カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2009.12.03

平山郁夫画伯、ご逝去。30年前に予備校で「特別講座」を拝聴しました。

◆記事:<訃報>平山郁夫さん79歳=日本画家、シルクロード描く(毎日新聞 - 12月02日 14:22)

現代を代表する日本画家で、仏教やシルクロードに題材をとった作品を数多く描き、

世界各地の文化財保護活動にも尽力した文化勲章受章者、平山郁夫(ひらやま・いくお)さんが

2日午後0時38分、脳梗塞(こうそく)のため東京都内の病院で死去した。79歳。

葬儀は近親者だけで行い、後日、お別れの会を開く。

広島県の生口(いくち)島(現・尾道市瀬戸田町)生まれ。旧制中学3年の時、学徒勤労動員先で被爆した。

東京美術学校(現東京芸術大)で日本画家の前田青邨(せいそん)に師事。卒業後、母校の助手を務めながら、

日本美術院展(院展)に出品を始めた。1953年、院展に初入選した。

当初は故郷の牧歌的な風景や人物を描いていたが、59年、仏典を中国に持ち帰った玄奘(げんじょう)三蔵を描いた

「仏教伝来」で一躍注目を集めた。以来、平和を祈念し、仏教やシルクロードをテーマにした作品をライフワークにした。

旺盛な制作のかたわら、高松塚古墳の壁画模写など文化財保護活動にも取り組んだ。

その活動は国外へと広がり、「文化財赤十字」構想を提唱。私財を投じ、中国・敦煌の石窟(せっくつ)寺院や

北朝鮮の高句麗壁画古墳、アフガニスタンのバーミヤン遺跡など、仏教遺跡を中心とした保護・修復活動を行った。

日中友好に貢献したほか、ユネスコ親善大使なども積極的に務めた。

後進の指導にも情熱を注ぎ、73年に東京芸大教授。89年学長に就任した。

95年末でいったん退いたが、01年に再度選ばれ、05年まで務めた。96年、日本美術院理事長。98年、文化勲章。

96年、フランスのレジオン・ドヌール勲章をはじめ、世界各国から文化交流の実績をたたえられた。毎日新聞社特別顧問なども務めた。


◆コメント:平山先生は、正真正銘の紳士でした。30年前に予備校で「特別講義」を拝聴しました。

平山先生の美術上の業績に関しては、無知な私が分かったようなことを書くのは僭越なので、遠慮させていただきます。


私はちょうど30年前、1979年東京の代々木ゼミナールに通う浪人生でした。

あの予備校は、経営者が如何にもカネの亡者みたいな顔をしていた(去年だか今年、亡くなりました)けど、

意外に文化的なところがあって、偉い先生方を招聘して大学受験には直接的には何の役にも立たない(だからこそ大切なんですが)、


「教養講義」を依頼するのです。

私の年は、京大名誉教授でフランス文学、フランス史、特にフランス市民革命の研究で名高い桑原武夫先生と、

平山郁夫先生のお話を拝聴しました。

平山先生はシルクロードの旅で撮った写真をスライドにして説明してくださいました。

その内容は勿論興味深いものでしたが、私はそれ以上に平山先生の「真摯」で「紳士」なお人柄に驚嘆しました。

スライドを説明する際、先生が座って、マイクを通して大教室の学生全員に聞こえるように、

予備校の事務員達がセッティングするのですが、一人若い女性事務員が、平山先生に椅子を持ってきました。

先生は、その事務員に対して、

あ、どうも恐れ入ります。

とおっしゃったのです。何という丁寧な、紳士だろう、と、まだ世間を知らない私でしたが、その言葉に感動しました。

あれから30年経ち、大学を卒業し、会社に入って、何百人、何千人という「大人」を見てきましたが、

平山先生のような人は、残念ながら殆どいない、ということがよく分かりました。

大抵、大したこともない、会社の「エラい」人、政治家、役人、等々はこういうケースで、女性事務員など、

目に入りません。椅子ぐらい持ってきて当然。御礼など言う必要なし、という態度が99.9・・・%です。


その、不躾な、世の中の大多数の「凡人」を見る度に、私は過去に思いをめぐらせ、
平山先生は、正真正銘、頭のてっぺんから、つま先まで紳士だった。

と思うのです。

ネット上、特にこのブログでは、私は先生とは対極的に、何かというと「馬鹿野郎、ふざけんな。張り倒すぞ」などと、

田夫野人の如き、野蛮な言葉を記してしまいますが、リアルの世界では(手前味噌ですが)家内が

あなた、ちょっと丁寧すぎるんじゃない?

というのです。つまり、私は、色々な店で買い物をしたり、外で食事をするときに、

しばしば必要以上に丁寧に、「有り難うございます」「恐れ入ります」を多用する傾向にあります。

これは、理由ははっきりしていて、予備校時代に目の前で拝見した、平山先生の丁寧な物腰し、少しも偉そうになさらない

姿を見習わなければ、という意識が働くのです。それは、それで良いと思います。

本来、人間は、皆平山郁夫先生を見習うべきだ、とすら思っています。


シルクロードの説明も、私らごときタカが浪人生が相手だというのに、恐縮するほど丁寧な言葉、態度を

平山郁夫先生は、絶対に崩しませんでした。それは、意識しているのではなく、そういう方なのです。

説教じみたことはおっしゃりたくないご様子でしたが、予備校の理事長に、「何か受験生にアドヴァイスを」とでも

頼まれたのでしょう。先生は、
「絵を描く時に、表現したいものがあるのは勿論大切ですが、その為には絵を描くために必要な技術を体得している必要が

あります。皆さんが今、一生懸命知識の習得のために「格闘」なさっている最中だとおもいますが、それは、

何をする上でもきっと役に立つ「基礎」になるでしょう。ご健闘をいのります。

とおっしゃいました。

私は浪人して色々な事を学びましたが、平山先生のお人柄に接することができただけでも、予備校に行った甲斐があった、

と、今でも思っています。先生のようなご立派な方には、もっとご活躍頂きたかったけれども、

こればかりは仕方がありません。

平山先生、有り難うございました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2009.11.23

「紅白歌合戦出場歌手決まる!」←もう止めたら?と思っていたけど・・・。

◆記事:紅白歌合戦出場歌手決まる!(11月23日15時31分配信 オリコン)

