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2013.03.14

「<京大>教養科目の講義 半分を英語で…5年かけ教員増」←意味がありません。

◆記事:<京大>教養科目の講義 半分を英語で…5年かけ教員増(毎日新聞 3月12日(火)12時5分配信)

 京都大は13年度から5年間で、欧米などの外国人教員を約100人増員し、

主に1、2年生が学ぶ教養科目の講義の半分を英語で行う方針を決めた。

文部科学省によると、国立大では全国初の試み。同大学が取り組む教養教育改革の柱と位置づけ、

国際的に活躍できる人材育成を目指す。

学内の教員からは「物事の本質を理解させるためにも日本語での授業を減らすべきではない」

と反対の声も出ており、議論を呼びそうだ。


◆コメント:意味も効果も無いと思います。

およそ考え得る、ありとあらゆるアホな教育行政を考えつく文科省ならばまだしも、

天下の京都大学が自らこんな馬鹿なことを言うとは、東大の無筆記試験の話もありますけど、国民を愚かにして、

統治しやすくしようという国家の謀略ではないかと思ってしまいます(念のため申しあげますが、これは「冗談」といいます)。

大学の教養課程とは言えどもこの内容の半分を英語で行うと。

例えば、法学部の教養課程では、経済学、政治学、社会学、心理学、それから語学(英語と第二外国語)などがあります。

言葉というのは、「こと(事)の端」が語源だといいます。まず、こと、つまり言語で表現しようとする内容が分かってないと

言葉だけ外国語にしても分からない。非常に英語が得意な学生は別として、

普通は、京大生だろうが東大生だろうが、帰国子女ですごい秀才で京大・東大に受かったというような子じゃないと、

英語の講義で何言っているか、聴き獲れないと思います。事の端も分からず、その言語で講義をされても「事」=知識=講義内容

が理解出来るわけが無い。教養課程の講義を英語で受けても、一旦、講義が終われば友人とは日本語で会話するし、

街でも、家庭でも日本語です。そういう環境では、すこしばかり英語の講義を聴いて分かった気持ちになっても、

語学というのは、自ら能動的に「上手くなろう」と思わなければうまくなりません。


そして京大の言い分では、「国際的に活躍できる人材育成を目指す」そうですが、

教養課程は英語でも専門課程の2年間は日本語に戻るようです。


ほぼ絶対にありえませんが、百歩譲り、仮定上の話をします。

2年間教養課程の講義の約半分を英語で行ったことにより、学生の英語力が飛躍的に向上したとしても

その後2年間の専門課程が日本語に戻るならば、どうして、英語力が保てるのでしょうか?


語学力は自転車に乗るのとはちがって、一旦乗れたらわすれないという類の能力ではなく、

ずっと勉強を続けて「維持・向上」させるものです。プロの通訳者ですら勉強を続けています。

昨年、ノーベル賞を受賞した山中先生もまた、今だに毎日英語を勉強している、とおっしゃっていました。


これだけでも、京大の構想が、どれほどアホか明らかです。前述しましたが、天下の京大が

このような唖然とするほど愚かしい構想を発表するとは大変ショックで、

日本の滅亡への序曲を予感させます。

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