カテゴリー「私事」の記事

2014.07.12

ゲリラ雷雨被害その後。とにかく危険です。

◆先月、三鷹・調布に「ひょうが積もった」翌日のことです。

このところブログの更新をサボりましたが、一番大きな理由は単純です。

エアコンが壊れまして、暑すぎて、ブログどころでは無かったのです。

6月24日(火)東京の三鷹市と調布市でひょうが降り、降るだけなならまだしも、

それが低地に溜まり、翌日まで融けない、ということがありました。その件も含めて、

2014.06.25 「大気不安定 関東甲信中心に猛烈な雨」←本当に異常な気象です。要注意。

この時に、拙宅の至近距離、高台でもなく、高い建物構築物もない、単なる住宅地の電柱に落雷があった、

という話を書きました。その中で、
幸い、電器製品その他は、無事でしたが

と、書きましたが、その後「無事ではなかった」ことが分かりました。至近距離に落雷し、

地面を伝わってきた電流が、通常は電器製品の帯電を防ぐ為のアースが逆に禍して、

アースから、エアコン室外機の一台に電流が入ったのでした。

幸い、エアコン全てではなく、3系統のウチの1系統を制御する室外機がこわれたのでした。

これは、やや特殊で1つの室外機で息子、私、家内の個室の室内機3台を動かしている、

「マルチ・エアコン」というシステムです。

最初はメーカーのサービスセンターの技術の人がきてくれましたが、

それが、落雷の週の土曜日。6月28日。


室外機の部品の多くが落雷で壊れている。落雷の被害というのはどこまで達しているのかわからないので、

明らかに、見て、壊れている部品を取り寄せて交換しても、他が壊れている、というケースがよくある。

多分、室外機も室内機も丸ごと全部新しいのにした方がいい。その場合、家電量販店は、マルチエアコンには

対応していないので、東京ならば、エアコン・パークという会社が個人のマルチ・エアコンも販売して取り付けているので

連絡するといい。とアドヴァイスをしてくれました。自分のメーカーの製品を敢えて薦めないのですから、

これは本当であろうとおもって、その日(6月28日)にエアコンパークに電話したら、

まず、様子をみて見積もりに来てくれるのが、こういう時期だから、同様の依頼がたてこんでいて、

最も早くて、7月1日(火)。でその日に来てくれました。やはりこれは全部取り換えた方が、

確実だし、時間も短くて済むし、これは何とも言えないが費用も安くなるかもしれない、

というので、なるべく早く作業して欲しい、と、その場で発注したのです。


当然予想される状況ですが、なにしろこの時期ですし、こういう天候ですから、忙しい。

もしかすると、7月1日(火)から、2週間後になるかも知れないといわれたのですが、結果的には、

7月9日(水)つまり今週の水曜日に作業が終わりました。しかし、その間、落雷(6月25日(水))から2週間、

エアコンが、このPCがある自室で全く使えない。扇風機でなんとか凌ぎましたが、とにかく蒸し暑くて参りました。


◆新しいのに取り換えた直後から猛暑日だったので、それはツイているのです。

今の居所に半世紀以上住んでおりますが(結婚後しばらくは、他所に行きましたが)、

このような住宅地に落雷があり、それで電化製品が壊れるなど、全く予想だにしていなかったので、

そんなことが起きるのはツイていないのですが、新しいエアコンを設置した直後に台風8号が通過して、

東京は、11日(金)、12日(土)、最高気温が30度を超える真夏日となり、湿度も高いので、

このときに、まだエアコンが壊れていたら、やや大袈裟に言うと、生命の問題だったかもしれませんが、

その直前に新しい機械の設置が済んでいたということは、思いがけない出費は痛いのですが、

全体としてはツイていた、と考えるしかない。しかし、そんなことは私事です。

強調したいのは、先日申し上げたように、昨今のカミナリは本当に危険だ、ということです。


◆カミナリが好きで「鑑賞する」趣味の方、危険です。今までのカミナリと違います。

6月25日の記事にも書いたのですが、注意を喚起するために繰り返します。

昨今のカミナリは、過去の経験の延長上で考えると危険です。

上述したとおり、私が住んでいる住宅街で、私が生まれてこのかた50余年落ちたことがない

住宅街の電柱にいきなり雷が落ちたのです。たまたま、モノに落ちましたが、

そのそばを、人が歩いていたら、感電死した可能性が非常に高かったとおもいます。


「タカがカミナリ」ではありません。


また、落ちるタイミングが、「従来のカミナリ」と異なります。

今までならば、カミナリが次第に近づいてきて、「近いな」という、十分な予知可能性の後に

落雷がありましたが、今回、至近距離への落雷は、上空で少しカミナリがゴロゴロとなっているな、

と思っていたところに、いきなり
ドッカーン!

