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2014年4月

2014.04.21

韓国旅客船事故に限りませんが、「大勢が一度に亡くなる」と、死の悲劇性は増大するのでしょうか。

◆大惨事の度に思います。

ちょうど4日後4月25日は、9年前、2005年にJR西日本福知山線の脱線事故で、100人以上が犠牲となった日です。

あのときも、そうですし、日航123便は、1985年8月12日で、御巣鷹山最寄りの上野村の遺体安置所の様子など

はっきりとはわからないので何ともいえませんが、少なくとも福知山線事故の日本人遺族と今回の韓国旅客船事故の遺族の

態度に、私は、共通する疑問を抱きます。それは、

自分の肉親以外にも大勢の人間が亡くなると、1人1人の死の悲劇性、ひいては、遺族の世間の対する「同情請求権」が増大するのか?

ということです。


◆自分の肉親だけ、交通事故で亡くなっても大惨事でなくなってもその悲劇性は同一です。

123便や、福知山線や、韓国旅客船事故のように大勢が一度に亡くなることは確かに稀です。

しかし、犠牲者ひとりひとりの死の意味は、例えば、朝元気に家を出た、一家の大黒柱や、かけがえのない子供が、

暴走してきた車に轢かれて突然の悲報が、遺族を襲う、その状況と同じことのはずです。

お分かりいただけるでしょうか?

