしまし

て、通常支払うべき賃料の額というものを、その社宅の敷地とか家屋の評価額に一定の率を

乗じるなどといたしました維持管理費を算定の基礎とした一定の計算式、これに基づいて算

出することとしております。

 したがいまして、社宅等の経済的利益の課税に当たりましては、先生御指摘のように、一般

の民間家賃の相場の価額との差額についてそのまま課税するということはしていないところ

でございます。





○河村(た)委員 ということは、今、公務員宿舎の問題を盛んにやっておりますけれども、

それと大体同じ感覚で、課税していない、そういうことですね。




○竹田政府参考人 現実に課税しているかしていないかにつきましては、個別にわたる事項で

ございますので、お答えは差し控えさせていただきたいと思いますが、まさに先生御指摘の

ように、考え方は、国会議員の先生方も含めた国家公務員もそれから民間の方も、全く同じ

通達、考え方に基づいてやっております。



○河村(た)委員 じゃ、公務員宿舎を改善するには議員宿舎をやらないかぬということだ、

そういうことでございます。

 では、最後に、大臣、お待たせしまして済みません。

 おだてるわけじゃありませんけれども、なかなか地元では大変御人気のあられる大臣でござ

いまして、いろいろ法律的知識もある、またヒューマニズムもあるという方が、本当に、ち

ょっと冷静に考えてほしいんですよ。やはり権力をつかさどる者は質素でなければならない。

こんなことは世界史が生んだ常識でございまして、都会のサラリーマン、都会でなくてもそ

うですけれども、皆さんにとって住宅問題というのは、住宅ローンというのは、言ってみれ

ば税金と同じですよ。それで、通勤一時間かけて、みんな苦労している。そういうところで、

国会議員がこんな便利なところで億ションに住む。億ションよりいいんですよ、駐車場を除

いて億ションですよ、これは。

 こういうことで、二つあるんですけれども、一つは、憲法が言う奉仕者と本当に言えるんだ

ろうか。それからもう一つは、愛国心だと言っていますけれども、こういう、国会議員が億

ション、駐車場を除いて億ションに住む国で、一体愛国心というのは持てるんですか。よく

考えてくださいよ、皆さん、庶民の気持ちになって。(発言する者あり)何を言っておるん

ですか、あなたたち。こんなことを感じぬようでは、とんでもないよ。


 いいですか、これをぜひ杉浦先生、本当に一遍原点に立って、議員というのはどうあるべき

かというところからひとつ答弁をお願いします。





○杉浦国務大臣 国会議員も、憲法十五条に定める全体の奉仕者の一員であります。疑う余地

はありません。

 宿舎は、議院運営委員会の議を経て建設されておりまして、世間に今いろいろ批判があるこ

とは耳に入りますが、私の知っている限り、議員で指摘されるのは先生が初めてではないか、

そう思います。

 いずれにしても、国民の理解が得られるかどうかという問題だと思います。愛国心とかそう

いうこととは次元の違う話だと私は思っております。



○河村(た)委員 何を言っておるんですか。お立場があるのでこうなるのかもわからぬけれ

ども、やはり国を愛する場合は、ここは、議員は人の上に立つと余り言いたくないですけれ

ども、実はこれは大変重要な仕事で、社会の仕組みをつくる仕事ですから。そういう人たち

がやはり謙虚に、質素に暮らしている、最低でも国民と同じ生活をしている、これは私は絶

対的だと思うんですよ。だから立派なんですよ。


 だから、ああ、おれも日本をひとつよくしようかな、じゃ東京で、おれだったら名古屋でひ

とつ頑張ってみようかな、こう思うんですよ、コミュニティーの中で頑張ろうと。そこをつ

くる人たちが、億ションですよ、言っておきますけれども。庶民の高ねの花ですよ、これは。

 もう一回答弁いただきたいんだけれども、議運だ議運だと言うんだけれども、議運は私は筆

頭理事にもう言ってありますから、きょうここで質問すると。だから、一遍、ウイ・アー・

パブリック・サーバンツという本当の原点に立って、やはり僕は、議員宿舎を全部廃止して、

自分で不動産屋へ行って、ワンルームに入りたい人はワンルームに入る。それで、どうして

も欲しいものだったら住宅手当を国民の皆さんのところで堂々と議論する。こういう当たり

前の姿に戻さぬと、政治への信頼というか、ああ、日本というのはいい国だな、そういうふ

うに出てこぬと思うんだけれども、どうですか、大臣。





○杉浦国務大臣 正直に言いますと、例えば地方から、遠隔地から当選して来られる方にとっ

ては便利だと思うんですね。

 それから、国民の衣食住の水準はもう劇的によくなっております。公務員宿舎にしても議員

宿舎にしても、戦後の混乱した時代から始まっておるわけでして、新しい、こういう衣食足

った時代にどうかというのは、これは議院運営委員会の場で十分検討していただく必要があ

ると思う。どの程度の水準がいいかどうか、検討すべきことだとは思います。

 例えば、拘置所にしても刑務所にしても、拘置所は最近、冷暖房完備ですからね。昭和四十

年前後は何もないですから……(河村(た)委員「それは東京だけですよ」と呼ぶ)いやい

や、新しいところはですよ。刑務所も、最近新しいところは暖房が入りますから、それは国

民生活のレベルが上がっているからであって……(河村(た)委員「刑務所と一緒にしちゃ

まずいだろう」と呼ぶ)いや、でもと申し上げているわけで、やはり国民生活の水準、そう

いうものから勘案していくことは必要だとは思います。

 これは、国民の全体の奉仕者である国会が議院運営委員会という場を持っているわけですか

ら、そこで十分に検討して、いかなる水準が適正かどうか御判断いただくことだと私は思っ

ております。





○河村(た)委員 では最後に、これで終わりますけれども、ぜひこういう、さっきの委員長

の話もそうだけれども、議員というのはそれぞれ一人ずつ、これはある意味じゃ社長なんで

すよね。中小企業のおやじみたいなもので、それぞれが結構立派なものなんですよ。だから、

やはり質素なところに住んで、みんなが拍手するような状況にしていかないかぬ、宿舎を。

 便利だからと言ったら何でも便利になりますよ。それじゃ国民の皆さん怒りますよ、おれも

便利なところへ十分の一の家賃で住ませてくれと言って。だれの金で入っておるんだという

ことですよ。億ションは金持ちが入るところで、議員が入るところじゃないですよ、言って

おきますけれども。


 終わります。


◆コメント:政治の世界では、一般社会の「常識人」が「変人」になるらしい。

以前から、民主党の河村たかし衆議院議員は、テレビでよく見かけるので顔と名前は一致していたが、

失礼ながら人相が悪いので、「こいつ、どれが本音なんだ?」とやや胡散臭い気がしていた。


ところが、昨日、新しい国会議員宿舎の話を書いた後、国会議員でただ一人、

「とんでもない。億ションなんかワシは断じて入らん。

入居した議員が、税金の無駄遣いを主張したら、ワシは腹を抱えて笑ってやるぞ」

と宣言したのが、河村たかし議員だ、という話を読んで、へえ、と感心した。

コロコロ言うことが変るのが政治家だが、上の議事録は6月13日付である。

要するに半年前からずっと反対してきたわけだが、その理由が単なるあまのじゃくではない。

肝腎なところは太字にしたが、非常にまともなことを言っている。



お前は何故、急に河村議員に肩入れするのだ?と思う方がいるかもしれないが、特別な理由ではない。

正しいことを述べているから、評価しているのである。



現在の民主党全体を見た場合、誠に頼りない。先日マニフェストに、「集団的自衛権の行使を認める」

ことを盛り込む、などと新聞に書いてあって、暫くあきれてものが言えなかった。自民党と何処が違うのだ?



