カテゴリー「職業」の記事

2013.11.12

11回目です。24年前(1989年)の11月13日、日本で初めての生体肝移植が行われました。

◆毎年、同じことを書き写していますが、忘れてはいけない事だと思います。

今では、脳死肝移植が行われても、さほどの大ニュースとして扱われなくなり、

勿論、脳死したドナーの方はお気の毒なのですが、むしろ移植は「普通の事」になりました。

しかし、それは、比較的最近のことです。

日本では長い間、臓器移植は「タブ-」でした。その禁を破ったのが、

当時の島根医科大学(現在の島根大学医学部)第二外科、当時助教授だった、

永末直文先生です。永末先生が映画「孤高のメス」の当麻医師のモデルです。

今、日本で臓器提供意思表示欄が、運転免許証や健康保険証にまで、

(臓器を提供するかしないかは勿論任意ですが)印刷されるようになりました。

全て、永末先生の職を賭しての「決断」のお陰です。


◆そもそもの始まり。

移植手術の患者は、生後間もない杉本裕弥ちゃんでした。生後1ヶ月検診で黄疸がある、と言われました。

山口県玖珂郡和木町、岩国市のすぐ北、広島との県境で開業していた木村直躬医師に、

裕弥ちゃんのおばあさんが、そのことを告げました。1988(昭和63)年12月のことです。

木村先生はエコー(超音波)で、ただちに、杉本裕弥ちゃんが、先天性胆道閉鎖症という病気である、と診断しました。

先天性胆道閉鎖症とは、生まれつき胆汁が流れ出る道がふさがっていて、胆汁が肝臓へ流れていかないので、

黄疸が段々強くなり、しまいには、肝硬変で死に至る病です。


◆杉本裕弥ちゃんは、移植以前に、胆道閉鎖症の専門家による手術をうけましたが、上手く行きませんでした。

この世に生を受けて間もない赤ん坊が、

可哀想なことに、何度も手術を受ける運命にあったのです。

木村先生の紹介で、地元山口県の国立岩國病院の小児外科により、胆管を何とか開く手術が行われました。

1度では上手く行かず、2度目の手術も失敗でした。

岩國病院の担当医から、木村先生(最初に裕弥ちゃんを診察した開業医の先生)の元に、手紙が来て、

「この子の予後はホープレス(望みがない)」とのことでした。残酷な宣告です。

それでも、裕弥ちゃんの家族は諦めませんでした。

木村先生に、何とか手段は無いか、と聞きました。先生は肝移植以外に道はない。といいました。

日本では、移植手術はタブーとされていました。

1968年札幌医大で行われた日本初の心臓移植手術の失敗が、その背景にありますが、その説明は省きます。

日本木村先生はオーストラリアの病院に問い合わせましたが、オーストラリアの病院は

「生体肝移植は難しくて無理だ。」という、つれない返事をよこしてきました。

しかし、木村先生も諦めませんでした。


◆木村先生は、「移植手術を頼むなら、島根医大の永末先生しかない」と考えました。

木村先生の頭に浮かんだのは、九州大学医学部の後輩で、広島赤十字病院で同僚だった永末直文医師でした。

木村先生は内科、永末先生は外科ですが、肝臓を専門とすることで共通していました。

木村先生がエコーで肝臓ガンを診断し、永末先生が切除可能な肝ガンの手術を6年間で200例も手がけていました。

木村先生は「生体肝移植を頼むなら、(島根医大に移った)永末君しかいない」と思いました。

永末先生は、最初あまり乗り気ではなく、オーストラリアの病院で手術を受けることを進めました。

これは、前述の通り当時の日本の医学界で「移植」という言葉はタブーだったのです。

このタブーを破った医師は、医師生命を絶たれる危険がありました。ですから、最初に永末先生が積極的ではなかったことも、

無理からぬことだったと言って良いでしょう。

ところが、木村先生は諦めませんでした。講演のため、広島に来た永末先生に会い、

とにかく裕弥ちゃんの診察だけでもしてくれ、と、頼みました。永末先生は引き受けました。

永末医師が初めて診る裕弥ちゃんは、黄疸が強く出ていて、溜まった腹水でおなかがパンパンに膨れて、静脈が浮き出ていました。

既に食道静脈瘤が出来ている可能性があり、これでは、いつ吐血してもおかしくない。

吐血しなくてもあと1ヶ月ほどの命、と永末先生は思いました。まだ、生後一年経っていない赤ん坊が肝硬変です。残酷な現実でした。

裕弥ちゃんの体力が移植手術に耐えられるか、五分五分だと考えました。


◆永末先生は裕弥ちゃんの家族にありのままを話しました。

永末医師は家族に客観的事実を説明しました。それは、


  • 正確なことは精密検査をしないと分からないが、移植手術は出来そうなこと。

  • 但し、島根医大の永末医師のグループでは生体肝移植の経験がないので、上手くいくかどうか保証できないこと。

  • 手術まで持ち込めても、裕弥ちゃんの全身状態があまりにも悪いので、手術に持ちこたえられずに亡くなる可能性も高いこと、


という内容でした。決して楽観出来る話ではありません。しかし、家族は必死でした。

永末医師は特に裕弥ちゃんの祖父政雄さんの言葉を強く覚えています。
このまま裕弥を死なせたら悔いが残ります。明弘(引用者注:裕弥ちゃんの父)の命に別状がないのなら、結果は問いません。是非手術をして下さい。