と来たのです。至近距離への落雷はかつても経験がありますが、これほどの

エネルギーがあったか。建物全体が反動で数センチ、ジャンプしたような感覚、と、

特にカミナリが嫌いでも怖くもない、家内が証言したので、本当だと思います。


私は子供の頃から、恥ずかしながら今に至るまで、カミナリが「怖い」人間です。

どうもあの音が至近距離で鳴ると、身がすくみます。

しかし、世の中には積極的にカミナリ好きという方がいて、こういう人は「派手な」カミナリほど

喜び、わざわざ屋外に飛び出して、稲妻や雷鳴を「鑑賞する」そうですが、今のカミナリで、

それを実行すると、冗談ではなく、「生命の危険」があるとおもいます。

何でもない、ごくありふれた平地の電信柱に前触れもなく落雷した、という一例だけからもそれは、

十分に推察できます。

昨今の気象現象は、昔の日本のそれとは違うことがあまりにも多いので、

今までの経験から類推しないこと。「タカが・・・」と考えないことを、おすすめします。

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2014.02.01

約20年ぶりに風邪をひいたと思ったら、インフルエンザでした。

◆ここ20年ぐらい風邪はひいたことがありませんでした。

子供の頃は、めっぽう身体が弱く、一ヶ月に一度が熱をだして学校を休んでいましたが、

それは、小学校の3年の1学期までで、3年の夏休みに学校のプールの水泳教室で、

それまで全く泳げず、浮くことも出来ないと、「無級」で「ダルマ浮き」ができると「10級」で

そのいずれももっていなかったのですが、辛うじて浮いて、5メートル泳げるようになり「9級」を、

獲った時の喜びを覚えておりますが、その次の二学期から、急に風邪をひかなくなりました。


あれも、一種、自分が「身体が弱い」という「自己レッテル貼り」だったのかもしれません。

それでも、人並みに、年に一度か二度は風邪をひく、という状況が続き、


なんと成人してから、当時の国立第一病院(今の国立国際医療センター)の耳鼻科で

扁桃腺切除術適応だ、といわれ、オペ(簡単です)をうけて、一週間入院してから、

より一層、風邪をひきにくくなりました。それでもまだひいてました。


ロンドン駐在員の時に、あっちの人は食事が偏ってるので、サプリメントが発達するのでしょう。

そこら中でやすく、含有成分量が多い、単体ビタミン、マルチ・ビタミン&ミネラルを服用しはじめ、

帰国してからも飲み続けたら、何だか全然風邪をひかなくなりました。


◆今週水曜日に少し「咳っぽい」かな?と思ったのが始まりです。

「咳っぽい」という日本語は本当は正しく無いと思いますが、

気管支のような奥の方ではなくて、のどの辺りがやや、いがらっぽいといいましょうか。

ひっきりなしに、ではなく、まれに咳払いをしたくなる感じ、でした。私の場合は、何らかの原因で

ホコリなどを吸い込むのでしょうか。こういう状態になることが前にもあり、他の症状はない。

そういうときには、大抵「龍角散」で治ったのですが、夕方になっても治らない。

あいにく水曜日は、普段、降圧剤を処方して頂く最寄りの内科医院の休診日でしたので、

別の医院に行きましたら、「最近そのような『咳風邪』が流行っています」という説明で、

そのドクターは漢方を好む方で、「五虎湯」(ごことう)という、西洋医学の鎮咳去痰剤(ちんがいきょたんざい)

