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2012.04.25

「京都・亀岡」の言語道断。

◆記事:「大変申し訳ない」=逮捕の少年、弁護士に―京都車暴走(時事通信 4月24日(火)23時19分配信)

京都府亀岡市で集団登校中の小学生の列に軽自動車が突っ込み10人が死傷した事故で、

逮捕された自称無職の少年(18)が「(被害者に)大変申し訳ない」と話していることが24日、分かった。

接見した弁護士が明らかにした。事件の重みを受け止められず、ぼうぜん自失とした様子だったという。


◆コメント:少年法廃止。死刑。

この18歳は胎児も含めれば3人殺したことになるのに、少年法が適用され、5年経ったらシャバに出る。

申しわけないことをした、と言っているところから、他人を死に至らしめることは「罪」だと、

つまり「悪い事」である、との認識があったことになる。「悪い」と分かっていてそれを

実行してしまったのであるから、誰でもなく「本人が悪い」のである。

少年法は、若者は一旦悪事を働いても更正の余地があるとかなんとか

悠長な趣旨が存在理由らしいが、この少年の場合、過失なら更正は関係ない。

罪刑法定主義など、近代刑法の基本的思想の大元は、イタリアの思想家、

チェーザレ・ベッカリーアで、その主著「犯罪と刑罰」で、ベッカリーアは、

犯罪の尺度は社会に対して与えた損害である

と書いている。その通りである。本件で社会が失ったのは3人の生命である。

社会に与えた損害に着目するならば、ガキだろうが、大人だろうが、関係ない。

少年法は廃止するべきだ。


この事故がもたらした結果は、犯人の18歳のガキが、今後いくら真面目に生きて働こうが、

取り返しが付かない。どうしようもない結果をもたらした人間は自らの命で償うべきだ

本当は、こいつが死んでも、死者が生き返るわけではないから、償ったといえるかわからない。

しかし、生かしておいたら、また何をするかわからない。一事が万事で、

こういう人間は、今はしおらしくしていても、5年経てば忘れる可能性が高い。

法学部で刑法を習うと、必ず、「刑罰の正当性の根拠」という講義がある。

人間が人間を罰することが出来る根拠は何か?という、本来は非常に哲学的、

倫理学的な議論だが、法学部ではとりあえずそれは考えない。


大きく分けて、「応報刑主義」と「教育刑主義」になる。

応報刑主義とは、要するに「この野郎!」ということだ。

教育刑主義とは、刑罰とは罪人を教育して善人にするためのものだ、という。

しかし、私はいずれにも属さない思想があるのではないか、と思っている。

こいつを生かしておいたら危険だから、殺そう、ということである。

いわば「排除主義」である。どのような刑法の教科書にも載っていない。

私が勝手に創った言葉である。

この18歳が該当するか分からぬが、かつての女子校生監禁コンクリート詰め事件

などを見ると、人間には、どうしようもない、根っからの「ワル」がいる。

こいうのは煮ても焼いても食えない。消すのが一番だ。

激情に繰られて書いているのではない。

以前から考えていたことを、初めて文字に記したまでである。

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