カテゴリー「日本人の褒め下手」の記事

2015.11.13

日本で初めての生体肝移植から、今日で26年です。私が書くのは、13回目です。

◆毎年、同じことを書き写していますが、忘れてはいけない事だと思います。


1989(平成元)年の今日、日本で初めて、生体部分肝移植手術が行われました。

今では、脳死肝移植が行われても、さほどの大ニュースとして扱われなくなり、

勿論、脳死したドナーの方はお気の毒なのですが、むしろ移植は「普通の事」になりました。

しかし、それは、比較的最近のことです。

日本では長い間、臓器移植は「タブ-」でした。その禁を破ったのが、

当時の島根医科大学(現在の島根大学医学部)第二外科、当時助教授だった、

永末直文先生です。永末先生が映画「孤高のメス」の当麻医師のモデルです。

今、日本で臓器提供意思表示欄が、運転免許証や健康保険証にまで、

(臓器を提供するかしないかは勿論任意ですが)印刷されるようになりました。

全て、永末先生の職を賭しての「決断」のお陰です。


◆そもそもの始まり。

移植手術の患者は、生後間もない杉本裕弥ちゃんでした。生後1ヶ月検診で黄疸がある、と言われました。

山口県玖珂郡和木町、岩国市のすぐ北、広島との県境で開業していた木村直躬医師に、

裕弥ちゃんのおばあさんが、そのことを告げました。1988(昭和63)年12月のことです。

木村先生はエコー(超音波)で、ただちに、杉本裕弥ちゃんが、先天性胆道閉鎖症という病気である、と診断しました。

先天性胆道閉鎖症とは、生まれつき胆汁が流れ出る道がふさがっていて、胆汁が肝臓へ流れていかないので、

黄疸が段々強くなり、しまいには、肝硬変で死に至る病です。


◆杉本裕弥ちゃんは、移植以前に、胆道閉鎖症の専門家による手術をうけましたが、上手く行きませんでした。

この世に生を受けて間もない赤ん坊が、

可哀想なことに、何度も手術を受ける運命にあったのです。

木村先生の紹介で、地元山口県の国立岩國病院の小児外科により、胆管を何とか開く手術が行われました。

1度では上手く行かず、2度目の手術も失敗でした。

岩國病院の担当医から、木村先生(最初に裕弥ちゃんを診察した開業医の先生)の元に、手紙が来て、

「この子の予後はホープレス(望みがない)」とのことでした。残酷な宣告です。

それでも、裕弥ちゃんの家族は諦めませんでした。

木村先生に、何とか手段は無いか、と聞きました。先生は肝移植以外に道はない。といいました。

日本では、移植手術はタブーとされていました。

1968年札幌医大で行われた日本初の心臓移植手術の失敗が、その背景にありますが、その説明は省きます。

日本木村先生はオーストラリアの病院に問い合わせましたが、オーストラリアの病院は

「生体肝移植は難しくて無理だ。」という、つれない返事をよこしてきました。

しかし、木村先生も諦めませんでした。


◆木村先生は、「移植手術を頼むなら、島根医大の永末先生しかない」と考えました。

木村先生の頭に浮かんだのは、九州大学医学部の後輩で、広島赤十字病院で同僚だった永末直文医師でした。

木村先生は内科、永末先生は外科ですが、肝臓を専門とすることで共通していました。

木村先生がエコーで肝臓ガンを診断し、永末先生が切除可能な肝ガンの手術を6年間で200例も手がけていました。

木村先生は「生体肝移植を頼むなら、(島根医大に移った)永末君しかいない」と思いました。

永末先生は、最初あまり乗り気ではなく、オーストラリアの病院で手術を受けることを進めました。

これは、前述の通り当時の日本の医学界で「移植」という言葉はタブーだったのです。

このタブーを破った医師は、医師生命を絶たれる危険がありました。ですから、最初に永末先生が積極的ではなかったことも、

無理からぬことだったと言って良いでしょう。

ところが、木村先生は諦めませんでした。講演のため、広島に来た永末先生に会い、

とにかく裕弥ちゃんの診察だけでもしてくれ、と、頼みました。永末先生は引き受けました。

永末医師が初めて診る裕弥ちゃんは、黄疸が強く出ていて、溜まった腹水でおなかがパンパンに膨れて、静脈が浮き出ていました。

既に食道静脈瘤が出来ている可能性があり、これでは、いつ吐血してもおかしくない。

吐血しなくてもあと1ヶ月ほどの命、と永末先生は思いました。まだ、生後一年経っていない赤ん坊が肝硬変です。残酷な現実でした。

裕弥ちゃんの体力が移植手術に耐えられるか、五分五分だと考えました。


◆永末先生は裕弥ちゃんの家族にありのままを話しました。

永末医師は家族に客観的事実を説明しました。それは、


  • 正確なことは精密検査をしないと分からないが、移植手術は出来そうなこと。

  • 但し、島根医大の永末医師のグループでは生体肝移植の経験がないので、上手くいくかどうか保証できないこと。

  • 手術まで持ち込めても、裕弥ちゃんの全身状態があまりにも悪いので、手術に持ちこたえられずに亡くなる可能性も高いこと、


という内容でした。決して楽観出来る話ではありません。しかし、家族は必死でした。

永末医師は特に裕弥ちゃんの祖父政雄さんの言葉を強く覚えています。
このまま裕弥を死なせたら悔いが残ります。明弘(引用者注:裕弥ちゃんの父)の命に別状がないのなら、結果は問いません。是非手術をして下さい。