大みそかに行われる『第60回NHK紅白歌合戦』の出場歌手が23日、同局より発表された。

人気グループ・嵐が結成10年にして初出場するほか、白組はNYC boys、FUNKY MONKEY BABYS、flumpool、

遊助、レミオロメンの計6組が初出場。対する紅組は木村カエラ、水樹奈々の2組で、

一昨年と同じく合計8組(昨年は14組)が初出場を決めた。また来年の大河ドラマ『龍馬伝』に坂本龍馬役で主演する

福山雅治が16年ぶり2度目の出場を決めたほか、バセドウ病の治療のため年内での無期限休養を発表している絢香が4度目の出場で有終の美を飾る。(後略)


◆コメント:やはり、楽しみにしている人々がいる。様々な感受性が考慮されねばならないのだ。

本日は日記・ブログを更新しないと書き、舌の根も乾かぬうちに、やはり更新します、

はみっともないが、一言書きたくなりました。


若い頃から、「紅白歌合戦出場歌手決まる」の騒ぎを読んだり聞いたりする度に思った。

どーして、1年の終わりに歌謡曲を聞かなければならないのだ?

と。

しかし、半世紀近く生きてきて分かりました。

日本人の圧倒的大多数はやはり「歌謡曲」が好きなんだよ。そして、

田舎のおじいちゃんやおばあちゃんでこれを毎年楽しみにしている人が大勢いるんだよ。

大晦日を家族と過ごせず、老人ホームで皆で一緒に「紅白歌合戦」を見るのを楽しみにしている

お年寄りも沢山いるんだよ。

そういう人たちの楽しみを、自分がクラシックが好きだからって、否定したり、安易にバカにしてはいけないのだ、と。

世の中の様々な感受性ができるだけ、考慮されなければならないのである。

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最近精神不安定ですが、私の過去の事情をお読み頂きます(陰気臭いのは鬱陶しいという方は、お読みにならないように)。

◆生まれてから死ぬまで順風満帆なんてことは無いわけで、どなたも何らかの苦労や悩みをお持ちでしょうが。

来年50になります。半世紀も生きていればどんな方も、人に言えない苦労や悩みを経験なさったことがある。

今現在も、その真っ最中だ、という方もおられましょう。

だから、以下の文章を読まれて、「全然同情に値しない」と思われるかも知れません。

私は、この世で、自分だけが苦労している、と考えるほど、バカではありません。

この文章には、二度触れまいと思いましたが、今回だけ、過去に書いた女々しい愚痴を公開することを

どうかご容赦下さい。自分の人生ですから、自分の自由意思の選択の結果が今の私の状態をもたらしています。

ただ七年、二五〇〇本の記事でこれほど、見苦しい愚痴を書いたのはこのときだけです。

色々なご意見がおありでしょうが、「愚痴」というものは、ただ読んでいただければありがたいです。

初めて発表したときは「甘えるな」と随分叩かれました。

ですから、皆さんがどういうお怒りを感じるか、分かっています。ですから御説教はご免被ります

ただ、これを書いた後、随分新しい読者になって下さった方がいらっしゃいますので、

もう一度だけ、載せます。

2004年05月30日(日) 「愚痴」

2004年06月06日(日) 愚痴。

繰り返しますが、御説教は結構です。これを発表したとき、ありとあらゆる表現で叩かれました。

こんな陰気くさい疫病神みたいな男だと思わなかった。幻滅した。お前の日記は二度と読まない、

という方もいらっしゃるでしょう。それはそれで仕方がない。

この頃に比べると、大分状態はいいのです。家内の態度も変わっています。

できれば良くなりたいです。家内を殺したいともおもっていませんし、死ぬ気もありません。

ただ、ここまでひどい精神状態の頃もあった、ということを暴露してしまいたいのです。


ただ、今かなり憂鬱な気分で私はうつ病患者だとカミングアウトしているのですから、

嫌がらせを受けて精神状態が悪化したら、傷害罪と見なし警察に連絡します。

プロバイダーからご自宅を割り出すことも可能でしょう。その点、嫌がらせをなさるなら、

どうぞ、お覚悟を。

失礼します。

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2009.11.19

「違法ダウンロードが圧倒する音楽配信市場 - レコ協が対策キャンペーン」ということなので、年末でブログ終了するかもしれません。

◆違法ダウンロードが圧倒する音楽配信市場 - レコ協が対策キャンペーン(16:06 MYCOM Journal)