そして、政雄さんは、裕弥ちゃんの両親に言いました。
「明弘、寿美子さん。お前たちが両親なんだから、お前たちからはっきりお願いしなさい」

15秒ほどの沈黙の後、それまで寡黙だった明弘さん(裕弥ちゃんの父)が永末医師を正面から見つめ、言いました。
「お願いします」

その言葉に永末先生の気持ちが動きました。

「この人達は裕弥ちゃんを助けようと必死になっている。移植手術未経験だというのに、頼むという。

ここで失敗を恐れて背を向けたら、医師として最も大事なものを失ってしまう」と思ったのです。


◆永末先生は、島根医大第二外科全員に「この手術を断るぐらいなら、明日から肝移植の研究など止めてしまおう」と言いました。

永末先生の気持ちは固まりました。

当時永末先生は助教授でしたから、第二外科の部長中村教授の了解も取り付けました。

自分の研究室に戻った永末先生は、肝臓グループの医師たちに、裕弥ちゃんの生体肝移植を引き受けることにした、と言いました。

医師達は全員無言になりました。

「日本で初めての生体肝移植」であることに加え、裕弥ちゃんの症状が悪すぎる、と専門医たちは誰もが思ったのです。

スタッフが躊躇っているのを見て、永末先生は、言いました。

「我々は『肝移植』を標榜している。

赤ちゃんは死にかけている。家族は結果は問わないからやってくれという。責任は全て私が取る。

目の前の赤ちゃんを救えないような研究なら意味は無い。もしこの移植を拒むなら、明日から移植の研究など止めてしまおう。」

第二外科の河野講師(当時)はこの言葉を聞いて、身体が震えたといいます。皆同じ心境だったことでしょう。


◆中村教授は「永末君、君は全てを失うかも知れない、本当にそれでいいのか?」と心配しました。

手術を行うことが決まってから、永末先生は、中村教授の部屋で何度も話し合いました。

中村先生は、心配していました。

「永末君。僕はもう13年もここの教授をしていて思い残すことはない。福岡へ帰れば済む。

しかし、君はこの手術で全てを失うかも知れない。僕はそれがいちばん心配だ。本当に君はそうなってもかまわないのか」

その都度、永末先生は答えました。
「先生。大丈夫です。誰かがやらなければならないことを、私たちがやるだけです。これで弾劾されたら、福岡へ帰って開業します」

この言葉は、決断―生体肝移植の軌跡という本(是非、読んでいただきたい)で永末先生自身が書いている言葉です。

しかし、本当はもっと悲痛な覚悟でした。

後年、NHKの「プロジェクトX」に出たとき、永末先生は、医師を辞めることさえ覚悟していた、と話しました。

「私は英語が得意なので、学習塾の英語の先生をすれば、食べていけると思ったのです」

淡々と語る永末先生を見て、私は心の底から、永末先生を尊敬しました。

これほど立派な医師を見たことがありません。

裕弥ちゃんの移植手術そのものは成功しましたが、その後、ありとあらゆる合併症が起きました。

そして、手術から285日後、1990(平成2)年8月24日、午前2時32分、亡くなりました。1歳9ヶ月の生涯でした。

家族は、手術とその後の肝臓チームのすさまじい努力、裕弥ちゃんを救おうとする苦労を目の当たりにしていたので、

チーム全員に丁重にお礼をいいました。後年、裕弥ちゃんの弟が生まれました。

母親の寿美子さんは、永末直文医師の「直」と裕弥ちゃんの「弥」をとり、「直弥」と名付けました。

島根医大第二外科が初めての生体肝移植をしたのを見届けるように、その後、京大、信州大が、数多くの生体肝移植を成功させました。

それはそれで、良いことです。

しかし、何と云っても、「最初にやる」ことを決断する勇気と覚悟は、2番目以降とは比べものになりません。

島根医大第二外科の英断と死にものぐるいの努力がなければ、こうした道は今も開けていなかったでしょう。

島根医大は、今は島根大学医学部になってしまいましたが、それはこの歴史的事実の価値に比べればどうでも良い。

永末先生とそのチームの偉業は、日本の医療の歴史に永遠に刻まれるでしょう。

永末先生が中心となり、当時の移植チームのメンバーが、思いを綴った本、決断―生体肝移植の軌跡を是非、読んで下さい。

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2013.05.10

「村松増美氏死去=アポロ月面着陸で同時通訳」←村松先生。お世話になりました。ありがとうございました。

◆記事:村松増美氏死去=アポロ月面着陸で同時通訳(時事通信 5月9日(木)16時42分配信)