そして、政雄さんは、裕弥ちゃんの両親に言いました。
「明弘、寿美子さん。お前たちが両親なんだから、お前たちからはっきりお願いしなさい」

15秒ほどの沈黙の後、それまで寡黙だった明弘さん(裕弥ちゃんの父)が永末医師を正面から見つめ、言いました。
「お願いします」

その言葉に永末先生の気持ちが動きました。

「この人達は裕弥ちゃんを助けようと必死になっている。移植手術未経験だというのに、頼むという。

ここで失敗を恐れて背を向けたら、医師として最も大事なものを失ってしまう」と思ったのです。


◆永末先生は、島根医大第二外科全員に「この手術を断るぐらいなら、明日から肝移植の研究など止めてしまおう」と言いました。

永末先生の気持ちは固まりました。

当時永末先生は助教授でしたから、第二外科の部長中村教授の了解も取り付けました。

自分の研究室に戻った永末先生は、肝臓グループの医師たちに、裕弥ちゃんの生体肝移植を引き受けることにした、と言いました。

医師達は全員無言になりました。

「日本で初めての生体肝移植」であることに加え、裕弥ちゃんの症状が悪すぎる、と専門医たちは誰もが思ったのです。

スタッフが躊躇っているのを見て、永末先生は、言いました。

「我々は『肝移植』を標榜している。

赤ちゃんは死にかけている。家族は結果は問わないからやってくれという。責任は全て私が取る。

目の前の赤ちゃんを救えないような研究なら意味は無い。もしこの移植を拒むなら、明日から移植の研究など止めてしまおう。」

第二外科の河野講師(当時)はこの言葉を聞いて、身体が震えたといいます。皆同じ心境だったことでしょう。


◆中村教授は「永末君、君は全てを失うかも知れない、本当にそれでいいのか?」と心配しました。

手術を行うことが決まってから、永末先生は、中村教授の部屋で何度も話し合いました。

中村先生は、心配していました。

「永末君。僕はもう13年もここの教授をしていて思い残すことはない。福岡へ帰れば済む。

しかし、君はこの手術で全てを失うかも知れない。僕はそれがいちばん心配だ。本当に君はそうなってもかまわないのか」

その都度、永末先生は答えました。
「先生。大丈夫です。誰かがやらなければならないことを、私たちがやるだけです。これで弾劾されたら、福岡へ帰って開業します」

この言葉は、決断―生体肝移植の軌跡という本(是非、読んでいただきたい)で永末先生自身が書いている言葉です。

しかし、本当はもっと悲痛な覚悟でした。

後年、NHKの「プロジェクトX」に出たとき、永末先生は、医師を辞めることさえ覚悟していた、と話しました。

「私は英語が得意なので、学習塾の英語の先生をすれば、食べていけると思ったのです」

淡々と語る永末先生を見て、私は心の底から、永末先生を尊敬しました。

これほど立派な医師を見たことがありません。

裕弥ちゃんの移植手術そのものは成功しましたが、その後、ありとあらゆる合併症が起きました。

そして、手術から285日後、1990(平成2)年8月24日、午前2時32分、亡くなりました。1歳9ヶ月の生涯でした。

家族は、手術とその後の肝臓チームのすさまじい努力、裕弥ちゃんを救おうとする苦労を目の当たりにしていたので、

チーム全員に丁重にお礼をいいました。後年、裕弥ちゃんの弟が生まれました。

母親の寿美子さんは、永末直文医師の「直」と裕弥ちゃんの「弥」をとり、「直弥」と名付けました。

島根医大第二外科が初めての生体肝移植をしたのを見届けるように、その後、京大、信州大が、数多くの生体肝移植を成功させました。

それはそれで、良いことです。

しかし、何と云っても、「最初にやる」ことを決断する勇気と覚悟は、2番目以降とは比べものになりません。

島根医大第二外科の英断と死にものぐるいの努力がなければ、こうした道は今も開けていなかったでしょう。

島根医大は、今は島根大学医学部になってしまいましたが、それはこの歴史的事実の価値に比べればどうでも良い。

永末先生とそのチームの偉業は、日本の医療の歴史に永遠に刻まれるでしょう。

永末先生が中心となり、当時の移植チームのメンバーが、思いを綴った本、決断―生体肝移植の軌跡を是非、読んで下さい。


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2015.07.16

【恒例】「国際科学五輪、物理・数学で日本人全員がメダル。」←良いニュースを大きく取り上げない日本(人)の悪癖。

◆記事1:物理五輪、日本が3年ぶり金=高校代表5人、全員メダル(時事通信 7月12日(日)17時13分配信)

文部科学省は12日、インドで開かれた第46回国際物理オリンピックに日本の高校生代表5人が参加し、

全員メダルを獲得したと発表した。

奈良県の東大寺学園高1年渡辺明大さん(16)が金メダルで、銀と銅が2人ずつだった。

日本代表の金メダルは2012年の大会以来、3年ぶり。

今大会には82カ国・地域の計382人が参加し、金メダルは成績上位者の8%、銀は17%、銅は25%に配分された。

銀メダルは兵庫県の灘高3年加集秀春さん(17)と大阪府の大阪星光学院高2年吉田智治さん(16)、

銅は灘高1年上田朔さん(16)と東京都立小石川中等教育学校(中高一貫校)6年高橋拓豊さん(17)が受賞した。


◆記事2:数学五輪、日本の高校生6人全員がメダル(読売新聞 7月16日(木)10時46分配信)

文部科学省は15日、タイで開かれた高校生の国際数学オリンピックで、日本代表の6人全員がメダルを獲得したと発表した。

今年は104か国・地域から577人が参加し、日本勢は3人が銀、3人が銅だった。

受賞者は次の通り(敬称略)。

▽銀 青木孔(筑波大付属駒場高2年)、佐伯祐紀(開成高3年)、高谷悠太(同1年)

▽銅 井上卓哉(同2年)、篠木寛鵬(ひろとも)(灘高3年)、的矢知樹(かずき)(筑波大付属駒場高3年)


