カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2014.03.01

「合理主義」だけでは、商売はうまくいかない。車の買い替えに際して思いました。

◆16年半ぶりにクルマを買い替えました。

「買い物自慢」では、ありません。

私は、1997年7月末に4年間駐在した英国・ロンドンから帰国しました。

持ち家なんかありませんし、帰国と同時に賃貸マンションを探すのは難しいので、

帰国者には、さすがに会社が配慮して、優先的に社宅に入居できます。


それは、たまたま、武蔵野市(最寄り駅はJR東日本中央線、三鷹駅)の社宅でした。

元来クルマはすきですし、子供もまだ幼かったし、多摩地区では特にクルマがあった方が便利なので

あれこれ検討して、結局、近所の日産の正規ディーラーから、

2500cc、6気筒の2代目「セフィーロ」(今はありません)を買いました。

それをこの度、さすがにあまりにも古いので、最近の日産のセダンに買い替えたのです。

再び日産車を購入した経緯を書きます。


◆同じメーカーでも販売店、担当者により、ものすごく印象が変わります。

最初の営業担当者はとても親切でしたが、やがてその人物が転勤になり、

2代目の担当者。この方は、日産武蔵村山工場(今はありません)で

働いていた、元来技術系の方ということで、営業(セールス)は初めてで、

大変そうでしたが、それだけに熱心で「誠意」を感じました。しかし、この方も転勤になりました。


その後からひどかった。

誤解を避けるため、書きますが日産の正規販売店「日産プリンス」全てが「ひどい」のではない。

営業担当者、個人の問題です。


3代目から、「若い奴」になりましたが、ここから急に仕事がいい加減になりはじめました。

3代目もやがて転勤。4代目に替わるとき、普通は新担当者を連れて挨拶に来るものですが、

電話で「自分は、こんど転勤になりました。新担当者は〇〇といいます」となんとそれで終わり。

4代目の〇〇の仕事ぶりはさらにデタラメで、ある年、車検を依頼して、車検自体は済みましたが、

ちょうど、私が夏休みで、クルマで旅行に出かける直前のタイミング。私は4代目担当者の××に、

「車検証が届いたら、直ぐに私の自宅に持って来てくれ」

と電話でたのみ、××も一見愛想良く「わかりました」といいますが、なかなか来ない。

早く出かけないと、旅行先のホテルに着くのが夜中になります。

業を煮やし、販売店長に電話したら、
××は営業の為外出しています。車検証は、ここ(販売店)にあります。

という。余りにもひどい仕事ぶり。次回は絶対に日産以外を買おう、とその時は思いました。


数年後、私は実家があった荻窪に色々話すと面倒くさいですが、等価交換という手段を用いて

マンションを建てて、その一室に引っ越しました(私はマンション全体の「大家」ではありません)。

クルマはそのままセフィーロです。


新しい日産の販売店の世話になることになりました。

その担当者が、今でも担当して下さってますが、実に素晴らしい。

これで一時期最悪になっていた私の「日産プリンス」へのイメージが、ガラリと

良い方に劇的に変化しました。

それはあたかも、「逆転サヨナラホームラン」のようなものです。


◆日頃の細かい仕事でも、誠意を持ってこなしてくれると、「恩義」を感じるものです。

ここ、杉並。自宅最寄りの日産プリンスに、今まで私はチマチマしたことばかり

依頼してました。車検だとか、少々キズが付いた、とか、サイドミラーの具合が悪いとか、

バッテリーが劣化したようだ、とか、近所の子供が石を放り上げて遊んでいるウチに、

間違って、私の車のリアウインドウを直撃し、丸ごと交換しなければいけない、など。

このような「手間ばかりかかって、大した儲けにならないこと」ですら、現担当者のSさんは、

常に変わらずに、イヤな顔を絶対にしないで誠実に対応してくださいました。


勿論、クルマの営業担当ですから、新車に買い替えて欲しいに決まっている。

何しろ、1997年のセフィーロですから、本来はとっくに買い替えるところ。

Sさんにも何度もすすめられていたのですがその都度、いろいろ言い訳して誤魔化して

買い替えませんでした。一つには、ウツになり、収入が減ったことも理由ですが、

まあ、それはいいません。

なんど、話を持ちかけても、なかなか買い替えると言わない私で、その間に「チマチマ仕事」は

頼むのですが、前述のとおり絶対に嫌な顔をしないでその度ごとに丁寧に、誠実に対応して

くださいました。

こういう風にされると、人間ですから、「恩義」を感じ「情」がうつります。


◆今日、新車を買う契約をしました。他社は考えもしませんでした。

今回、たまたま、資金繰りに余裕が生じ、

あまりにも古い今のクルマを買い替えることに決めましたが、

今までの、営業担当S氏の誠実な対応を忘れるはずがない。

彼以外から買うつもりは、全くありませんでした。他社との比較すらしなかった。

検討したのは、彼の販売店で扱っているクルマのどれにするか、ということだけです。


新しい車種を決めて、今日成約しました。自分では消費税云々は、間に合わなくても仕方が無い

と思っていたのですが、営業担当者は、今のうちに一台でも多く売りたい。当たり前です。

営業のS氏の大事な時期に、「車を買い替えたい」と申し出て、彼のアドヴァイスで買えて、

良かったです。クルマ一台買うとなると、販売店の店長まで挨拶に出て来て下さいます。

(話は、販売店でやりました)。


店長さんに、これまで細かいことまで、引き受けてくださったS氏の手柄にして下さいといいました。

言わなくても、当然かれの成績にカウントされるでしょうが、

誠実な仕事には、感謝し、彼の上司の前で彼の仕事ぶりの素晴らしさを強調したかった。


人間の行動がすべて「合理的な判断」で為されるもの、という考え方があるとしたら、

それは、違う。「合理的に」行動するならば、私は前述のように、他社も検討するはずです。

他のメーカーのディーラーをごっそり呼んで、値引き競争させたでしょう。


つまり、人間の行動はそういうものです。生きものですから、

数字(値段)だけで、行動は決まらない。

また、こういうチャンスこそ、相手を褒めるべきです。

今日、私は、営業担当S氏の上司に、今まで如何に彼が親切で、誠実で、丁寧な

仕事をしてくれたか、だからこそ、おたくで買うのだ、と強調しました。

僭越ですけど、本人も上司もイヤな気がするはずがない。優れた仕事は褒められるべきです。

商売。ひいては人間関係というのは、本来そうあるべきだ、とおもいます。

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2013.03.28

30日(土)に母の遺骨を納骨いたします。それで一通り、終わります。

◆今年の1月3日に、母が他界いたしました。

そして、四十九日法要が2月16日(土)でした。

これは近所の菩提寺で済ませましたが、私の家の墓は府中の多磨霊園

という離れた所にあるので、四十九日に納骨、という訳には参りません。

納骨までは、菩提寺に遺骨を預かって貰い、今週末に納骨します。

これで、以後、一周忌、三回忌などありますが、ひとまず、一息つけます。


周囲の人々からは、この間、もちろん善意からなのですが、

親が亡くなった直後は、気が張り詰めているからのりきれるが、四十九日の後あたりで、どっと疲れがでるぞ

と、忠告して下さる方が、何人もいらっしゃいましたが、

幸い、そういうことは起きませんでした。

精神科のドクターのお話によると、
生前全然親をほったらかしにして、入院後もロクに見舞いに行かなかった、とか、自分が外出したり、旅行に行って、

帰って来たら親が突然(と思われる)死していた。というような場合に後で子供が抑うつ状態になりやすいが、貴方(JIRO)

の場合は、入院後毎日のように、見舞いに行ったとか、多分、為すべき事を実行したから、死に対してもあきらめというか

気持ちの整理が付きやすいのであろう

とのことでした。


母は、16年前父が他界するまでは寝たきりになった父の面倒をみたり、

その前は、当時はそのような言葉は存在しませんが今から思うと、どう考えても認知症になっていた

祖母(私の父の母親)の面倒もみたり苦労が多かったのですが、父が死んでからは、

ずいぶんと自由な生活を楽しんでおりました。

私がロンドン駐在員時代にはロンドンに遊びに来たので、あちこち案内してやりました。

その後は自分で、いろいろ調べてほとんど1ヶ月か2ヶ月に一度は内外の旅行を楽しみ、


4ヶ月前、つまり昨年11月、入院する少し前まで国内(場所は忘れました)旅行に行っていたのですから、

楽しませてやれなかったという後悔はありません。


なにより母は享年84歳。子供は59歳の兄と、52歳の次男の私です。

この母が病気で息子よりも先に死ぬのはごく普通のことで、悲惨なことではありません。

東日本大震災では、9歳と2歳の兄弟をのこし、お父さん、お母さんが亡くなってしまった、

というような、胸が張り裂けそうな事態が起きているのですから、

59歳と52歳の息子を残し、84歳の母が病気で死んだ、なんてのは、

いちいち世間様に同情して頂くようなことではございません。


◆私が私たる所以、私の「本質」を知ってくれている人間がいなくなった、ということ。

司馬遼太郎氏のエッセイ集「風塵抄

(私が持っているのはこの新書版なので、こちらにリンクを貼りましたが、無論、文庫本でも同じ事です)