日本レコード協会は18日、10月1日から実施中のキャンペーン『守ろう大切な音楽を♪』に関する説明会を開催した。

2010年1月1日に施行される著作権改正法の周知などを目的としたもの。

石坂敬一会長からは、その背景となる音楽違法ダウンロード状況などについて説明が行なわれた。

2010年1月1日より、著作権法第30条が改正、施行される。これにより、コンテンツの無断配信だけでなく、

違法と知りつつダウンロードする行為も違法となる。石坂会長が「長い間、レコード協会が宿願として法改正の実現を目指していた」

と語る背景には、音楽の違法ダウンロードが蔓延する状況がある。

同氏によると、携帯電話での音楽違法ダウンロード件数は年間4億714万件。

これは正規配信数の年間3億2,400万件を大きく上回る。同氏はこの状況を

「これほど日本が、国民性が乱れたものを容認するということは、歴史上初めて」と強く批判。

音楽配信ビジネスの健全な発展のためにも、携帯電話やパソコンで音楽を視聴する機会の多い若年層に対し、

著作権の保護意識を啓蒙するキャンペーンを実施するとした。


◆コメント:ということですので、残念ですが、JIROの独断的日記も年末までで終わるかも知れません。

JASRACが標的としているのは記事の中にもあるような携帯を用いて、許可を得ないで音楽を配信して、

カネを取っている人たちだと思いますが、これを機に、私のような非商用配信をしているものまで、

著作権料を厳密に徴収されることになるかも知れず、その場合、

年額1万円(但し10曲まで)、11曲目からは2万円、21曲目からは3万円

だそうです。

YouTubeに載っている映像と音楽も結構削除されている例が多いですし、必ずしも目的の曲があるとは、

限りません。

また、仮にまともに著作権料を支払って楽曲掲載手続きをしようとすると何と紙の書類がえらく面倒だそうです。

今まで、削除依頼が音楽ソフト屋さんつまりレコード会社や演奏者から来たことはありませんが、

1月以降はどうなるか分かりません。

弊日記・ブログは本来、時事問題を論ずる為のものですが、音楽記事を書いている時の方が実は楽しいです。

それができなくなる、というのは非常に辛いものがあります。

無論、この記事だけで全てが分かる筈も無く、暫く様子を見ますが、

もしかすると、年末までで、「JIROの独断的日記」「JIROの独断的日記ココログ版」の更新は

止めるかも知れません。

繰り返しますが「止めるかも知れない」のであって、止めると決めた訳ではありませんが、

可能性はある、ということです。

私は法学部出身ですが、著作権法など知的財産権法(昔は「無体財産権法」と言いました)は、

主な法律を勉強した後に、勉強するマイナーな領域でして、実は全然詳細を知らないのです。

景気の悪い話で恐縮ですが、いきなり「今日で終わりにします」よりは良いかと思いまして。

そういう次第です。それでは、失礼します。

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2009.11.11

「酒井被告が介護への道」←今まで下らないから黙っていたが、これは、一言言いたい。

◆記事:酒井被告が介護への道、創造学園大入学へ(日刊スポーツ 2009年11月10日6時27分)

覚せい剤取締法違反の罪に問われた女優酒井法子被告(38)の判決公判が9日、東京地裁で行われ、

懲役1年6月、執行猶予3年の判決が下された。

介護への道を希望し、大学を探していた酒井被告は、前所属事務所サンミュージックの相沢正久副社長の協力で、

群馬県高崎市に本部がある創造学園大学に入学する方向になった。関係者によると、

既に願書を提出し、面接も受け、合格通知を手にしているという。


◆コメント:介護って何だか分かってる?

酒井法子被告人に関するニュースはあまりの大騒ぎが馬鹿馬鹿しく、今まで無視していたが、

今朝、このニュースを読んだときには、呆れ、腹が立った。

酒井法子被告人に判決が下されたのは昨日、11月9日である。その翌朝の新聞に、

群馬県高崎市に本部がある創造学園大学に入学する方向になった。関係者によると、

既に願書を提出し、面接も受け、合格通知を手にしているという。

って、どーゆう学校なんですか。これは公判中に入学が決まっていたということではないですか。

この学校はまだ、判決が確定していない人物、即ち(執行猶予が付くだろうという予想はあったが)、

実刑を科せられるかも知れない被告人に合格通知を出していたということだし、被告人も、判決が確定しない内に

願書を出し、面接を受けていたということになる。そんないい加減なことって、ある?


私は、20年以上前に92歳で他界した祖母(父の母親)がいた。身体は丈夫なことこの上なく、

信じがたいが生涯、全て自分の歯だった。しかし、晩年は完全にボケた。

今は認知症と言わなければならないのはしっているが、そんな甘いものではない。

ボケ老人という言葉が最もよくフィットする。

世間ではやたらと介護という言葉があふれているが、実際の悲惨さが伝わらない。

要するに、多くはボケ老人の世話、である。寝たきりならば、下の世話から何からするのだ。

大変な重労働である。そして・・・・・。

私の祖母は最晩年まで寝たきりにはならなかったが今から思うと完全にアルツハイマーか認知症。

本来、精神科の世話になるべきだった。しかし、20年以上も前のこと。父がまだ健在でひどく嫌がった。


頭がボケた老人と一緒にいることが、ましてや自宅にいることが、どれほどものすごいストレスになるか、

こればかりは経験しないと分からないと思う。私も実はあまり思い出したくないぐらいである。

私よりも遙かに精神的にタフな母でさえ、参ってしまいそうだった。

ヤバいと思い、1日、親戚に面倒を見て貰って、母を富士山に連れて行ったらとても喜んだのを

思い出す(誤解を招くといけないので書いておくが、母はまだ健在である)。


私は当時学生で、昼間は学校に行っていたからまだしも、母は本当に辛かったはずである。

私ですら、毎晩、夜中に起き出して、リビングで仁王立ちになっている祖母を

思い出すと、気が狂いそうである。祖母は、
「家族が自分をだまし、勝手に自宅を売りに出そうとしている」

と信じきっていたのだ。妄想だからいくら説明しても無駄である。前述の通り父は祖母を精神科に連れて行かない。

これが毎晩続いた。


しばしば介護疲れで、老夫婦のいずれかが他方を殺してしまう悲劇がある。

誤解を恐れずに書くならば、その気持は大変よく分かる。

私も、祖母を階段から突き落としたくなったが、刑事被告人になる一歩手前で何とか我慢する、

という精神状態になったことが何度も、ある。それほどものすごいストレスなのだ。


まあね。色々と、立派なことを仰有りたい方もおられるだろうが、

その前に、自宅でボケ老人の世話をしてみるといい。発狂しそうになるか、殺意を抱くか、自殺したくなるか、

いずれかを経験するはずである。


◆音楽療法士だあ?音楽療法士に失礼ですよ。

他の新聞で次の記事を見つけた。

◆記事:<酒井法子被告>創造学園大に合格 音楽療法など勉強か(11月11日0時11分配信 毎日新聞)