しかし、個々の議員を見た場合、民主党に限らないだろうが、きちんと仕事をしている人はいる。

いつも書いているが、日本人は他人のミスを責めるときは雄弁だが、他人を褒めるのがへただ。

大人だって、それなりの仕事をしたら、評価された方が良いに決まっている。


2004年4月、社会保険庁が年金掛け金を長年にわたり流用し、

その累計額が5.6兆円であることを突き止めたのは、民主党の長妻昭議員だった。



日銀が10年もゼロ金利政策を続けたことにより、国民が失った得べかりし所得が154兆円

であることを日銀総裁に言わせて、それは、実質的に消費税が20パーセントであるのと同じ事だ、と分りやすく説明したのは、

民主党の岩國哲人議員だった。



私は、いずれの場合も、議員の仕事を評価するべきだと思ったので、記事にした。

今回も同様である。

河村議員は、国会議員は全体に対する奉仕者、サーバントであること。

国民が経済的に苦しいときに、国会議員がそれよりも良い暮しをしては、国民の信頼など得られない、

といい、自分は絶対に億ションになんか入らないと宣言している。

だまっていれば、赤坂の82㎡の高級マンションに入ることができるのに、入らないといい、

その合理的な根拠を示している。

この点において、河村たかし議員は、言葉使いなどは少々ぞんざいだが、そんなことは些末なことであり、

評価されるべきである。それが、本稿の趣旨である。

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2006.12.11

「議員宿舎:赤坂の家賃9万円 衆院事務局が提示」←おい、いい加減にしろよ。

◆記事:議員宿舎:赤坂の家賃9万円 衆院事務局が提示

建て替え中の「衆院赤坂議員宿舎」(東京都港区)がほぼ完成、来年4月の入居に向け家賃協議も始まった。

28階建ての全室3LDK。スポーツジムや食堂、ラウンジも完備し、

都心の一等地ながら衆院事務局が議員側に提示した家賃は月9万2000円だ。

国家公務員宿舎法に準じて算定した結果だが、

同条件の周辺マンションは月45万円とも言われるだけに、厚遇ぶりが際立つ。

毎日新聞 2006年12月6日 21時03分


◆コメント:コメント要らないでしょう。

調べるのもバカバカしいほど、腹が立つ。

与党は、小泉政権のときから、「財政の健全化」を政策の柱のひとつにおいた。

詳しいことは、小泉経済政策検証総括に書いたので、お読みいただきたい。

財政再建の方法には、大きく分けて二つの選択肢があった。

一つ目。経済を活性化し、税収を増やす方法。

二つ目。歳出(国庫からの支出)を減らす方法。

小泉は(実際には小泉はバカで何も分らないから、もう1人のバカの竹中平蔵に任せたのだが)は、2番目の方法を選んだ。

そうしたら、役人は、自分たちが将来天下りする先を温存しておきたいので、

本来減らしてはいけない、社会保障費など(年金、医療費の国庫負担等々)「義務的支出」を減らした。

月収一万円の障害者に対して、自己負担分を増やした。

国民家健康保険の国庫負担分を減らし、保険料を引き上げた。

このため、病気なのに治療を受けられない人が増加した。

自殺者は7年連続で3万人を超えている。



こういうときに、国会は、国会議員が、今住んでいる青山宿舎がまだ使えるのに、

何と、東京メトロ・溜池山王駅から徒歩3分という超一等地に、地上28階、地下2階、部屋数300、

スポーツジムや展望ラウンジも備わる豪華マンションを作るというのである。家賃が9万円なんてマンションは、無い。

新しい宿舎の建設費は334億円。国有地なので、土地代は要らない。時価換算約500億円の超高級マンション。

近隣のマンションの家賃は、45万から50万円である。如何に国会議員が自らに対して「破格の優遇」をしているかが分る。

この超高級マンションに仕事中に携帯で遊んだり、新聞・雑誌を読んでいるセンセー方が

お住まいになるのだそうだ。

昨日は、夏目漱石の命日だった。

私は漱石が学生の頃から好きで一通り読んだが、一番好きな作品は?と訊かれたら、

「坊っちゃん」になる。文学青年からいくらバカにされようが好きなものは好きなのだ。

(ちなみに、今年は「坊っちゃんが」発表されてから、100年目になる)。

「坊っちゃん」が田舎の学校の教師に赴任して間もなく生徒にからかわれて、腹を立てて口にする言葉がある。

問題の所在は、全く異なるが、その言葉をセンセー方に申し上げたい。

「君たちは卑怯という意味を知っているか。」

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2006.12.10

モーツァルトとクレメンティ/クライバーのベートーベン4番

◆モーツァルトとクレメンティ

モーツァルトは勿論皆さんご存知でしょうが、クレメンティはどうですかね。

殆ど同じ頃に生まれた作曲家です。ただ、モーツァルトの生涯は1756年~1791年。35年の短い一生でした。クレメンティは1752年~1832年。

80歳まで生きてますね。当時としてはすごい長命です。

さて、子どもがピアノを習うといたします。

日本では最初にバイエル、ツェルニー。で次がやはりブルグミュラーでしょうかね。

その後ですが、先生によって違うのかな。しばしば、クレメンティのソナチネなんてのをやります。

その所為か、クレメンティなんて幼稚な作品と思っている人もいるでしょうが、生涯に100曲ぐらいピアノソナタやソナチネを書いています。

ソナチネってのは、ソナタの易しいもの、ということですね。これは、比較的初心者でも弾けるのですね。だから、ブルグミュラーの次に来る。

でも、クレメンティのソナチネって、そんなに幼稚じゃないと思います。

例えば、これ↓



よくピアノのおさらい会で弾きますけど、ちゃんとしているでしょ?因みにこれは第一楽章で、本当は第三楽章まであるのです。


そしてクレメンティのソナタの難しいのになると相当本格的に難しいですよ。バカにしたものじゃない。

クレメンティとモーツァルトは同時代のピアノの名手としてライバルでして、1780年、ウィーンの宮廷で皇帝ヨーゼフ二世の前で、

モーツァルトと腕を競い合ったのです。それぐらいの人なのです。

このときだったか、暫くしてからだったか、モーツァルトはクレメンティを「無趣味で機械的」なんてけなしてます。


ところが・・・・。モーツァルト先生、クレメンティのソナチネから一部拝借してるんですね。偶然だという人がいますけど、そうかなあ。

モーツァルトの最後のオペラは「魔笛」(まてき)というのですが、このオペラの序曲、序奏部の後をちょっと聴いて下さい。



いいですか?今のがモーツァルトです。次にクレメンティのソナチネの中から一曲、第一楽章を聴いていただきます。



これ、偶然?

たしかに、モーツァルトはその後の曲の展開が全然違うのですけど。「ド・ド・ド・ド・ド・ド、レドシド」だけじゃないかというと、

そうじゃないのです。クレメンティのソナチネは5分ぐらいですから、ちょっと辛抱して最後まで聴いてみて下さい。

「ソ・ソ・ソ・ソ・ソ・ソ・ラソ♯ファソ」が出てくるんです。

勘違いなさるといけないので、書いておきますが、私はモーツァルトを「糾弾し」ているのではありません。
これぐらいの短い音型、主題にもなってませんね。強いて言えば動機(モチーフ)ですかね。

この時代は勿論著作権なんかありませんから、ちょいと拝借したんですね。多分。

モーツァルトもそういうことがあったんだ、面白いな、ということです。私が云いたいのは。

せっかくなので、「魔笛」序曲載せておきます。


◆クライバーのぺートーベン4番、聴く気にならない方のために、一部収録。

数日前にベートーベンの7番のお薦めとして、カルロスクライバーを紹介しましたが、
そこでも書いたとおり、

クライバーは同じコンサートで、にベートーベンの4番も演奏してます。

そのCDもお薦めしましたが、
これは、知らない方は聴く気にならないかな?と。
でも、凄い名演なのですよ。だから、音をちょっとだけですが、アップしましたので、聴いてみて下さい。