◆コメント:私は、毎年取り上げ、同じことを書きますが、新聞だと「ベタ記事」なのです。

今年も高校生科学五輪のシーズンです。物理と数学が終わり、20日が生物学五輪、7月下旬には情報五輪。化学五輪。

9月には、地学五輪の国際大会が開かれ、日本人の高校生は毎年メダルを獲得してます。私はずっと取り上げ、

いつも同じことを書いております。

過去の記事をそれぞれの科目で検索しました。

「数学五輪」の検索結果。

物理五輪」。

生物学五輪」。

化学五輪」。

情報五輪」。

地学五輪」。

重複もありますが、要するに毎年同じことを申し上げております。

日本人学生の学力低下が嘆かわしいとかなんとか、多分、大抵のマス・メディアは書いている筈ですが、

毎年、各科目で行われている「国際科学五輪」で日本人高校生がメダルを獲りますが、

紙の新聞では、まず、気づかない。社会面のベタ記事(一番小さい活字の記事)扱いなのです。

毎年、メダルを獲るのは、筑駒だとか、開成だとか、灘、など、昔から優秀で有名な学生が多いので有名な学校の生徒ですが、

常に、優秀な学生がいる、ということが悪い訳がない。

こういうことは、もっと取り上げるべきだとおもいます。

最近、面倒くさいので、コメント欄を閉じてますが(たまたま開いている所にコメントを書く人いますが、読みません)、

以前は、毎年、
「国際科学五輪で日本人高校生がメダル」

を書く度に「このような行事があることを知らなかった」とか、「あなた(JIRO)はもっとおおきく書くべきです」

というコメントが寄せられました。

話がそれますが、私が「もっと大きく取り上げるべきだ」というなら、ご自分で書けば良いと思うのですが、

まあ、それは、私の愚痴です。


しかし、口幅ったいようですが、「国際科学五輪」を毎年ブログで書いている、一般人は私ぐらいではないか、と思います。

運動の五輪で金メダルは、一面のトップ記事ですが、勉強で頑張ってもベタ記事だ、という神経が民度を低さを反映しています。

日本人は、他人の悪事をあげつらうのは、大好きだし、得意ですが、

他人のし遂げた偉業、平たくいえば「良いニュース」を小さく扱うという悪癖があります。

私は、日本人は、人を褒めるのが下手過ぎるとおもいます。

ブログサービス、「ココログ」で私は、「日本人の褒め下手」という独自カテゴリーを設定していますが、

多分、他にはいないでしょう。 

褒められて嬉しい人間はいない。悪いニュースばかりを大きく取り上げるから悪い事ばかりが起きているような

「錯覚」に陥るのです。


なお、「安保法案強行採決」に関しては、腹が立ちすぎて、今はとても冷静に書く自信がないので、

もう少し、気持ちが落ちついてから、書きます。

要するに「だから、言わんこっちゃない。日本人の大馬鹿野郎」ということですが。

今日は、勉強熱心な若者の快挙を讃えましょう。

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2014.11.13

日本で初めての生体肝移植から、今日で25年です。私が書くのは、12回目です。

◆毎年、同じことを書き写していますが、忘れてはいけない事だと思います。


1989(平成元)年の今日、日本で初めて、生体部分肝移植手術が行われました。

今では、脳死肝移植が行われても、さほどの大ニュースとして扱われなくなり、

勿論、脳死したドナーの方はお気の毒なのですが、むしろ移植は「普通の事」になりました。

しかし、それは、比較的最近のことです。

日本では長い間、臓器移植は「タブ-」でした。その禁を破ったのが、

当時の島根医科大学(現在の島根大学医学部)第二外科、当時助教授だった、

永末直文先生です。永末先生が映画「孤高のメス」の当麻医師のモデルです。

今、日本で臓器提供意思表示欄が、運転免許証や健康保険証にまで、

(臓器を提供するかしないかは勿論任意ですが)印刷されるようになりました。

全て、永末先生の職を賭しての「決断」のお陰です。


◆そもそもの始まり。

移植手術の患者は、生後間もない杉本裕弥ちゃんでした。生後1ヶ月検診で黄疸がある、と言われました。

山口県玖珂郡和木町、岩国市のすぐ北、広島との県境で開業していた木村直躬医師に、

裕弥ちゃんのおばあさんが、そのことを告げました。1988(昭和63)年12月のことです。

木村先生はエコー(超音波)で、ただちに、杉本裕弥ちゃんが、先天性胆道閉鎖症という病気である、と診断しました。

先天性胆道閉鎖症とは、生まれつき胆汁が流れ出る道がふさがっていて、胆汁が肝臓へ流れていかないので、

黄疸が段々強くなり、しまいには、肝硬変で死に至る病です。


◆杉本裕弥ちゃんは、移植以前に、胆道閉鎖症の専門家による手術をうけましたが、上手く行きませんでした。

この世に生を受けて間もない赤ん坊が、

可哀想なことに、何度も手術を受ける運命にあったのです。

木村先生の紹介で、地元山口県の国立岩國病院の小児外科により、胆管を何とか開く手術が行われました。

1度では上手く行かず、2度目の手術も失敗でした。

岩國病院の担当医から、木村先生(最初に裕弥ちゃんを診察した開業医の先生)の元に、手紙が来て、

「この子の予後はホープレス(望みがない)」とのことでした。残酷な宣告です。

それでも、裕弥ちゃんの家族は諦めませんでした。

木村先生に、何とか手段は無いか、と聞きました。先生は肝移植以外に道はない。といいました。

日本では、移植手術はタブーとされていました。

1968年札幌医大で行われた日本初の心臓移植手術の失敗が、その背景にありますが、その説明は省きます。

日本木村先生はオーストラリアの病院に問い合わせましたが、オーストラリアの病院は

「生体肝移植は難しくて無理だ。」という、つれない返事をよこしてきました。

しかし、木村先生も諦めませんでした。


◆木村先生は、「移植手術を頼むなら、島根医大の永末先生しかない」と考えました。

木村先生の頭に浮かんだのは、九州大学医学部の後輩で、広島赤十字病院で同僚だった永末直文医師でした。

木村先生は内科、永末先生は外科ですが、肝臓を専門とすることで共通していました。

木村先生がエコーで肝臓ガンを診断し、永末先生が切除可能な肝ガンの手術を6年間で200例も手がけていました。

木村先生は「生体肝移植を頼むなら、(島根医大に移った)永末君しかいない」と思いました。

永末先生は、最初あまり乗り気ではなく、オーストラリアの病院で手術を受けることを進めました。

これは、前述の通り当時の日本の医学界で「移植」という言葉はタブーだったのです。

このタブーを破った医師は、医師生命を絶たれる危険がありました。ですから、最初に永末先生が積極的ではなかったことも、

無理からぬことだったと言って良いでしょう。

ところが、木村先生は諦めませんでした。講演のため、広島に来た永末先生に会い、

とにかく裕弥ちゃんの診察だけでもしてくれ、と、頼みました。永末先生は引き受けました。

永末医師が初めて診る裕弥ちゃんは、黄疸が強く出ていて、溜まった腹水でおなかがパンパンに膨れて、静脈が浮き出ていました。

既に食道静脈瘤が出来ている可能性があり、これでは、いつ吐血してもおかしくない。

吐血しなくてもあと1ヶ月ほどの命、と永末先生は思いました。まだ、生後一年経っていない赤ん坊が肝硬変です。残酷な現実でした。

裕弥ちゃんの体力が移植手術に耐えられるか、五分五分だと考えました。


◆永末先生は裕弥ちゃんの家族にありのままを話しました。

永末医師は家族に客観的事実を説明しました。それは、


  • 正確なことは精密検査をしないと分からないが、移植手術は出来そうなこと。

  • 但し、島根医大の永末医師のグループでは生体肝移植の経験がないので、上手くいくかどうか保証できないこと。

  • 手術まで持ち込めても、裕弥ちゃんの全身状態があまりにも悪いので、手術に持ちこたえられずに亡くなる可能性も高いこと、


という内容でした。決して楽観出来る話ではありません。しかし、家族は必死でした。

永末医師は特に裕弥ちゃんの祖父政雄さんの言葉を強く覚えています。
このまま裕弥を死なせたら悔いが残ります。明弘(引用者注:裕弥ちゃんの父)の命に別状がないのなら、結果は問いません。是非手術をして下さい。