35ページに「自己について」という一文があります。

その人を、その人たらしめているもの、その人固有の哲学のような意味です。

私の表現で書くならば私の自己とは私が私である所以(ゆえん)です。


私の「自己」を一番理解していたのは、やはり母だったとおもうのです。

母が死んだ後、私がただの一度も泣かないのでツレアイが驚き、

あなたはもっとマザコンだと(従って、母親が死んだら、結構メソメソするだろうと)思っていたけど、

ちがったのね?というのを聞いて、やはりなかなか一人の「自己」はわからないのかな、と思いました。

マザコンだったら、クルマで10分か15分で行ける所に、母は住んでいたのですから、

私は、ほぼ毎週「ママ」に会いに行くハズです。

そんなことはしたことがありません。これは「自己」を知っているか、否か、というよりも考えればわかりそうなことですが

基本的に「自己」を把握していないのでしょう。かく言う私もつれ合いの自己がわかっていないでしょう。

家内の母親は既に他界しましたが、父親は生きている。義理の父のほうが恐らく、私よりもわかっている。


私は、もはや両親ともにおりませんので、私の「自己」をほぼ完全に把握してくれている人間がこの世からいなくなってしまった、

と考えたときだけ、母の死が現実感をもって感じられます。

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2012.12.26

【病気】ガンの告知が当たり前になってますが、いいのでしょうか。

◆手術不能の胃ガンで入院中の母を見舞ってきました。痛みに苦しんでいます。

先週末、母に下痢をして、ノロかも知れないというので、4人部屋から個室に移された、と聞いてました。

今日、会社帰りに病院に寄って驚きました。ガン末期の疼痛ではないのですが、消化器の痛みがずっと続いているのです。

あまりの痛さに手が震えている。寒気がするといいます。


本当のガンの末期にしては転移が早すぎるし、ICUでもっと厳重に監視するはずですが、

母の主治医は「腸炎」をおこしているのではないですか?という程度であんまり構ってくれない、といいます。

こうなると、私にも見当がつきません。

経口抗ガン剤TS-1を8日間飲み続けて、点滴抗ガン剤を始める予定だった21日(金)から、腹部の痛みが

始まったそうですが、繰り返しますがガンそのものの痛みではなく、すぐに死ぬことはない、と思われているのでしょう。

母は、構って貰えません。異常に何度もナースコールをすると、無視されることがありますが、そういうことはしてないそうです。

主治医を捕まえて、あれほど、痛みにより手がぶるぶる震えるほどなんだから、何とかしてやってくれないか、

と頼みたかったのですが、医局にいません。ナースに伝言を頼みました。

ちょうど夕食時(もちろん、母は食べられません。抗ガン剤の副作用で口内炎がひどいのです)で

忙しいということもあるのでしょうが、ナースステーションのナースが、明るい笑顔で

ハイッ!担当医にいっておきますね!