覚せい剤取締法違反の罪で有罪判決を受けた元女優、酒井法子(本名・高相(たかそう)法子)被告(38)が

創造学園大(群馬県高崎市)を受験し、合格していたことが分かった。大学側が10日明らかにした。

大学のホームページによると、同大にはソーシャルワーク学部と創造芸術学部がある。

ソーシャルワーク学部は社会福祉士などの資格を取得することができ、創造芸術学部は音楽療法士の資格を取ることができる。

年間に複数回の入学試験を行っているというが、何学部に合格したかは明らかにしていない。

この記事だけでは、分からないがいくつの記事を読むと、酒井法子自身が「音楽療法士」を希望しているようだ。

音楽療法士になる、というのは、歌手だったから?老人ホームで歌を歌ったら、音楽療法士を名乗れるとでもおもっているのだろうか。

音楽療法士は音楽大学でピアノ科ならピアノ科を卒業した人。つまり音楽の専門的訓練を受けた人が、

更に、医字、心理学、障害学、福祉学など関連領域の勉強もして、

老人だけでなく、様々な精神疾患を音楽を用いて治療する専門家である。

アイドル歌手だった→音楽(療法士)というような甘いものではない。

酒井法子は絶対にそれが分かっていないと思われる。

介護をやるとか音楽療法士になる、とか言いだしたのは、判決前に裁判官に好印象を与えようと

しただけだろう。安易にそういうことを口に出すべきではない。

これから何をすべきか時間をかけて考えます、というべき所だった。

実際の介護士や音楽療法士に失礼だ。

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2009.11.09

この年齢になっても褒められれば、嬉しいものです。

◆私はどういう勤務をしているか。

私は、いきさつを説明すると長くなるので省略しますが、12年前に、うつ病になってから、

一時期は入院までしました。10年前です。ところが復職したあと、

「もう治った」と思い、フルタイムで健康な頃と同じ勤務をして、1年ぐらい働いて、

力尽きて、数ヶ月休職をする、という失敗を2回もしてしまいました。

そこで今は、時間短縮勤務が相応であるという産業医の判断のもと、遅く出かけて早く退社する、

という生活を、かなり長く続けています。

そのかわり、何度も書いたように、給料は若くてバリバリ働いていた頃の半分ですし、

ボーナスなど4分の1です。蓄えを取り崩して生きています。

自分で云うのも何ですが、会社にいる時間帯は、そんじょそこらのフルタイムの人の何倍も

集中して仕事をしていると思います。雑談など一切しない。食事は会社に着くのが10時半から11時頃で、

毎日私が電話番で居残り、他の人たちは11時から外に食事に行く。

私はその間に、幼稚園児のような、おにぎり2個とちょこっとおかずが入った弁当を三分で飲み込むように食べます。

本当は、時短勤務者とはいえ、精神科の患者に1年中電話番をさせる会社もどうかとおもいますが、

こちらからそれを言い出すのは難しい。仕方ないですね。


私は通常の業務は無理なのです。何回目かの休職の後、復職した際、

上司に何かやりたいことはあるか、と聞かれたので、

「社内の通達や、世の中の出来事を常時ウォッチし、社内メールで、部内に配信する」ということを提案しました。

それは良いかも知れない、と、その仕事に専念することを許されました。


この話を書こうかどうしようか、迷いました。本来こんなのは来年50になる総合職の仕事ではない。

若い人でも出来ることですから、恥ずかしいのですが、今、まだ病気が寛解していない私が、

「年相応の」責任を任され、普通の人と同じようなことをしたら、また、ダメになると思います。

説明しようがありませんが、自分でもわかるのです。

バカにしたい方はどうぞ、バカにして下さい。

ただ、私は情報に対する嗅覚に自信があります。

若くて健康な頃から、重要なニュースを一瞬でも早く見つける、という必要に迫られる仕事をしていたからです。

最初は「情報メール」は同じグループの10数人が対象でしたが、他のグループの長や、

部長、副部長もメールの「宛先」に加えるように言われました。

さらには、部内全員に配信するようになりました。大所帯なので300人近い人に、1日3回、メールを送信しています。

やがて、それを役員も知り、私の部署の担当常務、専務にまで送ることになりました。

どれぐらいの人が読んでくれているか、気になるのでメールの開封確認が返信されるように設定しています。

開封確認が来なかったら読まずに削除されている、ということになり、

私の送る情報が全然役に立っていないことになりますが、幸い、開封率は9割を超えています。



だから、多少は私が収集している情報が役に立っているのだ、と想像することはできましたが、

あまりにも誰も何も感想を言わないので(文句も言われないのですが)、果たして、

どの程度の意識で読んでくれているのか不安でした。

贅沢なことを言うようですが、人間全く反応がない、というのが、精神的に堪えるのかもしれません。

存在を無視されているようで。

以前は数ヶ月に一度

「JIRO君が毎日送ってくれる「ニュース」ね、あれ、いいね。実に参考になるね」

などと言ってくれる方がいたのですが、人事異動でいなくなってしまいました。

サラリーマンの仕事なんて、ちゃんとやって当たり前で、上手くできているからといって、

いちいち褒めて貰うことを期待する方が間違っているのです。本来、「部長」になっても良い年なのですから。

しかし、私としては、精神科の患者であることを会社に「カミングアウト」しているのです。

これは、その瞬間、会社での未来は無くなった、ということです。

一生、昇給も、昇格も一切無いことが100%明らかなのに、それでも何とか自分自身を鼓舞して、

「やる気」を出して、ロクに休憩もせずに、一日中誰とも話さずに必死の思いで作っている「情報メール」です。

しつこくなりますが、絶対に将来が無いとわかっていて「やる気」を維持するって、結構キツイのです。

それ以上に、人間、自分の仕事が全く評価されない(プラスもマイナスも含めて)、という状態は、

