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2009.05.04

「<集団的自衛権>強まる「解釈変更論」 首相、慎重に見極め」←集団的自衛権の行使を認めてはいけません。

◆記事:<集団的自衛権>強まる「解釈変更論」 首相、慎重に見極め(5月3日20時57分配信 毎日新聞)

集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈の変更を検討すべきだという声が、政府・自民党内で再燃している。

北朝鮮の弾道ミサイル発射などを受け、安倍晋三元首相が麻生太郎首相に衆院選の政権公約(マニフェスト)に掲げるよう求めたのが発端。

首相自身、解釈変更すべきだとの持論を崩していないが、検討を本格化させれば、与党・公明党が抵抗するのは必至。

衆院選前の火種にならないよう、首相は与党内の空気を慎重に探る構えだ。

「(報告書を)読ましていただいて、勉強しなきゃいかんと思ってます」

首相は4月23日夜、安倍氏が首相時代に設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」

の座長を務めた柳井俊二元駐米大使と首相官邸で会い、懇談会が昨年6月にまとめた報告書の説明を受けた。


面会は柳井氏側の要請。首相は前日、首相官邸で面会した安倍氏から集団的自衛権の行使について、

「(総選挙の)マニフェストに盛り込んだほうがいい」と申し入れを受けていた。

懇談会は、米艦船の防護、弾道ミサイル防衛、武器使用基準、後方支援の4類型に絞って議論した。

4類型は小泉内閣のころ、安倍官房長官-麻生外相のラインで協議された内容がベース。

安倍氏が首相を退陣した後の08年6月、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使は可能との報告書をまとめたが、