親が死ぬということは、家庭により、実の親じゃないとか、色々あるでしょうけど、

実の親が死ぬということは、誰にとっても、生涯に二度しか経験しないことですが、

病院というところは、毎日、誰か死ぬ場所ですから、個々の患者の「痛み」なんか知ったことではない。

医療従事者に取っては日常的体験で、いちいち感情移入したら、発狂してしまうことでしょう。

それは分かります。仕方が無い。けれど、自分の親が死に向かっていることが、

病院では、ありふれた日常として扱われるあのやるせなさ、悔しさは、嫌なものです。

あれほど痛がっている年寄りは、もう少し何とかして貰えないか、と思いました。


繰り返しますが、ガンが急速に進行したわけではないのです。

胃腸炎を起こし、消化器の痛みが止まらない。検査の結果ノロでもない。

出すものを出したら、痛みはおさまるはずです。まあ、素人だからわかりません。


◆母は、自分がガンであることを知ってから、急速に気力が萎えています。

今では、ガン患者にさっさと本当のことを言ってしまうようです。

言わないでおいて、何か揉め事になった例があるのかもしれません。

ガンだとしっていたら、仕事やプライベートの整理をしたのに、などと言って

訴訟を起こした遺族でもいるのでしょう。


実は、今までは、私もそれで良いと思っていたのですが、母を見て疑問符が頭に浮かびました。

母は、元来血圧が高く、死ぬなら循環器系だろう、と勝手に思い込んでおりました。

ガン家系ではないので、まさか自分がガンになるとは思っていなかった。

しかし、今まで84年の人生でずいぶん多くのガン患者を送ったことがあるので、

末期の苦しさを思い浮かべてしまったのでしょう。

要するに何を言いたいかというと、母はじぶんの病気がガンであることを知り

かなり大きなショックを受けていました。それから、それまでは大抵のことには楽天的だった母ですが、

今まで、看取った友だちや親戚のガンの末期を思い浮かべたのでしょう。

「自分もあのように、苦しみ抜いて死ぬのか」という恐怖と落胆により、

病気と対峙する気力が、一挙に萎えてしまったように思います。

先週まで元気だったのに、今日の、腹部と口内炎の痛みに顔をしかめ、

あまりの痛さに手が震えているのを見て、さすがにいたたまれない気持ちに

私は、なりました。ああいう患者もいることを考えると、

全てガンを最初から告知するのが果たして良い事なのか疑問に思えてきました。

今の痛みは、まだ、序の口です。あんなに苦しむなら、尊厳死があってもいいとおもいました。

陰気な話ですみません。今日はこの話しかかけませんでした。

みっともないことに、私もやや動揺しているので、いつもより一層、乱文になっております。

ご容赦のほど。

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2012.12.13

私事で恐縮です。母がガンと診断されました。

◆日本人の2人に1人はガンになるし、知らないうちに被曝している方もいるでしょうから。

私事ではあるのですが、ご参考になるかと思いまして。

母は昭和3年(1928年)生まれの84歳(「ボレロ」や「パリのアメリカ人と「同い年」)です。

昔から高血圧ですから定期的に心臓に気質的病変が起きていないか心電図などで確かめるため、

月一回、個人総合病院に通院しています。たまたま血液検査で肝機能に異常がみられたので、

エコー(超音波検査)を受けた後、「検査入院することになった」といいます。

この時点で、私は「ははーん」と思いました。単なる脂肪肝ぐらいなら、検査入院なんて言わないでしょう。

エコーで何か、腫瘍のような異変が見つかったので、胃カメラを飲んで生検を受けるのだろうと。

そこまでするのはガンを疑っているのだろうな、と。但しその時には、母には言いませんでした。


◆昨日(11日)病院から「家族に話がある」と連絡がありました。

こういう精密な検査をした後で主治医が患者本人ではなく、「家族に」話がある、といったら、

経験則に照らし、大抵はガンですよね。


今日、覚悟して病院に行きました。肝臓ガンだと予想してたら、胃がんでした。

胃には食道側の「噴門」と小腸に繋がる出口、「幽門」がありますが、その幽門部ガン。

胃だけなら、オペで切れますが、既に肝臓に転移しています。オペはできないと。


現在、胃がんの最もオーソドックスな治療で、S-1という経口抗ガン剤を一週間(かな?)飲んだ所で、

シスプラチンという点滴の抗ガン剤を最初は大量に、あとは数週間に一回点滴してそれを何度か繰り返し様子を見る。

苦しいのが構わないから、死にたいという人は、何もしなければいいですが、幽門部の腫瘍が大きくなると、

何か食べても、腸のほうへ出て行かない。吐いてしまうことになります。すると点滴で栄養補給になる。

こうなったら、人間どんどんよわります。


S-1とシスプラチンの併用により、7割の患者には、腫瘍が小さくなる、という効果が出る。

もちろん、副作用はあるけど、昔の抗ガン剤に比べたら、かなり改良されています。

ドクターは、過度に深刻にならず、他方(たまにいますが)過度に事務的、ないしは冷淡な

