カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

2006.11.12

プロの音楽家になるということは、並大抵のことではありません。(その2)

◆何度も書かなければ、他人の記憶には定着しません。

(毎度、駄文にお付き合いいただいている方は、「分かった、分かった」

と仰りたいだろうが、しばし、ご辛抱いただければ幸いです。)

私は、このテーマについて、色々な例を挙げて、過去に書いた。



私はプロの音楽家ではないが、クラシック音楽を愛する点において、人後に落ちないつもりでいる。

音楽は崇高なものであり、茶化したりするべきではないし、芸術(家)たるもの、大衆に迎合するべきではない、と考えている。


◆優れたものに対する畏れがなければいけない。

ちょっと、話が逸れる。

私が、「ブログ」などこの世(少なくとも日本)に出現する前、

Web日記、エンピツJIROの独断的日記を書き始めたのは、2002年4月であった。

しかし、初めのうちはサボり気味で、たまに書いても、読むに値するほどの文章は書いていない(今も、あまり進歩していないことは自覚しています)。



比較的熱心、かつマメに更新をするようになったきっかけは、2002年の秋、

小柴東大名誉教授と、島津製作所の田中耕一さんが、それぞれノーベル物理学賞と化学賞を受賞することが決まった頃からなのである。



はじめは、単純に喜び、はしゃいでいた私だが、やがて、マスコミの報道姿勢が気に入らないと思い始めた。

二人の受賞者のうち、小柴先生は「東京大学名誉教授」という肩書きをお持ちである

(無論、ノーベル賞とそんなことは何の関係もなく、ニュー・トリノ天文学の創始者としての業績を評価されたのだが)。

世間は、この種の肩書きには弱い。だから小柴先生を茶化すテレビは無かった筈だ。



もう一人の田中さんは博士号も持っていない、一介の民間企業の研究所に勤める「サラリーマン」である。

私は、ノーベル賞の選定委員会が「ドクター(博士)の称号」とか、「学者ではない」などという世俗的な判断基準に囚われず、

純粋に学術的な見地から受賞者を決定していることが良く分かり、感銘を受けた。立派だと思うのである。



ところが、マスコミの発想は違っていた。

言うまでもないが、ノーベル賞受賞者はわが国の誉れ(ほまれ)の人である。

国の宝だ。いや、国はどうでもよい。

ノーベル賞を受賞するなどと云うこと自体、凡人には絶対に(平和賞をのぞいて)できない。

天下の大秀才が何十年も苦労して研究してきた成果が世界の檜舞台で評価されるのである。

「優れた人」なのである。



優れた人には、敬意を払うべきである。我々は、田中さんを尊敬するべきである。



しかし、マスコミの連日の報道は、受賞が決まった田中さんの

「自分たちと同じサラリーマンだ」という属性ばかりを強調し、茶化すような報道が目立った。



技術者ある田中さんは、当然フォーマルな席など縁がないし、多分面倒くさくて嫌いだろう。

だが、ノーベル賞受賞者ともなると、そうもいかず、やれ、文科相に挨拶だ、内閣総理大臣と昼食会だ、

皇太子殿下ご夫妻と昼食だ、天皇陛下に拝謁だ、と、田中さんに取って不慣れなことが続いた。

田中さんの挙止動静は、ぎこちなかったが、当たり前である。



それなのに、意地の悪いテレビ屋どもは、

「急に晴れ舞台に引き出されて、まごつくサラリーマン・ノーベル賞受賞者」