アポロ月面着陸の中継で、同時通訳として活躍した元サイマル・インターナショナル社長、村松増美(むらまつ・ますみ)氏が

3月3日に死去していたことが9日、分かった。82歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。

日英同時通訳の草分け的な存在で「ミスター同時通訳」と呼ばれた。

1965年に国際会議の通訳者集団サイマル・インターナショナルの創設に参加。社長、会長、顧問を歴任した。

69年の米宇宙船アポロ11号の月面着陸の際には、宇宙飛行士の言葉を訳してお茶の間に届けた。

主要国首脳会議(サミット)でも、75年の第1回から数回にわたり通訳を務めた。 


◆コメント:キッシンジャー元・米国務長官が「私より英語が上手い」と言いました。

先日、亡くなったサッチャー英首相とか、フォード米大統領、シュミット旧西独首相、ジスカール・デスタン仏大統領など、

1980年代に始まった年に一度のサミットでは、必ず、村松増美さんが担当したので、みな村松さんを覚えていたそうです。

キッシンジャー元・米国務長官は村松さんを評して「私よりも英語が上手い」と言ったほどだそうです。


記事では、アポロ11号の月面着陸を挙げていますが、多分、書いている記者は若くて知らないのだと思います。

村松先生や、國弘正雄先生や、小松達也先生も通訳しましたが、あれは何といっても一番印象にのこっているのは、

6年前に95歳で亡くなった、西山千(にしやま せん)さんでした。

西山先生が亡くなったときに、私が書いた文章がこれです。

2007.07.13 「アポロ通訳『こちらヒューストン』西山千さん死去95歳」←日本人に初めて「同時通訳(者)」を知らしめた方です。

↑をお読み頂くと分かりますが、アポロ11号の月面着陸それ自体と同じぐらい、

日本人は、「同時通訳」という技術の存在。「同時通訳者」の存在を知り驚嘆したのです。

あまりに驚嘆したので、西山先生は後日、バスに乗っていて、全く知らないご婦人から、

「御礼」を言われた、という、美しいエピソードが載っているので、是非、リンク先の記事をお読み下さい。


◆村松先生の「プロ意識」。

今日の記事のタイトルに「お世話になりました」とかきましたが、

私は直接、村松増美先生と面識はありません。勿論、通訳術を師事したのでもありません。

これから、説明します。


私は、30年ぐらい前に、何処かの新聞社が主催した、西山千、村松増美、小松達也の3先生の講演を

聴いたことがあります。

興味深いお話は無数にありましたが、一番鮮明に覚えているのは、村松先生が

「プロのプロたる所以(ゆえん)」(という言葉は使われませんでしたが)について、

常に強い意識をもっておられることを物語る、お話でした。


同時通訳といっても、最初から同時通訳をするのではなくて、通訳の基本は、逐次通訳。

原発言者が、一区切り話したところで停止し、その部分を通訳者が訳す形式です

それについて、本当は他にも色々面白いお話があったのですが、また、別の機会に。

私が一番鮮明に記憶しているのは、

逐次通訳をしていると、欧米人はしばしば、真面目なスピーチの間にジョークを織り込む。

こういうとき、可笑しくて思わず笑いそうになるが、それはしてはならない。

それは、聴衆、即ち一般の日本人に対して、
あなた方、今、この人が言ったジョークがわからないでしょう?私は分かりました。

さあ、それでは、英語のが苦手なあなた方のために、英語のプロの私が翻訳してあげますよ。

という態度だ。プロは上手くて(分かって)当たり前なのだ。一般の人を見下しているような誤解を生ずる

態度をとるべきではない。

という村松先生の言葉でした。プロがアマに向かって

「こんなことも知らないのですか?どうしてそんなに下手クソなんですか?」という態度は微塵も見せてはならない。

プロは上手くて、当たり前だ、という強烈な自負心が、まだ大学生だった私にもよく分かり、感銘を受けました。

村松増美先生のお陰様で、フリードマンの講演をはじめ、枚挙に暇がないほど、

自分では分からない、英語の知性に触れることができました。

普通ならば、「ご冥福をお祈り申しあげます」で締めくくるところですが、

私は、西山千先生に御礼を言ったご婦人を見習います。

「村松先生、ありがとうございました」

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2013.05.06

【連休明け】ウォームアップとクールダウン。

◆何故、休み明けがこれほど憂鬱なのか?