に相当する漢方薬を処方してくださいました。翌木曜日朝は熱もないし、五虎湯の効果があったのか、

喉のいがらっぽさが減じていましたので普通に会社で働きました。


ところが、問題は木曜日の夜で熱が38度台にまで上がりましたが、かねて自己責任で実行している、

ビタミンCを大量に、そして鎮痛解熱剤を併せて飲んでねたら、金曜日の朝には37度1分まで熱がさがり、

咳もくしゃみもでません。出社して働きました。


普通に作業できるのですが、やはり熱っぽい。しかし、インフルエンザの典型症状といわれている、

普通にしていられないほどの高熱、悪寒、震え、関節痛、などは一向にないので、一体これは、

どういう風邪だろう、と思いつつ、医療用サージカル・マスクで鼻と口を覆い。鼻水は多少でるので、

鼻をかむ度に、常時携帯している手指消毒用エタノール(アルコール)スプレーで、万が一の場合にも、

周囲に病原体を拡散しないように務めました。


◆今日、インフルエンザと診断されました。

金曜日の帰宅後、検温したら、38度台。安静にしていたら、夜には37度台前半。

土曜日の朝は、また38度前後。喉の腫れを感じ、最寄りでかかりつけの内科医院で

診て頂いたら、インフルエンザ検査しましょうということになり、結果は陽性でした。

インフルエンザ検査キットによる検査は、ウィルスそのものを抽出するわけではなく、

インフルエンザウイルスに感染したことにより、人体の免疫機構が造る「抗体」を

検出するだけですから、今、もっとも流行しているA香港型か、あるいは、2009年に

「新型インフルエンザ」だといって、世の中がパニックになり、マスクも消毒液も医療機関ですら

不足して世の中が大変混乱した、所謂「豚インフル」(H1N1亜型)か何かは、わかりません。

予防接種(ワクチン)は受けていなかったのですが、それは、ずっとそうで、一番最近ワクチンを打ったのは、

もう10年以上前、倅が中学受験した年でした。ですから、ワクチンを打とうが打つまいが、あまり

変わらないし、ワクチンを打っていると、たとえ、感染発症しても、軽い症状で済むという人もいますが、

それも「俗説」で、私はワクチンを打っていませんでしたが、前述のとおり、インフルエンザの典型的な

症状が全くなかったので、非常に個人差があると思います。


しかし、インフルエンザというのは、考え方によっては対処しやすい病気です。

病原体そのものを殺す、「抗ウイルス薬」(タミフル、リレンザなど)が存在するから、です。

私は「リレンザ」を処方されまして、これは、「豚インフル」大流行の時に倅が処方され、使い方を

調べたので、使い方そのもの、というよりも情報源を覚えていました。

勿論、薬局で説明はされますし、図解説明書を渡されますが、日本販売元の、

グラクソ・スミス・クライン社のサイトに

「リレンザの吸入方法について」ビデオによる解説

というページがあります。これが、一番分かり易いとおもいます(タミフルは単に経口投与するカプセルです)。


豚インフルの時の息子は、その数ヶ月前、別の型のウイルスによるインフルエンザにも感染していたので、

当たり前ですが、ウイルス型が違えば、一旦、インフルエンザになろうが、ワクチンを打とうが

抗体が身体にできていないインフルエンザには感染することがよく分かります。

それは、余談ですが、つまり2009年は短期間の間に二度も息子がリレンザを処方され、

使い方をネットで(私が)検索したので、情報源の在処を覚えていた、というわけです。


A香港型だろうが、H1N1亜型だろうが、症状は2日間ほど抗ウイルス薬を投与すると見事に軽減しますが、

ウイルスは、依然として身体の中で生きていて、その状態で外出すると、世間にインフルエンザウイルスを

まき散らすことになり、正に「社会の迷惑」ですから、5日間は抗インフル薬を飲み続け、

会社や学校に行っては、いけません。

と、別に「病気」自体は「自慢」になるわけはないのですが、インフルエンザといっても、

これぐらいの文章を打つことが出来る位、自覚症状としては、軽いのもあるので、却って要注意です。

ということを申し上げたかったのと、逆の見方をすれば、インフルだからといって、みなゼイゼイと苦しむ訳ではない

ということもお見せしたかったので、「インフル日記」をしたためた次第です。

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2013.04.08

二日も更新をサボりまして失礼致しました。ただひたすら眠かったのです。

◆何故かはわかりませんが・・・。

土日(4月6日、7日)はひたすら寝てました、と申しあげると、

それは、君、葬式から納骨までのつかれがでたのだろう。

と、言って下さるかたもいらっしゃいます。

真面目な話、そのようなお気遣いを頂けるということは、大変ありがたいことなのですが、

先週書いたとおり、母が死んだのが今年の1月3日。四十九日法要が2月16日、納骨が先週3月30日と、

それぞれ、時間的にかなり間隔があります。また、仮定上の話として、これがまだ現役で働いている、しかも一部上場企業の

役員の父親だったりすると、葬儀等の参列者の方が広く取引先とかなんとか、本来関係ないところまで拡がるのが日本の習慣で、

そういう方々への香典返しとか、「偉い方」にご参列頂いた場合など(実際に、父の葬儀(1996年)のときには、元・父の上司で、

現在は大企業の会長など、「エラい」方が多かったのです)、葬儀の後に長男である兄貴と私は既に社会人もいい年ですから

ハイヤーを一日貸し切りにして、あちらこちらを挨拶に回るわけです。


父が死んだ時には私はロンドン駐在中で、父の死に目に遭えませんでしたが、それはさておき、

東京に戻りすぐ葬式ですから、時差が残っているのです。葬式の最中は緊張していますから、あまり感じませんが、

一通りの行事が終わると、さすがにガックリ疲れた(「悲しい」ではなくて、とにかく忙しくて「疲れた」)のを覚えています。


しかし、今回は母親で、父が死んで17年も経ちますから、かつての父の会社の同期の方とか部下の方とも疎遠になっておりますし、

なにより、父本人ではありません。父が現役時代に母が、例えば40代、50代で死んだという場合(また「仮定上の話」ですが)を考えると

それはそれで、すったもんだの大騒ぎになったと思います。


いうまでもなく、今回はいずれの場合にもあてはまりませんので、過去のわたしの「葬式の経験」の中では楽な部類に属します。


前置きが大変長くなりましたが、先週(厳密には先々週、3月30日(土))の納骨が全く影響しなかったと断言するだけの

科学的・医学的根拠はありませんけれども、影響がでるとしたら、もう少し早く出現するのではないかと思います。


◆理屈はさておき「寝だめ」は、私の場合は有効だと思います。

正式な医学教育を受けていない、私が書くのは本来僭越ですが、多分、医学的には「寝だめ」ということはあり得ない、

つまり、ある期間、集中的に長時間睡眠ととったからといって、その睡眠時間が翌日以降の短時間睡眠(寝不足)を補完する

効果はない、ということになっていると思いますが、私の場合は、絶対にとは言いきれませんが、かなりの場合、有効であると

思います。「有効」の意味は、

月曜から水曜日頃までは、2時間睡眠程度でも平気。

「寝だめ」の翌日以降、身体が軽く感じられ、気分は(元来、遷延性のうつ病ですが)抑うつ感が減じている。

日ごろに比べて相対的に「やる気」がある。

という現象として現れます。

だからといって、もしも、みなさまがドクターに「寝だめは効果がありますか?」と質問なさったら、

恐らくほぼ100%の確率で答えは「No」であろうとおもわれます。確認したわけではありませんが、

医学の教科書には、そもそも、そのようなことに関する記述や疫学的調査の結果が記載しているとは思えません。

つまり、ドクターにしてみれば「有効かどうか質問されても分からない」のですから、なんら科学的正当性の根拠が

存在しないことについて、安易に「Yes」とは言えません。それは当然のことです。

そうすると、この文章は、私個人の「私的覚え書き」にすぎず、本来、天下国家を論じるべき、弊日記の

趣旨からは大きく逸脱してしまうのですが、何しろ二日間ねていたので、この二日分のニュースを全て読んでから何かを論ずる

というのが、あまりにも面倒なので、このような文章でお茶を濁した、ということでございます。

悪しからず。一週間後、15日は「JIROの独断的日記」を書き始めてから、満11年になりますので、この一週間は

できるだけ真面目に更新するつもりです。

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2013.04.02

おかげ様で、母の納骨が終わりました。

◆3月30日(土)だったのですが、寒いの何の・・・。

先週も書いたのですが、3日前の土曜日、3月30日が母の納骨で、

これが終わるまでは、何となく落ち着かなかったのですが、

ひとまず、無事に終わりましたので、やや、ホッと致しました。

前にもご説明申しあげましたが、告別式(プラス初七日法要を併せるのが普通です)や四十九日法要を

営んだ菩提寺は、近所なのですが、我が家の墓は府中市と小金井市をまたいで拡がる多磨霊園の中にあります。

納骨前に菩提寺から、母のお骨と卒塔婆(塔婆ともいいますが)を貰ってきて、納骨の日に霊園まで運んだのです。

こんな具合ですね。

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気持ち悪い写真を載せるな、とお叱りを受けるかも知れませんが、

これは、実務的に参考になるのです。

卒塔婆という、要するに長細い木の板ですが、これは長い方でして6尺(約180㎝)あるので、クルマに積めるかどうか?