「大惨事の被害者の遺族の嘆き」をみていると、自分の肉親以外にも「多くの他人が同時に死んだこと」が、

ひとりひとりの死者の死の悲劇性を増し、ひいては、残された遺族は、たった一人でありふれた交通事故で家族をなくした遺族よりも、

世間の前でテレビカメラを前に大声でなげき、世間や、交通機関の運営会社(責任の所在は事故原因が判明するまで分からないのですが)に

賠償を要求する謂わば「同情請求権」を得た、と勘違いしています。

他の人が大勢なくなったからといって、自分の肉親の死の「ランク」が上がるというのは、

一人で亡くなった方や、その遺族から見れば不公平だと思います。

また、世間も勘違いが甚だしい。特に福知山線脱線事故のときは、

自分は被害者の知り合いだ、という男が、JR西日本の職員をこづいたり、

事故被害者遺族が、事故直後でまだ、脱線の原因は特定されていなかった、つまり「誰の責任か?」は

何とも言えないのに、「息子を返せ-」などといって、やはりJR西日本職員に殴りかかりました。

もっとひどいのは、事故の被害者とはまったく関係のない一般人がJR西日本はけしからんと決めつけて、

まったく関係の無い路線の女性運転士に、何処かの駅のプラットフォームで足蹴りを食らわせ、

女性運転士は、線路に転落。幸い、電車は通らなかったので大事には至りませんでしたが、

全然、福知山線脱線事故とは関係がないのに暴力をふるわれたことと、また、いつ、同じようなことがあるか分からない、

という、トラウマと恐怖心から、しばらく運転士として乗務出来なくなったというエピソードがありました。

私は、時事問題日記を書いていますから、そういうことは覚えているし、記録もしているのです。


これら、全てのことは、理不尽です。

人は一人で死のうが、他に何人一緒に死のうが、一人の死の悲劇性は同一です。

また、事故の責任は事故原因が究明されない限り分からない。誰の責任でもない場合すら、あります。

1978年、今でいう、東京メトロ東西線。当時の営団地下鉄東西線が、荒川鉄橋で突然のつむじ風のような強風に煽られ

後部3両が脱線し、そのうち2両は真横に横転し、上り線まで塞いでしまい、23人が負傷するという事故がありましたが、

当時は強風だったので、通常よりも低速で運転していたのですが、事故の直前は強風が収まっていたので通常運転でした。

ところがそこに、突風が真横から、なんどか、電車の車両の横揺れの固有振動数と同じタイミングで吹き付けたので

アッというまに倒れたという説明でした。

固有振動数云々は、とんち一休さんが、釣り鐘を指一本で動かすと言う話と同じです。

これは極めて例外的ですが、このように誰も悪くない。運が悪かったとしか表現のしようがない事故も有る。


事故原因の特定には長い時間がかかる。それまで、誰も悪いとは決められません。その意味で、韓国大統領の

事故の責任が船舶運行者(船長ら)にある、と断定する物言いは不適切です。

メディアも、先入観を与える報道をするべきではない。

そして、もう一度繰り返しますが、たとえ大惨事で大勢が亡くなっても、ありふれた交通事故で一人が

「ありふれた事故死」を遂げても、遺族にとってその死の悲劇性は変化しないのです。

それを勘違いしてはいけません。

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2014.04.19

【音楽】指揮者チョン・ミョン・フン氏の初めてのソロ・ピアノアルバム。

◆元々、あの方は上手いのです。

バレンボイムとか、アシュケナージのように、はじめはピアニストとして有名になり、

その後、指揮もするようになり、だんだん、指揮のほうが「本業」のようになったきた、

というケースとはちがって、韓国の指揮者チョンミョンフン氏は最初から指揮者として頭角を現し、

私の知る限り、ピアノの弾き振りもしないので、忘れられがちですが、

1974年、チャイコフスキー・コンクールピアノ部門で2位(因みにその時の1位がガヴリーロフ)に

入賞するほどの腕前ですから、本来、ピアニストとしても十分通用するほど上手い筈。

ところが意外にもいままで、自分のソロ・ピアノアルバムは録音したことがなかったのです。

しかし、YouTubeを検索すると2人の姉上(ヴァイオリンのチョン・キョンファさんとチェロの方)

