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2007.10.22

【翻訳】三笠宮殿下、大いに語る(20日付、ニューヨークタイムズ)

◆記事翻訳:

三笠宮殿下は、ニューヨークタイムズの取材に応じ、再発を繰り返すガンとの闘病生活、

日本国民を驚かせた、自分がアルコール依存症であり、今年の夏は依存症治療施設に入院していた事実を認め、家庭についての問題も語った。



25年に亘る結婚生活のストレスや、従兄弟(訳者注:皇太子殿下)の物議を醸す発言(訳者注:「雅子さまの人格否定」発言)、

皇族としての生活に対する疑問、がアルコール依存症に陥った原因の一つであろう、と彼(三笠宮殿下)は云う。



家族についての悩みとは「天皇家」全体のことだ、と述べるのは、天皇の従兄弟にあたる、三笠宮寛仁親王殿下だ。

天皇陛下以外の皇族は公に姿を見せるときには、手を振っているだけのように見えるが、三笠宮殿下は、皇室に関わるあらゆる事について

陛下に意見を具申することを躊躇わない。それは、男性男系の天皇にこだわる必要は無い、ということから、



昔の「側室制度」を復活させたらどうか、といたずらっぽく手記を公表することなど、様々である。

自らのアルコール依存症については、「ここ1~2年のことではない。皇室生活はストレスの大きなかたまりだ」と述べている。



最近、ある日の午後、「ヒゲの殿下」で知られる三笠宮寛仁親王殿下(61)が、すこぶる上機嫌でインタビューに応じた赤坂御所は、

塀で囲まれ、樹木が多い敷地内にあり、23人の皇族の殆どの住居となっている。

ジャケットをゆったりと身につけた三笠宮殿下は、色々な病気の所為でまだかなり痩せて見えた。

彼が履いていたダークブルーのスリッパが、完全に西洋風の応接室---グランドピアノとシャンデリアのある---における、

唯一の日本的生活習慣への譲歩のようだった。



三笠宮殿下は16年前に咽喉ガンが見つかり、以来、入退院を繰り返し、昨年8度目の手術を受けた。

自らの病を公表することを嫌う社会において、殿下は「病気を匿すことに何の意味も認められない」と云い、

著書においてすら、病気のことを綴っている。

「我々の一族(訳者注:天皇家)はどうも、ガンになりやすいDNAを受け継いでいるようだ。

過去2世代の皇族で6人もガンに冒されているので、以前から私は、『いつ自分に順番が回ってくるのだろう』と思っていた」という。



ガンであることのストレスのみならず、他のストレスも過飲の原因となり、その傾向は30代から始まったが、最近の2年間で特に悪化したという。

殿下には、信子妃殿下との間に二人の娘がいるが、家庭内で問題があるとの噂がある。「26年間も一緒に暮らしていれば、何か問題がおこることもある」



皇太子殿下が3年前に、雅子妃殿下の人格を否定するような動きがあった、と発言して物議を醸した。寛仁殿下は皇太子殿下に長い手紙を書いた。

「もし、彼(訳者注:皇太子殿下)が反応してくれていたら、事態に進展があったかも知れないが、彼がよこしたのは、『貴重なご意見を賜り有難く存じます』という返事だった。」



三笠宮寛仁親王殿下は、昭和天皇が人間宣言をした1946(昭和21)年元旦の4日後、1月5日に生まれた。

翌年、アメリカの占領中に皇室典範が施行され、天皇家の11の家系(宮家)が皇族から外された。

これによって、男系男子の皇位継承者が少なくなった。



寬仁親王は、ごく普通に育ったという。山手線で学習院に通い、護衛も付けなかった。

彼自身に云わせると自分は皇族のなかでは「不良」で、学生時代に近くの朝鮮学校の生徒とケンカをしたこともあったという。

「ケンカは何度となくやった。彼らはこちらが学習院の生徒だと分かると、いつも因縁をつけてきたものだ」と笑いながら話す。


大学卒業後、寬仁殿下は障害者の為の活動に精力を注いだ。いくつもの障害者施設を設立に導き、自ら障害者にスキーを教えることまで実行した。

「あのことの私は、サラリーマンと同じように仕事中毒だった」と殿下は述懐する。



1982(昭和57)年、寬仁殿下が「皇室離脱をご希望」との大見出しが新聞に載った。それは、事実だった。

「私は、天皇家の存在意義について、考えて考えて、考え抜いた。到達した結論は、『天皇家の存在意義は、存在すること自体にある』というものだった。」

殿下によると、皇族は、「毎朝起きて、朝飯を食って、昼飯を食って、夕飯を食って寝る」ことを、

1年365日繰り返せば義務を果たしたことになるのだそうだ。



日本書紀によると、最初の天皇、神武天皇は高天原から降臨し、西暦紀元前660年に即位したことになるが、

これは神話に基づいた話で、日本の歴史学者は現在の天皇家の始まりは、4世紀~5世紀であろうと考えている。

歴代の天皇は、常に男系で、Y染色体を子孫に引き継いでいったと云われている。



「Y染色体は私の身体にもあるし、神武天皇の身体にもあった。(男系にこだわるのは)極めて精神論的な議論だ」と寬仁殿下は話す。

「疑問なのは、何故、如何なる犠牲を払っても『男系』を維持しなければならないか、ということだ。

戦後、占領軍によって11の宮家が皇籍離脱させられた。彼らを皇族にもどすとか、側室制度を復活できないものか」

後半(側室)については、殿下は英語で「冗談だよ」とウインクしながら、云った。



「ヒゲの殿下」はまだ、皇籍離脱を望むのか、それともこのままでよいのか?殿下は5秒ほど沈黙し、こう語った。

「もう沢山だ。やりたいことは全てやった。古い慣習を打破してきた」

そして、彼は日本人が好む表現を用いた。

「私はB型なんでね。何か新しいことをやりたがるのだよ」



最後に三笠宮寛仁親王殿下は、真面目に言った。

「皇族の人生にも普通の人々の人生にもメリット、デメリットの両方がある。どちらが幸福か、それは、誰にも分からない」


◆コメント:記者のこと。

この記事をかいたのは、ニューヨークタイムズ東京支局のNORIMITSU ONISHI、(大西 哲光)という人物で千葉県で生まれたが、

4歳のときにカナダに移住し、現在はカナダ国籍だそうだ。

詳しくは、ウィキペディアに載っている。

何故、寬仁殿下のことではなく、記者のことを書くかというと、大西某は、反日的な記事を書くことで悪名高い奴なのである。

この男の所為で、ニューヨークタイムズを読むアメリカ人は随分日本を誤解しているのではないかと思う。日本生まれなのにあまりにも反日的なので、

在日の子供なのではないか、などと云われる。本当のことは分からない。



このインタビュー記事はオオニシにしては、大人しい方だが、寬仁殿下が何でも話すからといっても、いきなりアル中の話から始めなくても良かろう。

古今東西、やんごとなき方々のストレスは我々の想像を超えるものらしい。

ヨーロッパでも、王子や王女が麻薬で捕まったとか、アル中になったとかいう話は沢山ある。

それを知っている者なら、大して驚かないだろうが、どうしても、オオニシの過去の偏向した記事を思い出すと、

恣意性があるように思える。

しかし、終わりに意地の悪いコメントを付けていないところを見ると、オオニシは寬仁殿下に好意を持ったのであろう。



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