まず、第一楽章で序奏部のアダージョから、アレグロになるところ。

音が大きいかも知れません。大きすぎたらボリュームを加減してください。後に載せたのも同様です。



皆さんがどう感じるかは(いつも書いているとおり)勿論自由ですが、私はこの部分が大好きなのです。



それから、フィナーレ(第四楽章)が、すさまじい。

これです。



名手揃いのバイエルン国立管弦楽団が必死になっているのが、見えるようです。

あまりにもテンポが速い。この楽章には、ファゴットとクラリネットの短いけど難しいので有名なソロがあります。

こういう箇所を強調するのは失礼なのですが、この演奏では、ファゴットが、途中で指が回らなくなって引っかかります。



途中で指が間に合わなくなって、一瞬音がもつれています。

但し、それでもプロが凄いのは、そのミスを一瞬にして忘れて、気を取り直して、ソロの最後はきちんと音を出していることです。

素人でも、楽器の上手い人はいますが、それまで上手く弾いたり吹いたりしていたのに曲の途中で一カ所間違えると動揺して、

そこから、ガタガタ、メロメロになってしまう人が多いのです。ここがプロと違うところです。

プロは、勿論、本来間違えてはいけないのですが、人間ですから間違えることもある。

肝腎なのは、すぐにミスのことは忘れて(考えないようにして)できる限り早く平常心に戻り、演奏水準を保つことです。

私はこれを、プロの「復元力」と勝手に呼んでいます。

復原力を発揮できない人はプロにはなれません。

見事に復元したところが、CDに収録されているのは、ライブと言えども珍しいので、

バイエルンの首席ファゴットの方には失礼なのですが、使わせていただきました。

マニアックな話になってしまいました。それでは、この辺で。

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2006.12.09

道路特定財源の一般財源化とは何か。

◆税金にも色々あります。

サラリーマンが給料から天引き(源泉徴収)されている所得税は、普通税といって、税金を納めた段階では、何に使われるか分かりません。


道路特定財源とは、文字通り「原則として道路整備に当てる為の財源」です。

それは、ガソリン税、自動車重量税などから構成されています。



「自動車重量税」というのは自動車を買ったとき、車検の時に収める税金です。クルマの重量で、たとえば、自家用車は1トンまで4400円/年です。

紛らわしいのですが、「自動車税」というのがあります。毎年5月末までに収めろと言ってくる、あれです。

これは用途を道路整備に限定していないので「普通税」で、「道路特定財源」ではありません。



また、道路特定財源は国の取り分(国税)と地方の取り分(地方税)とが入り組んでいるのでややこしいのです。

今、一番問題となっているのは「揮発油税」です。

これは、所謂「ガソリン税」のうち、国の取り分のことです。ガソリン税の地方の取り分は「地方道路税」といいます。



言い方を変えて説明します。

税法上の本来の用語法としては、、「揮発油税」(国税)と「地方道路税」(地方税)なのです。

これを併せて通称「ガソリン税」と言うわけです。



道路特定財源の規模はものすごい額です。

ちょっと古い数字ですが、2004年度予算の道路特定財源は5兆6571億円です。

そして、全体の約半分はガソリン税のうち国の取り分である「揮発油税」なのです。


◆揮発油税を「道路特定財源」にしたのは田中角栄です。

歴史的経緯を見ると、揮発油税は、元来「道路特定財源」ではなかったのです。これを特定財源にしたのは田中角栄です。

どうして、そういうことを考えたのか。

1950年代、日本はまだ貧しくて未舗装の道路が大部分だったのです(今では信じられないでしょうが)。

そのため、一般会計予算では足りなかったので、何とか他に財源を作ろうというので、

角栄が揮発油税を道路整備に充てるアイディアを思いついたのです。



これを、一般財源化するということは、ガソリン価格に含まれている税金を道路整備以外の目的、道路とは関係のない目的にも使うようにするということです。

何故なら、今は国道と都道府県道の舗装率は96パーセントにもなっていて、道路特定財源は余っているのに、不要な道路を作るのに使われているからです。

そんなことをするなら、たとえば、社会保障、つまり年金財源に回したらいいじゃないか、というのが一般財源化推進派の提案の一つです。



しかし、一般財源化に反対するひとも、当然います。

反対論が「正論」として持ち出すのは、「道路特定財源は、道路を造る為と称して収めさせた税金なのに、それを他の用途に使うのは、詐欺だ。

それぐらいなら、特定財源をやめて、ガソリンを安くしろ」という論理です。

それはそれで一応すじが通っています。

ですが、それは「建て前」です。本当は例によって族議員が反対した訳です。


◆「族議員」とは何か。

一般的に「族議員」は「ある特定分野の政策立案に影響力をもつ政治家の集合体」です。



道路族議員は、日本中の土建屋(道路工事業者)や自動車メーカーを後ろ盾とする人たちです。

道路族議員は、道路特定財源を温存して、本当は入らない道路までも建設するように国交省の役人に圧力をかける。

道路が造られたり補修されれば、道路工事業者に恩を売ることになります。

地元の業者は選挙のときに、間違いなくその「族議員」に票を投じるわけです。

また、表沙汰にならないけど、業者から御礼に「何でも買える紙」を貰っている人もいるでしょう。

口座を通さずに現金でこっそり受け渡しすれば、バレません。



また、道路の建設の段取りを組んだ中央官庁の役人は「天下り先」の確保ができます。

これが、政・財・官の「伝統的な」癒着構造です。



安倍首相は、つい先日まで、「2007年度、揮発油税の一般財源化をやる」といっていましたが、

やはり、古株の道路族議員にはナメられているようで、揮発油税の見直しは速くても2008年以降になってしまいました。



私は、族議員とか癒着構造などという文字を目にすると本当に嫌な気分になります。皆、自分のことしか考えていないからです。

今までにすでに道路特定財源は余っていて、旧本州四国連絡橋公団の債務の返済に流用していたのですが、その返済が今年度で終わるのです。

すると、2007年度は道路特定財源が約6000億円あまるのです。

一般財源化した方が良いと思います。

族議員と工事業者と国交省役人のために、無理に道を造る必要は無いでしょう(勿論、本当に必要な道路はつくるべきですが)。

6000億円余るのですよ。



道路とは全く関係がないけれど、交通事故や自殺で親を失って経済的に困っている子どもたちの為の「あしなが育英会」という組織があります。

これは、一般国民の善意の寄付でお金を集めています。自殺遺児たちが進学するのを応援するために、いくら必要だと思いますか?