当時の福田康夫首相は解釈変更に否定的で、報告書は「たなざらし」となっていた。

麻生首相は就任直後の昨年9月、憲法解釈の変更について「基本的に変えるべきものだ。ずっと同じことを言っている」と述べている。

衆院選で対決する民主党の安保政策が定まらない中で、

「安全保障の問題は衆院選に向けて民主党との対立軸を示すことができる大きなテーマ」

(首相周辺)との思いが強い。

ただ、平和志向をアピールする公明党が解釈変更に強く反発しており、首相や安倍氏らが強行突破をはかれば、

衆院選などでの自公協力にも影響が出かねない。また、自民党内にも麻生-安倍ラインの保守色に抵抗感を示す議員も少なくない。

このため、政府関係者は「仮に解釈を変更すれば、今の法体系全体の見直しにつながるが、

そこまでは今の政治状況ではできないだろう」と語った。


◆コメント:選挙対策で民主党との違いを出すために「集団的自衛権の解釈変更」ですか。

麻生政権が誕生したときに、確かにこの話は出ていた。

しかし、その後、全然話題にならず、新聞も取りあげず、

一般国民の間で激論が交わされていたようには、到底思われない。

記事を読むと、来るべき総選挙で、自民党が民主党との政策の違いを明確化するため、

謂わば政争の具として「集団的自衛権の解釈変更」をマニフェストに盛り込むようで、

本気で、今改憲を考えているとは思えない。国民にしても、この大不況下の克服が第一の関心事ではないだろうか。


◆「集団的自衛権」に関しては、過去に何度も書きました。

この問題に関しては、過去何度も書き、私の基本的な思想は変わらないので、過去ログをお読み頂きたい。

2007年08月15日(水)  NHK「考えてみませんか?憲法9条」視聴後所感。集団的自衛権について。

2006年10月11日(水) NHK電話アンケート「改憲賛成40%」「集団的自衛権の意味を知っている8%」←知らないで賛成するな。

特に後者ですが、今、改憲と言ったら、要するに9条の話に決まっていて、特に「集団的自衛権の行使を認めるか否か」が

議論の大きなポイントであるにも関わらず「集団的自衛権」の意味を説明出来ないのに、「憲法改正に賛成」と回答するのは無責任だと思います。


分からないことには、分からないと答え無ければいけません。本当に憲法改正に何か思想があるならまだしも、

わからないのであれば、

憲法改正について真剣に考えたことがないから、改正すべきかどうか分からない、

と答えるのが正しいのです。

分からないのに賛成しないこと。国民投票法案は来年から施行され、原理的には本当に憲法改正が可能になるのですから、

国家の誘導に騙されないように、出来れば勉強するべきです。


◆自衛権に関する基礎知識

本当は、物事は自発的・能動的に調べないと、覚えないものですが、面倒臭い人のために説明します。

個別的自衛権とは
自分の国が外国から侵略されたり、攻撃されたりしたとき、自国を防衛する権利

です。

日本政府の長年の公式見解は、日本は個別的自衛権の行使はできるが、集団的自衛権(後述)の行使は

憲法第9条に違反すると考えられるので、認められない、というものです。

個別的自衛権は当然だと思います。

憲法第9条を厳密に解釈すると、国の交戦権は認めない。一切の武力を保持しないとありますが、

憲法前文において、日本国民が平和に幸福を追求する権利、「平和的生存権」を守ると書いているのですから、

外国から攻撃を受けた場合、国民を守るために「最低限の実力」を行使できるのは当たり前だと思います。

国家を擬人化して説明するのは必ずしも正しい方法ではありませんが、自然人(普通の人間、個人)になぞらえるならば、

刑法で「違法性阻却事由」の一つとして認められている「正当防衛」に相当すると思います。

自宅に強盗が押し入ってきたとき、こいつを殴ったり怪我をさせたら暴行罪や傷害罪になるから、といって、

オメオメ黙って静かに殺されるのを待っている訳には行かない。お父さんを始め一家で一丸となって、強盗を棒でぶん殴ったりして、

撃退するでしょう。その時いわば「暴力」を使っていますが「自らの生命や財産を守るため」仕方がない。

個別的自衛権は、それに似ています。


一方、集団的自衛権とは
「自国が他国から侵略・攻撃を受けていなくても、自国と同盟関係を結んでいるなど、密接な関係にある国が第3国から、侵略・攻撃を受けた場合、それを自国への攻撃と同じ物と見なして、防衛する権利」

です。日本にとって、「同盟関係を結んでいるなど、密接な関係にある国」は要するにアメリカです。

アメリカは、オバマ政権になって、イラクからは撤退するといいながら、911テロの後から始めたアフガニスタンでの

テロリストとの戦いの為に増派する、といっています。集団的自衛権をもっていても「権利」であり「義務」ではないから、

嫌なら断れば良い。というのは甘いのであって、集団的自衛権の政府の公式見解が「違憲である」という状況下ですら、

イラク戦争の後方支援を殆ど強制されました。あのプロレスラーのようなアーミテージもと国務次官補が来日し、

"Show the flag"(旗幟を鮮明にしろ。)

とか、
"Boots on the ground."(戦場(イラクに)足を踏み込め=自衛隊を送れ)

と言われただけで、日本政府は震え上がって、1も2もなく承諾し、イラク復興支援特別措置法を強行採決し、

イラクに自衛隊を派遣しましたが、交戦中の同盟国に対する後方支援ですから、集団的自衛権の行使の一種であり、違憲です。

これは、私はずーーと前から述べていますが、昨年、ついに司法が「違憲」と判断しました。

2008年4月17日名古屋高裁の判決文にはっきりと書かれています。

イラク派兵違憲判決(080417名古屋高裁)(PDF1.514KB)

特に、航空自衛隊の輸送機が多国籍軍兵士を輸送したことについては、
現在イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は,政府と同じ憲法解釈に立ち,イラク特措法を合憲とした場合であっても,

武力行使を禁止したイラク特措法2条2項,活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し,かつ,憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる。