と共演している映像があり、非常に上手いのです。


◆今回、2人の孫娘のためにアルバムを作ったら?ということで弾いたそうです。

ですから、多少なりともピアノが好きなら、皆さん、隅から隅まで知っている、泰西名曲ばかりですが、

そういうのは、要するに誰でもある程度は弾けるし、聴き手は曲を良く知っているから却ってやりにくいのではないかと

思いますが、チョン・ミョンフン氏は淡々と弾いてます。

これですね。

『ピアノ・アルバム~月の光、エリーゼのために、トロイメライ、他』 チョン・ミョンフン

本来のピアニストのアルバムとしてはややもの足りないかも知れないけど、

これだけ泰西名曲を集めると、却って才能が際立ちます。

耳にタコが出来るほど聴いた曲に、どのように新しい息吹を吹き込むか、ということです。


3曲、お聴き頂きます。まず、あまりにも有名で私は取りあげた事がありませんでした。


◆ベートーヴェン:エリーゼのために






奇を衒ってもいないけど、確実にミョンフン氏の「解釈」が入っています。

2曲目。


◆ショパン:夜想曲 嬰ハ短調 遺作





気の遠くなるほど美しい、有名なショパンのノクターン「遺作」ですが、

その美しさを強調しようとすると、あまりにもテンポが遅くなったり、途中でテンポを変化させる

ルバートが過剰になると、却って悪趣味です。勿論、ショパンのノクターンをイン・テンポ(常に一定のテンポ)で弾いたら、

台詞の棒読みみたいなもので、興ざめです。チョン・ミョン・フン氏の演奏はそのちょうど「良い加減」を捉えていると思います。

最後、木枯らしが吹くように音階的に音が駆け上がって、下がって来る所。

弱音にも関わらず全ての音がきちんと響く。見事です。


◆モーツァルト:キラキラ星変奏曲


カール・フレッシュというヴァイオリンの先生が書いた、ヴァイオリン演奏の技法 下巻 に、
ある音楽家の教養の程度は彼のモーツァルトに対する関係で分かる。

という言葉があります。その通りです。ミョンフン氏の演奏を聴くと、さすが、と思います。





どのような曲でもピアニストの基本ですが、音の粒が揃い、モーツァルトでは決して粒に乱れがあってはならない。

均等にしかし、歌うように。ペダルを使い過ぎない。しかしひとつひとつの音は真珠の粒のように美しくなくてはならない。

ピアニストもヴァイオリニストも、こんなのは、学生さん、あるいはプロを目指すようなら、子供でも弾けるでしょうが、

ただ弾けばいいというものではなく、モーツァルトの音楽の天国的な美しさをどこまでつたえられるか、

それは音楽家の教養だとおもいます。実に見事です。

この他、ドビュッシー:月の光とか、シューベルトの即興曲とか、超絶技巧では無いけど、

ピアニストの力量がモロに出る曲ばかり、しかし、聴きやすい。是非おすすめします。

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2014.04.18

最近何も書く気がしませんで・・・。

◆3月から週に一回ぐらいしか更新しなくなりました。

別に体調が悪いとか、身内で取り込みがあったとか、仕事が忙しい、とか

環境的な要因はまったくありません。


実は4月15日は2002年に日記を書き始めた日で、毎年御愛読御礼とかなんとか

書いておりますが、それも止めました。なんだか読者の皆様からのお祝いをねだっているようでは

ありませんか。

エンピツもブログもコメント欄を原則閉じております。


過去の例から御存知のとおり、折角コメントを頂戴しても、通り一遍のレスでは

申し訳ない、という思いと、それ以上に生来の怠惰のため、お返事を差し上げるのが

1ヶ月後になることもまれではなく、それでは却って失礼ですので、閉めさせていただきました。

エンピツで従来からのアドレス御存知の方は、メールをお送り頂くのは勿論、有難いですが、

毎度、恐縮ですが返信までに少々お時間を頂戴するかもしれません。


◆書いてもあまりにも虚しいのです。

マスコミじゃないですから、タカが市井の一般個人が、いくらムキになって、

天下国家を論じても、全体から見れば読んで下さる方は100万人に1人ぐらいでしょうから、

世論に影響を与えられないのは当たり前で、そんなことは、わかっているのですが、

それでも、特に国政選挙のの度に、自分の主観としては、かなりていねいに、

問題の所在と、「何故、小泉を指示してはいけないか」「何故安倍政権は危険か」

「集団的自衛権とはなにか。」「何故、集団的自衛権を認めてはいけないか」などを

説明するのですが、世間は、まったく逆の方向に動く。


最近はもう、怠けてしまって、やりませんが、反小泉の記事を書いていた頃は、ずいぶんといろいろ

調べますから1日のブログを書くまでに数時間を割きましたが、そんなことは読む方に取っては知ったことではなく、

要するに私の無能さ故に、イヤでも人々が読みたくなるような文章を書けなかったのです。

自分が悪いのですが、あまりにも、自分の主張と逆方向に世の中が動き続けるの見ていて、

なんだか、力が尽きました。


これからは、気が向いたときだけ、手抜きで書きます。

止めるという選択肢もあるのですが、そう、宣言すると多分、いい歳して精神的に幼稚な私は、

すぐに誰かの「反応」が欲しくなり、「止めるのを止めました」というみっともないことになるので、、

アカウントは残しますが、以前のように書く情熱は、もうありません。

選挙の度に最悪な選択をする日本人に愛想が尽きました。

みなさん、自分で考えてお好きなようになさればいいのです。

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2014.04.12

【音楽】ムラヴィンスキー=レニングラード・フィル。特集したことがありませんでした。

◆特に日付とは関係ありません。たまたま、気がついたのです。

灯台下暗しというか。あまりにも定番でして、クラシックファンでこのコンビを知らなかったらモグリです。

昔は、チャイコフスキーやショスタコーヴィッチの交響曲その他「ロシアもの」といえば、

この巨匠とスゴ腕ばかりを集めた名門オーケストラ、と相場が決まっていて、

今でも、他に名演は無数にありますが、迷ったら、これをまず、聴いておく、ということです。

一昨日、静かなギターソロでしたから、今日は賑やかなのを中心に。

非常に有名な曲ばかりなので、なるべくゴタクは並べないようにします。


世界中のオーケストラが演奏しますが、ロシアのオケがチャイコフスキーなどを演ると「馬力」が違います。

楽器は、決して無駄な力を用いてはいけないし、徒に大きい音を出せばいい、というものではありませんが、

「ここぞ!」という所は、思いきり、フォルティッシモが炸裂しないと、本物の感じがしません。


お聴き頂くにはロシアのオケなら皆、「十八番」ですが、その頂点が、ムラヴィンスキー=レニングラード・フィルでした。

早速曲にします。


◆グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

ライブ録音。ものすごいテンポで弾くので有名です。乱れない所がすごいです。

音源は、ルスランとリュドミーラ/ムラヴィンスキー管弦楽名品集







これだけ速く弾いた人、私が知る限りもう一組ぐらいしかいません。

これ、ライブでブラボーが飛んでますね?

