日航123便の事を書くならば、最後に「亡くなられた方々のご冥福を祈る」と一言添えるものだ。
◆日航123便墜落までの経過。
1985年8月12日月曜日、羽田発大阪(伊丹)行、日本航空123便は、18時12分、羽田を離陸。
離陸から12分後、相模湾上空を飛行中に、衝撃音と共に、123便の垂直尾翼が何らかの原因により完全に破壊された。
その際、油圧操縦システム(バカでかい飛行機だから、舵を切るにも、フラップ、エルロンなど補助翼を出すのにも、
車輪を出し入れするのも、人力では重すぎるため、油圧による補助を要する)が全部、使えなくなった。
高浜雅己機長(当時49歳)佐々木祐副操縦士(当時39歳)、福田博航空機関士(当時46歳)は、
電動で動かす事が出来るフラップを操作し、速度が出すぎたと感じたときには、手動で車輪を降ろし空気抵抗を増やし、
あとは、左右のエンジンの出力のバランスで何とか立て直そうとしたが、18時55分頃から、機体は急速に高度を下げ始めた。
機長は、「フラップアップ、フラップ」と叫び、佐々木副操縦士は必死にそれを実行したが、高度は上がらない。
18時56分00秒、機長は引き続き、「パワー!」「フラップアップ」を指示し副操縦士も出力を全開にするが、ダメだった。
日航123便は、18時56分23秒、クルーの懸命の努力も空しく、墜落した。
機長は、最後の最後まで「頭(機首)、上げろ!」と叫び続けたが、
一番終わりに、「もう、だめだ」と言っている。
私はそれを聞くと、胸が張り裂けそうになる。
事故当時、私は25歳だったので、当然、この事故の重大性は完全に理解できた。
お盆休みの週で街は空いていた。仕事が早く終わり、帰途、立ち寄った本屋のラジオからNHKの臨時ニュースが流れた。
羽田発大阪行きの日航123便が、操縦不能に陥ったと言い、レーダーから姿を消した。乗員乗客は500名を超える、
という内容だった。自分は航空関係者ではないが、あまりの大ごとに、膝ががくがく震えた。
◆1年中、「123便」「高浜機長」でアクセスがある。が好奇心でボイスレコーダーを聞いて終わりにするな。
私は過去において、何度も123便のことを書いたので、一年中アクセスがある。
最初は何故、いまだにこれほど「123便」にこだわるのか、と思った。
最近、あまりにも当たり前のことに気が付いた。今の若い人は知らないのだね。あの日に始まる長い悲劇を。
二年前、日航123便はあの30分が全てではないのだ。(ココログはこちら)
を書いた。
今日、私が言わんとすることは、そこで書いたことと同じなのだが、大事なことだから、再度強調する。
ボイスレコーダーとフラッシュをシンクロさせているサイトがある。既に見て、聞いた人も多いだろうが、
そんなに見たいのなら、ここにある。
二年前、どこかの若造がブログで、このサイトを、「面白いから、是非見るように」と書いていた。
人間、言って良いことと、悪いことがある。その区別もできないか。
それから、ココログなどを読むと事故について書いている人は沢山いるが、事故の真相は何かというような、
「好奇心丸出し」の文章が多い。
あのね。505人の乗客と15人の乗員、520人もの人が亡くなったのだよ。
遺族は今も悲しいのですよ。
事故原因の真相を推理して得意になっている奴も、どいつもこいつも、どうして
「亡くなった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。」
と書かないんだ?常識だろう。
リンクしては悪いかもしれないから、「おすたかレクイエム」というサイトを探して、
トップページから「天国のパパへ」と「忘れない」という遺族の言葉にリンクされているから読んでご覧なさい。
この事故を、「面白いから」調べる、とかボイスレコーダーを聞いてみる、等という言葉は、
絶対に口にするべきではない、と私が強調する意味が分かるだろう。
分からん奴は問題外だ。
さらに、打ちのめされるほど辛いが、遺族の文章をまとめた、茜雲という本がある。
二年前の今日の記事で薦めた本と併せて読んで下さい。
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コメント
小原さん、はじめまして。
嬉しいコメントをありがとうございます。
以前、やはり、123便の事故を知った若い方が、空の安全を守るために、本当に航空管制官になった、
というコメントを頂戴し、感激したことがあります。
123便のCVRは、高浜機長は、「Uncontrorable」と告げた後も最後の最後まで諦めず、
佐々木副操縦士も、福田航空機関士も、ハイドロオールロスしちゃったですからなあ、と、要するに自らの生命が終わることを予期しながら、それでもなおかつ何とか
できるものなら、したい、という執念に、何度聴いても胸を打たれ、そして胸が張り裂けそうです。
小原さんが、パイロットとして大輪の花を咲かせ、安全なフライトをなさることを確信します。
応援します。頑張って下さい。
投稿: JIRO | 2012.02.14 01:26
この事故を知ってからパイロットを目指しています。
高濱機長のように指示を出して冷静な判断ができ、佐々木副操縦士のように最後まであきらめない心を持ち、福田機関士のようにさりげないアドバイスができる、パイロットになります。
航空学生、必死に頑張ります。
投稿: 小原 | 2012.02.13 17:12
菊池さん、コメントを書いてくれるのは良いです。
123便に関する貴方の考え方は、私と同じ方向を向いているように思います。
しかし、それ以前に、
言葉遣いに気を付けなさい。
日本人の常識として、特に親しい友人でもない、初対面の人には丁寧語を用いる、と決まっています。
25年前に菊池さんは小学校4年生だった。ということは、今は、30代ですね。
立派な大人です。それぐらいの常識は持っていなければならないと思いますよ。
ネットの世界と言えども、貴方は私に「初対面」。
なんですか、この文章は?