育英会は年間約20億円の資金集めに必死なんですよ。20億円です。

道路特定財源は、もう一度書きますが、来年度約6000億円余るのですよ。



理屈のうえでは、道路を整備するためと称して集めた税金を他に使うとはけしからんというのは尤もです。

ですが、要らない道路を建設するぐらいなら、あしなが育英会に限らず、

本当に困っている人の為に使うのが、倫理的に正しいと、私は思います。

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2006.12.08

シベリウスの誕生日。「カレリア組曲」ってのがあるんです。

◆今週はいろんな人の命日と誕生日が連続するんです。

忙しいなあ。師走だから忙しいのは当たり前、ってそう言う話ではないのです。

有名な音楽家と作家の誕生日と命日が連続するのです。12月5日は、先日書いたとおりモーツァルトの命日ですね。

そして、日付が変ってしまったけれど、12月7日は間奏曲があまりにも美しい、

「カヴァレリア・ルスティカーナ」というオペラを書いたマスカーニという作曲家の誕生日でした。

最初に音をアップしたのは、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲だったのではないかな。

もう一度、載せておきます。実に美しい。



8日がシベリウスの誕生日。9日は夏目漱石の命日、といろいろあるのです。


◆12月8日はシベリウスの誕生日。

勿論、日本史上は悲劇の始まり、真珠湾攻撃を行った日ですが、それは今日は書きません。

但し常識として知っておいた方がいいですね。はい、その話はここまで。



で、フィンランドの作曲家シベリウスの誕生日なのです。

1865年12月8日-1957月9月20日という一生ですから、西洋音楽の歴史の中では比較的「最近」の人です。

ですが、作風は伝統的なクラシックを踏襲していて聴きやすいです。



シベリウスはもともとバイオリニストを目指していたのです。結構上手かったらしいのです。練習とか、レッスンの時は。

ただ、アガリ症でして、試験の時とかリサイタルとか、「ここ一番」というときにどうも上手く弾けなかったそうです。

それで、演奏家はあきらめて作曲をしたら大成功だったのですね。

勿論、誰でも演奏家がダメなら作曲家になれるというものではありません。演奏と作曲は別の才能です。


さて、シベリウスで何を聴きましょうか、と考えました。

ウルサ方は、シベリウスで「フィンランディア」とかいうとバカにします。

「交響曲第5番」が良いとかいいます(一番有名なのは2番です)けど、「フィンランディア」もいいですよね。

一曲だけバイオリン協奏曲を書いています。これはかなり頻繁に演奏される名曲です。

ただし、自分がバイオリンを弾けるので、色々と難しい技巧を要求しているそうです。

聴いている分には大変美しい。ただ、最初からバイオリン・コンチェルトをお薦めするのもどうかと迷います。

「フィンランディア」はカラヤンとか有名な人のが沢山あります。どれでもさほど外れない。


◆カレリア組曲ってのがいいのではないかと思います。

「カレリア」というのは、フィンランドのある地方の名前だそうで、それを題材とした劇付随音楽ですが、

今では専ら音楽が独立して演奏されるのです。組曲といっても3曲しかないので、独立したCDにならないのです。

「フィンランディア」と「カレリア」と「バイオリン・コンチェルト」が一枚に収めてあるCDを探したのですが、どうも見あたらない。



カレリア組曲の最後はマーチでして、これがシベリウスにしては「へえ・・」と驚くほど明るい。

こんな曲です。



途中から煌めくトランペットが鮮やかです。

同じフレーズをホルンが引き継ぎ、トランペットが3連符で合の手を入れる。

その後の、後打ちで入るシンバルの一発が、私は大変好きなのです。

この録音、もう少し大きい音で「ジャーン!」とやっても良いと思うのですけどね。



これは、私しか感じないことかも知れないけど、シベリウスはオーケストラ曲に傑作が多い(ピアノとか、弦楽四重奏も書いてますが)のですが、

このカレリアといい、フィンランディアといい、交響曲の5番などにも出てきますが(5番じゃなかったっけ?)、

シンバルの使い方がとても上手いと思うのです。


◆岩城さんの指揮で初めて「カレリア」を聴いたのです。

極めて個人的な経験なのですが、とても懐かしいので書かせてください。

「フィンランディア」では、曲の終わり近くで、シンバルが後打ちを続けながらクレッシェンドして、

最後にフォルティッシモで一発決める箇所があります。

もう定年で辞められましたが、N響のパーカッション(打楽器)に岡田さんという方がいらっしゃいました。

この方は、ティンパニを叩いても、その他の打楽器をやっても何を叩いても、カッコイイ方でした。

全身を使ってクレッシェンドしてゆく「フィンランディア」のシンバル。

「展覧会の絵」の最後「キエフの大門」のバスドラム(大太鼓)。

一発叩く毎に、独特の動作をなさるのですが、決まっているのです。ありありと思い出せます。



ところで、わたしは、この「カレリア組曲」のマーチを、子どもの頃、N響が土曜日か日曜にやっていた

「青少年のためのプロムナードコンサート」で岩城宏之さんがアンコールで演奏したのを聴いて初めて知りました。

何と楽しい曲だろうと思いました。最後の金管の輝かしい音を聴くと、胸がいっぱいになります。


◆お薦めCD

シベリウスの誕生日なのですから、「シベリウスづくし」にするのが普通でしょうが、

「カレリア」のマーチを含む、色々な作曲家の管弦楽のマーチを一流の演奏家ばかりが録れているのを見つけした。

華麗なるクラシカル・マーチ:です。

すごいよ。これ。

カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル による「双頭の鷲の旗の下に」とか「旧友」とか。

その他もアーサー・フィードラー、ボストン・ポップス、

小澤征爾、ボストン交響楽団のメンデルスゾーン「結婚行進曲」。

「カレリア」はヤルヴィ指揮・エーテボリ交響楽団 です。大丈夫です。上手いです。ここ。



もう少しで冬至で寒いですから、景気の良いマーチもよろしいのではないかとおもいました。

これらの色々な作曲家のマーチはマーチといっても演奏会用のマーチですから。実用にも使われるスーザとはまた違います

(スーザも入ってますけど、オーケストラですから、趣が違って面白いと思います)。

話の焦点が、シベリウスから、いろいろ横に逸れましてしまいましたが、今日はこの辺で。

それでは。

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2006.12.07

「海自インド洋派遣6年目 無料給油、203億円分」「生活保護 削減額は400億円」←これが「美しい日本」なのか。

◆記事:海自インド洋派遣6年目 無料給油、203億円分

米英などによるアフガニスタンでのテロ掃討作戦を支援するテロ対策特別措置法が11月から1年延長され、

海上自衛隊のインド洋派遣は6年目に入った。他国艦艇への無料給油は先月27日で、延べ700回に達した。

日本から1万8000キロも離れた洋上の活動の実績はどうなっているのか。



◇評価分かれる成果

「来年のゴールデンウイーク明けには、無事に戻ってきます」。

先月12日、海自の呉港(広島県呉市)から補給艦「とわだ」(8100トン)がインド洋に向け出航した。

山下正和艦長(54)は、見送りの海自幹部や家族ら約300人に、こうあいさつして乗り込んだ。

出港から帰港まで約5カ月。「とわだ」は今回で6度目の派遣となる。5度目の派遣となる隊員も多く、精神的・肉体的負担に加え、家族の苦労も大きい。

また、海自の補給艦は5隻しかなく、派遣前後は通常任務の訓練、整備などもこなさなければならない。

米英などの艦船は、アラビア半島周辺のインド洋で武器やテロリスト、資金源となる麻薬が行き来しないよう、

01年9月の米同時テロ以降、阻止行動を続けている。04年1月に大麻約1・5トン(110億円相当)を押収し、

アルカイダに関与するとみられる乗員15人を拘束した。同5月には、銃器約560丁、実弾約1200発を押収した。



海自の補給艦は、これら他国の軍艦艇に無料で燃料や水を補給する。いわば「洋上の給油スタンド」の役目だ。

過去5年で派遣された海自艦は延べ55隻、活動した隊員は同約1万600人。

11カ国の艦艇に提供した燃料は46万キロリットル(ドラム缶230万本分)で海自の艦艇が使用するほぼ1年分に相当。

5年間で203億円分の燃料を提供したことになる。



だが、支援の具体的成果は見えにくく、1カ月の補給回数は、最盛期の03年5月の32回から13回程度まで減少している。

今年2月、内閣府は「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」を実施した。

自衛隊が取り組んでいる国際平和協力活動について複数回答で挙げてもらったところ、

▽イラク再建への協力(88・4%)

▽国際緊急援助活動(68・9%)

▽国際平和協力業務(45・3%)

が上位を占め、「国際テロリズム対応」は28・5%の4位にとどまった。



久間章生防衛庁長官は「イラク戦争に反対したフランスなども参加した活動であり、テロ撲滅に効果を上げている」と話す。

一方、民主党の笹木竜三衆院議員は「活動の実態が見えない。米国のような力で抑える行為は限界であり、日本は違う貢献の道を探すべきだ」と批判する。

海自幹部は「テロとの戦いは50年はかかると思う」と話し、長期化を覚悟する。(毎日新聞 2006年12月1日 東京夕刊)