日本ですと、この曲をオーケストラの演奏会で演るとしたら、前プロ、つまりメインの前の

「オードブル」みたいな位置づけで、日本のクラシックの聴衆は、前プロで、しかも、

「ルスランとリュドミラ」なんて「ポピュラー名曲」でブラボーなんていうのは、

素人(良く知らない人)がやることだ、と、気取りたがる悪い癖がありますが、

本来前プロだろうが何だろうが、素晴らしいと思ったらブラボーでいいのです。

予め、メインプログラムの、例えば「展覧会の絵」、最後「キエフの大門」が終わった瞬間に

ブラボーと叫ぶぞ、と予め決めて置く方が、不自然です。蛇足ながら、申し上げました。

◆チャイコフスキー:交響曲第4番から6番

これは、チャイコフスキー:交響曲第4-6番  ムラヴィンスキー レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

1度に買えていいのではないか、と思います。


◆交響曲 第4番 ヘ短調 作品36 第4楽章:Finale.Allegro con fuoco





素晴らしいですね。速い音型を一糸乱れずに合わせる弦楽器群。高音で繰り返されるトランペットのファンファーレ。

咆哮する他の金管群。彩り鮮やかな木管群。炸裂するパーカッション!

これぞ「オーケストラ」。


◆交響曲 第5番 ホ短調 作品64 第4楽章:Finale.Andante maestoso-Allegrro vivace





このシンフォニーはとにかく「カッコイイ」のであります。5番に限りませんけど、出来れば通して(全曲)