先日から、一般的な「仕事」関係の記事を二度、書いております。

2013.03.25 あと一週間で社会人という方が多いと思います。

2013.05.01 メディアが「五月病」と言い始める時期ですね。

両方とも「仕事というものは、凡そ面白くも楽しくもない」「憂鬱になるのは当然だ」という事をかいてます。

私は社会人になって30年目ですが、今だに会社も仕事も嫌いです。

今日で、ゴールデンウィークが終わるのですから、愉快な訳がありませんが、それで当たり前だと開き直る

という知恵はつきました。


それにしても、これほど長い間勤め人をやっていても、何故これほどまでに憂鬱なのか、考えると、

勿論、私自身の怠惰な性格(GWは、殆どずっと寝てました)にも起因するでしょうが、

日本人の「強迫的(脅迫ではありません)な生真面目さ」も一因ではないか、ということです。

強迫的とは読んで字の如し。「強く」「迫る」。「こうなければならない」と自分に言い聞かせる傾向のことです。


◆ウォーミングアップなしの全力疾走。

これは、私の務め先が特別なのか、一般的な傾向なのか確信がないのですけれども、

私の会社では、今は「現場」ではないので、さほどではありませんが、現場、即ち営業活動の最前線では、

月曜日の朝8時から「打ち合わせ」が始まり、今週の営業(セールス)目標を営業担当者が1人ずつ「具体的に」

即ち、Aさんでいくら、B社でこれだけの契約を取る予定だ、というような発表をします。言ったからには、

一週間後にはその実績の報告をするわけです。


それだけが打ち合わせの議題ではないのですが、月曜日の朝は、はっきり言って、皆、面倒くさくて憂鬱で

あまり、機嫌が良くないのです。

それでも、このような打ち合わせを月曜日の朝一番から「やらなければならない」と思い込むのが、

「日本人の強迫的勤勉性」だと思うのです。

こういうことをするから、月曜の朝の鉄道の人身事故が絶えないのではないかとすら思います。


ロンドン駐在員だった頃、イギリス人の行動を見ていて気がつきましたが、「月曜日の朝はかったるいものだ」

という気分を、そのまま自然に共有しているので、いきなり働き始めるというよりも「週末はどうだった」の類の

雑談から始まります。これがウォーミングアップになって、「さて、面倒くさいけれど、仕方が無いから働くか」

という雰囲気に徐々に変化します。

これに比べると日本人の社会は、いきなりウォーミングアップなしで、100メートルを全力疾走しているように見えます。


◆クールダウンするべきときに、「もう一仕事」。

これも日本特有ではないかと思うのです。

前段同様、イギリス人と比較します。

彼らは、金曜日の午後になると、既に半分週末モードです。休みはどうする?なんて話をしていて、

日本人にとっては、普通のことですが、「金曜日の夕方の会議」など、大袈裟にいうと、

イギリス人には「正気の沙汰とは思えない」のです。つまり、彼らにとっては金曜日の午後は、一週間のクールダウン時間に相当する。


これに対して、日本人は「月曜の朝から金曜日の退社まで、全力で働くことが勤勉(=美徳)」という意識があるようです。

官公庁の通達や、会社内の本部からの指示事項、通達などもまた、ほとんど「意識的に」金曜の夕方から夜に集中するのです。

こういうことをすると、その時間からどうしようもないので、何らかの課題、「宿題」を出され、なんとなくすっきりしない気分のまま

週末になります。

これもまた、月曜の朝と同じように、日本人を必要以上に憂鬱にさせる一因となっているように思います。


◆結論:会議は火曜日。金曜の午後には通達を出さない。

スポーツと同様、仕事においても、というか、肉体と同様に精神にも「ウォーミングアップ」と「クールダウン」が必要だ、

というのが、私の結論です。

月曜日は「ならし」の日ということにし、ダラダラ働けということではありませんが、

いきなり全力疾走しない。少し調子が出てきた火曜日の朝に「打ち合わせ」を行うと、だいぶ雰囲気が違うと思います。

そして、週末の午後。これもどうせ日本人は、ほうっておいても真面目に働いてしまうのですから、

そこに「これでもか」とばかり懸案事項を追加するような「通達」は、役所も会社も出さない。クールダウンに当てる。

これによって、少しは気分にゆとりが生まれ、それでも日曜の夜や月曜日の朝が憂鬱でなくなる、ということは、

少なくとも、怠惰な私の場合は、永遠にないでしょうが、今よりは若干、マシになると思います。

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2013.04.04

新社会人のみなさんへ。「失敗」はして構いませんが、記録しておくと良いです。

◆まだ3日目ですが。

新社会人といっても、会社によって様々です。

4月1日に入社式があり、その後すぐに辞令を交付されて1日のうちに、

或いは昨日か、今日から、働いている、という方が多いでしょうが、

私の会社では、新人研修といって、4月1日から一ヶ月間、会社の独身寮で寝起きして、

毎朝、研修所まで「通勤」するというシステムでした。

本当の配属店は、従って、1ヶ月の研修の後、4月の末に辞令が交付され、

本当に配属店にはゴールデン・ウィーク明けに出向くのです。


既に現場で働いている人も、研修中の人も、これから段々辛くなるでしょうし、

失敗して、注意されて落ちこむ事もあるでしょう。


しかし、それは、皆経験することです。

凡そ「仕事」というのは辛いものです。ですから辛いと感じるあなたが弱いのではありません。


◆月並みと思うかもしれませんが、基本は挨拶です。

このごろの若い人は、そういう躾けを受けないのか、挨拶が上手くできない。

つまり「なんと言えば良いのか分からない」或いは

「はっきり発音しないから、年長者は挨拶されていることも分からない」など、枚挙に暇がありません。


会社や上司、先輩たちは、わるいけれど、新人さんが「役に立つ」とは思っておりません。

正確に書くと、役に立つことを期待していない、ということです。


新人の皆さんにとって大切なのは「新人が入ってきた」ことを周囲に認識させることです。


長年、務めてるオッサン、オバサンは、疲れてるので無愛想なひとが多いものですが、

そういう人にも毎朝挨拶します。

元気が良い方がこのましいけれど、あまり大声だと鬱陶しがられますから、

適度な音量で、しかし、はっきりと「おはようございます」「お先に失礼致します」

といいます。目上の人が先に帰る場合は「お疲れ様でした」です。

けっして「ご苦労様です」といってはいけません、それは目上が下に向けて発する言葉です。

職場のありとあらゆる人は無理かも知れませんが、できるだけ多くの人に、

「感じの良い新人だ」と思われた方が、後々得です。掃除の人にも警備員さんにも、

出入り業者さんにも、時と場合に応じて「おはようございます」「お疲れ様です」を

励行します。これはポイントです。

また細い通路や、机と机の間の細い空間。一度に二人通れないような

場所で、上司や先輩が向こうから来たら、新人の貴方は、道を譲るのが礼儀です。

当たり前のことなのですが、出来ない若い衆が最近多いので、

注意される前から、これが出来たら、それだけで好印象になります。

何も、お世辞を使えとか権力者に取り入れ、というような姑息なことではない。

あなたが職場で一番経験が浅い。周囲の全ての人は既に最も短くても既に1年間

学生とは全く異次元の「社会人」を経験している。あらゆる人が「師」になりうる。

だから、好感を持たれることが肝心で、そのためには、とにかく挨拶です。


◆「失敗日記」を書くといいです。

箇条書きで良いので日記を書いて下さい。

普通は、その日に起きた「良い事」を書きたくなるでしょう。

それはそれで構いません。会社で教わったことはその場でメモに殴り書きして

家で清書します。会社でメモしてるヒマがなかったら、ICレコーダーを活用する方法もあります。


それ以外に重要なのは「失敗日記」です。新人は何しろ「仕事」をするのが初めてですから

(アルバイトと正社員では、行為の重みが違います)、失敗するのが当たり前です。

自分の側から「新人は失敗しても構いませんよね?」という態度を見せてはいけませんが、

失敗はして構いません。それで怒られるのも「仕事」ですから、当たり前です。

失敗するのは「兎にも角にも仕事をしている」証拠です。全く何も失敗の報告がない新人を

私達はむしろ、警戒します。仕事をするフリをして、実は全然仕事をしていないか(何もしなければ、

失敗もしません)又は、実は結構まずいことをしでかしているのに、上の人に報告していないかも

知れないからです。

失敗したときというのは、注意されて恥ずかしいですが、それだけに骨身に沁みます。

それが社会人としての「修業」です。その辛さに耐えるから給料が貰えるのです。

1度やった失敗を2度とするな、とまでは(私は)言いませんが、3回も4回も同じ失敗をすると

さすがに周囲の人が「あれ?こいつ、アホ?」と思います。

そうならないためには、思い出すのが嫌でしょうが、最初に失敗したときに、失敗の内容、

失敗したときの状況、考え得る原因(単なる無知、注意散漫、急ぎすぎ、等々)