そして、政雄さんは、裕弥ちゃんの両親に言いました。
「明弘、寿美子さん。お前たちが両親なんだから、お前たちからはっきりお願いしなさい」

15秒ほどの沈黙の後、それまで寡黙だった明弘さん(裕弥ちゃんの父)が永末医師を正面から見つめ、言いました。
「お願いします」

その言葉に永末先生の気持ちが動きました。

「この人達は裕弥ちゃんを助けようと必死になっている。移植手術未経験だというのに、頼むという。

ここで失敗を恐れて背を向けたら、医師として最も大事なものを失ってしまう」と思ったのです。


◆永末先生は、島根医大第二外科全員に「この手術を断るぐらいなら、明日から肝移植の研究など止めてしまおう」と言いました。

永末先生の気持ちは固まりました。

当時永末先生は助教授でしたから、第二外科の部長中村教授の了解も取り付けました。

自分の研究室に戻った永末先生は、肝臓グループの医師たちに、裕弥ちゃんの生体肝移植を引き受けることにした、と言いました。

医師達は全員無言になりました。

「日本で初めての生体肝移植」であることに加え、裕弥ちゃんの症状が悪すぎる、と専門医たちは誰もが思ったのです。

スタッフが躊躇っているのを見て、永末先生は、言いました。

「我々は『肝移植』を標榜している。

赤ちゃんは死にかけている。家族は結果は問わないからやってくれという。責任は全て私が取る。

目の前の赤ちゃんを救えないような研究なら意味は無い。もしこの移植を拒むなら、明日から移植の研究など止めてしまおう。」

第二外科の河野講師(当時)はこの言葉を聞いて、身体が震えたといいます。皆同じ心境だったことでしょう。


◆中村教授は「永末君、君は全てを失うかも知れない、本当にそれでいいのか?」と心配しました。

手術を行うことが決まってから、永末先生は、中村教授の部屋で何度も話し合いました。

中村先生は、心配していました。

「永末君。僕はもう13年もここの教授をしていて思い残すことはない。福岡へ帰れば済む。

しかし、君はこの手術で全てを失うかも知れない。僕はそれがいちばん心配だ。本当に君はそうなってもかまわないのか」

その都度、永末先生は答えました。
「先生。大丈夫です。誰かがやらなければならないことを、私たちがやるだけです。これで弾劾されたら、福岡へ帰って開業します」

この言葉は、決断―生体肝移植の軌跡という本(是非、読んでいただきたい)で永末先生自身が書いている言葉です。

しかし、本当はもっと悲痛な覚悟でした。

後年、NHKの「プロジェクトX」に出たとき、永末先生は、医師を辞めることさえ覚悟していた、と話しました。

「私は英語が得意なので、学習塾の英語の先生をすれば、食べていけると思ったのです」

淡々と語る永末先生を見て、私は心の底から、永末先生を尊敬しました。

これほど立派な医師を見たことがありません。

裕弥ちゃんの移植手術そのものは成功しましたが、その後、ありとあらゆる合併症が起きました。

そして、手術から285日後、1990(平成2)年8月24日、午前2時32分、亡くなりました。1歳9ヶ月の生涯でした。

家族は、手術とその後の肝臓チームのすさまじい努力、裕弥ちゃんを救おうとする苦労を目の当たりにしていたので、

チーム全員に丁重にお礼をいいました。後年、裕弥ちゃんの弟が生まれました。

母親の寿美子さんは、永末直文医師の「直」と裕弥ちゃんの「弥」をとり、「直弥」と名付けました。

島根医大第二外科が初めての生体肝移植をしたのを見届けるように、その後、京大、信州大が、数多くの生体肝移植を成功させました。

それはそれで、良いことです。

しかし、何と云っても、「最初にやる」ことを決断する勇気と覚悟は、2番目以降とは比べものになりません。

島根医大第二外科の英断と死にものぐるいの努力がなければ、こうした道は今も開けていなかったでしょう。

島根医大は、今は島根大学医学部になってしまいましたが、それはこの歴史的事実の価値に比べればどうでも良い。

永末先生とそのチームの偉業は、日本の医療の歴史に永遠に刻まれるでしょう。

永末先生が中心となり、当時の移植チームのメンバーが、思いを綴った本、決断―生体肝移植の軌跡を是非、読んで下さい。


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2014.10.08

「国際地学五輪、金3銅1=日本の高校生4人参加―文科省」「赤崎、天野、中村氏にノーベル物理学賞」日本人の褒め下手。

◆記事1:国際地学五輪、金3銅1=日本の高校生4人参加―文科省(時事通信 9月29日(月)19時42分配信)

文部科学省は29日、スペインで開かれた国際地学オリンピックに日本代表の高校3年生4人が参加し、

3人が金、1人が銅のメダルを受賞したと発表した。

金は灘高(兵庫)の宇野慎介さん(18)と巣鴨高(東京)の西山学さん(17)、筑波大付属駒場高(東京)の野村建斗さん(17)で、

銅は灘高の杉昌樹さん(17)。

野村さんは2012年と13年の国際数学五輪で銀メダルを受賞しており、

3年連続の快挙となった。


◆記事2:赤崎、天野、中村氏にノーベル賞=青色LED開発―物理学、日本人6年ぶり(時事通信 10月7日(火)18時52分配信)

スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を、実用的な青色発光ダイオード(LED)を開発した

赤崎勇名城大教授(85)と天野浩名古屋大教授(54)、中村修二米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)に授与すると発表した。

青色の登場でLEDは赤、緑とともに光の三原色がそろい用途が拡大。

消費電力が少なく、耐久性が高い特長が注目され、白熱電球や蛍光灯に代わる白色照明のほか、携帯電話などのディスプレー、

交通信号などに広く利用されている。


◆コメント:国際科学五輪は、毎年、「地学」が最後にきます。ノーベル賞で大騒ぎするなら、若い人を褒めろ。

青色LEDの開発をノーベル財団が「革新的」と絶讃していました。

赤崎先生、天野先生、中村先生の受賞は、もちろん無条件に喜びです。国の誉れです。

大切にしなければなりません。

しかし、他方、私は何度も、このブログで書きましたが、

メディアも世論も、ノーベル賞だけ騒いで、将来、ノーベル賞受賞者になるかもしれない日本の優秀な高校生が、

毎年開催されている、国際科学五輪の数学、物理学、生物学、化学、地学でメダルを獲得しているのに、

全然褒めない。だから、日本人の褒め下手というのです。

ノーベル賞受賞者の先生方は、皆さん「すきなことを続けてきただけだ」とおっしゃるけれど、

世間が評価すればもっとやる気が出る(出た)ことでしょう。

若者の学力の低下が懸念されるなかで、毎年、国際科学五輪の日本人メダル獲得を大きく書くのは、

大手メディアではなくて、私だ、というのが問題です。マスコミこそが大きく取り上げて、

若い、優秀な人材がもっとやる気が出るようにするべきではないでしょうか。

因みに今年の他の種目(科目)は既に終わっていて、例年どおり、私は書きました。

2014.07.20 科学五輪、日本の高校生がメダルラッシュ」←数学、生物学、情報、物理が終わりました。

2014.08.02 「国際化学五輪で高3が金=日本代表、銀2銅1も」←「科学五輪」続報です。

ノーベル賞とて、数日で忘れられ、次はアルフレッド・ノーベルの命日、

12月10日にストックホルムで行われる授賞式のときに取り上げるぐらいでしょう。


山本五十六の言葉とされる
やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。

は、ネットのあちこちで、引用している人をみかけますが、自分はちっとも実行しない。

一事が万事。だから、多分、日本で私だけではないか、と思いますが、

私はブログの記事分類カテゴリーで、独自設定の「日本人の褒め下手」を設けています。

人の仕事を尊敬すること。人を褒めることを、日本人は意識的に「練習する」べきです。

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2014.08.26

「被災者にマンション無償貸し出し」←章栄不動産は立派ですが、本来、国がいち早くやることです。

◆記事:被災者にマンション無償貸し出し(NHK 8月26日 14時37分)