自分の存在価値が分からなくて不安です。

誰か、たまには「参考になった」とか「あの情報は知らなかった」と言ってくれないかな、と思ってしまいます。

ほんのちょっとしたそういう一言で、少なくとも幼稚かつ単純な私は、自分の存在意義を確認できて、「やる気」を保持できるのです。


◆先週の金曜日に少し嬉しいことがありました。

金曜日に良いことがありました。

いつもは席が離れていて話す機会もない、目上の方が、私が退社する為にエレベーターホールで待っていたら、声をかけて下さいました。

「JIRO君の情報メールね。いつも読ませて貰っているけど、あれは大したものだね。他の人には誰も真似できないね」

と。

私が情報を送っている相手が皆、そう思ってはいないでしょう。

精神疾患への無知・偏見は根強いですから、中には「なんだ、楽な仕事しやがって」と思っている人もいるでしょう。



ですが、ほんのちょっと褒めていただくだけで、人間、随分気分が違います。

はっきり言って、私は社会人としてはドロップアウトです。

皆が耐えているプレッシャーに耐えられなかった。こんな変則勤務が何年も許されるのは、

企業の規模がある程度大きいからです。本当はそれだけで十分幸福だ、と考えるべきでしょう。

だから、ここに書いたことは、ひと様からは甘えているように見えるかもしれませんが、

私の主観では、「必死」なのです。ことし大学受験の息子がいます。


多分、現役では、ろくな所に入れない。しかし、私も浪人した経験があるのであまり偉そうなことは言えません。

「現役」に拘って、あまりにもレベルが低い大学に言っても仕方がない。

何とか愚息が一人前になるまで私には支える責任がある。家内に対してもです。

その責任は岩のように重いのです。今まで私は、果たしてそこまで頑張れるか不安でした。

今でも不安ですが、金曜日に励まして下さった会社の先輩のおかげで、ほんの少し、自尊心を取り戻しました。

頑張れ。自分。

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2009.11.02

御愛読御礼。

◆先月(10月)今までの最多得票を達成いたしました。

Web日記エンピツとブログサービスココログに同じ文章を載せております。

どちらにも図々しく

「是非エンピツの投票ボタンをクリックして下さい」

とお願いしております。得票が増えたことにより、何らかの経済的・社会的利益が私にもたらされる、

ということは、ございません。所謂、アフィリエイト(広告)は一切出しておりませんし。

但しですね。今までは、どんなに頑張っても、月間の得票数は1500票ぐらいだったのです。

ところが、先月。エンピツには10万以上のアカウントがありますが、総合でこのページをご覧頂くと、

分かるのですが、2113票と、今までの最高記録から500票も増えました。2000票を超えるのは、

初めてのことです。


本来読者の皆様にはどうでも良いことですが、私としましては感無量です。

7年前、ウェブ日記だけを書き始めた頃は一日10票獲得するまでに数ヶ月かかりました。

長く書き続ければ、1日あたりの得票数が増えるという訳でもありません。

読者の皆様方のご厚意により、達成できた数字であります。

つまらないことを、と思われるでしょうが、

今日は、記事のついでに・・・ではなく、御礼だけのために日記を認めました。

月曜の夜にはまた、世の中の問題、或いは音楽に付いて書かせていただきます。

御礼だけを敢えて書かせていただきます。

皆様、日頃より、拙日記・ブログを御愛読頂き、

誠に有難うございます。

今後とも駄文にお付き合い頂ければ幸甚でございます。

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2009.11.01

他人を印象や先入観で安易に評価してはいかん、ということを今更ながら痛感してます。

◆自宅に「防音室」がある理由。

私は、東京23区の中でも西よりの某区に住んでいる。

マンションの狭い所帯だが、ただ、一戸一戸、カスタムメイドである。

そこで、一つだけ贅沢をした。防音室を作った。45デシベル遮断だから、フォルティッシモで弾いても、

マンションの他の世帯はおろか、同じ部屋(マンション内の私の占有部分、ということ)にいても、

殆ど蚊が鳴くほどにしか聞こえない。グランドピアノ(勿論、フル・コンサートのサイズではないが)を

おいてもまだ随分空間がある。

自慢ではない。生活は苦しいのである。普通に考えれば、バカである。

何故、そのような贅沢をしたか。


家内が元々ピアノ教師だが、ここに引っ越す前は社宅に住んでいたので、

あまりおおっぴらに「ピアノ教室」はできなかった。今の家の間取りを決めるときに、

せめてそれだけは、と望まれたのである。

それから、私はもう長いこと楽器に触っていない(特にうつ病になってから)が、

また、吹きたく(弾きたく)なったときには、使える。他には贅沢してないから良いだろう

と考えた。がそれは、余談である。


◆女房殿のピアノ教室

防音室を作ったのは、良いが、折りしも少子化で、簡単に生徒は集まらない。

仕方がないので、プロに頼んで、少しばかり本格的なビラを作り、

知り合いに頼んで、配って貰い、タウン誌に広告を出した。

子ども相手だけでは、とても人数が集まらないことは明らかだったので、

大人で、初めて弾きたい人、かつて習っていたが途中で辞めてしまった大人、なども対象にしている。

わずかずつだが、生徒が来始めた。が、生憎、最近は真面目に練習してくる子どもが少ない。

レッスン料は安くしてあるが、カネの問題ではなく、ピアノに限らず、教え甲斐のある生徒がいなくては、

教える側に張り合いがない。しかし、しかたがないので、とりあえず来てくれる生徒を、家内は教えていた。


◆バンドを組んでいて、「作曲家」になりたい、という女の子がやってきた。

あまり教え甲斐が無い生徒ばかりで、家内は退屈そうだったが、最近一人面白い弟子が現れた。

(因みに私は関係ないから決して顔を出したり、レッスンを覗いたりはしない。家内からの伝聞である。)