正しい仕事の段取り、上司・先輩に言われたことなどを詳細に記録します。そうすると

かなりはっきりと、記憶に定着します。それが大事です。続けているうちに、

今度の新人は、一度言われたことは必ず完璧に覚えてくる。なかなか、できるな。

という評価になります。評価目当てではありませんが、人間はやはり他人に褒められた方がうれしいものです。

それでもどうしようもないほど忙しく、派手な失敗をすることもあるでしょうが、それもまた、

殆ど全ての先輩が経験していることです。それで落ちこむのはあなたが気が弱いとか、根性がないからではなく、

真面目に仕事をしよう、としている証拠です。最初からいい加減な奴はいくら失敗しても怒られても堪えないのです。

本当に辛かったら、一人の時に泣いてもいいでしょう(職場では、はっきり言ってみっともないから我慢しましょう)。

仕事というのは辛いものですね。私は4月1日で、勤め人になって満29年ですが、いまだに辛いです。

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2013.03.25

あと一週間で社会人という方が多いと思います。

◆不安で当然だと思います。

人それぞれ性格が違いますから、不安を感じないという方もいらっしゃるでしょうが、

どちらかというと、不安な方のほうが多いのではないか、と思います。それはごく自然なことです。

今までは、資金源が親御さんだったり、自分だったりの違いはありますが、

学校は、おカネを払って、ものを教えて貰うところですが、

会社は、働いておカネを貰うところです。今までよりも大変に決まっています。

どんな仕事でも最初からバリバリと華やかなことをやらせては貰えない。


ごく例外的な場合を除いては、下積みからはじまります。


これは辛いのです。脅かすつもりはありません。辛くて当たり前だ、と申しあげているのです。

後述しますが、そういう感情は非常に自然なものですので、敢えて否定することはありません。


◆仕事というのは、「面白い」ものではありません。

本屋には、「自己啓発書」というようなコーナーがあります。

言い方は悪いけれども、こういうのは、要するに個人を組織にとって使い易い人間にするための本です。

入社式では、エラい人が入れ替わり立ち替わり出て来て、やれ、適性は自分で作るものだ、とか

辛いなと思った時は、自分が飛躍するチャンスだ、とかなんとか色々いいますが

まあ、そんなに真面目に聞かなくても良いと思います。実務上具体的なことを言ってくれる場合は

きいておいたほうがいい。悪いことほど早く報告しろ、などというのはその典型でして、

失敗したときに自分でナントカしようと。怒られるのが怖いから言わないでおこうというのは

これは一番不味い。しかし、私はそういう「アリガタイ」話をするつもりじゃないのです。


仕事というのは辛くて面白くないのが当たり前だ。ということです。

サラリーマンではなくて、音楽家とか役者とか漫画家とか「自分の好きな事」を仕事にした人だって、

仕事となったら、好きな事ばかりはできません。音楽は趣味ならすきな曲ばかり演奏して

間違っても笑っていればいいのですが、仕事になったら、どんなにつまらないと思われるしかも

思い切り難しい曲だって、プロなんですから、キチンと弾けて当たり前、といわれます。


サラリーマンの場合は特に総合職という立場は、ハンコ一つ(辞令)で何でもやらなければなりません。

たまたま、自分と相性が良い仕事に就くこともありましょうが、数年で異動を繰り返すのが、サラリーマンです。


つまり、構造的に仕事というのは大変で、面白くない、苦しいものだ、と思います。

作家の伊集院静さんのエッセイによく書いてあります。

「私は、仕事が面白いと思ったことなど、一度も無い。面白かったら、それは仕事ではない」

全く同感です。

その意味で「プラス思考のすすめ」の類はあまり本気にしないほうがいいです。

面白くないな、と思っていても一生懸命仕事をすることはできます。それは

「仕事はつまらないものだが、それを耐えるからメシが食えるのだ」と割り切るからです。

割り切らないで、「自分は仕事が好きだ」と自分に言い聞かせよう、などということがかいてある本や

善意で言う先輩上司が出てくる可能性があります。本は読まなければいいですが、

相手が人間だったら、「いや、それは違うと思います」といってしまうと相手の気分を害するかも知れないので

「なるほど」といっておけばいい。

本当に好きで楽しいなら、それはそれでもちろんいいですよ?

しかし、前述のとおり、まずそういう好運には巡り会わないのです。

つまらないとおもっていることを無理に「楽しい」とか「好きだ」と

思い込もうとすることは、自己欺瞞、つまり「うそ」なのですからいつか破綻します。

私はあと一週間で社会人になって29年経ちます。

今でも月曜の朝が来ると思うと日曜の晩は憂鬱です。しかし、その気持ちを否定しなくてもいいのだ、

と割り切ることができるようになってから、ずいぶんと気が楽になりました。


前向きな気持ちで張り切っていた方。こんな文章で何だか鼻白んでしまったかもしれませんね。

そうでしたらお詫びします。ただ、こういう考え方がある、ということを覚えておくときっと

役に立つとおもうのです。

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2012.08.14

誰も「全て」を手に入れることは、できません。

◆皆、何かを得て、何かを犠牲にしている。

仕事だけでは、なくて、人間の営みのあらゆる事に当てはまると思うのですが、

一人の人間が全てを手に入れることは、できない仕組みになっているように思います。

何十年も前に、「お見合い」を何度か、経験しました。


あるとき、私は音楽が好きですから、そういう職業の女性を紹介して欲しいと、頼んでおいたら、

芸大のヴァイオリン科を卒業し、しかし、どこのオーケストラにも所属しない、フリーの方と

会いました。


弊日記・ブログを長年御愛読下さっている方は、覚えてくださっているかもしれませんが、

私は、子供の頃、漠然と「プロのトランペット奏者になりたい」と思っていた時期があります。

それは、本当に「夢」の域を出ませんでした。きちんとプロの先生のレッスンを受けましたが、

間もなく私には、趣味で楽しむ程度ならともかく、ラッパを吹いてメシを食う才能も、

また、絶対にそうなりたい、と頑張る根性もないことがわかりました。


私は普通に大学の法学部を出て、ある程度の規模の会社に入社し、サラリーマンになりました。

サラリーマン、しかも私のように文系を出た人間で最も多い「総合職」という立場は、

要するに「広く浅く」「何でも屋」であり、会社の辞令に対してハンコ一つで、何処へでも行って、

どんな仕事でもしなければなりません。

その結果、偶然、自分と相性の良い仕事に就くこともありますが、数年で異動となります。

皆、同じです。ですからサラリーマン人生をずっと「好きな仕事」をして過ごすことは、

原理的、確率的に殆ど期待できません。

しかし、つまらない仕事でも我慢をして毎日務めていれば、最近は景気が悪くリストラなどという

非人道的な事が平然と行われるようになりましたが、私の頃は原則的によほど不祥事とか大失敗でも

しない限り首になることはない。仕事の楽しさをあきらめ、「安定」を手に入れます。


たまに、私が子供の頃から大好きな「オーケストラ・コンサート」に行くと、

音楽家の皆さんは、美しい音楽を演奏し、ステージで聴衆から拍手や、しばしば「ブラボー」の

称讃を受けます。羨ましいと思いました。


お見合いの話に戻ります。

フリー・ヴァイオリニストの女性にそういう話をしたら、

彼女は逆に「私は、会社員って、とても憧れるのです」といいました。

心底驚きました。こんなつまらない仕事の何に「憧れる」のか?