広島市の土砂災害で自宅に住めなくなった人に、不動産会社が賃貸マンションを無償で貸し出すことになり、

空き部屋にテレビや冷蔵庫などが運び込まれました。

広島市の安佐北区と安佐南区では、土砂災害で多くの住宅が被害を受け、1500人余りが避難所での生活を余儀なくされています。

これを受けて、広島市の不動産会社が安佐南区を中心におよそ100世帯分の賃貸マンションを3か月間無償で貸し出すことになりました。

安佐南区中須のマンションでは、26日、空き部屋に不動産会社が用意したテレビや冷蔵庫などが運び込まれました。

不動産会社によりますと、家賃だけでなく、敷金や礼金も無償にするほか、光熱費の負担も免除するということです。

「章栄不動産」の高橋若衛法務部長は、「緊急の避難場所として住んでもらい、次の住居を探していただきたい」と話していました。

広島市によりますと、こうした民間の支援の動きが広がっていて、24日までに、マンションや戸建ての住宅など

このほか81世帯分が無償や安い価格で提供されることが決まっているということです。


◆コメント:2つ言いたい。1.日本人の褒め下手。2.被災者対策のノウハウが蓄積されない。

1つめ。

何度も書いています。日本人は何か不祥事をやらかしたり、とにかく何か「悪いこと」をした人や会社を叩くのは大好きですが、

この「100世帯分の賃貸マンションを3ヶ月無償で貸し出すことを決めた」広島県の

章栄不動産は、良いことをしたのですから、もっと大々的に、NHKと言えども記事の冒頭に固有名詞を掲げて賞賛するべきです。

私はこのニュースをTwitterでとっくにツイートしましたが、だれもRT(リツイート)しません。

日本人は誰かを非難したり、叩いたり、いじめるのは大好きですが、

善いことをした人や会社や団体を「褒める」ということを本当にしません。悪い癖です。

あたかも人を褒めたり、人に感謝すると「損をする」とおもっているかのようで、人間的に矮小にみえます。


2つ目。

被災者は住居を失ったのであり、その状況をもたらしたのが地震でも大雨でも、

現在の被災者の困っている状況、それ自体は同じで、国なり地方自治体なり公の機関のすべきことは

あきらかです。

民間の善意に甘えていないで、国が不動産会社から賃貸なり分譲マンションなり何なり、

住むところを借りるなり、買うなり、税金を使っていいから、早く被災者に提供するべきです。

避難所生活にはプライバシーがない、とか、いくら雨風が凌げても堅い、体育館などの床に何日も寝ていたら、

疲れるばかり、とかそういう状況が生じること。また、その状況がもたらす問題に関して、

直近では、東日本大震災で、日本人は散々、見たのです。


311の後には、あまりのストレスに、心室細動などの致死性不整脈や、ストレスにより胸部の動脈が裂けて失血死したり、

ストレスからくる高血圧で脳出血を起こしたりして亡くなる、など「震災関連死」が非常に多く、

福島県に限っていえば、直接死者数を震災関連死が上回った、と2013年12月17日福島県のまとめで分かりました。

前述のとおり、今回は大雨と土砂崩れであって、地震ではありませんが、そのストレスは

地震であろうが土石流であろうが、ものすごいレベルであろうことは容易に想像できる、と思いますが、

少なくとも国(政府)の動きを見ていると、僅か3年前の大災害から何も学んでいないようです。

ノウハウが蓄積されていません。あの時はたまたま、民主党政権であり、自民党は野党として、

政府・民主党の「対応の遅さ」を仕切りに国会で批判していた、と記憶していますが、自分達が政権を取り返したら

どうするか。全然考えていなかったようです。確か安倍首相は「日本を取り戻す」とか、舌足らずな日本語で

訴えていましたが、こんなことで、それができるのでしょうか。

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2014.08.02

「国際化学五輪で高3が金=日本代表、銀2銅1も」←「科学五輪」続報です。

◆記事:国際化学五輪で高3が金=日本代表、銀2銅1も(時事通信 7月29日(火)11時31分配信)

文部科学省は29日、ベトナムで開かれた国際化学オリンピックに日本代表の高校生4人が参加し、

白陵高(兵庫)3年福永隼也さん(17)が金メダルを獲得したと発表した。

同3年正田浩一朗さん(17)と筑波大付属駒場高(東京)3年森田峻平さん(17)は銀メダル、

豊島岡女子学園高(東京)3年林杏果さん(17)は銅メダルを得た。

福永さんと正田さんは昨年の同五輪で銀メダルを獲得しており、2年連続の快挙。


◆コメント:何故「良いこと」を「小さく」報じるのか。

先日、科学五輪について書きました。

2014.07.20 「科学五輪、日本の高校生がメダルラッシュ」←数学、生物学、情報、物理が終わりました。

そこにも書きましたし、毎年同じことを書きますが、

「良いことを小さく取り上げる」のはよくありません。

日本のメディアや世論は、「最近の若者の基礎学力の低下が目に余る」とか色々いいますし、

スポーツでは「メダル」が大好きなくせに、毎年、このように科学五輪で日本の若者が

「金メダル」を獲っていることなど、知りません。ひじょうに僭越な物言いですが、日本広しといえど、

教育関係者や、科学五輪の出場者の身内以外で毎年この結果を意識して、しかも文章にしているのは、

私だけではないか、と思います。

中には非常に驚き、
こんな催しがあるとは知らなかった。もっと(JIROは)、このことを大々的に喧伝すべきだ。

という趣旨のコメントを頂戴したことがありますが、そう思うのならば、ご自分がブログを開設して記事にして

更に広めれば良いと思います。そうはしないで、私に「やれ」と。


私は、言われなくてもこのように書きますけど、本当はこんな一般人のブログでは、世の中に、このニュースは広まらないのですから、

本当は、マス・メディアがもっと大きく取り上げるべきです。

女子校生による「友人死体解体」殺人事件ばかり大きく取り上げたり、

悪い話ばかりを大きく取り上げるから、世の中では悪いことしか、おきていないような錯覚におちいりますが、

実際には、良いことも起きている筈です。


ただ、認識するべきなのは、マス・メディアがどうして他人の「不幸」ばかりを大きく取り上げるか?というと

その方が数字がとれるからです。テレビなら視聴率。新聞や週刊誌なら、部数でしょう。

そして、何故彼らがそうするかというと、情報の受け手、すなわち我々が「他人の不幸」により興味を持つからだと思います。

他人の幸福は妬ましく、他人の不幸は密の味、という邪悪な人間の本性、心の反映なのでしょう。

残念ながら。

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2014.07.20

「科学五輪、日本の高校生がメダルラッシュ」←数学、生物学、情報、物理が終わりました。

◆記事1:数学と生物学で金5個=国際五輪で日本代表高校生(時事通信 2014/07/13-03:08)

文部科学省は12日、南アフリカで開かれた国際数学オリンピックとインドネシアで開かれた

国際生物学オリンピックの日本代表高校生らの成績を発表した。

数学の6人は金4、銀1、銅1のメダルを獲得。

生物学の4人は金1、銀3のメダルを得た。

メダルは成績上位者の一定割合ごとに配分され、数学の金は参加者560人の上位12分の1、

生物学の金は同239人の上位1割の者に授与された。

日本代表の成績は次の通り。

【数学】

金=早稲田高(東京)3年上苙隆宏さん(17)、筑波大付属駒場高(東京)3年隈部壮さん(17)、洛星高(京都)3年早川知志さん(18)、東海高(愛知)3年山本悠時さん(17)

▽銀=筑波大付属駒場高3年大場亮俊さん(18)