◆コメント:既成事実化したからといえども、違憲が合憲になるわけではない。

最初に整理しておかなければいけないことがある。

自衛隊を海外に派遣する根拠となっている法律は大きく分けて二つある。

一つ目は「テロ対策特別措置法」である。

2001年9月11日の同時多発テロの後、アメリカがテロリスト(タリバン)掃討作戦を行うというので、

小泉がこれを助けようといって、テロから2か月も経たずに、強行採決した法律である。

正式には、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」(平成十三年十一月二日法律第百十三号)という。



二つ目。イラクに自衛隊を派遣したのは「イラク復興支援特別措置法」に基づく。

テロ特措法とは別の法律である。

私は、「イラク復興支援特別措置法」もテロ特措法と共に違憲だと考えているが、本日は、イラク復興支援特別措置法は保留する。



記事に書かれている海上自衛隊のインド洋での「ガソリンスタンド活動」はテロ特措法に拠る。

テロ特措法が成立するときには、アメリカの後方支援をすることは、アメリカが敵と見なすのはテロリストであり、

「国家」ではないものの、実質戦闘状態に成るわけで、「戦闘状態の同盟国の後方支援を行うことは、集団的自衛権の行使に相当し、違憲である」

と憲法学者らが署名を集めるなど、大騒ぎだった。



しかし、時間の経過と共に、その問題の本質をわすれ、「どうでもいいや」となってしまうのが日本の有権者の悪い癖である。

テロ特措法は成立時には、2年間の時限立法だった。

当初「違憲ではないか」とあれほど騒がれていた法律の3度目の延長が、11月にあっさり可決してしまった。

私は、「テロ対策特措法の改正案が成立 3度目の期限延長」時限立法がほとんど「自動継続」

という記事を書いたのでお読みいただきたい。



記事は毎日新聞が、海上自衛隊のインド洋での活動に関して特集した記事である。記事のキャッシュは、

http://megalodon.jp/?url=http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/shiritai/&date=20061202100404

にある。現れたURLをクリックすれば記事原文を読むことができる。

新聞が取り上げないよりは良いが、テロ特措法の延長が国会で決まったのは、一ヶ月以上前である。

新聞には「どうなっているか」、即ち事実(存在)を伝えるだけでなく、どうあるべきか(当為)を国民に示す使命がある。

今、日本中で、インド洋への海自派遣の合憲性について考えている人がいるだろうか?



なお、自衛隊の海外派遣の問題を取り上げる度に書くが、私は自衛隊、自衛官を責めているのではない。

自衛隊の最高指揮権は内閣総理大臣が有する(自衛隊法第7条)

自衛官は内閣が提出し、国会で可決した法律と、内閣総理大臣の命令に従って活動しているだけである。

私が、批判しているのは内閣及び国会である。



しかし、自衛官も「海自幹部は『テロとの戦いは50年はかかると思う』と平然と発言するのは如何なものか。

2年間の時限立法を24回も「自動継続」させろ、というのか。


◆成果の分からない自衛隊派遣には惜しみなく金を使い、国内の社会的弱者は切り捨てる政府。

海上自衛隊の艦船はインド洋で、

203億円分も「無料のガソリンスタンド」をして、テロ掃討に役だったという。

役立っているかどうかは関係ない。集団的自衛権の行使は違憲だから、この活動を放置してはいけないのである。



さらに、合憲か違憲かとは別問題だが、国として予算の配分がおかしいのではないか。

最近、障害者や、弱者が切り捨てられるような話が、続けざまに、新聞に載っているのをご存知だろうか。

先日、日曜日、NHK特集では、国民健康保険の保険料が引き上げられたために、これを払えず、保険証を取り上げられ、

病気なのに医者に診て貰えない人が増えている、という問題をとりあげていた。似たような話が続く。

次の記事をお読み頂きたい。12月1日付毎日新聞である。

◆生活保護:削減額は400億円 来年度予算編成で政府方針

政府は30日、07年度予算案編成で生活保護の削減額を母子加算の縮小などで約400億円とする方針を固めた。

07年度の社会保障費は、母子加算見直しと失業給付に充てる雇用保険の国庫負担削減などで約2200億円削る方針が既に決まっているが、

雇用保険は国庫負担を5割カットして1800億円減らす。

母子加算は、15歳以下の子がいる一人親家庭に月額2万円強の保護費を上乗せする制度。

約9万1000世帯が受給しているが、「非保護の母子世帯より恵まれている」として削減が決まっていた。

政府は07年度から段階的に縮小し3年で廃止する方針で、代わりに一人親世帯の働く親を支援する制度を設ける。

雇用保険は、雇用情勢の改善で07年度の積立残高が06年度を1兆円上回る4兆3000億円に膨らむ見通しで、

国庫負担を半減しても対応可能と判断した。(毎日新聞)2006年12月1日 0時45分

さらに、今朝の読売新聞。
◆弱者の共済制度、08年法人化義務で消滅の危機

民間の保険が利かない出費を賄ってきた知的障害者らの共済制度が、大きな岐路に立たされている。

今年4月に施行された改正保険業法で、いわゆる無認可共済は、法人組織にして厳しい管理体制をとることが義務付けられたが、

予算や人手が不足して法人化は簡単ではないためだ。

このままでは、2008年にほぼ消滅し、障害者らの肩にずっしりと負担がかかることになる。

各団体は、金融庁に同法の適用除外を求めているが、同庁は「運営の透明性を高めることが必要」と認めない方針だ。

法律に基づかない無認可共済を巡っては、1996年に社会問題化したオレンジ共済事件のように、

加入者が負担金をだまし取られるなどのトラブルが相次ぎ、監督する必要性が指摘されていた。

このため、改正保険業法では、会社内で社員同士で作る共済や、公益法人化した共済などを除き、

〈1〉今年9月末までに金融庁へ届け出ること

〈2〉08年3月末までに株式会社か相互会社に移行すること――

などを義務づけた。しかし、この義務づけが、既存の共済には高い壁となっている。

会社組織に移行することにより、保険に詳しい常勤職員や事務所を確保する必要が出てくるなど新たな負担を強いられるためで、

特に、スタッフの多くをボランティアに頼り、年間予算が数千万円規模の小さい団体には死活問題だ。

障害者団体の中には、「1億円の追加負担になる」と試算しているところもある。

知的障害者と保護者らで組織する「全国知的障害者互助会連絡協議会」(会員約8万7000人)によると、

39都道府県の傘下団体が共済を運営してきた。障害者が入院した場合、支援施設の職員らが付き添うことが多く、

各共済は付き添い費として、会員から集めた年間1万2000円の会費から、1日約8000円を支給してきた。

05年度の給付総額は約6億円に上る。

法改正に伴い、ほとんどの傘下団体の共済が金融庁に届け出たが、08年3月末までに法人化できるかどうかは不透明な状況だ。

法人化できずに会費集めがストップすると、財源が枯渇した時点で解散せざるを得ない。

同協議会の福田和臣会長は、「非営利で低予算で続けてきたが、法人化には新たに人件費もかかって無理。

付き添い費を対象にした保険はなく、障害者を抱える家庭の負担はさらに増す」と心配する。

一方、登山愛好家が加入する「日本勤労者山岳連盟」(約2万2000人)は、

会員が遭難した際の救助活動費を捻出(ねんしゅつ)するための共済を運営してきたが、

法人化はそぐわないとして届け出なかった。

同連盟の川島高志事務局長は「ヘリコプターのチャーター代などを、愛好家みんなで出し合ってきた。

共済がなくなれば、救助も出来ない」と憤る。

こうした共済制度は、けがをした子どもの治療費を負担するPTAの共済、

医師が休業した時に看護師らに保障する保険医団体の共済などもあるが、いずれもこのままだと消滅することになる。

金融庁は「改正保険業法は契約者保護のためにある。共済の運営責任を明確化するには、営利か非営利かは問わず、法人化が最適」(保険課)としている。

(2006年12月5日14時36分 読売新聞)

どうしてこういうことになるのか。


◆こういう世の中で良いのですか?