私をからかっているのか?と思いましたが、そうではありません。

当時はまだ私も若く、(お見合いをするぐらいですから)独身で、

何も世の中というか、人生が分かっていなかった。


音楽家は確かに好きな曲を弾いているときは楽しい。拍手を受ければ誇らしいでしょう。

しかし、プロの音楽家なのですから、どんなプログラム(曲目)であっても、弾けて当たり前。

素人の道楽ではない。「難しいから弾けません」といっていたら、首になるか、彼女のようなフリーだったら

仕事が来なくなります「使えない奴だ」という評判が立ったらおしまいなのです。

上手くて当たり前なのです。間違えないのがあたりまえなんです。

自分が嫌いな曲だって、練習しなければならないのです。

しかも、ヴァイオリニスト。指をクルマのドアに挟んだら終わりです。

将来の保証などどこにもありません。ボーナスも退職金もありません。

彼女は「安定した仕事って、本当に羨ましいのです」といいました。

それは皮肉では無い。心の底からそう思っていたのです。この年になると分かります。


前述しましたが、仕事ばかりではありません。

世の中、一人の人間が、同時に全てを手にいれることはできない。

皆が何かを得る代償に、何かを犠牲にしています。結局全体としては、プラスマイナス、ゼロ、

になっている、と思います。

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2012.06.26

「ポジティブ思考」を止めるすすめ。

◆ポジティブ・シンキング(positive thinking)をしない。

サラリーマン向けの「自己啓発書」って読んだ事がないのですが、

表紙と目次をチラリとみれば大体想像が付きます。


「ポジティブ・シンキング(プラス思考)の薦め」の類、多いですね。

常に前向き。失敗しても、そこから何かを得ようとする。

上司の叱責は愛情だと思え。

自分の仕事が好きだ、と思い込め。


全て止めた方がいい。本当に仕事がすきだったり、プラス思考の人は

放っておいても、プラス思考なので、こういう本は読まない。

この類の本を読んだり、講習会に出ようとするひとは、元来ネガティブ・シンキングです。

実際以上に自分を過小評価してしまうようなのは、「認知の歪み」が起きている可能性があり、

これには、うつ病治療に用いる「認知療法」が有効な場合がありますが、

今日はながくなるので、またいずれ。


私が言いたいのは、もっと単純です。

会社の仕事がつまらないなら、つまらなくて構いません。

私なんか28年間殆どつまらないですが、若い頃には、無理に

自分は、仕事が(労働が)好きなんだ。

と、思い込もうとした時期があります。

逆効果でした。理由は簡単で、それは「自己欺瞞」だからです。

サラリーマンは、昨今、大分事情が変わってきたとは言え、

比較的、安定した立場です。面白さを犠牲にして安定を選んでいるのだ

と正直に認める。
自分は、本当は仕事なんか大嫌いで、1日、家でゴロゴロしていたいが、食う為に働くのだ。

と、はっきり認めるのです。私はそれで、苦しさから解放されました。


一見「好きなことをしている人たち」、つまり音楽家、絵描き、役者、等々も

全て自分の好きなことだけをして生きている人は、殆どいないと思います。

音楽家だって、「本当はこんな曲、つまらない」と思っても、しかもそれが

難しくても、上手く弾けなければならない。大変です。

それでも、サラリーマンよりは、好きな曲に当たったときの音楽家のほうが面白いだろう、

と思います。しかし、サラリーマンほど将来の安定は保証されていませんし、

間違えてばかりいたら、仕事が来なくなる。素人ならいくら間違えても笑って済ませられます。

職業となったらそうはいかない。


結局どんな人間も、1人が全てを手に入れることは出来ないのですね。

「安定」を手に入れた者を「仕事の面白さ」犠牲にするのです。

始終違ったことがきて、面白いこともある職業に就いた者は、

勤め人ほどの「安定」は得られない。

そのように割り切ったほうがいいのです。

私は前述したように28年間仕事がつまらないけれども、

仕事自体はまじめにやってます。周囲が見ているのはそれだけです。

頭の中で「つまらねえなあ」と思うのは完全に自由です。

これが出来るようになると大分楽ですよ。

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2012.04.02

新入社員に告ぐ。「石の上にも3年」。

◆明日から会社勤めをする若い人達へ。仕事なんてつまらないから期待しないこと。

今は、超就職難で、何処かに入社出来ただけでも幸せである。

色んな先人が既に書いている、言い古されたことだが、

学生というのは、親か本人が授業料を学校に納めて、ものを教わるところだったが、

サラリーマンに限らず、凡そ「仕事」は自分の労働力と時間の対価として給料なり、なんなり

とにかく金銭を貰うのである。シャバに出る、とはそういうことで、

会社の先輩があんまり意地悪だったら、抗議しても良いが、基本的には、会社は学校ではないから、

諸君らに「仕事を教える義務」はない。諸君が「仕事を覚える義務」を負うのである。

はっきり言って、辛い。

サラリーマンの仕事を心から楽しんでいる人もいるけれど、私はただの一度も楽しいと思った事は無い。

社会人になって今日で満28年。明日が1461回目の月曜日がだが、何十年経ってもイヤだ。

宝くじで5億円だか、3億円だかあたったら、入金確認の後、すぐにでも止めたい。

4月2日には各企業の入社式で社長が「キレイゴト」を並べるだろうが、本気でそんなことを思っていない。

「自己実現」とかなんとか、偽善的な言葉を並べるであろうが、

要するに会社が諸君に要求するのは、組織をじゃまするな。会社にとって都合の良い人間になれ、

ということである。諸君の人生がどうなろうが、企業にとっては、どうでもよいことだ。


◆無理にプラス思考になるな、といいたいのである。

前段の文章だけだと、なにやら、明日から人生の墓場に突入するように読めてしまうが、

少なくとも、全然楽しくも面白くもないところだ、と思っておけば良い。

もしかして、面白かったら、良い方に期待が外れる。

本当につまらなかったあら、「ああ、本当だ」と思うだけだ。

しかし、はじめのうちは、こき使われるから自尊心が傷つくこともあるだろう、という意味だ。

そして、それは、大抵のサラリーマンが同じ経験をしているのである。

会社は、繰り返すけれども懸命に洗脳しようとする。

ケネディの就任演説のように、

「会社が諸君に何かをしてくれるとおもうな。諸君が会社の為に何を出来るか、考えろ」

とか、ベートーヴェンの「第九」のテーマの如く、
苦悩を克服した後の歓喜!

とか、ゴタクを並べるが、要するに資本主義経済に於ける企業の目的はただ一つ。

収益を極大化することである。

無理に、前向きに考える必要はない。ただ、あまりにもつまらなそうな顔をしていると

多分、配属された職場でイジメられるから、挨拶や返事だけでもはきはきとして、1年ぐらいは

やる気があるフリをしなさい。

とにかく、世界中の勤め人は、食うために仕方がないから働いているのだ。

つまらないのはアナタだけではない。


◆石の上にも3年。

若い人を見ていると、特に優秀な人が1年目でやめる。

あれは、バカだなあ、と思う。どんな会社でも新入社員が楽しくて仕方がないということは

まず、あり得ない。最近は「パワハラ」とか、色々世間が五月蠅い(なまっちょろい)ので、

私らの頃のように、

おめえ、大学まで出て、コピーもまともに取れねえのかよ!