▽銅=開成高(東京)1年井上卓哉さん(16)



【生物学】

金=静岡県立浜松北高3年那須田桂さん(17)

▽銀=筑波大付属駒場高3年石田秀さん(17)、同2年今野直輝さん(16)、広島学院高3年蔵田展洋さん(18)。


◆記事2:開成中3年が金メダル=国際情報五輪、銀2銅1も(時事通信 2014/07/19-23:09)

文部科学省は19日、台湾で開かれた国際情報オリンピックに日本代表4人が参加し、

開成中学校(東京)3年の高谷悠太さん(15)が金メダルを獲得したと発表した。

開成高校1年伊佐碩恭さん(16)と灘高校(兵庫)3年小倉拳さん(18)が銀、

大阪府立茨木高校3年佐藤竜馬さん(17)が銅を獲得した。


◆記事3:物理五輪で4人が銀、1人が銅 日本代表の高校生(共同通信 2014/07/20 20:00)

文部科学省は20日、カザフスタンで開かれた国際物理オリンピックで、

日本の高校生4人が銀メダル、1人が銅メダルを獲得したと発表した。

銀メダルは、大阪星光学院高3年の親川晃一さん(18)、開成高(東京)3年の杉浦康仁さん(17)、県立岐阜北高3年の林達也さん(17)、県立宮崎西高3年の丸山義輝さん(17)。

銅メダルは、灘高(兵庫)2年の浜田一樹さん(16)。

参加した5人全員がメダルを獲得した。

国際物理オリンピックは1967年にポーランドで第1回大会が開かれ、今回は45回目。


◆コメント:毎年同じ事をいいますが、「良いことを小さく取り上げる」のはよくありません。

大変、おこがましいのですが、時事問題全般を扱っている一般人で、毎年、世界の高校生が参加する

国際科学五輪をブログで取り上げるのは、日本で私ぐらいではないか、と思います。


採点方法などを読みますと、スポーツの五輪のメダルとは授与基準が違いますが、日本人の高校生(中学生もいます)