雰囲気ではない。バランスの取れた40代前半ぐらいですかねー。

それでお願いしますと、母も私も兄も納得しました。


◆私が50代で母が80代ですから、普通のことです。

誤解して頂きたくないのですが、この記事は「構ってちゃん」騒ぎではありません。

「親が死ぬ」という経験は、父親ですが、もう20年近く前に、私がロンドン駐在中に

経験しました(死に目には会えませんでしたが)し、

私が52歳で母が84歳ですよ。既に私の年齢なら、両親とも亡くなっている方も大勢いる。

この年で母親がガンで先に死ぬって、まるで普通の、ありふれたことであり、

私のようなケースは、そこら中にあるでしょう。

東日本大震災では、52歳どころか12歳の子供が、一瞬で天涯孤独になってしまったり、

逆に親御さんが生き残って、子供さんが今だに見つからない、という方が何千人もおられます。

それに比べたら、私の母のケースなど、極めて「普通」の状況です。


◆兄夫婦がテンパちゃって、そちらのストレス要因の方が大変なんです。

母は、最初は副作用など観察するためしばらく入院しますが、その後は

普段は「飲み薬」だけで、五週間に一回、点滴の抗ガン剤を投与するのですから

長期入院にはなりません。一族郎党が交替で「面倒を見る」必要が、そもそもありません。


一番困るのは兄貴で、この人は年が離れてるし、同じ兄弟でどうしてこんなに顔がちがうのだ?

と、しばしば他人様(ひとさま)に言われるぐらい、似てないのです。

昔から仲が悪い。少なくとも私は、兄貴が嫌いなんです。

肉親でも、相性の悪い人間って、いるとおもいます。兄貴は男のクセに「ヒステリー」なんです。

今日も、ドクターの説明を聞いたあとで、喫茶店に寄り、

「ターミナルケアをできる病院を探し始めないとダメだ」

「最期に、疼痛で苦しまないように、モルヒネ系鎮痛剤を使える病院ではなくてはダメだ」

「今のうちにしたいことはして(←JIRO注:してます、一番旅行にいったりランチを楽しんでます)

会いたい人にはあって(←JIRO注:合ってます。)おかないと。本人はショックを受けてるから、

そういうのは、こちら(←JIRO注:兄貴と私)が積極的に「あそこに行こう」などと誘わないとダメだ。

(JIRO注:言わなくても、母は、親父が死んだあと、いつもあちこち出かけて、好きに過ごしてます)

と、まだ、そもそもドクターに「もうダメです」と引導を渡されたわけじゃないし、治療を開始していないのですよ?

化学療法の結果、完全にガンが消えなくても、縮めば、胃の幽門部は塞がらないから、

物を食べることができるし、普段は飲み薬だけなのですから、旅行に行く人さえいる、

とドクターは行っているのです。

それを、兄貴と私がやたらと「会いたい人はいないか?」「行きたい所はないか?」「食べたい物はないか?」と

言いだしたら、逆に如何にも「お袋は、もう死ぬんだぞ?」という風に捉えられますよね?


とにかく治療を開始してもらって、主作用が認められるか。深刻な副作用がないか、などを

観察しないと、次の行動は取れないとおもいます。

しかし、とにかく、兄貴は「男のヒステリー」なので、そういうことを理路整然と話そうとしても、

途中で、「キーッ!」となって、怒鳴り始める、そういう性質の人間なんです。

私にとっては、母がガンであると宣告されたことよりも、それに対する兄やその嫁

(これが狡い人で、長男の嫁のクセになるべく「面倒には関わりたくない」姑息な女なんです)

と接することのほうが、大きなストレスで、それが憂鬱です。

いい年して、オタオタするな、と怒鳴りたい気分です。


今年は色々、取り込みがありまして、漸く収まったかな?と思っていたら、年末の今になって

こういう有り様です。全くツイていないにもほどがあります。

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2012.12.01

【衆議院選挙】思想を主張したいならばブログに書くべきです。Twitterでは分かりません。

◆選挙に限ったことではありませんが。

私は2002年にWEB日記エンピツに、「JIROの独断的日記」書き始め、

2004年11月にブログ、「JIROの独断的日記ココログ版」のアカウントを持ちました。

当時「ブログ」が猛烈な勢いで「流行り」はじめていたので、自分の思想を世間にアピールするためには、

より多くの人の目に触れやすい方法を併用することが得策だと思ったからです。

そして正確には覚えていませんが、2年ほど前からTwitterも始めました。

それで、分かったことがあります。


◆Twitterは、楽なのです。

日記とブログは形式が若干違うだけで、「文章を書く」点では同一の作業ですが、

Twitterは全然違うものです。

一回につき140文字の「つぶやき」の連続というのは

ブログで長文(といってもタカが知れていますが)を書くことよりも遙かに楽なのです。

その場で思い付いたことを、書くことの連続です。前後に脈絡が無くても構わない。


一方、このような駄文でも、一応、文章を書くとなると、「構成」を考えます。

一つのセンテンスはTwitterと同じ程度かもしれませんが、全体として何を主張したいのか?