とか、
バカ。お前どうしてそんなにバカなんだよ。もう止めろよ。死ねよ。(これは極端)

などと言われることも無かろう、言われてもただひたすら済みませんと言って、但し、

「失敗記録」というのはつけておくと、いい。同じ失敗は2度が限度だ。

話を戻すと1年目で辞めてしまう優秀な人をみると勿体ない、と思う。

見ていると、「ああ、この子は、一旦現場を見せておいて次は本店だな」と

いうのが明らかで、そうなってからが、少しは面白くなるのに、

その手前でやめてしまう。他の会社に入ってもまた、新人になるわけだから、

芸術家になるほどの才能や、全く別の仕事でやりたいことがあるのでなければ、

諺にあるように「石の上にも3年」である。

日本人論の代表的著作の一つに中根千枝氏著、

「タテ社会の人間関係」がある。

この本の書名は、講談社が考えたのかも知れないが、ミス・リーディング(誤解を招き易い)だ。

中根先生が強調したかったのは、日本人の社会は「場」を共有する人の結び付きがつよく、

同じ「場」を共有した時間は、その人物の「社会的資本」になる、ということである。

転職や、非正規労働者の立場を選択する日本人が以前よりは増えているとしても、

根源的には、昔も今も同じである。同じ場所に長くいるほど、「エラい」のである。

(それが制度的に形になったのが年功序列である)。

これには、異論もあるだろうが、サラリーマンになるぐらいしか、選択肢がなかった人。

自嘲的になる必要は無い。大抵の人間には、際だった才能などないのである。

だからこそ、そういう人々がもてはやされる。99.・・・・パーセントは凡人だ。

成り行きということが人生にはつきもので、今の会社も何となく決まってしまったというのは、

普通のことだ。ただ、3年は我慢してご覧なさい。

私のように気が弱く、頭が悪く、本質的に怠惰で、なんの取り柄が無い人間でも、

3年我慢したら、少し楽になった。そして、「あと1年、我慢しよう」の反復で28年たった。

あなたにも、きっと、出来る。人生、その程度のものである。

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2012.03.19

「ユニクロ最大店舗、銀座にオープン=6カ国語対応、サービス強化」←ユニクロの本質は「接客業の鑑(かがみ)」ということですよ。

◆記事:ユニクロ「銀座店」がオープン=面積最大、イメージ向上狙う(時事通信 3月16日(金)20時0分配信)

カジュアル衣料の「ユニクロ」を展開するファーストリテイリング<9983>が、

売り場面積で同社世界最大となる「銀座店」(東京都中央区)を16日、オープンした。

老舗百貨店などが立ち並ぶ銀座中央通りに面した12階建てビルの全てがユニクロの売り場で、

総面積は約4950平方メートル。最新の商品を取りそろえるだけでなく、

接客サービスにも注力し、世界展開するユニクロのブランドイメージ向上につなげたい考えだ。


◆コメント:色々、「企業研究」の題材にされてますけどね。

急激に成長した企業でも人間でも、とにかくそれまで誰もやらなかったことを始め、

成功すると、これはもう100%の確立で良いことも悪いことも言われたり書かれたりします。

ウィキペディアの説明を読みました。



アパレル産業としてのポリシーというか、あの商品群の評価というのは正直に書くと

私は、分かりませんが、あの会社で一番すごいのは、「従業員に対する接客教育の徹底ぶり」だと思います。

私は、着るものに殆ど関心がありませんで、今まで凡そ「服」を買いに行くのは、

仕事に必要なスーツとかワイシャツとかですね。そういうのが殆どでしたが、

数年前にユニクロのある店にはいり、びっくりしましたね。、

ただの一人も感じが悪い店員がいない。


これは自分もかつて、店頭でお客さんの相手をする仕事をし、

また、現場の責任者を少しですけど、任された時期があるので、

如何に大変な偉業か、よく分かります。

あれだけの店舗数がありながら、どこの店にいつ入っても、どんなに忙しくても、

どんなに客が、イライラするような客でも、店員は「絶対に」嫌な顔をしない。

アルバイトの一人一人にまで、これでもか、これでもか、と徹底しているでしょ?

そして、よく観察すると、変な接客をしていないか監視している人がいるでしょ?


学者先生は経営方針に付いて散歩両論だそうです。

ウィキペディア、ユニクロへの批判

ビジネスモデルとしてのユニクロの低価格・大量販売戦略については賛否両論がある。

エコノミストの浜矩子は、「文藝春秋」 2009年10月号に「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という論文を発表、

ユニクロのように企業が低価格で商品を販売することが企業の利益を縮小させ、

ひいては人件費の切り下げにつながっているとしてユニクロのような経営を

「自分さえ良ければ病」であると批判、

「せめて安いモノを買うことが自分と他人の値打ちを互いに下げていることに思い至ってほしい」と主張している。

これに対し、経済学者の池田信夫は自身のブログ上で、ユニクロの低価格モデルが相対価格の変化であり、

「ユニクロは日本を滅ぼすどころか、日本企業がグローバル化するロールモデル」と浜の意見に反論している。

浜エコノミストは、頭はいいのでしょうが、やっぱり他人に頭を下げなければならない「商売」ってのを

やったことが無い人の言葉ですな。

そういうことは本質ではない。

ユニクロのあの徹底した全社員への接客態度教育は、

アパレルに限らず、また、流通業に限らず、凡そ「お客さんと接する商売」が

手本とするべきです。繰り返しますが、これだけ店舗数が増え、海外にも銀座にも店を出し、

どこの店舗でも同じように
全ての従業員が、いつでも、どのような客にも、絶対に気持良く相対する

企業を創ることは、可能なのだ、と実際に実現して証明したこと。

これこそユニクロの偉大さです。

私は、例えば仕事で嫌なことがあったり、人間という生きものの醜さにうんざりしたときには、

どこでも良いからユニクロへ行くことにしています。見て回るだけじゃ悪いから、

まあ、シルキードライやら、ヒートテックのTシャツぐらい買います。せいぜい1,500円とか2,000円でしょ?

