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2011.04.09

気象庁は7日の地震の発生の前に、「今後、最大余震が起きる可能性」を警告していたのです。

記事1:5弱以上「可能性ゼロでない」=震度4以上は92回観測―気象庁(時事通信 4月7日(木)20時31分配信)

気象庁の土井恵治地震予知情報課長は7日の記者会見で、「震度5弱より強い揺れが起きる可能性はゼロではない。

経験したことのない規模で、東日本大震災の余震はいつまで続くか予見できない」と、

強い余震に引き続き警戒を呼び掛けた。震度4以上は同日までに92回観測している。

 同庁によると、マグニチュード(M)5.0以上の余震は、同日午前6時までに394回発生。

これまで1994年の北海道東方沖地震でM5.0以上の余震が113回と最も多かったが、

この4倍近い数となっている。

一方、余震以外の地震の数は、本震1カ月前と比べ約2倍に増加。

このうち秋田内陸北部、長野北部、静岡東部では、震度5以上を観測しており、

余震域以外でも地震活動が高まっている。


◆記事2:宮城で震度6強 一時津波警報(NHK 4月8日 4時13分

7日夜遅く、宮城県沖を震源とする大きな地震があり、仙台市宮城野区と宮城県栗原市で震度6強の激しい揺れを観測しました。

この地震で気象庁は、宮城県の沿岸に津波警報を、青森県から茨城県にかけての太平洋沿岸に津波注意報を出しましたが、

およそ1時間20分後にすべて解除しました。

7日夜11時32分ごろ、宮城県沖を震源とするマグニチュード7.1の大きな地震があり、

仙台市宮城野区と宮城県栗原市で震度6強の激しい揺れを観測したほか、

仙台市青葉区、仙台市若林区、宮城県登米市、大崎市、名取市、岩沼市、塩釜市、東松島市、美里町、涌谷町、

蔵王町、川崎町、松島町、利府町、大衡村、岩手県大船渡市、釜石市、一関市、奥州市、それに矢巾町で

震度6弱の揺れを観測しました。また、東北の各地で震度5強や5弱の揺れを観測したほか、

北海道から中国地方にかけての広い範囲で震度4から1の揺れを観測しました。

気象庁によりますと、震源の深さは66キロと推定され、先月11日に起きた巨大地震の余震とみられるということです。

この地震で気象庁は、宮城県の沿岸に津波警報を、青森県から茨城県にかけての太平洋沿岸に津波注意報を出しましたが、

およそ1時間20分後にすべて解除しました。

気象庁は、東北から関東にかけての広い範囲では、余震活動の活発な状態が続いており、

今後も震度6弱や6強の揺れとなる余震が起きる可能性があるとして、

これまでの地震で、揺れが大きかった地域では、土砂災害や住宅の倒壊などに警戒するよう呼びかけています。


◆コメント:7日夜の地震、東京の揺れは大した事が無かったけれども実に嫌な気分でした。

ちょうど4週間前、3月11日(金)14時46分に東日本大震災(4月1日の閣議で正式名称となりました)が起きました。

4月8日(金)でちょうど4週間です。

本震(3月11日 14時46分)の強さはM9.0という超弩級の強さでした。

地震エネルギーはMが1上がると32倍だそうです。Mが2上がると32の二乗ですから

32×32=1024倍です。阪神・淡路大震災がM7.3だったので、東日本大震災、本震のエネルギーは

阪神淡路大震災の約1,000倍です。


それはさておき、東日本大震災の最大余震は、本震から29分後、15時15分、

茨城県沖を震源とするM7.4の地震でした。


奇しくも、昨日(4月7日)、記事1のとおり、気象庁が記者会見を開き、

本震から30分後の茨城県沖、M7.4が最大余震とは限らないぞ。

との見解を表明しました。このところ、東京で大きな余震は殆ど感じなくなり、

人々が警戒心を解き始めている雰囲気があったので、気象庁は注意を喚起したかったのかも

知れません。


気象庁の真意がどうであれ、兎にも角にも正にその夜に、宮城県で震度6を記録する

余震が発生しました。

東京の揺れの大きさは、本震は震度5、4月7日は震度3で、いずれも震源に近い東北各県に比べれば

ずっと弱いのですが、本震の際、誰もが思ったのは、
一体、いつまで揺れ続けるのだ?