は毎年、数学、生物学、情報、物理、化学、地理学、地学の科学五輪で、必ずメダルを獲得しますが、

殆どの日本人は知りません。紙の新聞ですと、社会面のベタ記事なのです。


これも毎年、書きます。世の中悪いことばかりが起きているように思えますが、

それは、ひとつには、

悪いニュースばかりを小さく取り上げ、良い(めでたい)ニュースを小さく取り上げるから、

だろうとおもいます。レッテル貼りの一種です。印象の問題です。探せば良いニュースも沢山あるはずです。

国際科学五輪は毎年、7月から9月にかけて開催され、教科ごとに開催地も日程も異なります。

今年の開催地とスケジュールは、
数学 南アフリカ 7月3日~13日

生物学 インドネシア 7月6日~13日

情報 台湾 7月13日~20日

物理学  カザフスタン 7月13日~21日

化学  ベトナム 7月20日~29日

地理  ポーラン 8月12日~18日

地学  スペイン 9月22日~28日

という次第。



物理学までで一区切りで、化学がおわるのが29日ですので、

一旦弊日記でも取り上げます。

スポーツの五輪より人々の関心が無いことなど分かりきっていますが、

大衆は安易にながれるのだから、本来ジャーナリズムは、それに迎合してはダメなのであって、

特に昨今、日本の学生の基礎学力が下がっているというなか、

毎年、大体同じ、優秀な子供が行く学校の生徒ではありますが、

兎にも角にも、絶対にメダルを獲る子がいると、それ以前に毎年参加するこどもがいる、

ということをベタ記事でしかとりあげないのは、間違っていると思います。

しかし、メディアが小さくしかとりあげないのは、我々にも責任があるのであって、

最近の子供はバカでこまる、とかいいながら「勉強五輪」でメダルを獲った子供を世の中が賞賛しようという

文化が醸成されていない。つまりおとなの無教育・無教養にも問題があるということでしょう。

とにもかくにも、メダルを獲得した学生諸君。

おめでとうございます。

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2014.03.01

「合理主義」だけでは、商売はうまくいかない。車の買い替えに際して思いました。

◆16年半ぶりにクルマを買い替えました。

「買い物自慢」では、ありません。

私は、1997年7月末に4年間駐在した英国・ロンドンから帰国しました。

持ち家なんかありませんし、帰国と同時に賃貸マンションを探すのは難しいので、

帰国者には、さすがに会社が配慮して、優先的に社宅に入居できます。


それは、たまたま、武蔵野市(最寄り駅はJR東日本中央線、三鷹駅)の社宅でした。

元来クルマはすきですし、子供もまだ幼かったし、多摩地区では特にクルマがあった方が便利なので

あれこれ検討して、結局、近所の日産の正規ディーラーから、

2500cc、6気筒の2代目「セフィーロ」(今はありません)を買いました。

それをこの度、さすがにあまりにも古いので、最近の日産のセダンに買い替えたのです。

再び日産車を購入した経緯を書きます。


◆同じメーカーでも販売店、担当者により、ものすごく印象が変わります。

最初の営業担当者はとても親切でしたが、やがてその人物が転勤になり、

2代目の担当者。この方は、日産武蔵村山工場(今はありません)で

働いていた、元来技術系の方ということで、営業(セールス)は初めてで、

大変そうでしたが、それだけに熱心で「誠意」を感じました。しかし、この方も転勤になりました。


その後からひどかった。

誤解を避けるため、書きますが日産の正規販売店「日産プリンス」全てが「ひどい」のではない。

営業担当者、個人の問題です。


3代目から、「若い奴」になりましたが、ここから急に仕事がいい加減になりはじめました。

3代目もやがて転勤。4代目に替わるとき、普通は新担当者を連れて挨拶に来るものですが、

電話で「自分は、こんど転勤になりました。新担当者は〇〇といいます」となんとそれで終わり。

4代目の〇〇の仕事ぶりはさらにデタラメで、ある年、車検を依頼して、車検自体は済みましたが、

ちょうど、私が夏休みで、クルマで旅行に出かける直前のタイミング。私は4代目担当者の××に、

「車検証が届いたら、直ぐに私の自宅に持って来てくれ」

と電話でたのみ、××も一見愛想良く「わかりました」といいますが、なかなか来ない。

早く出かけないと、旅行先のホテルに着くのが夜中になります。

業を煮やし、販売店長に電話したら、
××は営業の為外出しています。車検証は、ここ(販売店)にあります。

という。余りにもひどい仕事ぶり。次回は絶対に日産以外を買おう、とその時は思いました。


数年後、私は実家があった荻窪に色々話すと面倒くさいですが、等価交換という手段を用いて

マンションを建てて、その一室に引っ越しました(私はマンション全体の「大家」ではありません)。

クルマはそのままセフィーロです。


新しい日産の販売店の世話になることになりました。

その担当者が、今でも担当して下さってますが、実に素晴らしい。

これで一時期最悪になっていた私の「日産プリンス」へのイメージが、ガラリと

良い方に劇的に変化しました。

それはあたかも、「逆転サヨナラホームラン」のようなものです。


◆日頃の細かい仕事でも、誠意を持ってこなしてくれると、「恩義」を感じるものです。

ここ、杉並。自宅最寄りの日産プリンスに、今まで私はチマチマしたことばかり

依頼してました。車検だとか、少々キズが付いた、とか、サイドミラーの具合が悪いとか、

バッテリーが劣化したようだ、とか、近所の子供が石を放り上げて遊んでいるウチに、

間違って、私の車のリアウインドウを直撃し、丸ごと交換しなければいけない、など。

このような「手間ばかりかかって、大した儲けにならないこと」ですら、現担当者のSさんは、

常に変わらずに、イヤな顔を絶対にしないで誠実に対応してくださいました。


勿論、クルマの営業担当ですから、新車に買い替えて欲しいに決まっている。

何しろ、1997年のセフィーロですから、本来はとっくに買い替えるところ。

Sさんにも何度もすすめられていたのですがその都度、いろいろ言い訳して誤魔化して

買い替えませんでした。一つには、ウツになり、収入が減ったことも理由ですが、

まあ、それはいいません。

なんど、話を持ちかけても、なかなか買い替えると言わない私で、その間に「チマチマ仕事」は

頼むのですが、前述のとおり絶対に嫌な顔をしないでその度ごとに丁寧に、誠実に対応して

くださいました。

こういう風にされると、人間ですから、「恩義」を感じ「情」がうつります。


◆今日、新車を買う契約をしました。他社は考えもしませんでした。

今回、たまたま、資金繰りに余裕が生じ、

あまりにも古い今のクルマを買い替えることに決めましたが、

今までの、営業担当S氏の誠実な対応を忘れるはずがない。

彼以外から買うつもりは、全くありませんでした。他社との比較すらしなかった。

検討したのは、彼の販売店で扱っているクルマのどれにするか、ということだけです。


新しい車種を決めて、今日成約しました。自分では消費税云々は、間に合わなくても仕方が無い

と思っていたのですが、営業担当者は、今のうちに一台でも多く売りたい。当たり前です。

営業のS氏の大事な時期に、「車を買い替えたい」と申し出て、彼のアドヴァイスで買えて、

良かったです。クルマ一台買うとなると、販売店の店長まで挨拶に出て来て下さいます。

(話は、販売店でやりました)。


店長さんに、これまで細かいことまで、引き受けてくださったS氏の手柄にして下さいといいました。

言わなくても、当然かれの成績にカウントされるでしょうが、

誠実な仕事には、感謝し、彼の上司の前で彼の仕事ぶりの素晴らしさを強調したかった。


人間の行動がすべて「合理的な判断」で為されるもの、という考え方があるとしたら、

それは、違う。「合理的に」行動するならば、私は前述のように、他社も検討するはずです。

他のメーカーのディーラーをごっそり呼んで、値引き競争させたでしょう。


つまり、人間の行動はそういうものです。生きものですから、

数字(値段)だけで、行動は決まらない。

また、こういうチャンスこそ、相手を褒めるべきです。

今日、私は、営業担当S氏の上司に、今まで如何に彼が親切で、誠実で、丁寧な

仕事をしてくれたか、だからこそ、おたくで買うのだ、と強調しました。

僭越ですけど、本人も上司もイヤな気がするはずがない。優れた仕事は褒められるべきです。

商売。ひいては人間関係というのは、本来そうあるべきだ、とおもいます。

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2014.02.12

高梨沙羅選手がメダルを逃したというが、17歳で初めてオリンピックに出て4位だったんですよ?

◆記事:ジャンプ女子 高梨4位でメダル届かず(NHK 2月12日 4時06分)


ソチオリンピックから新たに採用されたスキー、ジャンプ女子ノーマルヒルで、

高梨沙羅選手は4位に終わり、メダル獲得はなりませんでした。

ジャンプ女子ノーマルヒルは、ソチオリンピックで初めて採用された種目で、

予選はなく、決勝の2回のジャンプの合計得点で順位が決まります。

高梨選手は1回目で100メートルを飛んで3位となり、逆転をかけて2回目に臨みました。

しかし、2回目は98メートル50と飛距離を伸ばせず、合計ポイント243.0で4位でした。

高梨選手は今シーズンワールドカップ13戦で10勝を挙げるなど、金メダルが期待されていましたが、

メダルを獲得することはできませんでした。


◆コメント:他人(ひと)の仕事を尊敬しろ。また「日本人の褒め下手」だ。


ネットを見てると、皆、勝手なことをかいていますねえ。曰く、

コメントから分かること。ハーフパイプでメダルリストとなった平田、平岡の共通点は緊張せず思い切ってやったこと。

浅田真央、高梨等実力が出せなかった選手の共通点は緊張、空気にのまれたこと。如何に楽しんでやれるかが勝負強さというもののような気がする。

そういうのを結果論というのです。高梨選手は僅か17歳で、しかも五輪に初めて出て、世界で4位になったと。

どうしてそれをまず、褒めないかな。


リラックスなんて、出来る訳がないじゃないですか。

夏季五輪ですが、あの天才。ロンドン五輪が始まる前から
金メダルは200%確実。陸上のボルトより、確実

とまで言われた体操の内村航平選手だって、はじめの団体戦では、まさかの鉄棒からの落下。

あん馬の着地失敗を見て、我々、驚きました。以前から色々な競技の選手が、口を揃えて、
オリンピックは普通の大会とは、全く違う。雰囲気に圧倒される。

という意味のことを言っています。

そういうことは、スポーツ記者は素人よりも当然しっているはずなのに、

17歳の女の子に「金メダル候補」のレッテルを貼り、プレッシャーをかけ、

4位だったら、「まさかのメダル無し」って「まさか」とはなんですか。


ベテランだって何が起きるか分からないのが、スポーツではありませんか。

私はむしろ、17歳の女の子が日本中からプレッシャーを掛けられて、ほんらいのジャンプができなくても、

なお、「世界4位」になった偉業を讃えたい。こういうときこそ、ポジティブに考えるべきです。

日本人は本当に他人を褒めるのが下手で揚げ足取りの天才です。


◆4位の凄さを実感するのは、簡単です。


あなた、何でもいいですが、世界ランキングで4位になれるもの、他人様に誇れる特技、ありますか?

ないでしょ?