面白い生徒とは22歳の女の子で、宅配業でアルバイトをしながら、「バンド」を組んでいるという。

自分がボーカルだそうだ。ギターとベースとドラムスとキーボードの典型的なバンドである。

悪いが私はこの手合いに偏見を抱いていた。音楽の基礎も知らず、出鱈目のコード進行で、

歌は話にならないぐらい音程が悪く、同じような曲ばかりで、五月蠅い、と。

家内の弟子になった女の子は、初めての面談で

「将来は自分のバンドの曲を作りたい。『作曲家』になりたい」

と言ったそうだ。楽譜も理論も分からないから、有名バンドの曲を参考にしたくてもできない。

その子は、なにを演るにしても、「音楽の基礎」を身につけなければ、話にならない、と考えたそうだ。

それは、誠に正しい。


尤も家内は、最初から「作曲家」が出てきて、少々驚いていた。

楽譜も読めず、当然ピアノも弾けず、ソルフェージュも聴音も、楽典も分かっていなくて「作曲家」?

ということだ。

しかし、レッスンを開始してまもなく、家内はその生徒さんの「本気さ」を理解した。

家内から話を聞き、音楽というものは、どんなことをするにせよ、基礎は同じだ。

直ぐに作曲家などになることはできない。バイエルから始める。と言われ、

「新しい弟子」は、その意味を正しく理解した。


非常な熱心さで練習してきて、前回指摘された問題点は必ず克服してくる。一週間でバイエル10曲ぐらい仕上げてくる。

最近、リズム・ソルフェージュという訓練を始めたが、非常な集中力でレッスンを受ける。

今や、バンドの「リード・ボーカル」として、ただ自己流に歌を歌っていた彼女が、

家内が教える中で、最も熱心な生徒となっている。

シンフォニーを書く作曲家になるのは無理だが、自分の歌を書き、バンドのアレンジぐらいできる日が来るかも知れない。


◆他人を、安易に判断してはいけない。

家内から、「バンドの彼女」の話を聞いて、感心した。

先に書いたとおり、ロック(だか、何だかしらないが)バンドなど演っている連中は、

基礎を真面目にこなすことなどできず、出鱈目なのばかりだろうと思っていた私は、

その根拠の無い、偏見、先入観を反省した。

人間は単純ではない。経歴や見かけで、安易に評価してはならないのである。

私は将来、「家内の愛弟子」がどんな歌を書いて、どのように歌うのか、全く想像できない。

自分の好みとはかけ離れたものである可能性も高い。しかし、彼女の真摯な姿勢に、

最近の若者といえども、捨てたものではない、と認識を改めた。

嬉しい「予想外の出来事」である(私はなにも教えていないが)。教え甲斐のある弟子ができたことは

家内にとって、嬉しいことだ。それは想像に難くない。


◆【音楽】アルゲリッチ バッハ:パルティータ第2番よりシンフォニア

ここからは、日記とは、関係ありません。

以前良くやった形式で、本文とは関係なく、「今日の一曲」とでもいいましょうか。そういう「コーナー」です。

アルゲリッチの弾くバッハのパルティータ第2番、という曲です。以前ご紹介したことがありますが、

毎回新しいCDを買っていたら、いくらおカネがあっても足りないので、ご容赦のほど。

CDはバッハ:トッカータ ハ短調 です。



パルティータ第2番ハ短調 BWV826 から第1曲「シンフォニア」です。







これは名演ですね。これを聴いて、

「バッハはロマン派だ」

とおっしゃったのは、ネット上の友人で、音楽の造詣の深さにおいて、私など足もとにも及ばないKenさんですが、

けだし、名言です。

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2009.10.29

10月28日は、絶対に忘れることができない日なんです。

◆今日は、私事です。悪しからず。

今日は完全に個人的なことです。

日付が変わってしまったが、10月28日は、私には絶対忘れられない日です。

16年前の今日、私は脳出血で寝たきりになった父を兄に託して、英国駐在の為、

成田空港からヒースロー行きの全日空機に乗りました。

恥ずかしながら、私はそれまで、日本を出国したことがありませんでした。

海外駐在の内示が出て、アワを食ってパスポートを作ったのです。

初めての国際線が、「転勤の為」という人は少ないのではないかと思います。

海外駐在は、普通、亭主が先に単身渡航し、現地で住居を探し、クルマを買い、

準備が整ってから、家族を呼び寄せるのです。


私の会社は、海外赴任者に迎えは来ません。12時間のフライトの後、ヒースローで入国審査を受け、

タクシーで、当面の住居。短期滞在型アパートに向かうのです。


英語は、僭越ながら、以前書きましたが、英会話の教科書を500回音読し、

存在すら知らなかったTOEICで800点以上取れていたので、会社の上司は大丈夫だろうと言ってくれていました。

これは、幸いそのとおりでした。


◆初日から出社。

東京-ロンドンは、約12時間。正午ちょっと前に成田を離陸し、ロンドンについたのは、現地時間では夕方4時頃ですが、

私の体内時計は既に夜中の12時です。疲れました。アパートに着いて会社に電話したら、

今日は良いから明日から来なさい。

と言ってくれると思ったら、人使いが荒い会社で「今日、これから、来い」といいます。

地下鉄の路線など、まだ右も左も分かりません。会社の所在地だけはわかりますから、

ロンドン名物のタクシー、ブラックキャブに行き先を見せてから会社に着きました。

エライ人に一通り挨拶したら、開放して貰えるだろうと思ったら、

私とと交替で帰国する前任者が、これからお客さんの接待ディナーがあるから一緒に来い、

といいます。仕方がない、行きましたよ。しかし、体内時計は明け方の4時頃です。猛烈な睡魔に襲われ、

席上、うたた寝してしまいましたが、前任者が相手に事情を話してくれたので、問題にはならなかった。

イギリス人の接待相手、つまりお客さんが気の毒がってくれていたそうです。


◆明治生まれで、単身渡米した祖父の命日でもあるのです。

学生時代勉強は大抵嫌いでしたが、何故か英語だけは得意でした。

私の祖父は福島県出身ですが、19歳の時に、単身渡米し、今やイチローですっかり有名になったシアトルの

通信社に雇って貰い、10年間、ジャーナリズムの勉強をしたのです。無論それまでに必死で英語の勉強は

していたけれども、あちらでは、差別を経験したり、苦労があったらしいですが、明治生まれの日本人は強い。

少々のことでは、志を曲げません。祖父は10年後帰国して、最終的には某新聞の主筆になりました。

戦前のことです。祖父は私が生まれる前に他界したのですが、私の英語好きは祖父のDNAを引き継いだものではないか、

と海外赴任など決まる前から、ずっと思っていました。

祖父の命日である10月28日に私が海外へ飛んだというのも何かの因果ではないか、と思います。


◆親の死に目には遭えませんでした。

当時、世の中にインターネットは既に存在していたようですが、今のように一般には普及していなかった。

そもそも当時、海外赴任にPCを持っていった人間などいないと思います。

私は、最近、今流行りのTwitterに結構ハマっていますが、先日、スペインに留学してんだか、遊んでんだか

分からない女の子(と言っても、OLを辞めてからですからそこそこの年齢のはずです)が、

私、インターネットが無かったら、絶対に海外に住むことなんて考えなかったと思う。

と書いていました。知らない人だから何も言わなかったけど、一瞬カッとなりました。
甘い!

と、思いました。PCを持って行くのは構いませんが、海外に住んで毎日、ネットで日本人と話していたら、

それがもし、語学習得目的の渡航ならば、こういう人は永久に上達しないでしょう。

時代が変わったのだから、で片付けて良いものか?と思います。


但し、駐在員の奧さんは別。旦那は会社で日本人と話せるけど、奧さんは必ずしも希望して海外に来たわけではない。

語学だって人には誰にも得手不得手がある。折角海外赴任したのだから、英語力を磨くべきだ、というのは、

駐在員の奧さんに対しては、「大きなお世話」です。海外駐在員夫人の自殺って、日本では知られていないけれど、

驚くほど多いのですよ。だから、今は奧さん達がネットで日本の人と日本語で話せるのは、非常なメリットなんです。


話が逸れましたが、私らの頃は不自由でした。日本の家族や友人と連絡を取りたかったら、時差を考慮して、

国際電話(料金がバカ高いので、長時間は、話せません)を利用するか、エアメール(紙に手書きの文字通り「手紙」です)