違憲であり、かつ、如何なる成果が上がっているかさっぱり分からない海上自衛隊のインド洋派遣はこれからも続け、

外国の艦船に「無料ガソリンスタンド」を続ける。



一方、日本国内では、年寄りや、国民健康保険加入者や、事情があって働けず、本当に生活保護を受けなければならない人や、障害者がいる。

だが、引用した毎日新聞、読売新聞の記事を読めば明らかなとおり、日本政府は、こうした弱者は「勝手に死んでください」といわんばかりである。



このような流れを作ったのは小泉内閣である。

私は、その件に関しては「<竹中総務相>参院議員辞職、政界から引退へ 首相に伝える」←卑怯と言う言葉を知っていますか、竹中さん。小泉経済政策検証総括

で詳しく書いたので、是非お読み頂きたい。

このような世の中を作りながら、相変わらず小泉はヘラヘラと笑い、

卑怯者竹中は、無責任極まり無いことに、国会議員を辞め、元の慶應義塾大学で教えている。

汚い。あまりにも汚い。こういう世の中は間違っている。

これが安倍晋三内閣総理大臣の言うところの、「美しい日本」なのか。

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ベートーベン交響曲全集をお薦めするのは、勇気が要りますが・・・。

◆モーツァルトの命日、ご指摘ありがとうございます。

モーツァルトの命日について、書きましたが、エンピツとココログでは記事の日付が違うので、正確にはいつなのか書いた方が良い、

というご指摘を受けまして、有難うございます。

そうですよね。結論は、1791年12月5日です。済みません。



ところで、ココログがメンテナンスをしておりまして、これが何と7日(木)の午後までかかるそうです。

前回、次は「モーツァルトの盗作疑惑?」について書きます、と申し上げましたが、しばしお待ちを。


◆ベートーベンの7番追加でお薦め。

先日、ベートーベン「交響曲第7番」のお薦めCDを書きました。

カルロス・クライバーをお薦めしたのですが、これは、カールベームという指揮者の追悼演奏会でした。



で、カールベームは以前書いたのですが、最晩年、1975年、77年(←私が絶賛したのはこれです)、80年と3回も来日しています。

その最後、80年来日公演における7番のDVDをお薦めするのを忘れていました。



カールベーム氏は、この翌年亡くなるのです。80年来日は命懸けだったのです。

私たち日本人が感じるヨーロッパまでの距離と、あちらの人が感じる日本までの距離とは(念を押しますが、心理的な距離ということです)全く違います。

欧米人にとって、ここはFar East(極東)というぐらいで、「地の果て」なのです。

ベーム先生は、もう、引退しても良い、押しも押されもしない巨匠だったのですから、

普通はこんな高齢で、身体が弱っているのに、来ないですよ。日本なんか。



それでも来てくださったのは、日本の聴衆に本当に感激したからです。

DVDの解説には、息子さんのメッセージがありまして、「父は日本に恋をしたのです」とあります。

ただ、さすがに、棒はよれよれですから、DVDを注意してみていると分かるのですが、

コンサートマスターのゲアハルト・ヘッツェル氏が、ものすごく動いて、オーケストラをリードしている。

実際はコンサートマスターが指揮しているようなものです。



このDVDは、あの時の演奏を生で、或は放送を通して聴いた方が特に懐かしく感じるだけでしょうか。

初めて見る若い方にも分かっていただけると嬉しいのですが。

音楽に一生を捧げた大家が、残りの生命を燃焼し尽くしてベートーベンの交響曲を振っている。

私は、見ていて泣けてきました。


◆ベートーベンを全部聴こうと思ったら・・・。

これは、大変難しい。

マニアに聴くと、皆違うことをいいますからね。

それも、一曲ごとに違う指揮者とオーケストラを薦めるでしょう。外国のオーケストラを。



私は、日本人の素晴らしい演奏を御紹介したいのです。

5年前(2001年)に亡くなった、朝比奈隆氏は東京生まれですが、ずっと関西で大阪フィルの音楽監督でした。

ブルックナーが有名ですが、ここでは、触れません。



朝比奈さんは、ベートーベン交響曲全曲演奏会(勿論、何日にも分けて、ですよ)を9回も演った方です。

レコードも全集で7回だったかな、出しているのです。スタジオ録音は好まず、ライブ録音です。

殆ど、大阪フィルの演奏ですが、新日本フィルとの全集があります。

朝比奈隆さんの全集で結局これがベストではないかと思うのです。

これは、もう自分の思うままにお薦めするしかないのです。



また、この全集には特別な事があります。

CDとは全く別の企画として、新日本フィルとのコンサートの翌日に、毎回、評論家で元クラシック音楽番組のプロデューサーだった、

東条碩夫(ひろお)という方が、朝比奈氏の泊まっているホテル・オークラに行って、スコアを見ながら、

この曲は何をどう考えて演ったのか、というような話を訊いた、インタビュー形式の本があるのです。

朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語るです。

朝比奈隆氏は音楽大学ではなくて、京都大学法学部卒で、最初は阪急電鉄に入社し、電車の運転までしたことがある方なのです。



ところが、その頃京大オケを指導していた、ロシア人のメッテルという先生(日本語ペラペラ)に、

「お前、俺について本気で音楽をやってみろ」と言われたんだそうです。

「お前の国には、『石の上にも三年』という言葉があるだろう」と。本当にそのとおり、日本語で。

朝比奈氏は、この説得に根負けして、「音楽家になっちゃった」。



そういう方ですから、一般教養を幅広くお持ちで、その上で音楽をやったという特有の面白さがあります。

この全集と本を合わせて聴いて、読むと、ははあ、指揮者というのは、こういうところに目を付けるのかという新鮮な発見の連続となります。

ちょっとマニアックすぎましたかね・・・。

言うまでもないことですが、全集ですから、値が張りますので、ご無理をなさいませんように。

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2006.12.04

明日はモーツァルトの命日なのですが、段々書くのが恐れ多くなってきました。

◆「自分はモーツァルトのことなど、何も分かっていないのではないか」という気がするのです。

はじめに少し堅苦しい話になりますがお付き合いいただければ幸いです。

私は、モーツァルトのことはこれまでに何度も書いているのですが、読み返してみると結局、何も分かっていないのではないかと思うのです。



話が少し逸れます。

私は、今までの半生でいろいろな本や講義で、非常に感銘を受けて忘れられない言葉は数多くあります。

しかし、今年、ネットで拝聴した東大名誉教授、ノーベル物理学賞受賞者、

小柴先生の講義の冒頭で、先生が仰った、

あのね。あなた方はそう思わんかも知れないけどね。立派な学者っていうのはね、「沢山のことを知っている人」じゃないの。

「知らないことがこんなに沢山あるぞ」と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。

という言葉から受けた衝撃・感動は、私があと何年生きるのか分かりませんが、まず間違いなく、「一生で最も影響を受けた言葉、ベスト5」に入ると思います。



話を音楽にもどします。私は自分が「偉い音楽ファンだ」と云いたいのではありません。