そして、よく、プログラムにのりますから、出来れば生でお聴きになると、「たまらん!」という気持ちになると

思います。トランペット、カッコイイですが、最後のクライマックスでフォルティッシモで最高音域が続きます。

チャイコフスキーに限らず、曲の終盤に盛り上げようとすれば、そうなることが多い。聴いている分にはいいですが、

トランペット奏者は相当キツいです。そりゃ、プロだしね。吹きますよ。吹きますけど、かなりキツイ。

だから、餅は餅屋でして、ロシアのオケっていうと馬力が違うんですな。最後までものすごい強奏をして平気です。


◆交響曲 第6番 ロ短調 作品74≪悲愴≫ 第3楽章:Allegro molto vivace


最後は静かに終わってもいいですが、「悲愴」の終楽章は本当に悲愴ですからね。

まあ、堅苦しいことを言わずに景気のいいまま、終わらせて下さい。





とまあ、やはり血湧き肉躍る曲で終わります。


実は、ムラヴィンスキー=レニングラード・フィルはこういうフォルティッシモのかたまり、みたいなのも、

醍醐味のひとつですが、他方、繊細なモーツァルトも弾きます。弦楽器が非常に上手いです。

それは勿体無いので、別の機会にします。


みなさん、どうぞ、良い日曜日をお過ごし下さい。

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2014.04.10

【音楽】新しい才能の発見。ギター・パク・キュヒ(朴 葵姫)さん。

◆今週火曜日、NHKBSプレミアム「クラシック倶楽部」で聴き、びっくりしました。

日本のサラリーマンなんてのは、つまらんものでして、そもそも音楽なんて知る人が少ないし、

どういうわけか、わたしが勤める会社は、自分で書くのもなんですが、比較的知的水準が高い人間が多い筈なんですが、

クラシックの話が出来る人が殆どいません。しかし、稀に、当然ですが、好きな人がおります。

今回は、その人物が先週、私に教えてくれたので、大変有難かったです。


毎朝平日の朝6時からNHKBSプレミアムでは、「クラシック倶楽部」という番組で、

かなり通ごのみの、リサイタル録画・録音を放送します。

今週火曜日が、韓国仁川生まれで、3歳からピアノを始めその後、日本で育ち、東京音大で

荘村清志先生に習ったあと、ウィーン国立音楽院に留学した、極めてまともにクラシック・ギターを極めた

音楽家。朴 葵姫(パク・キュヒ)さんでした。

今まで知らないのが不覚でした。

録画しておいて見て聴いて、大変素晴らしい演奏に驚きました。


NHKで放送したのと重なるのが、彼女のNaxosからのアルバム

期待の新進演奏家シリーズ/朴 葵姫(パク・キュヒ)ギター・リサイタル

に録れてあったのですが、落ちついて調べたら、パク・キュヒさんは2010年にフォンテック(という荻窪の小さいレーベル。

会社は小さいけど、朝比奈隆=新日フィルでベートーヴェン交響曲全集とか出してます。)から、

とっくに
朴 葵姫(パク・キュヒ)/夢

でCDデビューしているのですね。

デビューアルバムにも、今日ご紹介するNAXOS盤にもスカルラッティのチェンバロ(鍵盤楽器)ソナタを

自分で編曲したのを録音していて、HMVの紹介欄に当時のCD評の一部が引用されていて、
スカルラッティが絶品

とあります。他にも色々聴いてからご紹介するべきですが、スカルラッティだけで私はすっかり

感心したのでご紹介します。デビューCDにスカルラッティを録れているギタリストは余りいないと思います。

勿論、スペインの作曲家による、「これぞ、ギター」のような作品もパクさんは弾いておられますが、

バッハと同い年で、殆ど一生が重なるスカルラッティでは、演奏者の知性が見事な技術によって表出しています。

ギターは門外漢ですが、何とも言えない音の優しさ、柔らかさと弱音でも曖昧にならない、確かな技術。

フレージング等の音楽性が見事で、天賦の才に恵まれ、極めて真面目に勉強したギター奏者であることが

明らかです。パク・キュヒさんんは、既に活躍しておられますが、大輪の花を咲かせることでしょう。


演奏をどうぞ。引用元は、期待の新進演奏家シリーズ/朴 葵姫(パク・キュヒ)ギター・リサイタルです。


◆スカルラッティ:ソナタ ニ長調 K178(パク・キュヒ編)





◆スカルラッティ:ソナタ ニ短調 K32(パク・キュヒ編)





◆スカルラッティ:ソナタ ト長調 K14(パク・キュヒ編)





魂が慰められるような素晴らしい音と演奏だと思います。

お薦めいたします。

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2014.04.09

「STAP細胞は存在する」←物事を日本人に理屈で説明しても、通じない背景がよく分かった一日。

◆記事:小保方氏「STAP細胞は200回以上作製に成功」(NHK 4月9日 18時12分)

STAP細胞を巡る問題で、理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーは9日午後、大阪市内のホテルで記者会見し、

論文に疑念が持たれていることについて謝罪した一方、「STAP細胞は200回以上作製に成功している」と述べ、

STAP細胞は存在するとして論文を撤回しない考えを改めて示しました。

STAP細胞を巡っては、今月1日、理化学研究所の調査委員会が、

実験結果の画像が切り貼りされるなどしていたことを「改ざん」としたほか、

細胞の万能性を示すとした画像が、実際には別の実験の画像だったことを「ねつ造」とする調査結果を発表しています。

これに対して小保方リーダーは8日、調査のやり直しなどを求める不服申し立てを行い、

9日午後1時から大阪市内で記者会見を開きました。

会見の冒頭で小保方リーダーは、コメントを読み上げ、STAP細胞の論文に対して疑念が持たれていることについて謝罪する一方で、

「実験は確実に行われており、データも存在している」として、研究の改ざんやねつ造といった不正はないと主張しました。

続いて行われた質疑の中で、小保方リーダーは「STAP細胞は200回以上作製に成功している」として、

STAP細胞は存在すると強調し論文を撤回しない考えを改めて示しました。


◆コメント:大衆の愚かさに呆れました。

このニュースに対する、一般大衆の反応をTwitterで見ていて、大変驚き、絶望しました。

これは、STAP細胞が存在するのか、しないのかという客観的な話です。

何かが「存在しない」ことを証明するのは、素人が考えても大変難しいと思いますが、

本件において、小保方研究ユニットリーダーは「STAP細胞の作製に200回以上成功した」というのであれば、

こんな会見場で泣いていないで、実際に存在する証拠を示せばよい。それだけのことです。


しかし、記者会見では御存知の通り、涙ながらに

STAP細胞は本当にあるんです!