を他人様(ひとさま)に分かって頂く為には、当然、どのように論理を展開し、

その為には全体の文章の「構成」を考えなければなりません。

Twitterよりずっと大変です。


こんなことを書くと、お叱りを受けるかも知れませんが、くたびれてブログの更新をサボる日でも

Twitterならば、いくらでも書ける、ということがあります。繰り返しになりますが、

「その場の思いつきの言語化」ですから殆ど考える必要がありません。


◆政治論議が盛んなTwitterですが、あまり意味がない、と思います。

最近、衆議院解散・総選挙が決まってから色々な人が、入れ替わり立ち替わり、

自分の思うことを「ツイートし」ています。自分の中では文章になっているのでしょうが、

傍から見ると、色々な人の発言が、投稿順に表示されるので、ある特定の人だけを

追いかければ、多少は言いたいことがわかりますが、それでも、本人が「構成」を意識していないので

政治の話をしたかとおもうと、全然関係のない、食べ物の話になる、などということがしばしばあります。


あれでは、自分は満足かもしれませんが、その人の「思想・信条」がまったく分かりません。

選挙前に自分が世間に何かを訴えたいのなら、ブログ・アカウントは簡単に持つことができるのですから、

「文章にまとめて」言語化するべきだ、と思います。

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2012.09.28

【差替】【スポーツ】なでしこジャパン、宮間あや選手の優しさ。/動画を追加しました。

◆週刊新潮最新号で藤原正彦氏が美しいエピソードを取り上げておられます。

数学者・エッセイストの藤原正彦氏が毎週「週刊新潮」に巻頭に「管見妄語」というコラムを

書いておられます。毎回とても楽しかったり、おかしかったり、感動したり、非常に楽しみに読ませて頂いています。


昨日発売の「週刊新潮」最新号(10月4日号)の「管見妄語」のタイトルは、

「やさしき文化の伝道者」です。

なでしこサッカーの宮間あや選手のファンである。

という書き出しです。続いて、
彼女のキックの正確さは、三十メートル以内の距離なら男女を含めて日本一かもしれない。

など、アスリートとしての能力の高さを挙げておられますが、

藤原氏の今回のコラムの本質はそこにはありません。

日本でテレビを見ている間には気がつきませんでしたが、
2011年のワールドカップ決勝戦後、、宮間選手は躍り上がって歓喜する仲間に加わらず、

悔しさと無念さでうなだれているアメリカの選手団の所へ直ちに行き、

各選手を抱きしめることで敗戦チームに敬意を表したのである。

このシーンがテレビで繰り返し放送され絶賛されていたと、当地にいた息子が教えてくれた。

という逸話。さらに、今回のロンドン五輪でも。準決勝でフランスに勝った後、
日本との準決勝で二対一で敗れたフランスチームのアビリー選手は、全てが終わったことに虚脱したのか