私がモーツァルトは天才だとか何とか分かったようなことを書いているのは、「観念的に」理解しているだけなのです。

つまり、自らも歴史に名を残した作曲家がモーツァルトを賛美しているから、

また、世間が皆評価しているから、という背景があるので、自分も便乗して「分かったつもり」でいるだけなのです。

本当にモーツァルトが如何に偉大かということは、音楽家=音楽に一生を捧げた人、

つまり演奏家や作曲家や指揮者でなければ分からないと思います。


◆演奏家の日記を読むと、それが良く分かります。

良く分かるというのは、「自分がモーツァルトを分かっていないのだ」ということが、良く分かるのです。



私は、何人かの現役のオーケストラ・プレイヤーの日記を読むのがこの上なく楽しみなのですが、皆さん驚くほど、同じようなことを書いています。

あるオーケストラのヴァイオリニストは、「オール・モーツァルト・プログラム」(コンサートがモーツァルトづくしということです)の後で、

「モーツァルトは本当に疲れる。演奏に際して、神経の使い方が他の作曲家と次元が違う」と書いていました。

同じオーケストラで、もう何十年もヴァイオリンを弾いておられるもうすぐ定年の方ですら、

「モーツァルトは本当は演奏するよりも聴く側に回りたいものです」とおっしゃる。



今年亡くなった、指揮者の岩城宏之さんは、「岩城音楽教室」(30年前に書かれて、一旦絶版になったのですが、昨年(2005年)復刊された本です。素人向けの本ですがプロが読んでも面白いと思います)の中で、

次のように書いています。少し長くなりますが書き写します。

演奏旅行で毎日同じプログラムが続くと、オーケストラもぼくも正直いって飽き飽きしてしまいます。そういうときいわばお遊びをやると、お互いのリフレッシュに役立つことがあります。つまり、その日によって解釈をちょっと変えてやってみるとか、テンポを少し速くするとか、ほんの少しのイタズラ心ともいうべき動作で、みんながフレッシュになって、演奏会を再び新鮮に、素敵にする。作曲家には悪いのですが、チャイコフスキー、ドヴォルザークの作品には、こういうことがむしろ有効なようです。
しかし、どうしても、ベートーベンの曲だけは、それができません。ちょっとした冗談でも許されないようなきびしい曲ばかりです。ベートーベンの演奏には、寸毫(すんごう)の邪念もさしはさめるような余地がないのです。(中略)。
モーツァルトに対しては、恐れは抱きませんが、別の意味で、地上でもっとも美しい曲を作り出した天才、全人類史上、唯一の神様として敬愛していて、やはり意識的な別の解釈をする気はおこりません。
こういう感じ方をさせる作曲家は、ぼくにはこの二人しかいません。


◆モーツァルト頌(しょう)という本があるくらいです。

頌(しょう)とは「ほめたたえる」という意味です。この本のことは、一年前に書きました。

エンピツならば、こちら、ココログならば、こちらからお読みいただけます。

本は、これです

分厚い本なのですが、丸々一冊、モーツァルトへの賛辞なのです。

それも、普通の人ではない。

ベートーベン、ブラームス、ショパンなど、音楽家のみならず、スタンダール、アインシュタイン等々きりがありません。

要するに、自分も永遠に歴史に名を残す天才が褒めちぎるほどの超弩級の大天才がモーツァルトなのです。

前述のとおり、私は自分にはこういう「観念的な理解」しかできないのだと自覚することにしました。


◆それでも、各人の感受性の範囲内で聴けばよいのです。

私にはベートーベンやショパンが、理解したのと同じ程度に、モーツァルトの本質が分かることはないでしょう。



ですが、だからといって「これからはモーツァルトを聴かない」などというつもりは毛頭ありません。

そもそも、天才でなくても、モーツァルトは聴いて美しい。そう感じることに嘘はありません。

だからこそ、生誕250年の現代でも、世界中で聴かれている。それで良いと思います。


◆アダージョとか、アンダンテとかが聴けるようになるとだいぶ大人です。

クラシック音楽に特有なのは、非常にテンポが遅く、弱音を中心とした曲(楽章)です。

勿論「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も良いのですが、

「アンダンテ」とか、「アダージョ」など、テンポが遅くて、音量が小さくて、派手さにはほど遠い音楽にも慣れ親しむと、

「アイネ・クライネ」のモーツァルトとは違った魅力に気づきます。



聴き手だけではありません。演奏者の音楽性がもろに出るのは、こういう音楽です。
例えば、ピアノ協奏曲第21番の第2楽章のアンダンテ。映画にも使われたり、色々なところで使われています。

聴いて下さい。なるべく、ボリュームを絞って聴いて下さい。



どうですか?これは、そりゃ、ただ弾くなら弾けますよ。ピアニストはもちろんですが、

素人でも音符を音にするだけならできます。だから、難しい訳です。

バルトークとかプロコフィエフのピアノ協奏曲になると、そもそも技術的に大変難しいので、

とりあえずつっかえないで速いパッセージを弾けば、素人は感心する。しかし、21番の2楽章のアンダンテ。

極端に言えば、ある程度ピアノを弾く人なら誰でも弾けるのです。

それでも、「上手い」と感心させるというのは大変なことです。



それから、良く聴くと分かりますが、弱い音、緩やかなテンポでも、一つ一つの音はくっきりと響きます。

ピアノの演奏で「タッチ」が良いとか悪いとか云いますが、ピアニストになるには、このタッチがふにゃふにゃしていたらダメです。

このアンダンテでは、音ははっきりと出しながら、同時に、優美な心休まるような音楽を奏でるのですから、大変です。

フォルテなら思い切り音を出せますが、ピアノ、ピアニッシモで、ホールの隅々にまで聞こえる音を出す。

これも「テクニック」なわけです。



もう一曲は、モーツァルトが亡くなる半年前に書いた、一種の賛美歌です。

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です。短い曲です。46小節しかない。しかし、美しい。

私も若い頃は、フル・オーケストラでガンガン鳴らす、賑やかな方が好きでした(今でも、好きですけど)。

年をとると共に、次第にこういう敬虔な気持ちになる曲も好きになりました。まあ、聴いてみて下さい。これも、ボリュームを抑えて下さい。



どうですか?どのように感じるのも自由です。

今日は、かなり真面目なことを書きました。

次は、モーツァルトの盗作疑惑(?)について書こうと思っています。
それでは、今日はこの辺で。

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2006.12.03

ベートーベン「交響曲第7番」のお薦めCD

◆若い人に7番が人気だそうですね。

私は、普段クラシックCDの売上げチャートというのは、見ないのです。

日本人は、「他人が買っているなら自分も・・・」という行動をとりますけれど、

他人がいくら気に入っても、自分が気に入るとは限りません。



但し、「最近はどんなものが売れとるのかな?」という単なる好奇心から、チャートを見ることがあります。

予想はしていたのですが、「のだめオーケストラ・ライブ」というのが、非常に売れているそうですね。

これを見ると、曲目の構成が如何にもちぐはぐなのですが、

それは(私はのだめカンタービレのマンガを読まず、ドラマを見ていないので分かりませんが)、

ストーリーの展開に合わせているからなのでしょうか?