と、司法が「違憲です」と判断しているのです。


日本の集団的自衛権の行使を認めたならば、常に世界の何処かで人殺しを継続しているアメリカの「パシリ」になることは

目に見えています。集団的自衛権の行使を認めてはいけません。


◆日本人特有の「遠慮」・「気遣い」はガイジンには無用です。

私は外国(英国)に駐在して、11人のチームの中で日本人は自分だけ、という環境で4年間働き、

欧米人の思考パターン、行動様式がかなり分かりました。彼らはとにかくパワー全開の自己主張をします。

たとえ、それが無茶だと分かっていても、「言った者勝ち」なのです。

日本人の「遠慮」「控えめ」「謙譲の美徳」など通用しません。そんなことは考えてはいけません。

日本人はしばしば、「日米安全保障条約により、アメリカの核の傘で守られたから安全でいられた」とか、

「一方的に守ってもらっては悪い」という発想から抜け出られませんが、そんなことは気にしなくていいのです。

日米安全保障条約を読めば明らかなとおり、

この条約が締結されたのは1960年1月19日です。日本国憲法が施行されたのは1947年5月3日でそれ以来、内容に変更はありません。

つまり、アメリカ合衆国は日本が憲法9条で武力を行使しないことを知っていたし、

「集団的自衛権の行使は違憲である」という政府の公式見解を承知の上で安保条約を締結したのです。

条約は契約です。日本は武力は行使しない、といっている。アメリカが攻撃されても集団的自衛権自衛権は行使しないと言っている。

それを承知で安保条約を締結したのだろう。今更、憲法を変えろなどというな。と言えば良いのです。

日本は莫大費用を在日米軍基地に投じている。だから、アメリカさん、日本が攻撃されたら守りなさいよ。約束だろ?

但し、アメリカが第3国から攻撃されても日本は助けられない。憲法で決まっているんだ、知っているだろ?

と、ガイジンを相手にするときは、これぐらい、言いたい放題、自分の都合の良いことを堂々と主張すればよい。

日本は、自ら戦争はしないから、最小限度の実力の行使しかしない。足りない分を用心棒としてアメリカを雇っている

と考える。それぐらいふてぶてしくならなければダメです。


◆国連憲章51条は集団的自衛権を認めていますが、あれはアメリカが無理矢理ねじ込んだ条文です。

「日本も集団的自衛権の行使を可能にするべきだ」と主張する人のなかには、

根拠として、国際連合憲章第51条を挙げることがあります。

第51条〔自衛権〕

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

だから、集団的自衛権は国家が本来的に有する、自然権のようなものだ、というのですが、

とんでもない。


国連憲章の原案は、1944年に作られた「ダンバートン・オークス提案」です。

ダンバートン・オークスとは、ワシントン郊外の地名です。

ダンバートン・オークス提案では、集団的自衛権に関する今のような規定は無かったのです。

この原案では、同盟国が攻撃・侵略されたときに、自国への攻撃と見なして武力行使をするためには、

全て国連安全保障理事会の許可が必要とされていたのです。


ダンバートン・オークス提案に反対したのは、米国とラテンアメリカ諸国です

これらの国々は、1943年、チャプルテペック規約という条約を締結し、米州諸国間での集団的自衛権行使を可能にしていたのです。

しかし、ダンバートン・オークス提案のままで国連憲章が成立すると、米州諸国間での行動に支障があります。

いちいち、安保理の許可を得なければならないことになるからです。

それでは面倒でたまらんというので、最終的に国連憲章を採択した、1945年のサンフランシスコ会議において、

普遍的に集団的自衛権の行使を認める51条を挿入させたのです。


ですから、集団的自衛権という概念は一部の国の都合で盛り込まれたものであり、

外交・軍事の歴史の中で、慣習法的に自然に発生したものではなく、国家として当然の権利ではありません。


◆憲法改正とは「正しく改める」ことです。

冒頭の記事では麻生首相は、集団的自衛権の政府見解を変えようという目論見について、

言及していますが、最近、何だか元気を取り戻した。アホの安倍晋三の差し金でしょう。

安倍晋三は、周知の通り憲法改正論者です。

憲法の源流はフランス革命時のフランス人権宣言にあり、主権者たる国民が国家権力にタガを嵌める

ことが目的です。だから国会議員を含む公務員には憲法遵守義務があります。権力の濫用を防ぐために

憲法があるのですから、当然です。そのタガを嵌められている側から、「これをもっと緩くしよう」というのは、

筋違いです。安倍晋三の甘言に騙されてはいけません。



私は憲法を本来の意味で「改めて」「正しくする」のならば賛成です。

憲法第9条は、まだ、生ぬるい。日本が絶対に戦争を出来なくするようにすべきです。

私の憲法9条改正草案です(毎年載せてますけど)。

【JIROの憲法改正草案】(第3、4、5項を追加します)