芝生にへたりこみ泣いていた。そこに仲間から離れた宮間選手が行き、頭をそっと抱いたうえ

そのすぐ前に腰を下ろしたのである。しばらくやさしい言葉で慰めたのだろう、アビリー選手は自ら

手を伸ばし宮間選手の手を握り腕をさすった。膝をついた宮間選手はアビリー選手と再び抱き合った。

この出来事も海外で話題となり感動を呼んだ。敗者に対するやさしさは日本の文化というコメントさえなされた。

ことを紹介し、宮間あや選手は、
卓越した技術、なでしこサッカー主将としての理論的および精神的支柱ばかりでなく、

日本の良き文化の伝道者でもあるのだ。

と絶賛しておられます。

先に書いたとおり、テレビでは宮間選手の行動に気がつかなかったので、

先ほどネット上を検索したら、このことを五輪の後にブログに取り上げている方がいらっしゃいました。


roosterさんの「ひと休みちょいっといっぷくしましょう -y(^o^)..oO○」というブログです。

8月21日付、宮間あや選手!ダイヤモンドメダル!というエントリーで

米国NBCニュースのマルチメディア担当ナタリア・ジメニーズ氏が、宮間選手のやさしい振る舞いをブログで

とりあげ、これが「米国のネット掲示板などで話題となっている。」と。


写真を転載するわけにはいかないのでリンクを貼らせて頂きますが、宮間選手とともに、

彼女の優しい「敗者をいたわる心」に注目した、藤原正彦氏、roosterさん、ナタリア・ジメニーズ氏の

「優しさ」もまた、同様に讃えられるべきです。


藤原正彦氏は「国家の品格」で「惻隠の情」を強調されていました。

そのとおりです。


宮間選手の試合後の様子をYouTubeで見つけたので追加します。


宮間あや ロンドン五輪サッカー女子準決勝3 日本VSフランス 試合終了




今の世の中は、本来そうでは無かった日本まで、なんでもかんでも強者、勝者の論理に立ち、

あたかも「弱者は勝手に野垂れ死んで下さい」と言わんばかりの冷酷さが充満しています。

宮間選手、藤原正彦氏、roosterさん、ナタリア・ジメニーズ氏が示す優しさを思い出すべきです。

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2012.09.09

Twitterで天下国家を論じる限界。

◆Twitterを使って分かったこと。

東日本大震災のときには、「非常通信手段」としてTwitterが活用されたことなどが、

メディアでも報じられました。確かに極めて限定的な内容、特に「連絡」には、一回140文字にまとめなければならないから、

それが、「要するに何を求めているのか?」を分かり易くする目的に寄与します。


しかし、震災時ではないいわば「平時」である現在、毎晩毎晩これでもか、とばかりにタイムライン(以下、TL)に

橋下大阪市長の公的な場での発言に憤りを覚え、色々な人がバラバラにTweetします。

これですと、全体として世論の一方に橋下市長を支持する人がいるけれども、

彼の政治的思想に大反対するひとが大勢いる、という世論の傾向はわかるのですが、

各自はとにかく、そのとき、そのときで140文字で、思いをぶちまけるばかりで、

反対する論理・思想がわかりません。

自分の言葉でつぶやく人ばかりならまだしもRT(リツイート)という、他の人の発言を

もう一度、表示する人も多くあまりにもまとまりがない。

雑談や連絡用には、便利ですが、自分の主張・思想を展開するためには、

やはり、文章を書かなければ、分かりません。


◆7年前の9月11日、「郵政民営化選挙」が行われました。

2005年8月8日に参議院で、「郵政民営化法案」が否決された直後、当時の小泉純一郎首相は

衆議院を解散しました。本来その前に両院協議会を開催しなければならないのですが、

小泉首相は、その手続きを省略しました。解散権の濫用です。


私は、その「解散権の濫用」の問題自体を含め、

当時、大衆に大ウケした「小泉改革」の問題を、911の当開票日まで、殆ど毎日、

書き続けました。それは、一覧性においてブログより優れているウェブ日記エンピツを

ご覧頂くとわかります。

2005年8月の日記見出し一覧

2005年9月の日記見出し一覧

そして、何度も同じ事を書いて済みませんが、あまりにも当時悔しかったのは、

この1ヶ月の間、一通の反論メールも反論ブログコメントも来なかったのに、
2005年09月12日(月) 自民党歴史的勝利←国民の歴史的かつ致命的判断ミスですな。

を書いた途端、嫌がらせコメント・メールが殺到したことです。

つまり、私が1ヶ月間、反小泉の主張を展開していたのに、

それに対して全く反論しなかった(というよりもできなかったのでしょう)選挙の結果だけを見て

小泉が正しいに違いない、と判断して、私に嫌がらせを送って来た訳です。

自分の頭では考えられず、結果から判断する。


その後時間の経過とともに、小泉政治が「格差社会」「弱者切り捨て社会」をもたらしたことが

問題になりましたが、私に嫌がらせをした誰からも、何のメールもコメントも来ませんでした。


すみません。話が逸れました。愚痴です。


要するに、体系的に、論理的に自分の思想・思考、論理を主張しようとするならば、

Twitterの140文字では、無理です。

毎日、反橋下市長知事のTweetを流している人が大勢いますが、

自分だけは、わかりますが、他の人には自分の思想全体は伝わりません。

あれは、四方山話や、冒頭に書いたとおり、連絡手段として使うのが

ちょうど良い。

140文字ですと大して考えなくても書けますが、

あれだけやっていたら、まとまった文章が書けなくなってしまいそうです。

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2012.08.23

夏休みです。/山本美香さん。

◆8/22(水)から8/28(火)まで夏休みです。

ようやく、休みです。

とにかく、私は会社も仕事も大嫌いなので、会社に行かなくて良いというだけで、血圧が下がります。

本当は旅行でも行けばそれなりに楽しいのでしょうが、今年はあまりの暑さで疲れてるから、行きません。


旅行に行くと、ホテルか旅館に泊まりますよね?当たり前ですが。

一泊、一人、一万数千円とか何万円はらうわけですが、チェックインからチェックアウトまで24時間ないじゃないですか?

家族3人で二泊しただけで、すぐ10万円とかになりますね。

なんか癪ですね。だって、要するに夕飯と夜寝るのと、朝飯だけですよね?