まあ、それは、いいです。
ちょっと面白いのは、ベートーベンのシンフォニーで、所謂「タイトル付き」(「英雄」「運命」「田園」「合唱付き」)ではない7番から

取り上げていることです。

マンガ作者やCD制作者の意図は不明ですが、確かに、7番は名曲です。


◆好きな曲ができたら他の指揮者とオーケストラで聴いてみるのが、クラシックの面白さのひとつです。

歌謡曲と異なり、クラシック音楽は例外的な場合を除き、ある楽曲を特定の演奏者しか演奏しない、ということはあり得ません。

作曲家の原譜に「誰それにこの曲を捧ぐ」などとメッセージが書かれていることがありますが、それは作曲者の気持ちを書いているのであり、

他の人が聴いてはいけないとか、演奏してはいけない、ということは原則としてありません。



そして、ベートーベンの交響曲は世界中のオーケストラが演奏します。

ベートーベンの交響曲を演奏できないようなオーケストラは、オーケストラではありません。



ちょっと話が堅苦しくなります。

クラシック音楽の名曲の凄さは、作曲者の死後数百年(ベートーベンは1770~1827ですから、来年で没後180年です。ハンパですね)経っているのに、

つまり、すっかり人間を取り巻く環境が変っているのに、

そして、ベートーベンが恐らくその存在すら全く頭に無かった(全く異なる文化圏ということです)、

日本人の心さえ、捉えてしまうということで、これはベートーベンに限らず全ての優れた芸術作品に共通することです。

クラシックは古くさいといいますが、古いのは当たり前ですね。200年前に書かれたのだから。

その古くさい音楽を「今でも、繰り返し演奏されて、聴く人々が感動する」ということは素晴らしいことだと思います。



さて、何故かわかりませんが、「のだめ」で演奏されたベートーベンの交響曲第7番を若い人が気に入ったというのは、

どの程度気に入ったのか知りませんが、結構なことです。

ただ、のだめのCDだけで終わらせるのは勿体ない。

ここで、話が冒頭に戻ります。

クラシックが好きになっても、ならなくてもいいのですが、好きになっていく過程には、いくつかパターンがあります。

同じ作曲家の別の作品を聴いてみる、というのが、一つ。ベートーベンの7番が気に入ったら、3番、5番、8番などは同じように聴けると思います。



もう一つは「同じ曲を別の演奏者(指揮者も演奏者の一部です)で聴いてみる」というやり方です。

これをやると、同一の作品を演奏しても、演奏者の「解釈」により、まるで違って聞こえることに驚きます。

できれば、いろいろ聴いてみます。

そうすると、段々、自分の「好み」が出てきます。
「ここのトランペットはもう少し弱くていいのではないか」

「このティンパニはもっとフォルテで聴きたい」

「この楽章のテンポはもっと速く(遅い)方が好きだ」

こうなると、クラシックが本格的に、趣味に近づきます。



無論、どうするかは、各人の自由です。


◆「7番」の名盤といえば・・・。

ここでは、ベートーベンの7番がたまたま、話に出ましたので、とびきりの名盤を紹介します。

ずっと前にカルロス・クライバーという指揮者が亡くなった時に、

彼の名盤として、ベートーベン 交響曲第4番を紹介しました。

私は、CDとか演奏家を紹介するときに、「伝説的」という言葉を使いすぎることに気が付きましたが、

このカルロス・クライバー、バイエルン国立管弦楽団のライブ録音は間違いなく、「伝説的」名演の名盤と云って良いと思います。

これは、先日「カール・ベーム&ウィーン・フィル(1977年日本公演)」(DVD)30年ぶりですね。ベーム先生。お久しぶりです。(リンク先では「運命」の一部を聴くことができます)で、

DVDをお薦めした、カール・ベームという指揮者が亡くなったときに、カルロス・クライバーが追悼コンサートを行ったライブです。

ベートーベンの4番は、地味な曲とされがちなのですが、クライバーの演奏は、ものすごい迫力です。

このCDジャケットのクライバーの写真、を見て下さい。

「ものすごさ」が伝わってきます。

このCDをお薦めするときに、地味な曲なので迷ったのですが、読者の方から、

「初めて聞いたけれども大変に良かった。」という感想をメールで頂戴して、私も嬉しく思いました。



この4番が演奏された演奏会では、実はもう一曲、ベートーベン交響曲第7番も演奏されたのです。

ところが、指揮者のカルロス・クライバーという人は気むずかしい人で、7番の演奏が気に入らなかったらしく

(どこが、どのように気にくわなかったのかは、分かりません)

CD化を許可しなかったのです。ところが、やっと許可が出て(細かいいきさつは省略します)、今は聴けるのです。

これも、第4番に劣らない、希代の名演です。

これを、国内版として買うと、

3,000円するのですが、輸入盤なら、税込みで約2,000円です。送料は別です。

解説などが日本語で書いてあるか、英語か、ということです。

トラックは何しろ4楽章しかないから、4つしかないわけで、特に日本語でなくても良いし、演奏に関する解説は「必要な」ものではないから、

輸入盤でも良いのではないかと思いますが、これはお好みです。

とりあえず、本稿はここまで。とりあえず、というのは、

明後日がモーツァルトの命日なので、モーツァルトはまた、別に書きます。

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2006.12.02

「衆院議長:またもや注意 ベルが鳴ったら着席しましょう 携帯禁止、新聞も読まないで」←小学生か。

◆記事:衆院議長:またもや注意 ベルが鳴ったら着席しましょう 携帯禁止、新聞も読まないで

逢沢一郎衆院議院運営委員長は30日の同委員会理事会で、河野洋平議長から議場内のマナーを守るよう注意があったことを各党理事に伝えた。

河野議長は10月にも「出席状況が悪い」と注意したばかり。

議運事務局によると、河野議長は29日に逢沢氏を議長公邸に呼び

「議長席から見ていると、新聞を読む人、携帯電話を使用する人が目につく。若い議員はルールを知らない人もいるのではないか。徹底してほしい」

などと指示したという。

逢沢氏は理事会で

「ベルが鳴ったらすぐ着席し、新聞や本を読まないようにお願いしたい」と注意を促した。

ただ、30日の衆院本会議場でも雑誌などを読む議員の姿が見られ、議長の憂うつは続きそうだ。

(毎日新聞 2006年12月1日 東京朝刊)


◆コメント:出勤簿を作って公表しろ

国会議員には、給料にあたる歳費だけで、1人あたり年間約2400万円が支払われている。

毎月の歳費以外にも文書通信交通滞在費、立法事務費、特別交通費などの手当が支給される。

さらに公設秘書の給料を含めると、国会議員全体の年間経費総額は500億円にも及ぶ。

国会の日数が150日として、1日あたり、一人の国会議員にかかるコストは40万円という大金になるのである。



色々な議員のWebサイトを見ると、それでもカネは足りないという。

また。会期中は週末は地元に帰り月曜日の朝、東京に戻ってくる。ハタで見るほど楽ではないという。



だからといって、国会の議場で(つまり仕事中に)雑誌を読んだり携帯を使ったり、居眠りをして良いかどうか云うまでも無い。

「ベルが鳴ったら着席しましょう」に至っては、「お前ら、小学生か?」と云うのも情けないほどだ。

何が「お願いしたい」だ。仕事だろう。働け。

先日、片山さつき、佐藤ゆかり両氏が委員会採決を無断欠席したと言って問題になったが、「何を今更」である。

普段、国会議員は本会議に欠席しても誰にも分からない。今まで問題にしなかったことこそ問題である。



国会議員には「勤務評定」が無いのがいけないのだ。

ずる休みしても、仕事中に居眠りをしたり、新聞を読んでいても、それによって評価が下がり、歳費が削られる事はない。

出欠や勤務状況を「監視」する部署(ミドル・オフィスといいますね。裏方・事務方はバックオフィスといいます)が必要だ。



今まで何故、監視役がいなかったかというと、国会は国権の最高機関であり、

そこに加わるのは、正当な選挙手続きにのっとって選ばれた国民の代表であるから、

そう言う人々が、まさか、仕事中に新聞を読むことは無かろう、という信頼があった、

と、きれい事で済ませればそう言うことである。

実際は、そのためには新たな監視役を創設することとなり、国会法や衆(参)議院規則の改正が必要であり、

それをやるのは、当の国会議員たち自身だから、自分たちが都合の悪い法律を作るわけがなく、実際に何もしなかったのである。

国民もいつも国会議員が居眠りをしていないか、国会中継を見ているほどヒマではない。選挙で落選させる事しかできない。

逆の言い方をすれば、こういう奴らを当選させてしまった有権者にも責任があるということだが・・。

せめて、出勤簿を作って管理し、ネットで公表しては如何でしょう。両議院議長。

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