とそれが、すこし気がかりでしたが、私の車は今はない日産のセフィーロというクルマで、

カタログを調べると室内長2035ミリ(2メートル3センチ5ミリ)あるのです。そうすると余裕で運べます。

こういうことは、葬式のHOW TO本を読んでも、書いて無いでしょうから、ご参考まで。


四十九日法要と今回の納骨の事務、つまり出席者の確認から、食事の手配、納骨の際のお寺の住職との連絡、

出席者への連絡。その後の食事など全て私がやりました。

無事に終わったので、ホッとして流石にちょっと疲れますね。

結論というかまとめのない、あまり意味の無い文章になってしまいました。

しかし、あまり付け加えることがありません。今日はこの辺で。

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2013.03.28

30日(土)に母の遺骨を納骨いたします。それで一通り、終わります。

◆今年の1月3日に、母が他界いたしました。

そして、四十九日法要が2月16日(土)でした。

これは近所の菩提寺で済ませましたが、私の家の墓は府中の多磨霊園

という離れた所にあるので、四十九日に納骨、という訳には参りません。

納骨までは、菩提寺に遺骨を預かって貰い、今週末に納骨します。

これで、以後、一周忌、三回忌などありますが、ひとまず、一息つけます。


周囲の人々からは、この間、もちろん善意からなのですが、

親が亡くなった直後は、気が張り詰めているからのりきれるが、四十九日の後あたりで、どっと疲れがでるぞ

と、忠告して下さる方が、何人もいらっしゃいましたが、

幸い、そういうことは起きませんでした。

精神科のドクターのお話によると、
生前全然親をほったらかしにして、入院後もロクに見舞いに行かなかった、とか、自分が外出したり、旅行に行って、

帰って来たら親が突然(と思われる)死していた。というような場合に後で子供が抑うつ状態になりやすいが、貴方(JIRO)

の場合は、入院後毎日のように、見舞いに行ったとか、多分、為すべき事を実行したから、死に対してもあきらめというか

気持ちの整理が付きやすいのであろう

とのことでした。


母は、16年前父が他界するまでは寝たきりになった父の面倒をみたり、

その前は、当時はそのような言葉は存在しませんが今から思うと、どう考えても認知症になっていた

祖母(私の父の母親)の面倒もみたり苦労が多かったのですが、父が死んでからは、

ずいぶんと自由な生活を楽しんでおりました。

私がロンドン駐在員時代にはロンドンに遊びに来たので、あちこち案内してやりました。

その後は自分で、いろいろ調べてほとんど1ヶ月か2ヶ月に一度は内外の旅行を楽しみ、


4ヶ月前、つまり昨年11月、入院する少し前まで国内(場所は忘れました)旅行に行っていたのですから、

楽しませてやれなかったという後悔はありません。


なにより母は享年84歳。子供は59歳の兄と、52歳の次男の私です。

この母が病気で息子よりも先に死ぬのはごく普通のことで、悲惨なことではありません。

東日本大震災では、9歳と2歳の兄弟をのこし、お父さん、お母さんが亡くなってしまった、

というような、胸が張り裂けそうな事態が起きているのですから、

59歳と52歳の息子を残し、84歳の母が病気で死んだ、なんてのは、

いちいち世間様に同情して頂くようなことではございません。


◆私が私たる所以、私の「本質」を知ってくれている人間がいなくなった、ということ。

司馬遼太郎氏のエッセイ集「風塵抄

(私が持っているのはこの新書版なので、こちらにリンクを貼りましたが、無論、文庫本でも同じ事です)

35ページに「自己について」という一文があります。

その人を、その人たらしめているもの、その人固有の哲学のような意味です。

私の表現で書くならば私の自己とは私が私である所以(ゆえん)です。


私の「自己」を一番理解していたのは、やはり母だったとおもうのです。

母が死んだ後、私がただの一度も泣かないのでツレアイが驚き、

あなたはもっとマザコンだと(従って、母親が死んだら、結構メソメソするだろうと)思っていたけど、

ちがったのね?というのを聞いて、やはりなかなか一人の「自己」はわからないのかな、と思いました。

マザコンだったら、クルマで10分か15分で行ける所に、母は住んでいたのですから、

私は、ほぼ毎週「ママ」に会いに行くハズです。

そんなことはしたことがありません。これは「自己」を知っているか、否か、というよりも考えればわかりそうなことですが

基本的に「自己」を把握していないのでしょう。かく言う私もつれ合いの自己がわかっていないでしょう。

家内の母親は既に他界しましたが、父親は生きている。義理の父のほうが恐らく、私よりもわかっている。


私は、もはや両親ともにおりませんので、私の「自己」をほぼ完全に把握してくれている人間がこの世からいなくなってしまった、

と考えたときだけ、母の死が現実感をもって感じられます。

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2013.02.17

【私事】母の四十九日法要が終わりました。自分の為の法要に関する覚書。

◆ひとまずホッとします。

去年の12月初旬に、肝転移していて、オペ不能の胃の幽門部(胃の食道側の穴が噴門、小腸側が幽門)ガンが見つかり、

それでも半年ぐらいは、生きられるだろうという予想だったのですが、

容態が年末から急激に悪化して、今年の1月3日午前7時に死亡し、1月8日に骨になった母の四十九日法要を

本日済ませました(正確には49日目は2月21日(木)ですが、平日に行うと来て下さる方に迷惑なので繰り上げました)。

これで、ひとまずホッとします。最も納骨はまだ先なんですが。これは私と兄貴の家族だけですから、

まあ、気を使わずに済みます。


四十九日までは近い親戚は来ますが、高齢者が多く、たまたま寒い季節の弔事となってしまったのです

(更に、今日の東京は風が強くて、体感温度が低かったのです)、こちらも気を使います。

寒い時期に年寄りが死んで、その葬式に参列した別のお年寄りが、風邪をひき、高齢ですからそのまま

肺炎で亡くなる、ということが、実際珍しいことではありませんので、気を使う訳です。


◆年忌法要。宗派によって違う。真言宗の場合。(自分のための覚書です。ご参考になれば。)