しかも、結構時間にうるさくて、夕食、朝食は何時まで。とかいいます。

そして当たり前ですが、旅館やホテルは、自宅じゃないですから、布団も枕も違います。

絶対、自宅ほど熟睡してません。そして休みだというのに、朝食は9時半までにとかいわれるとですね。

私は普通、土日なんか昼頃まで寝てるわけですが、それよりも遙かに「勤勉な行動」を強いられ、

挙げ句に二泊で家族で10何万円て、あほ臭い。結構くたびれます。

3泊4日したら自宅でゆっくりできるのは残り3日か4日です。

子供が小学生ぐらいの頃は、まあ、仕方が無い、というところですが(こちらも若かったし)、

今は、んな、オヤジやお袋とどっか泊まって嬉しいというトシじゃないですから。せがれも。

まあ、少しばかり上等なメシでも食いに行きゃ、いいでしょう。

生来の怠け者の私でございます。


◆銃弾に斃れた山本美香さん。

月並みな表現ですが、大変、ショックです。

BBCは丁寧に報じています。

Japanese journalist killed in the Syrian city of Aleppo

山本美香さんは、テレビで何度も拝見しました。真摯な語り口が印象的です。


世の中には、一回か二回、アレッポに行ったことがあるだけで戦争ジャーナリストを気取る人がいて、

そういうのを「一発屋」と言い、本当の戦争ジャーナリスト達から軽蔑されるそうですが、

勿論、山本さんはそうではなく、長く、危険な戦地を命を賭して歩き、報じ続けた真の戦争報道のプロです。

詳しい事は、軽々しく書けないので、山本さんの著書を読んでからに致します。


日本は、新聞をみても国際面というのは、あまり充実していないし、

一般的日本人の意識は、
シリアで何があっても、別に関係ない。そんな危険な所へ行かなくても・・・

というのが、本音ではないか、と思いますが、

私の想像ですが、正に、だからこそ、多分山本美香さんは、戦地へ向かったのでしょう。

関係が無いことではないのだ、と。

日本はたまたま今は鉄砲玉が飛び交うことも爆撃機の空爆もないけれども、

同じ地球上では、今日も人が銃弾に斃れ、無辜の市民が子供が、爆撃で死んでいる場所があるのだ、

という、誰も「見たくないが、見なくてはいけないこと」を伝えなければならない、

という、使命感で行動なさったのだとおもいます。

さぞや、無念だったでしょうが、最後までカメラを回し、別になんら他人に危害を加えるつもりはない、

ジャーナリストの自分ですら、一瞬の油断で殺される。これが戦争なのだ、

と自らの死を以て、残酷な現実を、日本人に示した。

山本美香さんは、最期まで、ジャーナリストでした。

ご冥福を祈ります。

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2012.08.14

誰も「全て」を手に入れることは、できません。

◆皆、何かを得て、何かを犠牲にしている。

仕事だけでは、なくて、人間の営みのあらゆる事に当てはまると思うのですが、

一人の人間が全てを手に入れることは、できない仕組みになっているように思います。

何十年も前に、「お見合い」を何度か、経験しました。


あるとき、私は音楽が好きですから、そういう職業の女性を紹介して欲しいと、頼んでおいたら、

芸大のヴァイオリン科を卒業し、しかし、どこのオーケストラにも所属しない、フリーの方と

会いました。


弊日記・ブログを長年御愛読下さっている方は、覚えてくださっているかもしれませんが、

私は、子供の頃、漠然と「プロのトランペット奏者になりたい」と思っていた時期があります。

それは、本当に「夢」の域を出ませんでした。きちんとプロの先生のレッスンを受けましたが、

間もなく私には、趣味で楽しむ程度ならともかく、ラッパを吹いてメシを食う才能も、

また、絶対にそうなりたい、と頑張る根性もないことがわかりました。


私は普通に大学の法学部を出て、ある程度の規模の会社に入社し、サラリーマンになりました。

サラリーマン、しかも私のように文系を出た人間で最も多い「総合職」という立場は、

要するに「広く浅く」「何でも屋」であり、会社の辞令に対してハンコ一つで、何処へでも行って、

どんな仕事でもしなければなりません。

その結果、偶然、自分と相性の良い仕事に就くこともありますが、数年で異動となります。

皆、同じです。ですからサラリーマン人生をずっと「好きな仕事」をして過ごすことは、

原理的、確率的に殆ど期待できません。

しかし、つまらない仕事でも我慢をして毎日務めていれば、最近は景気が悪くリストラなどという

非人道的な事が平然と行われるようになりましたが、私の頃は原則的によほど不祥事とか大失敗でも

しない限り首になることはない。仕事の楽しさをあきらめ、「安定」を手に入れます。


たまに、私が子供の頃から大好きな「オーケストラ・コンサート」に行くと、

音楽家の皆さんは、美しい音楽を演奏し、ステージで聴衆から拍手や、しばしば「ブラボー」の

称讃を受けます。羨ましいと思いました。


お見合いの話に戻ります。

フリー・ヴァイオリニストの女性にそういう話をしたら、

彼女は逆に「私は、会社員って、とても憧れるのです」といいました。

心底驚きました。こんなつまらない仕事の何に「憧れる」のか?

私をからかっているのか?と思いましたが、そうではありません。

当時はまだ私も若く、(お見合いをするぐらいですから)独身で、

何も世の中というか、人生が分かっていなかった。


音楽家は確かに好きな曲を弾いているときは楽しい。拍手を受ければ誇らしいでしょう。

しかし、プロの音楽家なのですから、どんなプログラム(曲目)であっても、弾けて当たり前。

素人の道楽ではない。「難しいから弾けません」といっていたら、首になるか、彼女のようなフリーだったら

仕事が来なくなります「使えない奴だ」という評判が立ったらおしまいなのです。

上手くて当たり前なのです。間違えないのがあたりまえなんです。

自分が嫌いな曲だって、練習しなければならないのです。

しかも、ヴァイオリニスト。指をクルマのドアに挟んだら終わりです。

将来の保証などどこにもありません。ボーナスも退職金もありません。

彼女は「安定した仕事って、本当に羨ましいのです」といいました。

それは皮肉では無い。心の底からそう思っていたのです。この年になると分かります。


前述しましたが、仕事ばかりではありません。

世の中、一人の人間が、同時に全てを手にいれることはできない。

皆が何かを得る代償に、何かを犠牲にしています。結局全体としては、プラスマイナス、ゼロ、

になっている、と思います。

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2012.08.13

良い事と悪い事と両方あって、書き方が難しいのですが。

◆今日のロンドン五輪だけ見ると、「景気が良い」のですが。

五輪で良いことがありました。

◆記事:レスリング 米満選手が金メダル(8月12日 23時2分)