>俺は事故当時の25年前、
「俺」はないでしょう。「私は」です。
>伊豆の城ケ崎にある別荘で祖母と食事をしていた時だった。
「時でした。」と書くものです。
事故当時小学校4年生、ということは、9歳か10歳だったはずですな?
本文中、私は、「事故当時、私は25歳だったので」と書いているでしょう、
15歳目上の人間にこういう言葉遣い(「俺は・・・・だった。」)をしてはいけません。
まず最初に、挨拶と自己紹介を書く。常識ですよ。
>だが26年経った今にしてみれば、520人が亡くなり、航空機史上初の大惨事と言ってもおかしくない事件だった。
日本語がおかしい上に、少し調べれば分かることを調べていない。
「航空機史上初の大惨事と言ってもおかしくない」とはなんですか、ちょっと検索すれば分かるでしょ。
ウィキペディア、「日本航空123便墜落事故」
http://bit.ly/dbV3P9
に書いてある。
「乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2010年10月の時点で最多であり[※ 2]、単独機の航空事故でも世界最多である」
>興味本位で事件を知るのには俺も実に腹が立つ。茜雲は読んでいないが、『墜落遺体』、気持ちは分かる。
>しかしムキにならず。いいたい奴には言わせておけばいい!
はっきり書くが、こういう物言いは、「初対面の目上の人」に対して失礼ですよ。
こんなコメントは、表示せずに削除しても良かったけど、
あんた、このままじゃ、世の中で大恥を晒しているのに気が付かないままになりそうなので、「添削し」て上げました。
いちいち、ネチネチ書いている、と、貴方は腹を立てるかも知れないが、こういうことを注意してくれる人って、あまりいないよ?
これ、親切なんだよ?(私が自分で言うのもなんだけど) それは、分かりなさいね?
123便については論じません。それ以前。
問題外。
投稿: JIRO | 2010.10.29 00:31
俺は事故当時の25年前、伊豆の城ケ崎にある別荘で祖母と食事をしていた時だった。飛行機が飛ぶ音と遠くで爆発するような音を聞いていた。小学校4年生の時だった。
2時間後に墜落のニュースを聞き、翌日のニュースでも見て、祖母と昨日の飛行機だよね多分?と話していた事は今も鮮明に覚えている。
だが26年経った今にしてみれば、520人が亡くなり、航空機史上初の大惨事と言ってもおかしくない事件だった。。
興味本位で事件を知るのには俺も実に腹が立つ。茜雲は読んでいないが、『墜落遺体』、気持ちは分かる。しかしムキにならず。いいたい奴には言わせておけばいい!いずれはその報いが必ず来る!人の不幸を喜べばその分、自分が不幸になる!日本航空もいい例だ。520人も犠牲者を出して、何にも応えていない!だからその証拠に!経営破綻したではないか!