でやりとりするしかなかった。私は闘病中の父が、私の事を心配していることが、あまりにも明らかだったので、

色々辛いこともありましたが、「全て順調だ。心配ない。楽しくやっている」と認め、父が可愛がっていた私の息子の写真などを

添えて、せっせと手紙を書きました。後で聴いたら、親父はその写真を病室の壁に所狭しと貼って、いつまでも眺めていたそうです。

父は私の渡航2年後、1995年10月一旦危篤になりました。

私は一時帰国して、病院のICUに一週間簡易ベッドで泊まり込みました。最早、話すこともできません。

しかし、容態に変化がないので、仕方なくロンドンに戻りました。その3ヶ月後、1996年1月、容態悪化の知らせを受けました。

ロンドンの自宅から直接、父が入院している病院に電話したら、
○○○○さんは、さきほど、死亡退院なさいました。

と告げられました。覚悟はしていたけど辛かったです。


◆辛いことも多かったけれど、今でも懐かしいのです。

ロンドンでの駐在員生活では、色々と大変なこともありました。

細かいことにガミガミと五月蠅い上司。私が所属したチームは12人ですが日本人は私だけ。

現地採用のイギリス人職員には、外面は良いけど、内心、日本人をバカにしたくて仕方がない、

という奴が必ずいるのです。差別というのは、受けてみると、どれほど理不尽なものかよく分かります。


家を借りる契約も、中古車を買うのも、買い物も、夏休みの旅行でヨーロッパ各地のホテルを予約するのも、

歯医者に診て貰うのも、当然ながら全て英語です。家内は、全然英語を身につけようとしないので、

仕事中にプライベートな用事(例えば、カーペットクリーニン業者に連絡が取れない、とか)で、

私に電話してきたこともある。



しかし、4年間ヨーロッパ(英国人は英国は、グレート・ブリテンであり、ヨーロッパではない、と思っていますが)に

住めたことは、本当に有難いことです。あんなことがなければ、生来怠惰な性格の私は、一生パスポートを作ることが

無かったかも知れない。モーツァルトの生家をザルツブルクで見たり、ヴェニスのゴンドラに乗ったり、スイスで目の前に

マッターホルンを見るツェルマットに行くことも無かっただろうし、バルセロナでサグラダ・ファミリアを見ることもなかったと思います。

ロンドンにいたお陰で、安永徹さんがコンマス席に座る、アバド=ベルリン・フィルや、小澤征爾=ウィーン・フィルを聴くことが

できた。今でも、辛かったことより、そういう楽しかったこと(楽しかった時間の方がずっと短かったのに)ばかりを

思い出し、Googleストリートビューで、帰国直前まで住んでいた、ウィンブルドン・パーク・ロードの家を見ると、

殆ど「ホーム・シック」になります。私は海外の方が性に合っているのか、何とも言えません。


ロンドンにいたときの方が苛酷な環境だったけれど、母国に戻ったらうつ病になってしまった。

それからはずっとツイていませんが、ロンドンで暮らすことができたのは人生の宝です。

10月28日は、その楽しい日々が始まった日、ということになる。だから、忘れられません。

何だか、自慢話になってしまいました。不愉快になられた方がいらっしゃったら申し訳ない。

ただ、今の私は十分不幸です。何しろ10年もうつ病なんです。もう将来はない。

リストラされ、野垂れ死にするかも知れません。

だから、今日だけは、楽しかった日々を文字にすることを、お許し頂きたい。

最後まで、駄文にお付き合い頂き、有難うございました。

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2009.10.20

7年前に小柴東大名誉教授、島津製作所の田中耕一氏がノーベル賞を受賞した頃から本気で日記を書き始めた。

◆2002年10月8日に小柴先生が物理学賞、翌9日に田中耕一氏のノーベル化学賞受賞が発表された。

私は2002年4月15日にウェブ日記エンピツにアカウントを開いたが、始めの頃は何を書いたら良いか分からず、

サボり気味で、書いても大した内容ではなく、文字通り日々雑感を認めるだけであった。

htmlタグなど全く知らず、知ろうとも思わなかったので、ただのベタ打ちで読みにくいことこの上ない。

しかし、初めて、本当に書きたいと思って書いたのが、小柴先生のノーベル物理学賞受賞であり、

翌日、田中耕一さんのノーベル賞受賞の感動であった。