というだけです。しかも驚いたことに、あの「女の武器」、涙にコロリと騙されている一般人が非常に多い。

小保方さんを見ていて、「抱きしめてやりたい」と思った。

という、まだ若いけどとりあえず、「大人の男性」がいるのです。

こういう人は気を付けた方が良い。結婚詐欺女や、先日死刑判決が出た、練炭殺人の木嶋佳苗被告人みたいな女に

コロリと騙され、気がついたときには殺されていた、なんてことになりそうです。

さらに私が、全身の力が抜けるような気がしたのは、
真偽はともかくとして、個人をここまで攻撃する理化学研究所の醜さ。

云々(うんぬん)という意見が大変多い。真偽はともかくとしてって・・・・冗談じゃ無い。

小保方さんは税金から1,000万円もの研究費を割いて貰っているのです。STAP細胞が存在するというのなら、

ただ、「あるんです!」じゃなくて、証明する義務があります。

また、理化学研究所の「監督責任」「管理責任」を指摘する人がいますが、

理化学研究所は「教育機関」ではありません。既に出来上がったプロの研究者が入るところで、

研究の真偽をいちいち確かめなければ信用出来ない人とか、論文の書き方を指導しないと「間違って」(?)

本来使うべきではない画像を添付してしまうような人は、入らないという前提だから、

指導義務、監査義務、精査義務はない、と思います。


ともかく。繰り返しますが、これは、STAP細胞があるのかないのか、という事実だけの問題なのですから、

小保方さんは「存在する証拠」を世界に示せば良いのに、問題を情緒的な方向、つまり、
私は一生懸命研究して、論文の書き方でちょっと間違えただけなのに、理化学研究所のオジサン達がいじめるんです!

という「浪花節」にすり替えようとしている。それにコロリと騙されている。

小保方さんの「思うツボ」の人が、何と多いことか。

私は3月から日記をあまり、更新していません。

今月の15日、後5日で「JIROの独断的日記」を書き始めて12年になりますが、

何度も何度も、国政選挙の度に、自分が主張するのと逆の結果になるし、これだけ言ってもまだ、

「集団的自衛権とはなにか?」レベルの人が多い。もうイヤになって来たのです。

しかし、いくら天下国家を理屈で論じても、あの稀代のペテン師小泉純一郎の
改革を止めてもいいんですか!

や、原発をほったらかしにしておきながら、
日本を取り戻す(私には「とれもろす」に聞こえます)