いい例だ!!犠牲者が報われないよ。。
投稿: 菊地大樹 | 2010.10.28 21:07
あつし様、こんばんは。コメントをありがとうございます。暑いですねえ(笑)。
興味本位はもってのほかですね。ただ、123便のことを毎年ニュースで取り上げるのは、それが本当に真面目なものならば、人々の記憶にとどめる為に必要かな、と思うことがあります。ご承知のとおり、とにかく日本人は忘れやすいですから。
新潟中越沖地震もすでに忘れかけているし、その前に能登半島地震があったことも、台風4号、5号の犠牲者のことも、既に忘れている。
参院選で大敗を喫してお気ながら、安倍が辞めないのはけしからんといっていたのも、一週間後にはあまり話題に上らない。
しかし、あつしさんが仰りたいことは大変良く分かります。民放局ではTBSは真面目に報道しますが、他局は意図的に「お涙頂戴」的演出をする。不謹慎だと思います。
ドラマにするのも、大抵は感心しません。単なる視聴率狙いは言語道断ですが、2年前(事故から20年目)にTBSが製作したものは、非常に真面目だったと思います。その時の感想を綴ったものがありますのでよろしければお読み下さい。
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2005/08/tbs_18ec.html
投稿: JIRO | 2007.08.15 19:19
Reneさん、こんばんは。コメントをありがとうございます。
貴女のブログを見たけど、123便の主だった本を最近、全部読んだのですね?
貴女は優しいからな。耐えきれなかったでしょう。「茜雲」なんて、私は本当に打ちのめされたよ。
あまり泣くと免疫力が低下するから、気をつけて下さいよ。
とは、いうものの、私もあの時のニュースは忘れられない。殆どトラウマになっているというか、思い出すと、不安発作が起きそうになる。でも、思い出さなければいけない、と思っています。
悲しいね。本当に悲しい。
JALは乗客を死なせてしまった側だから、乗務員の死については触れませんね。特に客室乗務員は、全然話が伝わらない。でも、キャビン・クルーにも立派な人がいたんですね(本を読んだReneさんは御存知だろうけど)。
女性のパーサーは着水して救命ボートで脱出することになった場合に備えて、段取りを一生懸命にメモしていた。最後まで、客を守ろうとしたのは、コクピットクルーだけではない(コクピットクルーは勿論立派だけど)。でも全然語られることがない。
彼ら、彼女らに責任は無いのだから、もっと語られても良いと思うのです。
投稿: JIRO | 2007.08.15 19:06
こんばんは 暑いですね。
この日航の記事、私もJIROさまの言われるとおりだと思います。
私の中では、亡くたった方に対しては哀悼の意を表すのがごく当たり前であり、当然のことと思っております。
このような悲惨な事故や事件に対して興味本位で見て、聞いて終わらせては絶対いけないと思います。
夏になると特にこの日航の事故、大空襲、原爆等の記事やニュースが目や耳に入ってきます。また、ドラマになって放送され
ることがありますが、私はこういった類のドラマは反対です。また特に夏に限って放送されるのが反対です。
亡くなった人その人の苦しみや、家族の悲しみ、そしてその事件や事故に携わった人たちの思いは、スポンサーの提供する
時間の枠で縛られたドラマでは、そのすべてを見ている人に伝えることが出来ないと思います。
このような悲惨な事故や事件はドキュメントとして、もっと日常的にマスコミ等で取り上げて頂きたいです。
私、小学生の頃、学校で原爆を被爆した直後の広島の写真集を見て、涙ながらに学校から帰ったことを思い出しながら
このコメントを書きました。あの悲惨な状況を写真で見ただけとはいえ、絶対忘れることが出来ません。
だから重大な事件や事故を興味本位で物を書く、コメントする、しゃべるなどはいっさいして欲しくないです。
投稿: あつし | 2007.08.14 20:39
JIROさん、こんにちは
わたしたちの年代にはこの事故のことはあまりにも多くの衝撃を残し、22年たった現在もそれが少しも色あせずに胸に刻まれていることを思い知ります。
あの悲惨さ、悲しさ、恐怖、怒りは、命ある限り生々しく記憶に残るのだと思っています。本当に未だに体が震えだしそうなほどの戦慄です。太平洋の真ん中では、どこに行くにも飛行機に乗らずにはいられないのに、やはり飛行機が怖くて仕方なく閉じこもってしまっています。
ですが、22年というのは本当に長い年月、
戦争でも原爆でも、この事故でも、過去に流され歴史の一部、平べったい紙の上の記録へと磨耗していってしまうのでしょうね。
偶然、この1週間ほど事故関連の本を何冊も読んでいて、ふと気がついた日付がきのう8月12日、8.12連絡会の本「茜空」、墜落直前に見えていただろう茜色の空、その色を残しすべての色を見る力を失ってしまったという遺族。。。
ただただどうか安らかにと祈るばかりです。
投稿: Rene | 2007.08.13 10:14