土日が安いことは知っていますが、安くTシャツを買うのが目的じゃ無いです。

普通、中年のオッサンはこういう時には、しばしば綺麗なオネエチャンのいるキャバクラに行ったりしますが、

まあ、それはそれで自由ですが、私はそこまで、今は必要がない。ユニクロで働く若者たちの活気と

笑顔と綺麗な言葉遣いで、十分に癒やされる。

大袈裟な言い方をすると「人間ってそれほど捨てた物では無い」と思えるようになる。

柳井さんは、それを商売の目的と考えてはいないでしょうね。あくまでも商品を売るためのサービスの一要素。

しかし、結果的に、現実に、ユニクロは私には、慰められる場所になっている。これは偉大です。

ユニクロの企業としての本質はここにある、とすら思うのです。

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2011.08.08

「プロ」と「アマ」の境界。

◆何があったというわけではないのですが。

私の中では繰り返し考えていることなのです。

ブログでも何度か文章にしましたが、いつも書いている透り、

こんな、市井の一中年男の主張など、だれも覚えていません。

特に強調したいことは、何度も繰り返し書くことが必要です。



近年、プロとアマの境目が曖昧になっているように思います。

それは、見ていて不愉快です。


音楽とかスポーツに限らず、働いている人は全て、その職業に関してプロであります。

プロは、自分の仕事に関して、アマチュアよりも圧倒的に豊富な知識・技術・経験を

持っています。しかし、それは当たり前のことです。プロなのですから。

プロがプロでいられる所以は、「他が素人だから」です。

英語の格言とか諺というほどでも無い、決まり文句に、

Everything is relative.(全ては相対的である)

という言葉があります。

学生時代、NHKラジオ「英語会話」(東後勝明先生)の頃に覚えたのです。

後にイギリス駐在となったときに、イギリス人相手に会話の中で使ってみましたが、

誰もがしっている言葉のようです。


「プロ」という存在は「絶対的にプロ」なのではなく相対的なものです。

分かりやすい話にしましょう。プロの音楽家がプロとして食べていけるのは、

世の中の圧倒的大多数は、仮に楽器や声楽を少々たしなむ人でも、プロとは比べ物にならない

ぐらい「ヘタクソ」でいてくれるから、プロの存在価値があるのです。

誰もがオペラ歌手のように歌えたら声楽科の存在価値は無いし、全国民が

リストの超絶技巧練習曲をパラパラ弾けたら、プロのピアニストの存在価値はありません。



プロに対する結論。音楽に限らず、あらゆる職業に就く人は、

自分はプロだから、上手くて当たり前。高度な知識や技術を習得しているのが当たり前です。

プロがアマチュアに向かって、
どうして、こんなにヘタクソなのですか。

こんなこともしらないのですか?

と、言うことは勿論、そういう気持が、表情、口調、態度や仕草に現れては

いけません。


◆フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルのプロ意識。

ずっと昔、フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル(以下”PJBE”)

という金管アンサンブルが存在しました。

現在、金管アンサンブルは珍しくも何ともありませんが、

それはPJBEが道を拓いてくれたからです。

フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルは私の世代のラッパ少年にとっては、

あたかも「黒船」のような衝撃でした。一人一人の演奏技術の高さ。

聴いた事も無い、バロック以前の音楽(ガブリエリとかね)。

金管楽器の合奏が究極的に洗練されたときの表現力。

それは、全く新しい体験でした。


日本の楽譜出版社が比較的容易に版権を獲得できたのか、P.J.B.Eの楽譜が全国で売られ、

皆が、真似をしました。


当時、TBSで「オーケストラがやってきた」というクラシック音楽啓蒙番組を

毎週日曜、山本直純さんの司会で放送していました(10年つづきました)。

あるとき、広島(か岡山か記憶が不明瞭です)で収録があり、たまたま来日中だったPJBEの

特集になりました。


その中で地元の中学生の吹奏楽部の子供達(オーディションで選んだのでしょう。

かなり上手い方でした)が、PJBEの代名詞、「スザート舞曲集」から「戦い」を

PJBEがいる、正にそのステージ上で演奏しました。

この曲です(これは勿論、P.J.B.Eです)。


スザート舞曲集:「戦い」







蛇足ながら、もっとP.J.B.Eを聴きたい方は、

どうして今までお薦めするのを忘れていたのでしょう。「フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル ルネサンス名演集」

をどうぞ。


さて、実をいうと中学生の演奏自体はあまり覚えていません。

私が非常に感動したのは、日本の子供の演奏を聴く、PJBEのメンバーの態度でした。

真剣そのもの。真摯で紳士的な態度。誰一人としてニヤニヤしたり、メンバー同士が目交ぜしてニヤリとしたり、

そういうことは一切ありませんでした。

P.J.B.Eは、自分達はプロであり、上手いのは当たり前であり、

日本の中学生が自分達のレパートリーを練習して一生懸命に演奏している。真剣に聴くのが、

プロのアマチュアに対する礼儀だという意識を端的に表していました。

あの映像が手にはいるものならば、皆さんに見せたくて仕方がありません。


◆アマチュアは、プロへの「敬意」を忘れてはいかん。

これは、音楽の分野を念頭に置いていますが、他の職業でも同様です。

アマチュア演奏家も、私が子供の頃に比べると信じられないほど上手くなりました。

色々と理論を勉強したり、作曲家に関する本を読んだり、

ときには、プロが知らない「作曲家のエピソード」をひけらかし、

プロが知らないと「え?そんなこともしらないのですか?」という無礼者が

いるようです。


楽器の演奏が少々上手かったり、知ったかぶりをしたくて仕方が無いアマチュアは

「所詮、自分はアマチュアであり、プロには次元の違う厳しさがある」ことを忘れては

いけません。アマチュア・オーケストラの「定期演奏会」でいくら大事なソロを間違えても、

職を失うことはない。生活に困ることは無い。

アマチュアが半年に一回の「定期演奏会」に備えますが、

プロは、3日に一度本番がある。どんなに難しい曲でもそれで、

お客さんに「カネを払っても聴きたい」と思わせる「商品」にしなければいけません。

プロは間違えてばかりだったら、「使い物にならん」と仕事が来なくなるのです。

職業とは、そういうものでしょう。その厳しさは、間違えても自分が恥をかくだけの

アマチュアとは、次元が違う。

アマチュアは、音楽家に限らずプロへの敬意を忘れるべきではありません。

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