うちは真言宗で、近くの荻窪の光明院(こうみょういん)という、何とかつてずっと東京シティフィルが

練習場に使えるほどの広い本堂をもっているお寺なのですが、

そこが菩提寺(一家が代々帰依して葬式・追善供養などを営む寺「広辞苑」)です。

お寺に墓があれば、同じ日に納骨しますが、うちの墓は府中の多磨霊園にあるので、

荻窪のお寺で法要を行い、それから移動するのは、前述のとおり高齢者も多くとてもむりなので、

納骨は3月にやります。


それは、さておき。

真言宗では、仏さんの供養は全部で13回です。それは、十三仏信仰に基づいています。

その13回のうち、7回までは四十九日までに終わってしまう。本当は7日ごとに7回法要を営まなければならないのです。

現代は途中を省略して、告別式に初七日法要も一緒にやって、途中は割愛して四十九日をやってるわけです。

仏教の考え方だと、9日間は、死んだ本人も、仏になったと言う意識があまりない。

生きているこちら側の人間も「いつもの席に座っている気がする」とか「声が聞こえるような」とかいうことがある。

この状態を「中有」(ちゅうう)というそうです。


だから、昔の人は、7日ごとに「初七日」(しょなのか)、二七日(になのか)、三七日(みなのか)、

四七日(よなぬか)、五七日(ごしちにち)、六七日(ろくしちにち)の供養を行い、そして七七日が四十九日なのですね。

33回忌までの13の供養のうち半分以上は四十九日に終わることになります。

あとは、十三仏信仰によると、初七日から三十三回忌それぞれを「担当する」仏様がいるのだそうです。


四十九日の後は、


  • 百か日(これは省略しますよね)、

  • 一周忌(亡くなってから満一年)、

  • 三回忌(亡くなってから満二年)

  • 七回忌(六年後)、

  • 十三回忌(十二年後)、

  • 三十三回忌(三十二年後)

仏教にも色々宗派ばありますし、また生きている人間の都合もあって、十七回忌とか二十三回忌とか、やりますね。

十三回忌から三十三回忌まで何も無いと、その間に親戚で死んじゃう人がいますから、途中に法事のタイミングを増やそう

ということで、十七回忌とか二十三回忌、二十七回忌などが出来たのではないでしょうか。


しかし、繰り返しになりますが、本来は初七日から三十三回忌まで、

13回の法要、ということに(真言宗では)なっているそうです。


◆今は、だいぶ寛容な世の中で都会の寺では正座しません。

地方でも、同じかもしれませんが、東京では今どきのお寺は、

もうずっと前からそうですが、正座をしません。椅子がおいてあります。

正座は、昔の日本人は皆、出来たのですが、結構苦しいです。

若い人が慣れていなくて、足が痺れてしまう、というだけでなく、お年寄りで関節が痛い人など

本当に我慢できないぐらい、痛くなってしまう。皆がお経の最中に足のことばかり気にしてもぞもぞするぐらいなら、

椅子でもいいだろう、ということです。

私が子供の頃は絶対、正座で、お坊さんがお経を詠んで、途中から

お焼香をどうぞ。

というのですが、香炉まで近づくために立ち上がろうとして、

しかし、その頃には完全に足が痺れているので、ドテっと倒れる人が、結構いました。

すると笑ってはいけないシチュエーションで、笑ってはいけないとおもうと余計可笑しくて、

皆、真っ赤になって笑いを堪えるとか、なんだか、却って不自然で滑稽な光景になってしまうことが

よくありました。今の方が「修業」としたは甘いですけど「実務的」には合理的だと思います。


◆一心に唱えると、すべてのわざわいを取り除くことができる「光明真言」をどうぞ。

いきなり「どうぞ」と言われても困りますか(笑)?


真言宗のお経、もちろん幾つもありますが、お経を聴いていると、最初と最後に

短いお経を唱える。「光明真言」(こうみょうしんごん)というのだそうですが、

これを一心に唱えると、すべてのわざわいが取り除かれるそうですので、

よろしければどうぞ、ものは考えようで、これを唱えているから自分に不運は起きないと信じていると

本当に起きない、ということはあり得る気が、なんとなく(あくまでも「なんとなく」ですが)するのです。


詳細は「光明真言」をネットで検索して下さい。Googleで、約154万件ヒットします。


23の梵字(サンスクリット語の文字)で出来ている短い、お経です。

読み方は、

おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん

です。YouTubeで音声も見つけてきました。


光明真言 - 唱えてみよう!






実際の法要ですと、三回繰り返しますね。一回終わるごとにお坊さんが、鐘をチンと叩きます。


般若心経も真言宗の重要なお経ですがこれは、いくらでも他に詳しい説明があるでしょうから省略します。

こういうことでもないと、お経のことなど調べないので、自分用の覚え書きとして書きました。

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2013.02.16

「内閣支持上昇、61%に」「安倍首相、96条見直しに意欲」←株が上がるならば、「憲法」など、どうでもいいですか?