世の中の大多数の人間は、何をやっても、世界ランキング100位にすら入れないのです。

高梨沙羅選手は、初めてのオリンピックでの4位を讃えられこそすれ、残念がられる筋合いはない。

むしろ、私は、高梨沙羅選手があの若さで、最初に出たオリンピックで金メダルを獲らなくて好運だったとおもいます。

今回獲ってしまったら、まだ17歳なんですから、4年後も8年後も五輪に出ることができて、その都度金メダルを

世間は、より一層露骨に期待します。

一度、金メダルを獲ったら、次はその上がない。現状維持(金メダル)か、下がる(銀・銅メダル。あるいはメダルなし)

しか、あり得ない。今回銅メダルの次の4位ということは、これから更に上昇する余地がある、ということです。


繰り返します。無責任に期待し、落胆するのは失礼だと思います。

我々は誰も、あのようなものすごい急勾配のジャンプ台から、長い距離を飛ぶことなどできないのです。

自分が出来ないことをわずか、生まれてから20年も経たない選手が世界の大舞台で成し遂げて、世界の4位になった。

他人の仕事は、まず賞賛し、尊敬するべきです。

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2013.11.03

「東北の悲願 楽天が初の日本一」←休みの日に私を「早起き」させた楽天。おめでとうございます。

◆記事:東北の悲願 楽天が初の日本一(NHK 11月3日 23時13分)

プロ野球の日本シリーズ第7戦は、楽天が3対0で巨人に勝って球団創設9年目で初めての日本一に輝きました。

両チーム3勝ずつで迎えた第7戦は3日夜、楽天の本拠地、仙台市のクリネックススタジアム宮城で行われました。

楽天は、2回までに2点を取って巨人の先発、杉内投手をマウンドから降ろすと、4回には2人目の澤村投手から9番の牧田選手がホームランを打ってリードを3点に広げました。

先発した3年目の美馬投手は、緩急をうまく使った投球で6回までヒット1本に抑え、

7回からは第1戦で先発し第5戦でもリリーフで5イニングを投げた

ルーキーの則本投手が2イニングを抑えました。

そして9回は、前日の第6戦で160球を投げて負け投手となったエースの田中将大投手がマウンドに上がり、

楽天ファンで埋まった球場の雰囲気は最高潮に達しました。

田中投手は、ランナー2人を出しましたが、最後のバッターを空振り三振に取って楽天が3対0で勝ち、

満員の本拠地のファンの前で星野仙一監督が胴上げされました。

楽天は球団創設9年目で初めての日本一で、

星野監督も監督として4回目の挑戦で初めて日本シリーズを制しました。


◆コメント:こういうのは、ゴタゴタとした理屈は要らないと思います。

私は、過去に何度もかいておりますが、多分、日本で私だけではないかと思いますが、

ブログの「独自カテゴリー」に「日本人の褒め下手」を設けております。


「日本人の褒め下手」について書く、多くの場合は、日本人はスポーツは良く知ってるが、

芸術のことは何も分からない。役者なんぞばかりが文化勲章だったりするのに、

ベルリン・フィルのコンマスを25年務め、ドイツ政府から勲章を授与されている安永徹さんに

文化勲章どころか紫綬褒章も授与されていないのは、間違っている、という文脈で、使います。


しかし、今回は星野仙一監督率いる東北楽天ゴールデンイーグルスの日本一を褒めないのは、

逆に不公平だと思います。

前書きがながくなりましたが、理屈は要らないのであります。

「『被災地の人々に夢と勇気』は聴き飽きた」という似非インテリがいることでしょうが、

実際に喜んでるんだから、いいじゃないすか?

そういうことは、あるのです。

ものすごく古い話になりますが、戦後まもなく、日本人が「敗戦国」となりひじょうに惨めな気分でいた頃、

その頃を私は、直接知りませんが、とにかく当時、湯川秀樹博士のノーベル物理学賞と、

「フジヤマのトビウオ」、こと水泳の古橋廣之進選手の世界一記録(五輪には敗戦国なので出られませんでした)が

日本人を大いに鼓舞したのは、有名な「歴史的事実」です。


今回も同じことだとおもいます。被災地以外の(今のところ)安全地帯に住む人間が、
野球で日本一になったからといって、復興が進むわけでも放射能が消えるわけでもなかろう。

としたり顔で屁理屈をこね回すべきではありません。

楽天が出来たのは2004年で、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で、楽天という球団の新規参入が認可されたのだそうで、

星野監督は、その記念すべき日に優勝出来なかったのは残念、という意味のことをいってましたが、

まあ、いいじゃないですか。

星野監督は過去三度日本シリーズで、日本一を逃し、漸く、昨日優勝したことを訊かれて
「私の事なんか、どうでもいいけど」

といってましたが、泣いてましたね。星野さんが怒るところは何度見たことかわかりませんが、

あんなに泣いた星野監督を見ると、こちらまでなけてきます。


◆久しぶりに「野球」に関心を持ちました。

私がロンドン駐在中、16年前に72歳で死んだ父は、生前無類の野球好きでした。

息子の私が言うのもなんですが、かなりの教養人でもある父でしたが、結局この世で一番好きだったのは

野球だったのではないか、と思います。父がテレビで野球ばかり見るので、

私は自分が見たいテレビ番組を見ることができず(昔はテレビは一家に一台でした)、

そのせいで、野球を恨んだこともありますが、門前の小僧、で親父に付き合って見ていたので、

実は、ひととおり、野球のことはわかります。但し、この目で「本物」の

「3番・ファースト・王」「4番・サード・長嶋」を「後楽園球場」(現・東京ドーム)で要するにV9時代の

巨人をこの目で見た人間ですから、その頃に比べるとなんだか、最近の野球というのは「普通の人」野球みたいな

気がして、はっきり言って球団名もましてや、楽天のメンバーなんか、昨年まで全然知りませんでした。


今シーズンは、何故か知りませんが意外に野球好きの家内が、田中というものすごいピッチャーがいることを

話すので、興味を持ち始め、田中将大投手がなんとあの「神様仏様稲尾様」の稲尾投手の連勝記録を更新したという

あたりから急激に、その興味が強まりました。今年、数十年ぶりに野球に関心が向いたのは好運でした。


◆田中投手はあたかも「昔のピッチャー」のようです。

日本シリーズの放送中に各局持ち回りで中継していて、何戦目でしたか、

元・広島の衣笠氏が「すごい選手ですね。なんだか昔のピッチャーみたいですね」といっていました。

全くそのとおりで、ああいう、物凄いガタイと馬力と精神力と、勝負師の目をした、

「こんちくしょう」という闘志剥き出しのピッチャーは、まさに星野さんの現役の頃には、

むしろそれが普通だった、昔のピッチャーです。


シーズン中無敗だったのに、よりによって、日本シリーズ第6戦で今シーズン初めて負けて、

悔しくて、眠れなかったに違いない。メディアが散々かいたり、言ったりしてますが、160球投げた翌日に

投げるということは常識を逸脱してますが、田中投手は一昨日負けたときから、昨日の最終戦でも投げるつもりでいた

といいます。あのままでは、終われなかったのでしょう。そういう気持ちは同じピッチャーの星野監督が

一番わかるのでしょう。私は「分かる」などという僭越なことは言えません。


◆私が3連休最終日に早起きしてスポーツ新聞を買いに行くのは、空前のことです。

昨夜は、かなり興奮しまして、3時頃まで起きていて、今朝も比較的早く目が覚めましたが、

それは、今日ばかりは、いつもバカにして、殆ど絶対に買わないスポーツ紙全紙をコンビニに買いに行くためでした。

休みの日は、昼まで寝るのが普通の私としては、ものすごく例外的なことです。

そこまで、久々に野球に熱中させてくれた、星野監督と楽天の選手の面々。

そして、負けたけれども、相手の勝利をたたえた巨人軍の原監督のフェアな態度に

お祝いとお礼を申しあげます。

素晴らしい試合を、ありがとうございました。数十年ぶりに野球の楽しさを思い出しました。



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