第3項 (集団的自衛権行使の禁止)

我が国が、他国から、武力による威嚇、また、武力の行使を受けていないとき、日本と軍事同盟関係又は緊密な関係にある他国が、

第3国から武力攻撃を受けた際、または、第3国と戦争状態に陥った際に、これを我が国への武力攻撃と同一視し、

或いは我が国が戦争状態に陥ったと見なし、同盟国を支援することを「集団的自衛権」の行使と定義し、

我が国の「集団的自衛権」の行使は、永久にこれを認めない。

なお、「同盟国を支援すること」とは、直接的な武力行使のみならず、戦争状態の同盟国に対する後方支援

(武器・弾薬の供給、その他、物的、人的支援の一切を含む)、及び同盟国が第3国を攻撃する際に有利となる軍事的その他の情報の提供をも含む。

第4項(核兵器の製造、保有等の禁止)

我が国が、核兵器を製造・保有すること、核兵器又は、その部品、原料となる物資を製造し、他国に提供すること、

核兵器を保有する同盟国が核兵器を用いて第3国を攻撃する場合の拠点として、我が国領土内の施設利用を許可することは、永久にこれを認めない。

第5項(9条不可侵の原則)

本条の各項の変更は、96条(憲法改正の手続き)にかかわらず、永久にこれを認めない。

たった60数年前に米英を相手に無謀な戦争を始め、非戦闘員を含めて300万人以上の犠牲者を出した日本が、

また戦争が出来る国になろうとすること自体、バカとしかいいようがありません。

和辻哲郎先生という倫理学の大家がおられました。和辻先生が、戦後書かれた、

鎖国―日本の悲劇という名著がありますが、序文を引用させていただきます。
太平洋戦争の敗北によって日本民族は実に情ない姿をさらけ出した。

この情勢に応じて日本民族の劣等性を力説するというようなことはわたくしの欲するところではない。(中略)

しかし人々が否応なしにおのれの欠点や弱所を自覚せしめられている時に、

ただその上に罵倒の言葉を投げかけるだけでなく、その欠点や弱所の深刻な反省を試み、

何がわれわれに足りないのであるかを精確に把握して置くことは、この欠点を克服するためにも必須の仕事である。

その欠点は一口にいえば科学的精神の欠如であろう。

合理的な思索を蔑視して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の悲境に導き入れた。

がそういうことの起り得た背後には、直観的な事実にのみ信頼を置き、推理力による把捉を重んじない、という民族の性向が控えている。

推理力によって確実に認識せられ得ることに対してさえも、やって見なくては解らないと感ずるのがこの民族の癖である。

「直観的な事実にのみ信頼を置き、推理力による把捉を重んじない、という民族の性向」は、

残念ながら今だに変わっていないように、私には思われます。

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コメント

てんけいさん、こんばんは。

拙文の趣旨にご賛同頂き、有難うございます。

>さて、拙ブログにも、ちょこっと記しましたが、「公明党が平和志向」などとは、私には、到底、思えない。

仰有るとおりですね。到底思えません。

>この民族が、先の十五年戦争から、いったい何を学びとったのか、ということを想うと、私は、慄然とせざるを得ません。

前の戦争で実際に戦闘に参加した方がまだまだ、ご存命で、殆どの戦争経験者は、

「日本は二度と戦争などしてはいけないのだ」とはっきり述べられているにも関わらず、

たかが1年内閣総理大臣をやったぐらいで、ストレスで胃腸炎になってお粥しかすすれなくなった

ひ弱な安倍晋三が、自分は絶対に前線へ赴くことがないことが明らかである「戦争」をおっぱじめようとしていることが

腹立たしくてなりません。

投稿: JIRO | 2009.05.04 21:10

JIROさんへ こんばんは。

ご意見に、全く同感です。
さて、拙ブログにも、ちょこっと記しましたが、「公明党が平和志向」などとは、私には、到底、思えない。
この民族が、先の十五年戦争から、いったい何を学びとったのか、ということを想うと、私は、慄然とせざるを得ません。

投稿: てんけい | 2009.05.04 20:00

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