◆記事1:内閣支持上昇、61%に=自民も堅調26%―時事世論調査(時事通信 2月15日(金)15時2分配信)

時事通信が8~11日に実施した2月の世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比7.4ポイント上昇し、61.4%となった。

不支持率は同3.3ポイント減の17.5%。歴代内閣の大半は、支持率が2回目の調査で下落しており、上昇は麻生内閣(0.2ポイント)以来。

上げ幅は第1次安倍内閣(0.1ポイント)や小泉内閣(5.6ポイント)を上回った。

自民党の支持率も26.5%(同2.3ポイント増)と堅調だった。

安倍晋三首相が進める金融緩和などの経済政策により、円安・株高傾向が続いていることや、

アルジェリア人質事件、中国軍艦艇によるレーダー照射など一連の危機管理への対応が評価され、支持を押し上げたとみられる。

調査は全国の成人男女2000人を対象に、個別面接方式で実施した。有効回収率は62.7%。

内閣支持の理由は、「首相を信頼する」20.8%、「他に適当な人がいない」19.7%、

「政策が良い」15.9%、「リーダーシップがある」14.5%の順。

不支持理由は「期待が持てない」8.9%、「首相を信頼できない」5.9%などだった。


◆記事2:安倍首相、96条見直しに意欲=憲法改正本部が初会合―自民(時事通信 2月15日(金)16時47分配信)

自民党は15日、政権交代後初となる憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)の会合を党本部で開いた。

安倍晋三首相(党総裁)も出席。出席者によると、首相は席上、党是とする憲法改正を実現するため、

衆参両院で「総議員の3分の2以上の賛成」との改憲発議要件を定めた

96条の見直しに優先的に取り組む意向を改めて示した。

首相は冒頭、憲法改正は自民党が結党以来掲げてきた「大きな宿題」と指摘。

「改正はほとんど不可能かなという雰囲気の中で、自民党が本格的な

(改憲)草案を用意して可能性が出てきた」と述べた。


◆コメント:株が上がれば憲法なんかどうでもいいですか。

安倍内閣の支持率が高いのは、いろいろ理由を挙げてますけど、世論調査票の「支持する理由」に予め

印刷されている項目に適当に〇を付けているのであって、本当のところは株が上がっているからでしょう。

株をやる人(に限りませんけど)が必ずかう、東洋経済新報社の会社四季報が売り切れだそうです。

◆記事:「四季報」が在庫切れ、投資熱上がる個人-証券にも電話殺到(ブルームバーグ)(2013/02/14 14:42)

( http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MI3MO60YHQ0X01.html )

1936年の創刊以来、日本株投資家のバイブルとされてきた「会社四季報」の新春号(2012年12月発売)が、

在庫切れになっていることが分かった。昨年11月以降の相場上昇を背景に、個人投資家が市場に回帰、

株式投資熱の盛り上がりを象徴する現象だ。 (引用者注。以下省略)

今のような状態を「バブル」といいます。実体経済はなんら改善していないのに期待感だけで、

どこまでも株価が上昇するような錯覚に陥っています。皆が買ったら、必ずいつか暴落します。

最近では、アメリカのサブ・プライムローンの破綻がそれなんですが、みなさん、どうでも良い。

安倍首相総は所信表明演説では、憲法のことははっきり言わなかったのです。

参議院で過半数を獲ることが可能な勢いで、実際に衆参両院で、過半数議席をとったら、

なんでも与党の思うままになります。それから「憲法」を持ち出すのだろう、といわれていましたが

安倍首相は自分が首相就任以来、思っていたよりも支持率が高いので調子に乗り、

早くも改憲を言い始めました。


株価が上昇し、株の売買でもうけさせてくれるから、安倍政権は「良い政権」で、

おカネさえ、入るなら憲法なんかどうでもいい、というのが国民の総意ならば仕方がないですね。

改憲して国防軍が出来たら、次は徴兵制でしょうね。

今や、男女平等をこれほど、うるさく言うのですから、男性だけでなく女の子にも

「赤紙」が来るのでしょうか。そうしたら、安倍首相を支持する人たちは、子供に
安倍首相は、株で儲けさせてくれた。立派な人だ。その方が、日本を戦争する国にした。国の為に死んでこい。

とでもいうのでしょうか?

余りにも情けなくて、「何が、何故、いけないのか」を親切に解説する気持ちになりません。

明日、16日土曜日は、母の四十九日法要なので、今日はもう寝ます。

IBM創業者の言葉ですが、
考えろ!考えろ!考えるんだ!

これを私も有権者に言いたいと思います。

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2013.01.12

葬式の後に疲れが来るって、本当ですね。

◆自分は大丈夫かと思っていたのですが。

何度も書いてもうしわけないのですが、やはり、精神的なストレスなんでしょうね。

母が死んで一週間は、割と平気だと思っていたのですが(精神的には、今も平気なんですが)、

疲れがでますね。やはり。ガンが発見されてから葬式まで1ヶ月未満だったんですから、

何ヶ月も寝込む患者を見舞ったり看病したりした方に比べたら、負担は軽いはずなのですが、

火曜日に告別式を終えて、それからあまり、動けなくなりました。


いや、雑用の為に出かけたりするのですが、なんというか疲れやすいです。

元来、遷延性うつ病なので、そちらも本当は気を付けないといけないですね。

今は大丈夫ですが、下手をすると本格的なうつ病(「大うつ病」="Major depression")をぶり返すおそれが

あります。なるべく寝るようにしています。

すいません。また、ちょっと天下国家を論じる気分になりません。悪しからず。

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2013.01.11

【私事】母の葬儀が1月8日(火)、終わりました。(続)