ロンドンオリンピック、レスリングの男子フリースタイル66キロ級の米満達弘選手が、決勝でインドの選手に勝って金メダルを獲得しました。

レスリングで日本の男子が金メダルを獲得したのは、ソウル大会以来24年ぶりです。

また、今大会、日本が獲得したメダルの数はこれで38個となり、アテネ大会の37個を上回って史上最多となりました。

これは、めでたい。米満選手おめでとうございます。

史上最多メダル数だし、日本がオリンピックに参加し始めてから累計400個目のメダルだそうで、

それが金メダル。と言うのも如何にも、縁起がいい、印象をうけます。

ロンドン五輪はほぼ終わりですが、

メダル数では史上最多ですが、日本人としては初めてのメダルに輝いた競技が幾つもある一方で、

いつもは獲れている競技で殆どとれなかったり、「初めてメダルが全く取れない屈辱」を味わった競技、種目もあり、

つまりそれは、大袈裟に言えば幸福の絶頂にいる人と、不幸のどん底にいる人が隣り合わせなわけです。


私は、「初めて」や「念願の」メダルを獲得した選手は祝福したいですが、

今まで「メダルを獲れて当たり前」だったのに獲れなかった競技・種目の選手を思うと

全体として手放しで喜んで良いのかどうかわからなくなります。


ただ一つ確かなことは、私は五輪の日本代表に選ばれたことも、何かに選ばれるように努力したことも

ないのですから、全ての選手に「お疲れ様」と言いたいです。


◆歴史を見ると悲しいことが多いです。

現在、40代以上の人ならば、はっきり記憶しているでしょう。

言うまでもありません。1985年の今日、日本航空123便が墜落しました。

◆記事:日航機事故27年 慰霊の登山(NHK 8月12日 13時0分)

520人が犠牲となった日航ジャンボ機の墜落事故から、12日で27年となり、墜落現場の群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」では、遺族の人たちが慰霊登山を行っています。

昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が、群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

事故から27年の12日、墜落現場の「御巣鷹の尾根」には、朝早くから遺族や関係者が慰霊登山に訪れ、それぞれの墓標に花や線香などを供えました。

午後6時からは、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、墜落時刻の午後6時56分に合わせ、空の安全を祈ることになっています。

詳細に関しては過去に何度も書きました。ほんの一部ですが・・・。
2011.08.12 1985年8月12日18時56分28秒、日本航空123便が墜落しました。

2010.08.12 今年も8月12日がやってきました。辛いですが、Flashファイルを載せます。

2008.08.12 また、8月12日がやってきました。

今日は123便だけではなく、
◆記事:拉致から34年 家族が解決訴える(NHK 8月12日 19時46分)

拉致被害者の市川修一さんと増元るみ子さんが、北朝鮮に拉致されてから、12日で34年がたち、2人の家族は、鹿児島と東京の街頭で署名活動を行い、問題の早期解決を訴えました。

市川修一さんと増元るみ子さんは、34年前の昭和53年8月12日、夕日を見に出かけた鹿児島県日置市の海岸から、北朝鮮に拉致されました。

拉致から34年がたった12日、市川修一さんの兄の健一さんは、鹿児島市の中心部で、被害者の早期救出を求める署名活動を行いました。

市川さんは「被害者を助けるために協力をお願いします」と呼びかけ、道行く人たちは足を止めて署名に応じていました。

そういう日でもある、日本人は、無視するつもりでもないのでしょうが、今までに何回も書きましたが、

とにかく、何でも忘れます。だから、「拉致問題」もリマインドする(思い出させる)必要があると思いました。

更に、これは今年の事故ですが、早くも、既に忘れられかけています。
◆記事:<交通事故犠牲者追悼>京都・祇園暴走現場のあんどんに灯(毎日新聞 8月12日(日)20時52分配信)

京都市東山区の祇園で今年4月に軽ワゴン車が暴走し、19人が死傷した事故から4カ月となった12日夕、

現場の四条通大和大路交差点付近で、犠牲者の鎮魂と交通事故根絶を願うあんどんに灯がともされた。

祇園では昨年から、お盆の時期に先祖の供養や願いを記したあんどんを家々の軒先にともし始めた。今年は暴走事故を受けて、

住民や京都府警東山署員らが交通安全をテーマにしたあんどん約50基を手作りした。

「悲しみを増やすな 無謀運転」「安心安全な街に」などの言葉と花や仏像などが描かれている。

白状すると、私もこの記事を読むまでわすれていました。忘れない為に日記を書くわけです。


◆五輪の金メダルを喜ぶのは、勿論、構わないのですが・・・。

世の中には今日はとても悲しい気持ちの人がいる、ということを、同時に意識すべきだと思います。

これは、ちょっと、縁起が悪いたとえ、というか理由付けですが、弔事は全てに優先します。

今日、友人の結婚式があり、出席する予定だったけれども、今日、突然、別の友人に弔事があったら、結婚披露宴を

欠席して、お通夜を優先する、というのが、少なくとも日本の慣例です。


めでたい人は放っておいてもめでたいですが、悪い事はできればみんな避けたい。辛いですからね。

思い出したく無いし、関わり合いになりたくない、というのが「人情」かもしれませんが、

本当は、気の毒な立場の人、をすこし優先して考える位がちょうど良いのではないか、と思います。

ロンドン五輪選手の健闘を讃えると同時に過去の悲劇の犠牲者のご冥福を祈ります。

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