ということでした。ウィキペディアの「東北地方太平洋沖地震」(←地震当日、気象庁の命名)を読むと、

「本震の揺れは東日本全体で約6分間続いた」そうですが、気象庁が分析して後に分かったのは

3つの地震が連続して発生したためで、それであのような不思議な揺れ方が長く続いたのです。

4月7日23時32分の地震は、揺れ方の大きさは東京では大した事はありませんでしたが、

「長い時間揺れ続ける」ところが3月の地震に似ていて、それが、私個人としては

「せっかく、気分が落ちついてきたところだったのに、また元に戻るのか?」と思いました。

いい加減にしてくれ、といいたくなります(いっても仕方が無いのですが)。

「実に嫌な気分」とは、そういうことです。


◆地震から派生する不安。

地震の後に、自宅近くで開業するドクターや、薬局のおばさんや、商店主など、

「仕事場と住居が同じ場所にある」人達と話して気が付きましたが、彼らにはなくて

電車通勤している人間にしか分からない「トラウマ」があるのです。それは、

また、何時間もかけて歩いて帰宅する状況に陥るかもしれないリスク

への「恐怖心」です。「不安感」ではなくて敢えて「恐怖心」と書きます。

3月11日、私は東京都千代田区神田から、杉並区荻窪まで、約14.5㎞の道のりを

4時間半かけて歩いて帰りました。歩いて帰宅出来ることが分かったのはいいのですが、

私は地震の前から、いつも思い鞄を持って通勤しています。


どうしても、そうしなければならないわけではないのですが、あれもこれもいつも持ち歩かないと

不安になる、という性質(たち)に起因するので、完全に私固有の事情なのですが、

多分の両手の荷物の重さを合計すると10㎏近いのです。こんなモノをいつも持ち歩いている方が悪い

というのは結果論で、勤め人になって27年間、重いことは確かに重いけれど、そのまま「何時間も」

歩き続けることは、普段ありませんから、特に不自由には思わないのです。

ですが、「徒歩帰宅」をせざるを得なかったあの日は、この荷物が裏目に出ました。


靴はこういう場合に備えて、会社から全職員に支給されたスニーカーがあったのです

各自の靴のサイズを予め申告してそれに合わせて揃えたので、準備をした総務部は

大変だったと思うのですが、これは有難かった。

このおかげで足(foot。複数形ならfeet)の部分は全然痛くならないし、軽いので歩きやすい。


しかし、約10キロの荷物を持って4時間以上歩くと次第に脚が棒のようになり、

短い距離なら問題ない腕(肩)にも負担となり、自宅が近づくにつれ、一歩歩くごとに

脚の付け根と肩に痛みが走ります。最後の数キロは、殆ど100メートル歩くたびに

一旦休み、次第に歩く歩幅も狭くなり、最後は一歩が50センチ無かったと思います。

「這うようにして」とは、あのような状態でしょう。何とか自宅に着いたときには

ホッとしましたが、同時に「こんなのは、二度とご免だ」と思いました。

その思いが強烈なのです。


この話をすると、自宅と職場が遠く離れていない方は、
そんなの(注:荷物のこと)、会社に置いてくればよかったのに。

といいます。これが「分かってないな」と私が思うことです。

それは結果論で、3月11日、首都圏のJR東日本は、早々と「終日運休」を宣言したのですから、

週明け月曜日以降、会社に行けるかどうか分からなかったのです。

実際、3月14日(月)、JR、私鉄、地下鉄、全て大幅な「間引き運転」となったため、

鉄道各線の各駅は、物凄い混雑で、入場制限が行われ、駅構内に入るまで3時間待ちでした。

会社に連絡したら、このような状況では会社に着くまで何時間かかるか分からず、

仮に会社に着いても、また、帰宅時には同じような混雑となるのはほぼ自明だから、

自宅待機せよ。と言われました。この日の混雑に懲りて、各企業は時間差通勤を認めたり、

多くの社員に「当面自宅待機」を命じたりしたのでした。私は自宅待機にはならず、

火曜日(15日)以降は出勤したのですが、「計画停電」が実施され、鉄道は間引き運転のまま。

さらに3月17日(木)には気温が下がり電気使用量が増え、一方東京電力は福島原発が使えなくなり

電気供給能力が大幅に低下していたため、午後2時頃に海江田通産省が、
このままでは、予測不可能な大規模停電の恐れがあるので、節電せよ。

との談話を発表し、それをうけて国土交通省は夕方の帰宅時間帯にもかかわらず、

鉄道各社に運行本数の削減を要請した、との報道があったので、多くの企業は社員の早退を

許可し、大勢の人が一刻も早く電車に乗ろうとしたので、パニック的な混乱が起きました。

計画停電は、4月8日を以て終了、と海江田経産相が宣言しましたが、

この1ヶ月、我々、電車通勤をしている勤め人は、頭の何処かで、「帰宅出来なくなるかもしれない」

ことを意識してきました。


地震の後、流石に荷物はできる限り軽くしましたが、大きな余震があり、

再び「徒歩で帰宅」するハメになる可能性は、常にあるのですから

大袈裟に言うと、毎日自宅を出るときに「覚悟」をします。

他にも、ストレス要因が色々ありましたが、挙げたらキリがありません。

7日の余震は23時32分ですから、既に自宅にいたので、問題は無かったのですが

気象庁は、まだ最大余震の可能性があるといい、これを受けて官房長官は

8日(金)の記者会見で今後とも震度5から震度6の余震の可能性があるから

そのつもりでいろ、という趣旨のことを言っていました。


◆政治家やテレビでコメントを述べる連中は、「徒歩帰宅」したことがないだろう。

一般人でも自宅と職場が近接している人には、「徒歩帰宅トラウマ」を理解して貰えないのです。

まして、国会議員や東電幹部、テレビの討論番組に登場する「コメンテーター」、

「文化人」の「センセー」がたは、車で送迎されているので、「徒歩帰宅」の苦痛を

御存知無いと思います。

だから、東京の人間もまた被災者だ、という認識は全く持っていない。

東北で津波の犠牲になった方、家族や家や全てを失い、避難所生活を強いられている方。

福島第一原発で、被曝しながら、核燃料棒を冷やし続けている方--などに比べれば

全然問題にならないほどのことなのでしょうが、

この1ヶ月、モノ(米、その他食料品、トイレットペーパー、ガソリン)が入手困難になり

停電で電車がとまるかもしれず、福島原発の処理を間違えたら放射能で汚染される

かも知れない、など、今まで経験したことがないことが、次々に発生し、

そしてそれは、大きな余震が起きたら、また繰り返される可能性がある。

それを7日よるの余震で、再び強く意識せざるを得ませんでした。

かつての「日常」は最早消えてしまった。それはかなり辛いことです。

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