◆もう少しだけ書かせて下さい。

これを書いているのは1月11日(金)の午前1時です。

母が死んだのは3日(木)の午前7時ちょうどですので、なんともう一週間です。

昨日の日記に書きましたが、ドクターから最初にムンテラがあったのが、

12月12日でして、1ヶ月後には骨になっちゃった、という急展開なので、意識が追いついて行かないのですね。


しばしば、「死の直後は気が張り詰めているからなんとかなるが、時間が経つと気が抜けてガックリくるから気を付けろ」といいますが、

特に気を張り詰めるも何もないまま、事態が進行したので「???」状態です。

覚えている間に記録しておきたいので、もう少しだけ、お付き合い下さい。


◆最期まで診てくださった、ドクターやナースの皆さんには感謝しています。

結局、最後のドクターの所見は「極度の脱水と栄養失調の状態だった」ということなのですが、

急激にその状態に至ったメカニズムは、よく分からないとのことで、病理解剖しませんでしたけど、

したところで解明出来たかどうか、わかりません。


素人のにわか勉強ですから、断片的なことしか書けませんが、

腎機能が低下すると、体内の水分を血液として取り込めないと。

しかし、急激に腎機能が低下したのか?よく分からないらしいのですね。

とにかく、腎機能が低下してたのは、血中のアルブミンという、タンパク質の一種(血液の浸透圧調整や体外物質の保持・運搬機能を担う)の値が、

死亡直前に、約3g/dl (正常値は 3.8~5.3)だったことからも明らかです。栄養失調ってのは、このアルブミン値が低いってことですね。

それがどうして起きたのかわかりませんが、要するに最期は血管の中に満ちているべき血液の量が極端に少なくなり、心停止の原因になった、

ということのようです。


専門家がお読みになったら、不正確あるいは誤りだらけの記述かもしれませんが、ご勘弁下さい。

もう永久に分からないでしょうが、仕方がありません。


ただし、患者や家族にとって肝腎なのは「納得できるか」ということです。

それは、死因のメカニズムが医学・生理学的観点から合理的に説明できるか?ではなくて、

医療スタッフが、きちんと診て下さったか、或いは看護してくださったか?ということです。

これが乱暴に扱われた、という印象だと、遺族が「納得出来ない」と感ずるわけですが、

今回、そういうことはありません。


抗ガン剤の投与をしたことで副作用は、少なくとも口内炎はありましたが胃腸の痛みは副作用か、

たまたま、そのタイミングで腸炎が発生した為か、どちらとも言えません。


しかし、TS-1という経口抗ガン剤を投与しても、殆ど副作用が出ないという患者さんのブログがありますので、

これは、いかなるドクターでも「投与してみないとどうなるかわからない」ということだと思うので、

母が苦しんだ時期が多少有りましたけど、それを主治医の責任とは言えないと私個人は、考えています。

ドクター、ナースはとても熱心に診てくださり、看護して下さいました。感謝しています。

その意味では、「納得の行く死」だったのです。


◆ひとこと言いたいのは、普段、母を診ていた近所の開業医(中年の女医)です。

母が最期を迎えた個人総合病院に、入院したのは、その病院と「提携」している開業医がいて、

そこは、母が住んでいた所から徒歩2分です。母は本態性高血圧ですから、

定期的に通院していましたが、そこの年配の女医さんは、ひどく機嫌屋でヒステリックだと、

元気な頃から良く「文句を言っ」ておりました。


入院後、母から直接聞いたので良く覚えていますが、昨年の秋以降、食べた後に胃に違和感があったり、

吐き気がすることがあったり、下痢をしたり、以前にはない異変があったことを何度か訴えたそうですが

「機嫌屋の年配の女医」先生は「食べ過ぎたんじゃないの?」などと言うばかりで、一度も触診すらしなかった

とのことでした。


これは、ちょっと問題では無いかと思います。面倒臭いし、その「不作為」が母の死期を早めたか否か、

因果関係を証明することはほぼ不可能ですから、医療訴訟なんか起こしませんが、

「納得がいかない」ことです。

これが、もし、普段から丁寧なドクターで、きちんと診たけど、見逃したというならば「納得出来」ます。

はっきり言って普段の診察に於ける問診の様子なんかを母からきいてもその「機嫌屋の年配の女医先生」は

仮に触診しても、胃の幽門部の異変に気付いたかどうかわかりません。それにしても、触診しなくても、臨時に提携病院に

連絡して内視鏡で診たら、あくまでも仮定上の話ですが、ごく初期で、根をはっていない状態のガンを発見出来たかもしれません。

それぐらいのガンが見つかるのは非常に運が良いのですけど、それなら、内視鏡で切り取れます。

そしたら、肝転移せずにもう少し、苦しまずに生きられたかもしれない。

「仮定」の連続ですが、遺族にそのように思わせてしまうこと自体が問題です。

俗にいう「ヤブ」とは医師としての技量の問題の場合もありますが、それよりも、「意識」の問題です。

それは、記録しておきたいです。


また、これは、議論が分かれるところですが、母は、抗ガン剤による化学療法を受けても、余命半年だろう

ということでした。それなら、抗ガン剤を含めた治療は全くしない、という選択肢があります。

ひじょうにはっきり書くと、母の場合「ガンが発見されてしまった事」が却って不運だったかもしれません。

厳密には、断定できませんが。

発見されなかったら、本格的に悪化して余命一週間ぐらいで漸く入院で、それまでは好きな事をしていられたかも知れない。

発見されて、治療を受けてから、それが、母の苦痛の原因の全てではなかったとしても、副作用と腹部痛にはかなり苦しみました。

(放っておいたらどうなったか、比較できないので、何とも言えないですが)、ガンは治療するなと主張するドクターが

以前からおられますが、今回、意味がわかりました。しかし、これは私の個人的主観的感情的、記述であります。

患者さんのなかには、母と同じような状態から抗ガン剤の主作用が著効を示し、治る方もいるでしょう。

ガン治療をどう考えるか、は難しい課題です。

少なくとも、どのような選択をするか、非常に悩む、ということがよく分かりました。

長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

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2013.01.09

【私事】母の葬儀が1月8日(火)、終わりました。