の安倍晋三を「支持する」バカが多い理由がわかりました。

小保方さんのニュースは「真」か「偽」かだけが問題なのに「真偽はともかくとして・・・」

という人たちにいくら理屈を説いても通じなかったわけです。

日本人はとてつもなく優秀な所と、合理的・論理的な思考を無闇に放棄したがる傾向を併せ持つ、

非常に不思議な民族であることが、小保方さんの「おかげで」大変よくわかりました。

小保方さんは、私の推察では「生来のウソツキ」です。

事件の重大性においてことなりますが、ロス疑惑の三浦和義容疑者(故人)を思い出します。

目立つ為にウソをつく。最初はウソだとわかっているが、ウソを重ねているウチに、自分でも本当のことに思える。

小保方さんは、そういう人格の人ではないか、と、あくまで私の推察ですけれども、そのように感じました。


しかし、1度に1つのニュースに囚われてはダメです。

安倍内閣は、「集団的自衛権」を合憲とするように解釈を変えようとしたり、

武器輸出三原則を変更したり、憲法改正のための手続法、「国民投票法」を変更したり、

色々、勝手なことをしよとしてます。ものすごく独裁・専制的志向がつよく、

戦争をしたくてしかたがない、安倍首相の動向や、どうなっているのか真実が明らかにならない

福島第一原発の現状に関する情報にも敏感であるべきです。

時事問題を論ずるからには、そういうアンテナの張り方を心がけているつもりです。


次回は、才能豊かな若い女性ギター奏者の紹介をしたいとおもいます。音楽記事です。

乞うご期待。

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2014.04.01

「石の上にも三十年」入社して、30年になります。

◆4月1日が一斉に「入社式」でしたね。

毎年、4月1日、または、4月最初の営業日が、全国の会社の入社式の日で、

主だった会社の「入社式、社長訓示」の要旨を、新聞等が伝えます。

私が、社会人になったのは、つまり、今も勤務している会社に入ったのがちょうど30年前でした。


正確にいうと、その年、1984(昭和59)年は、4月1日が日曜日だったので、

翌日、4月2日(月)に入社し、「職員を命ず」という最初の「辞令」を貰いました。


急に身が引き締まる思いがしました。


それは当たり前で、それまではおカネ(しかも親に出して貰った学費です)を払ってものを教わる身。

会社は、働いておカネを貰うところです。

厳しいに決まっています。あっという間に30年です。

途中、「仕事が好きになれない自分」は、精神的に未熟なのではないか、あるいは人格に問題が

あるのではないか?と真剣に悩んだことがありましたが、特別にこれ、というきっかけがあった訳では

ありませんが、途中から、

どんな仕事でも、凡そ「仕事」であるならば「大変」に決まっていて「楽しくない」のが当たり前。

であることを認識してから、随分気が楽になりました。

サラリーマン、とくに「総合職」の勤め人は、ハンコ1つで何処にでも赴任し、どんな仕事でも

与えられた職務を全うしなければなりません。偶然、比較的自分に向いている仕事に就くことがあり、

その間は、相対的にはやや「楽しい」に近づきますが、サラリーマンには「人事異動」がつきもので、

ずっとその仕事をしていられるということは、余程の好運に恵まれない限り、あり得ませんので、

大抵はやはり「仕事は面倒くさい」ものです。


かつて、自分が若い頃の部長で猛烈に働く人がいました。

私はそういう人は、きっと仕事が趣味のように楽しいのだろう、と思いましたが、違いました。

あるとき、その上司に何か仕事の報告に行きましたら、「仕事の鬼」のような上司が、
疲れるなあ・・・。木曜日ぐらいになると、ヘトヘトや。金曜になるとヤケクソで「しゃあない。もう1日だけやったろか」と思うけどな・・・。

というので、大変に驚くと共に、ホッとしました。自分が特別に怠惰だから、仕事がイヤなのではない。

「誰でも仕事はメンドクサイのだ」ということが分かったのでした。


私は、子供の頃から気が弱く、クヨクヨ、メソメソ、ウジウジした性格です。

本当に幼い頃は、母親の後にずっとくっついているような子供でしたが、

それでも30年、我慢できました。今年、新社会人になった方。

途中で辞めたくなることが、多分、何度もあるでしょうが、なんとかなります。


1968年、メキシコ五輪、マラソンの銀メダリスト、君原健二さんの回顧録が日本経済新聞の

「私の履歴書」に一昨年、掲載されました。君原健二「選手」は16歳で走り始め、

現役時代は勿論、現役を引退しても走り続け、御本人が生真面目な性格でいらっしゃるので、

都度記録を取っている。総走行距離はなんと16万キロ。地球4週分ですが、ただの一度も途中棄権したことがない。

絶対に完走するので有名です。そう言う方は元来の資質で、楽に走れるのかというと、とんでもないそうです。

とりわけ現役時代には、「勝たねばならない」プレッシャーが大変だそうで、何度も途中でリタイアしたくなったことが

あるそうですが、その都度、小さい目標を掲げるそうです。

「次の給水所まで」、それも辛ければ「あと1キロだけ走ろう」に変えます。

更に辛かったら、「あと500メートルだけ」「次の電信柱まで」、と言う具合に、

目標を細かく設定して、とりあえずその目標まで、走る。そこまで走れたら、また、

次の目印まで、走る。その繰り返しで耐えられたそうです。

君原選手のこの話が、ある時新聞に載り、自殺するつもりだったけれど、止めた、

と、いうお礼の手紙が来たことがあるそうです。これならできるかもしれませんね。

死にたいほど辛くても「あと一週間だけ、生きてみよう」さらに「あと3日」「あと1日」

「あと、半日」「あと、3時間」「1時間」「30分」だけ生きてみよう、の繰り返しで、

人間は辛くても続けられるようです。

精神科医や、カウンセラーが提唱する「自殺防止」方法よりもよほど参考になります。


とにかく仕事は大変にきまっていること。非常に辛くても、「とりあえず、〇〇まで」の目標を

どんどん細分化することにより、放り出したい仕事、逃げ出したい仕事場でも何とか耐えることができる。


偉そうなことはいえませんが、新社会人で「果たして自分はつづけられるだろうか?」と、早くも心配している

不安で仕方が無い、という人の参考になれば、幸いです。

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