という設定を重んじた。私はこれが、不愉快でならなかった。



「優れた人やものに対する畏れ」を知らない奴はバカだ、と義憤に燃えた。

それが、本格的に日記を書き始めた「原動力」になった。

繰り返すが、

優れた人、優れたものに対する「畏れ」を感じない奴はダメなのだ。

「優れたもの」を自分と同じレベルに引きずり下ろし、なんだ、大したものじゃないではないか、

という態度は劣等感の表れで、卑しい。みっともない。


◆クラシックマンガにも同じ物を感じるのである。

「のだめカンタービレ」を批評するからには読まねばならない、と思い、読んだ。

その結果、作者はこの世界のことが全く分かっていない、ということが、良く分かった。

このマンガを読み、マンガに出てくる曲を聴いたところで、芸術の価値は分からないものには分からない。

そもそも、こんな、チャラチャラ冗談を言っている暇など無いのだ。こんな、甘い世界ではないのだ。

というと、「プロの音楽家が、このマンガを監修しているんだぞ」と恐らく人は言うのだろう。

知っていますよ、そんなこと。

N響のオーボエの茂木さんだろ。

貴方たちより、20年も前から茂木さんのオーボエを聴いている。



昨日話題になった司馬遼太郎さんの「二十一世紀に生きる君たちへ」では「自我の確立」を説き、

他人には寛大に自分には厳しく、とかいてある。茂木さんが、それにあてはまる。



茂木さんは、音楽大学を出て、既に日本でプロになった後、ドイツへ留学した人だが、

そこでどれぐらい苦労したか、知らないでしょう?

茂木さんの「オーケストラは素敵だ」という本から抜粋引用させていただく。



これは、茂木さんが、ベルリン放送交響楽団の首席・ギュンター・パッシンが日本へ夏期講習に来たときに気に入られて、

ドイツに留学したのは良かったのだが、リリンクのバッハ・コレギウムに参加したところ、

ヘヴァ・ロトヴァイアーという一番吹きの女性奏者にとことんシゴかれ、ノイローゼ寸前に至った話が書かれている。

【引用始め】

ヘダは、リリンクがシュトゥットガルトで旗揚げをして以来のメンバーの一人で、もっともリリンクの方法論に通じた音楽家の一人であった。

リリンクの仕事では、パッシン、ゴリツキ、ケルヒャー、ヨナス、ミヤモトなどの名人たちと組んで、「世界最高の二番」という評価をほしいままにしていた。

この四十代半ばの美人は、大変な鬼コーチであった。(中略)

まず、チューニングのときの「A」からして、いつまでも許してくれない。幾度も幾度も、彼女の「A」と合わさせられる。「A」以外の音をぱら、などと吹こうものなら、すぐこっちを振り向く。

休みのときも、音楽に合わせて身体を揺すったら叱られる。指を折って小節を数えてもいけない。楽屋で音出しをするのも、必要最小限にとどめる。

音楽に行く遙か手前でこれである。演奏に入ってからの注意の厳しさ、細かさはもう想像を絶するものであった。

音量、音程、アタック、音色はもう毎度のように直されたが、まず徹底的にたたきこまれたのは、「まわりを聴くこと!」

おれだってなにも、全く聴かずにやっていたわけではないが、

自分が十六分音符のコロラトゥーアのさなかに、別の声部のやっていることを聞き分けて、そこにぴったりはまるように自分の音程、スピードを、しかも顕微鏡的精度でコントロールせよ、と言われては、当時のおれには不可能としか思えなかった。そんな水準の演奏を経験したことがなかったし、そんなことが必要と考えたことさえなかった。