小柴先生はそれまで質量が無いと言われていた、素粒子ニュートリノに質量があることをスーパーカミオカンデという巨大な施設を

作って、発見し、ニュートリノ天体物理学の開拓者であり、その偉業は私の理解を超える。なまじ「分かる」というのは失礼である。

ただ、ノーベル賞受賞と聞いても淡々となさって、マスコミの取材に対して、

(受賞の知らせを聞いた日に)帰宅したら、家内と孫娘が急にかしこまって「おめでとうございます」なんていうから可笑しかった。

と笑っておられるお人柄に惹かれた。


また、田中耕一さんは島津製作所の一サラリーマン研究者であり、博士号も持っていない、学部を出ただけの「学士」だったが、

そのようなことは関係なく、純粋に田中氏の業績のみに光を当て、授賞を決定したノーベル財団のフェアな姿勢に多いに感動した。

ただ、サラリーマン研究者がノーベル賞を受賞したがために、色々とエライ人に会うことを余儀なくされたり、

公式の場に慣れていない田中さんが、まごついている様子をマスコミが、半ばからかうようなスタンスで取材していた。


何たる無礼な。


ノーベル平和賞や文学賞は主観的だが、物理賞、化学賞は押しも押されもしない。

科学者にとって、最高の栄誉である。受賞者は、我が国の誉れである。宝である。

丁重に扱うのが当然なのに、マスコミのあの態度は何だ!と感じたのが時事問題を取りあげるきっかけとなった。


◆小柴先生の講義をネットで見て、聞くことが出来る。

東大は2006年4月から、講義のポッドキャストを始めた。
第1弾が小柴先生の講義であった。iTunesならば、「宇宙と素粒子 -物質はどのように創られたのか-」で、

「エピソードを入手」でダウンロードされるし、iTunesを使わないのなら、RealPlayerが必要だが、

東京大学 講義 UT OpenCourseWareの中の、東京大学 講義 小柴昌俊教授 UT OpenCourseWareから、

ビデオ・講義ノートを開くと、小柴先生の1回目の講義、

物質はどのように創られたのか

から、ビデオをクリックすれば、RealPlayerがインストールされていれば、小柴先生の映像と音声を聴くことが出来る。

無論、内容は高度に専門的で、本当に分かるのはなかなか困難だが、講義の前おきで先生がおっしゃった言葉に

私は、心底感動して、先生を尊敬した。聞けば分かるが、次の一言(多少音声通りではない部分があるが)。
皆さんこんばんは。

今日、私がこのシリーズの最初に喋ってくれ、と云われたのは、

「物質はどのようにして生まれてきたか」と言うことなんですが、実はね。これは、大変に難しい問題なんですよ。

あのね。あなた方はそう思わんかも知れないけどね。立派な学者っていうのはね、「沢山のことを知っている人」じゃないの。

「知らないことがこんなに沢山あるぞ」と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。

ビデオへのリンク

上手く再生できない方のために、その部分を含む講義の冒頭を録音した。



宇宙と素粒子 -物質はどのように創られたのか







この噛んで含めるように、可能な限り易しく説明しようとしているのはノーベル物理学賞を受賞した先生である。

立派な学者とは、沢山のことを知っている人ではない。知らないことがこんなに沢山あるんだぞ、と痛感しているのが立派な学者だ。

という、この一言を知るだけでも、講義を聞いた価値があるように思う。

ノーベル賞受賞者にして、この謙虚さ。

世の中、大したこと無い奴に限って、「君たち、そんなことも知らんのかね?」とか、

「頭のいい私がバカな君たちに教えてあげるよ」という態度になる。本当に優れた学者とは小柴先生のような方を

言うのだろう。小柴先生は「こんなこともわからないんだぞ」ということを沢山しることになるだろう、

とおっしゃるが、それは、言うまでもなく、自分が立派な学者だ、という意味ではなく、

学者のあるべき姿を示し、自分もそう自戒しながら、学問をしてきたのだ、とおっしゃりたいのである。

とっくに引退し、ノーベル賞まで受賞した先生が、これほどまでに情熱を持って語るのは、ご自身が

科学が好きであるのは勿論だが、若い人達に、科学の素晴らしさ、面白さを教えたいという気持なのだろう。

このような立派な先生の講義をネットで聞けるとは、有り難い時代である。

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