◆多くの方にお気遣い頂きました。御礼申しあげます。

こと1ヶ月弱、何度も母の病気のことを、この日記・ブログに綴りました。

お陰さまで、なんとか昨日、1月8日(火)告別式と初七日法要を済ませました。

このあとは、四十九日の法要まで、特に何もございません。

母が入院したことや、病気そのものに関して、また逝去に際し、

多くの方から、お見舞い、お励まし、お悔やみをお言葉を頂戴いたしました。


心より御礼を申しあげます。


◆経過。

手許の記録を見ますと、この1ヶ月の状況の変化があまりにも急激だったことに改めて驚きます。

同じ病気でも全く同じ経過を辿るということは、ないでしょうが、自分の記録とみなさまのご参考になれば幸いなので、

時系列的で、事態の推移を書きます。

◆背景

母は本態性高血圧で、また血栓が形成されるのを予防するために、血液をさらさらにする為のワーファリンという薬を

服用しておりました。普段は自宅マンションから徒歩2分に位置する開業医の診察を受け、

月に一回、心電図や採血(これは毎月であったかどうか、確認しておりません)の為、この開業医が提携している、

杉並区内の某総合個人病院に通院しておりました。

◆容態の推移。

自分の為の記録も兼ねておりますので、無理にお読みになりませんように。


  • 日付確認出来ず。採血で、肝機能に異常が認められる。

  • 12月5日(水)。超音波検査により、肝臓に何らかの異変があることがわかる。

  • 12月7日(金)。検査入院との名目で、その個人総合病院に入院。

  • 詳細な日時、不明ながら、胃カメラで胃の幽門部に腫瘍がみつかり、生検したところガンであることが分かる。

  • さらに腹部CTスキャンで、肝臓に複数の小さな転移病巣が発見される。オペは不能である、とドクターが判断する。


  • 12月11日(火)。病院から「検査結果が芳しくない。ご家族にあした説明したい」と告げられる(注:この時、私は「ガンだろう」と覚悟しました)。

  • 12月12日(水)。午後、内科部長及び担当医からムンテラ(病状及び、治療方針の説明)。「胃の幽門部(腸に近い側。出口の部分)にガンがあり、既に肝臓に転移している。手術は不可能。TS-1という経口抗ガン剤を8日間投与し、その後シスプラチンという液体の抗ガン剤を投与する」概ねそういうこと。理屈が通っていると思われたので、任せることにする。

  • 12月13日(木)。経口抗ガン剤、TS-1の服用開始。しばらくは何も副作用なく、病室も4人部屋。見舞うとまだ、元気で饒舌。

  • 12月14日(金)から20日(木)。ほぼ毎日、勤め帰りに病院に寄るが、特に変化なし、苦痛、不具合の類なし。

  • 12月21日(金)。当初計画では、この日から抗ガン剤「シスプラチン」の点滴を始める筈だったが、取りやめとなる。兄から、「母、27日に退院」と連絡がある。年末年始にかけ、一族郎党が母のマンションに交替で泊まる、というのが兄の構想。ところがこの日から、突如副作用か、腸炎か不明であるが、母が下痢を催し、胃から腸にかけての痛みを訴え始める。

  • 12月25日(火)。3日間、かなりの腹部痛を訴え続けたらしい。痛いという言葉が弱々しく痛みに身体を震えさせているが、自分にはどうしてやることも出来ない。同時に下痢により裂肛したか内痔核でも出来たか、直腸に炎症、潰瘍でもできたか肛門痛が母を襲う。

  • 12月26日(水)。二度目のムンテラ。痛みは強いものの、ガンが急速に進行しているわけではないから、現在の状態が安定して、今後どうするかという相談。全身状態等を考えると、まだ「ホスピスでターミナルケア」という状態では(母は『最期』はそれを希望していた)ない」がドクターの見解。我々家族も同じように考えていた。

  • 12月28日(金)。腹部痛は収まったがまだ、下痢は続き肛門痛があり、それよりも、口内炎がひどいという、ドクターは通常のステロイド軟膏では効かないので局部麻酔薬キシロカインを用いるというが、どうもよくない。この日がまともに母がしっかりとした意識で話した最後だった。「抗ガン剤の主作用が全く認められず、副作用が予想以上に強く、甚だ苦痛である」とか「口内炎の痛みを主治医に訴えたが、『望みを捨てずに』という類のことを言われたので、『先生、こんなひどい口内炎になったこと、内でしょ?』といってやった」などと、ゆっくりと話す。

  • 12月29日(土)。見舞いには行かず。あとで分かったが、この日から下血が多くなる。ワーファリンを飲んでいたから(既に服用を中止していたが、血中に薬は残っている)、凝血し難いらしい。ドクターはワーファリンの作用を打ち消す別の薬を用いたが、下血は元旦まで続く。

  • 12月30日(日)。意識レベルが一段と落ちる。弱々しく「水が飲みたい」という。飲ませたあと、吸い飲みをベッド脇の台におくが、見えないという。ナースにその状態を伝える。

  • 1月1日(火)。一昨日まで、辛うじて話せたのが最後。筆談となるが、文字が読めないほど意識レベルが低下。ナースが導尿管を挿入、固定。見舞って帰宅後、ドクターから私に連絡があり「下血が続き、それは止めたが脱水気味で、意識レベルが低い。正月休み中、心肺停止などの急変が起きた場合、蘇生措置をしてもよいか、家族の意思を固めてほしい」といわれ、至急兄と相談し「そうしてくれ」と伝える。嫌な予感。

  • 1月2日(水)意識はあるが、筆談も不可能、コミュニケーションが取れない。ナースによると点滴を入れ続けているが、24時間で尿量が20cc。明らかに腎機能低下。「ちょっと悪い状態ですね」と言われる。夜、病院に行った兄から、一層腎機能低下し、透析可能か検討中という。内心、覚悟を決める。

  • 1月3日(木)午前6時。「危篤」の連絡を受け、妻子と共に、自分のクルマで病院に急行。到着したときには、ドクターが心臓マッサージ中だった。私が着いたすぐあとに兄一家が病院に到着。間もなくドクター「心停止、瞳孔散大、呼吸停止」のため、蘇生措置を止めた7時ちょうどを死亡時刻と致しますと臨終を告げられる。

そして、今週月曜日、通夜。昨日告別式が終わった、という次第です。

つまり、エコーで肝臓に転移が発見され、入院していただきます、とドクターに言われてから、1ヶ月経たない間に、母は骨になってしまいました。

しかも最後の数日は、あれよあれよというまに容態が悪くなり、なんだか呆気にとられている間に死んでしまったという気がします。

まだ書きたいことがありますが、長くなるので、明日にします。

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