つぎに、コーラスより決して先に出てはならず、その歌っているテクストを吹きながら同時に聴いて、テクストを同時に吹けといわれた。

ドイツ語がろくに出来ないおれにとっては、もはや「聖徳太子」になれとはっきり言われた方がまし、というくらいの要求であった。

そしてそれらを決して中途半端にせず、何度でも、何日でも、何年でも(本当である)、諦めず、しつこく、同じことを注意し続ける忍耐を、ヘダは持っていたのである。

おれは、ツアー三日目くらいでもう完全に音を上げた。

夜は眠れなくなり、仕事に行くのが嫌になり、いじめられ、いびられていると思いこみ、ヘダが信じられなくなり嫌いになり、憎み、

最後には、もう、このツアーを放棄してミュンヘンに帰ろうか、いや、もう日本に帰ろう、オーボエを止めようとまで思った。

しかし、なぜか、おれはそれをしなかった。

今、おれは思っている。

「あの時に自分は、三流の音楽家として一生を送る危険から、あるひとりの人物の、

信じがたい能力と、信念と、人間性と、経験と、忍耐とによって、救い出された。」それが、ヘダであった。

今、もし、「あのときのおれ」がオレの仕事のパートナーとして現れたら、

オレはヘダがあのとき見いだしたと同じくらいの問題点をすぐさま「彼」の中に見つけるだろう。

楽屋で関係のない曲をでっかい音でさらい(聞かせたいのだ)、チューニングもせずにパラパラと意味のない音を出し、

身体をやたらに揺すり、指揮のマネをし、大きく指を折って勘定する。全くあたりを聞いておらず、

自分の音程やタイミングが完璧に合った経験そのものが無いのだから、合っていないことにすら気がつかない。

もっとヤバいのは、「仕事なんか、その場で出来る範囲で、適当にやっときゃいいんだ、本番の「ノリ」がだいじなんだから、

うるさいこと言って神経を取られちゃダメだ」という、恐ろしい考え方が染みこんでしまっていることだった。

自分の経験したことだけが全てだと思いこんでいて、それより高い水準の要求はみんな理不尽に思えてしまう。

これこそ、その人間の総ての可能性を自ら摘み取ってしまう、音楽家にとって、最も恐ろしい病なのだ。

今のおれは、この男を見て、「このままじゃ、ぜんぜん、使い物にならない」と思うだろう。

しかし、それを、あのときのヘダのように、嫌われても、憎まれても、恨まれても、

徹底的に、何年もかけて直してやろうとするだろうか?正直言って、自信はない。

ヘダはそれをしてくれた。実はパッシンが頼んでいた。

「あいつは、見所はあるが三流だ。たたき直してくれ」

訓練の場所として、大勢に影響のない「メサイア」と、それが幾度も繰り返されるツアーが選ばれたのは偶然では無かったのだと思う。

オレは幸運だった。

結局、ミュンヘンには帰らずに、何とかツアーをやった。

ヘダのことを一生好きになれないだろうと思いながら、そうではない、感謝しよう、と思えたのは、丸3年も経ってからのことだった。

スイスツアーが終わった時点でオレの頭にはものすごい白髪が出来ていた。

一方、ヘダの方はこちらにはおくびにも出さず、パッシンとリリンクに報告した。「基礎訓練終わり。新メンバー誕生」

【引用終わり】

もう一度書くが、これは音大生の話ではない。

国立(くにたち)音大を卒業して、すでにプロの音楽家として日本では十分通用していた茂木さんが、

ヨーロッパの一流の奏者にさらにしごかれているのである。



これほどの試練を経て、なおそれに耐えられる人が、一流のプロの音楽家になっていく。そういう厳しい世界なのである。



優れたものに対する畏れを忘れてはならないのである。


◆久しぶりに音楽。

バッハ、以前ピアノ編曲板でお聴かせしたカンタータ、「主よ、人の望みの喜びよ」の原曲です。

本来このように、コーラスとオーケストラで演奏されるものです。人の声は良いですね。

コーラスには、独唱とは全く異なる魅力があります。

なお、これは、カンターター147番を構成する10曲の中の1曲です。

この4分ぐらいの曲がカンタータ全体ではありません。こういう「知識」を面倒と感じる方は、どうでも良いです。

無視しても、一向に構いません。

また、これは宗教曲=教会音楽ですが、宗教曲を聴くのに、キリスト教の知識が不可欠な訳でもありません。

嫌味じゃないです。音楽だけでいいのです。聴いているとなんだか、敬虔な気持ちになる。

ならない人もいる。感じ方はそれぞれ違う。それが音楽です。

ちょっと、ボリューム絞り加減にしてください。思ったより、音が大きくなってしまった。

ダウンロード BWV147Camerata.mp3 (3226.0K)


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2006.09.17

「継続は力なり」祝・「こち亀」連載30周年

◆「こち亀」は全巻持っているのです。

週刊少年ジャンプで秋本治氏が「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(通称、「こち亀」)の連載を始めたのが

1976年で、本日、30年になるという。

私は、マンガのことは詳しくないのだが、「こち亀」は、どういう経緯で知ったか記憶が定かでないのだが、大人になってから、たまたま読んで面白いと思った。

私の「笑いのツボ」に丁度、はまるのである。それで、一冊、また一冊と買い足して、今やなんとコミック151巻全巻揃っている。

マンガの世界一般の傾向というか、雰囲気が分からないので、プロの漫画家や、マンガ好きの人々の間で「こち亀」がどのような位置づけなのか分からない。

また、マンガを描く段取りも技術的なことも一切分からない。まず、とにかく私は好きなのである。「好き」に理由はない。好きだから好きなのだ。

どういうマンガか全くご存じない方は、今までの全作品のストーリーや登場人物を全て網羅した、

こち亀データベースというものすごいサイトをご参照頂きたい。

このサイトは個人の「こち亀」ファンが運営しておられるのだが、これほど完璧なデータベースは珍しい。


◆30年間も一度も休載したことがない、という偉業

マンガの世界には不案内ではあるが、

原則として一話完結のギャグマンガを、30年間、ただの一度も穴を開けずに描き続けた秋本治氏は立派だ。

一昨日、日本経済新聞の文化欄に秋本氏の随想が載っていた。

30年続いたのは、特別なコツがあるわけでも何でもなく、

「自分が憧れていたプロの漫画家になることが出来、連載を持たせて貰えたのだから、毎回一所懸命に描いてきただけだ」

という、何のてらいもない言葉に感心した。

このマンガはバイクだとか、戦車だとか、モデルガン(というか、マンガだから、本当の銃器)など、

メカニックなアイテムが沢山出てくる。

ああいうものは、正確に描かないと、すぐにそれぞれのマニアの読者から抗議の手紙(メール?)が来るのだそうだが、

毎回、細かいところまで(勿論アシスタントが何人もいるのだが)丁寧に仕上げている。

「モノ」だけではない。

株やM&Aの話。錦鯉の養殖の話。地下鉄を敷設する際の工法、都市計画、携帯・PHSの電波の飛ばし方、

いずれも、詳細を勉強していることが明らかなのだ。これはすごい。

さらに、飽きられないために、常にその時代の流行をさぐり、知らないことは調べ、勉強してネタを貯めてゆくのだという。

確かに、読み返してみると、「たまごっち」が流行った時期には、実に細かいところまで調べた形跡が歴然としている。

携帯しかり。パソコンしかり。だからこそ、大人も読める作品になったのだろう。

秋本治氏は想像を絶するほど真面目な努力家なのだ。

そして、何よりもまず、「こち亀」はギャグマンガなのだから、毎回人を笑わせなければならない。

オチがパターン化したら読者に飽きられる。人気がなくなったら、すぐに連載中止になるのだ。

激烈な競争の世界で30年間生き残り、その間ただの一度も穴を開けなかったというのだから、ただただ、感服する。


◆偉業は称讃されるべきだ。

私が、エンピツでWeb日記を始めたのは、たったの4年前である。

ほぼ毎日更新するが、原則としてそのときの世の中の出来事に論評を加えるわけで、

つまり「ネタ」はふんだんにある上に、「文章」を書いたら作業は終わりだ。

そこから絵を描く必要はない。

マンガ家は、そこから、どのようにコマ割りをして、どの台詞をどのキャラクターに喋らせるか、を考え(ネームっていうの?)それから描画する。

言うまでもなく、決定的な相違は、私は嫌になったら止めればよいが、漫画家は仕事だということである。

売れなければ路頭に迷うのである。

考えれば考えるほど、秋本氏がやってきた仕事が(まだ続いているが)並大抵の精神力で出来ることではない、と思う。

秋本さん、30周年おめでとうございます。これからも楽しみに読ませて頂きます。


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